青い鳥の救い手
明浦路家末弟、健くん目線のルクス東山+鴗鳥親子の練習風景
しこりが残る健くんが司に心を開いたり、理凰くん&いのりちゃんと友情を築いたり、原作準拠の崇拝系りおつか&いのつかがあったりします。
司に救われた理凰くんが、今度は健くんを救ってくれたら個人的に嬉しい。そして慎一郎先生はそれら全てを包み込んで欲しい。
健くんの人物像捏造&年齢操作で理凰くんたちと同い年設定。原作は名前だけの登場なので、一応モブ視点のタグ付けしてあります。また、読める程度の方言があります。
(※書き終えてから、いのりちゃん中1の5月は司がルクスにいない事に気づきましたがこの世界では偶然いたって事でお願いします)
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"運命の出会い"
漫画でよくあるこのフレーズは、口に出すと何だかチープだなって感じる。そもそも"運命"って響きが中学生男子には小っ恥ずかしくて口にするのも躊躇うくらいだ。でも今、眼前で舞う少年との出会いは、兄との関係を見直すキッカケになる、紛れもない"運命"だった。
*****
俺は一般中学生、明浦路健。幼馴染で同級生の男友達と映画館に遊びに行って、先月公開の探偵映画に盛り上がって先ほど解散したところだ!……なーんてね。今回のおっちゃんマジでかっこよかったなぁ。
脳内上映は既に5回を記録しており、最高潮の浮かれ気分で大須観音の改札を抜ける。自宅まで残り10分も満たないのに、その僅かな時間すら手元のパンフレットを思うと今は惜しい。……まぁ結局、人目を気にして歩きながら読むこの時間も楽しくてしょうがなかったのだけれど。今の俺、締りのない顔してんだろうな。幼馴染と映画見てこんな些細な幸せを噛みしめる時間も青春青春。罪悪感はあるけど熟読しないだけマシってもんだ。
誰に対するのかもわからない言い訳を心の中で連ねていると、目と鼻の先に自宅をとらえてハッとする。あれ、いつの間に。没頭しすぎて近くまで来たのに気づかなかった。なんか得した気分だな〜と、浮かれた勢いそのままに玄関ドアを開けた。
「だっだいま〜〜〜!」
「健おかえり〜。今日は映画だっけ?楽しかった?」
「そりゃもうね!!俺も三国志勉強しようと思ったくらい最高だったわ!」
「うんうん、そっか。まぁ三日坊主にならんといいね?…そんなご機嫌な健くんに1つお願いがあります」
丁度良かった〜と呟きながらこちらへ向き直る母さん。えっ、なに急に。雑な相槌と唐突な敬語に、さっきまでの華やいだ気分は一気に萎びていった。
「さっき久しぶりに司が帰ってきてね?スケート教えるのに使うもんでって、雑誌とデータが入ったHDを探してたんだけど見つからんくってさ。いま丁度出てきたから持ってってくれんかな?」
ほらね、そんなこったろうと思った!こういう勘はすぐに当たる。
「なんで俺がー?!母さんが行けばいいじゃん!それかつか兄に電話して取りに来させればいいじゃんか!」
「それが練習が始まっちゃったのか電話に出んのよ。お母さんこの後用事で、逆方向にあるリンクへ行く時間がないの。夕飯は健の好きなのにしてあげるで願い!」
「………そしたらトンカツ。あとコーラ!」
「さっすが健、助かるわー!帰りにお肉買ってくるから悪いけどよろしくね?」
はいじゃあこれと、そこそこ重たいトートバッグを手渡して慌ただしく出かける母さんに、一つ小さなため息をつく。母さんの性格上、"うん"と言うまで折れないのが目に見えた。
得した気分とは何だったのか。さっきは軽かった玄関ドアも、今は試しの門かよってくらい重く感じる。あーあ、せっかく帰ってきた道のりを逆戻り……気は乗らないけど頼まれたものは仕方ない。
「マジで最悪〜」
……そうはいっても突然だったし、どうしても悪態はついてしまう。少しは気が紛れるかと思って道端の小石をつついてみても結果は変わらず、またため息がこぼれる。
同じ大須でもこれから向かう『大須スケートリンク』は、家から歩きだと地味に遠く感じる。とはいえ、年々数を減らしてるスケートリンクが徒歩圏内にあるのは、つか兄みたいなスケーターからしたらすごく恵まれてるんだろうけどね。俺みたいな野球やゲームが好きな人にはあんまり関係ないし、こんな風に用事がない限り本来なら縁も無い場所だ。
つか兄……明浦路司は、4年前に引退した元フィギュアスケート選手で、現役期間は2年くらいだったらしい。まだ小3でスケートに興味がなかった俺は、その辺りの記憶がだいぶ曖昧だ。でも当時のつか兄は、たまに家に帰ってきても暗い顔ばかりで、母さんたちとギクシャクしてて息苦しかったのはよく覚えてる。そんな空気にするつか兄が憎かったし、そのせいでフィギュアスケートに対して嫌悪すら感じていた。
こうやってつか兄への使いを頼まれても、引き受けるなんてありえないくらいに。
「はぁ……」
ジリジリと肌を焼く熱に思わず空を見上げる。それにしても最近は5月でもあっついな。すぐ横を通る車の排ガスが余計に鬱陶しい。視界に入る27と刻まれた温度計を睨みつけ、ダラダラ流れる汗を袖で拭きながら角を曲がる。よーし、伏見通りまで出ればこっちのもんだ!
