狂気太郎作品『障害者革命』の話と言葉狩りについてと本当の差別について
流行を利用するようで申し訳ないですが、現在Xでは某ホラー作家が大学時代のコミュニティで障害児ポイント(ガイポ)という言葉を使っていたことについて炎上しております。
全く反省してない複垢が暴露されたことで延燃が続いておりますが、それは置いといて。
このように差別用語を伏字なしでつかうこと、過激な発言をすることがブランディングに繋がるのだろうかという議論は参政党の台頭でも話題になりました。右翼政党はいつの時代も強いですが、バランスが崩れると一気に社会がファシズムに傾く危険もはらんでいます。
というところで、狂気太郎の作品をひとつご紹介します。
『障害者革命』というショートショートの一片です。
漢字使いは原作タイトルに準拠して統一しています。ご了承ください。
この作品内の世界では障害者の