「……やっと見えてきた。はぁ、遠いっつーの!」
目的地を視認して、思わず駆け出す。季節外れの暑さで手をうちわみたいに煽ったおっちゃんが途中何やらヤジってきたけど、すまんね。こっちはさっさと用事を終わらせて映画の余韻に浸りたいんだ。
「いらっしゃいませー」
室内は極楽…かと思えばそうでもなかった。空調は効いてるんだけど、何なら効きすぎて汗が冷えて寒いくらい。そう思ってすぐにスケートリンクだからそりゃ冷えて当たり前かとセルフツッコミを入れながらロビーを見渡す。
いつもどおりなら受付のじいちゃんに話しかけるところだけど、カウンターには『5分ほど席を外します。申し訳ございません』の札。今日はつくづく運がない。
身長と少し長い髪以外つか兄と瓜二つの俺は、来る度クラブの子たちの視線を浴びるんだけど、今日はぶるりと腕を擦って挙動不審になってるもんだから尚の事居心地が悪い。
勝手にリンクサイドに入るのは流石にまずいだろうし、うーんどうしようか。視線を落としてしばらく思案してると、
「え!!あ、明浦路先生にそっくり………?!」
突然至近距離で叫ばれて、思わずトートバッグの中身を床へぶちまけた。
「ご、ごめん!俺のせいで。手伝うよ!」
「あ、いや……うん、ありがとう」
咄嗟に断ろうと思ったけど、まぁ確かに君のせいだしと改める。2人でやるには量もそんなに多くなかったので、サクッと集めてお礼のために彼へ視線を向けると……なんとそこにいたのは、金髪のどえらい美少年。
「やっば」
いかん声に出てた。色白で、長い睫毛の下から覗く瞳も綺麗な青緑だしハーフかな?絶対に学校でモテそう。まじまじと見すぎていたみたいで首を傾げた彼と目が合った。
「?はい、これで全部かな?あとちょっと聞きたいんだけど、俺の………明浦路先生にそっくりだけど、兄弟だったりする……?!」
ほとんど俺の胸に押し付ける形で渡してきたので若干痛い。その曇りのない瞳はキラキラと輝いていて、めちゃくちゃ綺麗な見た目なのに何だろうな…。何処となく残念な雰囲気がある。初対面なのに距離感が個性的だし、しかも今、俺の明浦路って言わなかった?気のせい?
会って早々あまりのツッコミどころに内心引き気味だけど、相手はつか兄の知り合いみたいだし、悟られてはいけない。
「ありがとう。明浦路司だったら俺の兄ちゃんだけど…先生ってことはここのクラブの生徒さん?」
「やっぱりそうなんだ!クラブは違うけど前に明浦路先生にコーチングしてもらったことがあってさ!丁寧なスケーティングで尊敬してるんだ!」
「へーそうなの?」
大須に用事があった父親についてきたという美少年は、鴗鳥理凰と言うらしい。"フィギュアスケートの鴗鳥"なら地元テレビの特集で何度も見たから流石の俺でも知っている。確かオリンピックの銀メダリストだ。結構前の選手だけど外国の人と結婚してた事も、あの人に俺と同い年の子供がいた事も知らなかった。でも違うクラブの人なら俺を知らずに叫ぶのも納得できる。
理凰くんが何か言いたそうに口を開きかけたとき、ふと彼の背後にあるリンク入口に、見覚えある顔を捉える。それは小走りでこちらに近づいてきて、俺たちの目の前で立ち止まった。
「理凰さーん、手袋見つかった?……ってあれ?健がどうしてここに?」
「はい、更衣室の前に…ご心配かけしました。今ちょうど明浦路先生の弟さんにお会いしまして」
「そうそう。理凰くんが荷物を拾ってくれてさ。はいこれ、母さんから頼まれて持ってきたやつ。ここまで来んの大変だったで貸し1な!」
ちょうどいいと、落としたときに出来た雑誌のシワを、申し訳程度に伸ばしてからバックを突き出す。これでミッション達成だ。はじめは頭に疑問符を浮かべていたつか兄も、合点がいったようで笑顔で受け取った。
「おー!!ありがとう!またどっかでお礼するな。俺が独学で勉強してたときの資料を見てみたいって言う生徒さんがいてね。助かるよ!」
「え?またエビが無理言ったんですか!?俺の明浦路先生に!……あーでも、やっぱりその、先生が良ければ俺も少し見てもいいですか…?」
「ちょっと理凰くん聞こえてるよっ!エビっていうのやめてよね!あと司先生は私のために準備してくれたんだから!!私が先だもん!!!」
記憶よりさらにムキムキになったつか兄で見えなかったけど、理凰くんに文句を言いながら、俺には笑顔でこんにちは!って器用に挨拶するいのりちゃんが後ろからヒョコッと現れた。あと俺の明浦路なんて聞こえなかった。
「いのりちゃん。用事も済んだし邪魔になるから俺は帰るよ。練習がんばってね!」
口には出さないけど特段スケートが好きというわけでもないから、用事が済めばあとはサッと帰るだけ。しかも今日はやりたいことだってある。この感じだと話も長引きそうなので、つか兄に再度お礼の事を釘刺して足早に去ろうとした時だった。
「まって健くん!俺、スケート関係で年の近い男友達って少なくて。その、後で少しだけ話せないかな?今すぐは明浦路先生にプログラムを見てもらえる事になったからちょっと難しくて。エビが休憩の今しか時間ないから…」
理凰くんの思いがけない提案に、多分戸惑った気持ちが顔に出た。「いや…」と中途半端に漏れた言葉は、その後音を発することもなく、俺が黙っている間も彼は口を固く結んでいた。早く帰るつもりだったけど、別にそんな悲しい顔をさせたいわけじゃなかった。人と話すのが好きな俺にとって、誘いは嬉しいものだから。
「…なら少し見てこうかな?プログラムってことは長い演技ってことだよね?スケート関係って言っても、つか兄が好きなだけで俺は滑ったことないし、全然詳しくないけどそれでもいい?」
「え!ほんと?健くんいつも用事済んだらすぐ帰っちゃうから嬉しいなー!」
「おい!エビは今関係ないだろ!!あとこの後明浦路先生とレッスンあるんだからあっち行ってろよ!」
「もう!あ、た、し、の!明浦路先生って何度もいってるじゃん!休憩中だってずっと近くにいたいの!!」
顔を突き合わせてバチバチと火花を散らし始めた2人。
"いつもこうなの?"
俺の疑問を、目を見ただけで瞬時に理解する一回り以上離れた兄は、フニャフニャモゴモゴした何ともいえない顔をしていて、何となく察する。薄々感じてたけど、この2人はつか兄の事になると見境がなくなるみたいだ。
「またコーチを取り合ってるよ!」「可愛いね〜 」なんて声も聞こえはじめて、俺たち兄弟がどうしたもんかと頭を抱えたとき、パチッと軽快な音がロビーに響く。
「はーい!落ち着いて!」
出どころはコーチの高峰さん。そこからの彼女はすごかった。バツの悪そうな2人を華麗にさばく手際の良さに反して、少しくたびれた彼女の表情から普段の様子が見て取れて、思わず心の中で手を合わせた。なるほど、コーチが来たときあちこちから拍手が起こったわけだ。
なんだかつか兄、頼りないな…。
「ゴホン!あんまり時間もないから通しでいくよ。他にも人がいるから無理はせずに。理凰さん、準備できたら教えてね」
「いつでもいけます!」
気を引き締め直したつか兄は、いのりちゃんの10分休憩の間で理凰くんのプログラムを見るらしい。思えば生でフィギュアスケートを観るのは初めてだ。一般客がいても大丈夫なのかと尋ねると、隣のいのりちゃんが問題ないと言ってたので、そういうものなんだと割り切った。対応力も大事って事なのかな?
冷たいリンクへと下り立って目を伏せる理凰くんは、さっきまでの荒れくれた雰囲気が鳴りを潜め、見た目も相まってまるでどこかの王子みたいだ。周囲はお客さんで賑わいを見せているのに、ポーズをとった直後、彼の周囲に緊迫が漂った。
「あれ…」
音楽は流れてない。流れて無いはずなのに、ピアノの優しい旋律が聴こえた気がした。胸元でぐっと手を握りしめて、どこか悔しいような表情をしたかと思えば、ぐるっと回転して再度こちらを向いたその青緑の瞳には、燃え盛るような闘志が宿っていて、俺は無意識に後ずさった。彼が必死に手繰り寄せようとしてる物が何かは分からないけど、"焼きつくされる"と、漠然と思った。
テレビの世界大会で大人の選手がやる4回転みたいな派手なジャンプはない。素人じゃ判別できないけど、多分2.3回くらいしか回ってない。でも彼のジャンプは、踏み切ってから数メートル先に着地するまでが、まるでスキップをしているように軽やかだった。しかもジャンプからその後のダンスまで、1本の糸みたいに滑らかに繋がっていて、とにかく優雅で綺麗なんだ。スケートの技術的な事は全くわからないのに、今の動きはこういう意図で組み込んだのかなって想像させられる。全身からあふれ出る熱意に感情が揺さぶられる。
「これが、フィギュアスケート……」
「どう?スケート楽しいでしょ!理凰くんはね、昨シーズンと同じ曲だけど難易度を上げてプログラムを調整してるんだって。"Go For The Gold"っていうの。」
素人だと言った俺のために分かりやすく説明してくれるいのりちゃん。あれほど言いあっても、彼の演技を見守る表情には敬意が込められているのがよくわかる。
「"金メダルを狙う"」
彼女から再度氷上の彼へと視線を戻す。器用に人を避けながら、それでもスピンやジャンプのときにふらつくといった、質を損ねるような事もない。何も知らない彼の、これまでの努力が垣間見えた気がした。
いよいよ終盤なのかな。少し離れて見ていたつか兄が、指導のためか動き始める。……終わるのが勿体ない。あのとき先に帰らなくて良かった。
途中からさらに加速したスピンに、ドクドクと脈打つ左胸をぎゅっと握って、無理矢理昂りを落ち着かせる。
こちらに手を伸ばす最後のポーズの時には、誰にも負けない大きな拍手を贈った。うるさいかも?って迷いは一瞬で、彼の演技に夢中になっていた他の人の声援が彼の耳に届くよりも早く、俺の感動を伝えたくて。
ふと、大きな影が頭上を覆った。
「お二人ともこんにちは。理凰の演技は弟さんから見てどうでしたか?」
「鴗鳥先生!」
隣に並んだ男性の背丈は、ずっと見てたら首が痛くなるほどに高い。俺にこんな知り合いの人いたっけ?ソニドリ…鴗鳥……
「…あっ!メダリストの!?」
有名人!!びっくりした!!!「申し遅れました。鴗鳥慎一郎です」と、子ども相手に腰が低いところにもまたびっくりする。
「はい、えっと、演技ですよね?俺、兄とは違ってスケートは素人なんですけど……正直言ったら"難しいジャンプが全て"とか思ってたんですよね。でも理凰くんの表情とか、身体の柔らかい動かし方とか、ずっと繋がってるような滑らかなダンスが目に焼きついて、本当に綺麗で感動しました。勝敗以外の楽しみ方があるんだって。魅せるジャンプもスピンもダンスのところも……全ての要素が大事ってことですよね!」
ふふっと、口元を隠して控えめに笑う鴗鳥さんに、自分でも驚く程語っていたことに気づいて顔から火が出た。しかも追い打ちをかけるように横からもクツクツ笑い声が聞こえるのだ。
「健くん、いっぱい語るところが司先生にそっくり!理凰くんの演技中、すごく集中してたもんね?私の声全然届いてなかったでしょ〜!」
「えっ!そうだった?でも本当にカッコよくって!!うまく言えないけど目に残るんだよ。視線とか、指先一本一本まで。頑張りが伝わってきてグワってなったし、"天賦の才"っていうのも、もしかしたらあるのかね?とにかく最後までずっとすごかった!!」
ピクリと肩を揺らして「あっ」と零したいのりちゃんと、一瞬だったけど、目を細めて少し苦悶の表情を見せた鴗鳥さんに、俺は口を噤んだ。
―――少しの静寂。
「…すみません、気を遣わせてしまいましたね。ここだと利用者さんの妨げになってしまうといけないので……あちらのベンチに移動してもよいですか?」
このあと練習を控えているいのりちゃんとは別れて、鴗鳥さんと並んで少し離れたベンチに腰掛ける。彼から手渡された缶コーヒーの温もりは、失言で強張った心と指先を、ほんの少し溶かして包んでくれた。遠慮しないでと言われて、控えめにそっと口をつける。うん、ほどよい苦味だ。
さっきはああ言ってたけど、理凰くんに勘付かれないように移動したんだろう。良い人だな。
「健さんが絶賛してくださった理凰ですが、実は去年まで伸び悩んでいる時期があったんです」
「え、スランプって事ですか?」
今日の演技からは到底考えられなくて、遠くつか兄のもとで指導を仰ぐ彼を見た。氷上の2人の、まるで鏡のようなシンクロしたスケートに先の会話を一瞬、放棄しそうになる。
…あんなに楽しそうなのに?
「はい。両親が元フィギュアスケート選手という環境は私では推し量れないほど、理凰に大きな重圧をかけていたのかもしれません」
どうして。
「……そんなお話を、どうして俺に話してくださったんですか?今日ファンになったばかりの、初対面の子どもなのに」
「理凰の演技をあれほど褒めちぎっていただけると、父としても嬉しいですからね。それと、もう一つあります。以前、短期間でしたが明浦路先生にコーチをしていただいたんです」
「あ、それ確か理凰くんも言ってました」
「……先生に会うまでは少し、自暴自棄になっているようでした。私たちの声が届かないほどに。それを全て包みこんで、掬い上げてくださったのが明浦路先生と彼の美しいスケートでした」
手の中の缶コーヒーが軋んだ音をたてた。彼はそのまま続ける。
「先生には本当に感謝しています。先程の健さんの理凰を語る様子は特に先生が重なって見えました。流石はご兄弟ですね。理凰は人と関係を築くときはゆっくり時間をかけてるみたいですが、今日お誘いしたのは、そういった人柄を健さんから感じ取ったのかもしれないですね」
鴗鳥さんの言葉は純粋に嬉しかった。だけど……それ以上に、深層に溜まっていたつか兄に対する苦い感情の澱が舞い上がって、自分がわからなくなった。
「……俺、兄弟がフィギュアスケーターなのに生で演技見たの初めてなんです」
なんだか懺悔みたいだ、と苦笑いする。目尻を下げて優しく笑みを浮かべる鴗鳥さんは、今日初めて会ったのに情に満ちた雰囲気が感じられて、内側のない交ぜな感情とは裏腹に不思議とスラスラ言葉が出てくる。
「昔は好き勝手にスケートやって、そのくせ結果が出なくて、家族に色々負担をかけてるって思ってました。援助してくれなくて家族を恨んでるとも。だからそんな兄の演技なんて見たくないって。でも資金の殆どは自分のバイトで工面したり、知り合いの人に支援してもらってたのを最近になって母さんから聞いて。母さんたちは、いちばん大変な時に支えになってあげられなかったって悲しそうにしてたけど…」
帰ってくる度に見せるあの暗い顔も、環境に恵まれなかったっていう家族への当てつけだと思ってた。だけど、違った。
上手く言葉がまとまらないけど、きっと伝わってる。何も言わずに、俺の言葉一つ一つに丁寧に相槌を打ってくれる鴗鳥さんはきっとコーチとしても優秀なんだろうな。親指で空になった缶のラベルをなぞりながら続ける。
「今なら少し考えれば、つか兄の性格でそんな事するわけ無いって分かるんですけど、まだ小3だったので。コーチになってからのつか兄は笑顔が増えて、母さんたちとお互いに歩み寄ってるの見たら俺も意地張ってちゃダメだってなって。今は時々みんなでご飯にも行ったりしてます。……でも、どこか自分の中ではモヤついてるというか。えっと、うまく昇華できてなかったんですよね」
「そうなんですね」
「はい。でも今日、理凰くんを通してスケートの奥深さを知りました。必死になる理由も。その彼の憧れる人がつか兄って聞いて俺……は」
―――そうだ。
「そう、"誇らしくなった"んです」
頬を滴る涙はいっしょに澱も流してくれた気がした。
「…実は明浦路先生のスケートは純くん……すみません"夜鷹純"ならわかりますか?金メダリストの彼も認めるほど綺麗なんですよ?もちろん私も尊敬しています」
包まれる身体と、鼓動に合わせてトントン叩く大きな手に、目がまんまるになる。……ごつごつした身体なのに、柔らかくて温かい。
―――ようやく、過去のぜんぶを許せた。
しばらく優しさを堪能してから、そっと腕の中から抜け出す。そして反動よく立ち上がってグッと身体を伸ばした。
「ありがとうございました。あーーーーー!すっきりしたーーー!!」
打って変わって明るくなる俺に驚いたのは一瞬で、
「お役に立てたならよかったです」
そう言って、彼も立ち上がった。
言葉を交わさずとも、まるで示し合わせたかのような自然な流れで、つか兄たちのもとへ歩みを進めた。
「今日は無理を言ったのに見てくださってありがとうございました!このご恩は忘れません!!」
丁度レッスンが終わったみたいだ。まばゆい目をした理凰くんがつか兄の手をブンブン振り回していて、さっきの話の後だとそれも少し面白おかしく見えた。
「明浦路先生。理凰の急な申し出にもかかわらず、快く引き受けてくださりありがとうございました。御礼なんですが…」
「あ、頭を上げてください鴗鳥先生!俺も成長してる理凰さんが見れて嬉しいですし、以前シングルのシューズを貸していただいたご恩もありますので、お気遣いはいいですよ!!」
「ですが……」
「…そしたらさっき鴗鳥さんが俺にコーヒー買ってくれたから、それがお礼ってことでいいんじゃない?」
「え?うん、それがいいな!それに俺がいない間、健をみていただいてありがとうございました」
ナイスアシスト!とでも言いたげに、死角から小さくグッドポーズを送ってくる27歳に呆れた。でもそんなことより今はやることがあるんだ。
「理凰くん、レッスンお疲れ様!」
「健くん!さっきの演技どうだった?すごく拍手してくれたのって健くんだよね?!」
「多分俺!!すごく良かったよ!!いのりちゃんからプログラムの曲名を聞いたけど、その名に違わない金メダルを掴み取るって意志がリンクの外まで伝わってきてさ!ジャンプも遠くまで跳んでてびっくりしたし、これが本番までにどんどん磨かれていくって想像したら楽しみで……」
「……ありがとう」
「あ!理凰くん照れてる〜!」
「お、お前!いつからそこにっ!!」
またしても始まる司教(今名付けた)同士の口喧嘩は、これまた語りすぎて羞恥心に襲われていた俺にとっては助け舟だった。そう思ったのに。
「懐かしいな〜!この感覚!俺が14歳でこの世界に飛び込むきっかけになった夜鷹純のプログラム見た時もそんなんだったよ!さすが兄弟だな!」
乗った船は光の速さで沈没したのであった。
「そういえば明浦路先生は純くんのファンでしたね。健さんが同様に、理凰の演技を見て感銘を受けたのでしたらコーチとしても父親としても嬉しい限りですよ」
「俺も健がこんなにスケートを語るところは見たことがなかったので……すごく嬉しいですね」
―――いま、言わないと。
「つか兄……」
「司くーん、もうすぐいのりちゃんの休憩も終わるから準備してねー?」
「瞳さん、わかりました。じゃあ理凰さん、わからないことがあったり、詳しいフィードバックは練習が終わってからでもいいかな?鴗鳥先生、帰りのお時間は大丈夫でしたか?」
「大丈夫ですよ!!父さん、俺は地下鉄で帰れるし7時は回らないからいい?」
「そういう事でしたらよろしくお願いします。私はこの後まだ予定がありますので、ここでお暇しますね。理凰、くれぐれも練習の妨げにはならないように」
「健はどうする?練習は18時までだから後1時間ちょっとかかるけど、このまま帰る?」
「…そしたら最後まで見学していこうかな。せっかくならいのりちゃんの滑りも見てみたいし。理凰くんも残るならそれまでゆっくり喋って待つよ」
「じゃあその間に俺がスケートのこと教えるね。もし寒かったり疲れたら下のカフェで時間つぶそうよ!」
……まぁ、そんなに焦らなくってもいっか。
「いいね!でも俺、本当に前知識ないから教えるの大変かも知れんけど」
「誰だって初めはそうだよ!」
笑う理凰くんが「こっちで話そう!」とグイッと手を引く。図らずとも、さっきまで鴗鳥さんと座っていたベンチへと向かいながら思う。スケートに興味を持つきっかけになったのが、つか兄とのわだかまりを払拭してくれたのが彼でよかった。
―――時刻は18時。
「「今日もお疲れ様でした〜!」」
着替えは済んでるけど、頬を膨らませて不満げないのりちゃんたちとロビーで合流する。
「いのりちゃん、つか兄お疲れ様〜」
「まだ滑りたい…」
「ははは、休息も大事な練習だよ?いのりさん。理凰さん達は2人でゆっくりできたかな?」
「うん、教えてもらって何となくスケート用語は覚えた。あと理凰くんがつか兄のことめっちゃ好きなのも分かった!」
「明浦路先生の昔の話もいっぱい聞けて最高でしたよ!!幼稚園のとき名古屋港水◯館のからくり時計が怖くて号泣したとか!その時の写真とかあればいいんですけど」
「ちょ、ちょ!何でそんな昔の話を健が知ってるの!?恥ずかしいって!!」
「え、何それ?!司先生可愛い!!!健くん、もっと他の話とか写真ってある?」
頬の風船がしぼんで、即行で機嫌をなおした現金ないのりちゃんに笑いながら、スマホをスクロールする手を止める。
「母さんがこないだ名古屋港の近く通ったときに言ってたよ。これ前に家族でく◯寿司行ったとき、ビッ◯らポン2連続当たってマジでビックリして喜ぶつか兄」
「こらこらこらこら!!健も面白がるな〜〜〜!!」
きゃーー!!と、スマホに夢中の2人の後ろで、少しゲッソリとしたつか兄にそっと声をかける。
「…今日の理凰くんといのりちゃんにスケートを教えてるつか兄、格好良かったよ」
「…………そっか。健、ありがとな」
4兄弟の中で一番感情が出やすい次男が口元を押さえたところで、その先の展開が容易に読めた。
「あーーーまって!こんな人前で、しかも弟の前で泣かんといて!」
「ん?明浦路先生どうしました?」
「っ!あ、えっと健がスケート興味持つのが感慨深くってね」
「そうだ!健くん、せっかく好きになったなら、また今度スケート一緒に滑ってみようよ!司先生すごく上手に教えてくれるよ!」
これまで意図的に避けていたから、つゆ程にも考えたことがなかった。正直面白そうっていうのが今の俺の感情だけど何となくバレないように、息を呑んでつか兄の反応を待った。
「時間は俺の方が調整するから、健。勉強の息抜きに……どう?やってみる?」
……やっぱ兄弟って似るんだな。
「うん、やる!お金はつか兄持ちね。流石にフィギュアは俺には無理だからスイスイ滑れるくらいでいいよ!」
「っ!分かった。日程見ておくな」
「俺も!一緒に滑らせてもらってもいいですか!!」
「あーーずるい!私も!!」
すごいスケート選手に囲まれてやるって、俺の人生初スケート大丈夫かな。まだ仕事が残っているつか兄に別れを告げて、尽きることのない賑やかな会話を楽しみながら、3人で大須スケートリンクを後にするのだった。
【終】
*****
【人物設定】
明浦路健
12歳。いのりたちと同い年で司とは15歳差。調子者だけど根は真面目、地頭はそこそこ。物心ついたころには司はスケートのために家を出ていたので、それが不仲を加速させた。両親が和解したから自分も建前は普通に接していたけど、実は少し思う所はあった。
コメント
- fujisaki2025年5月12日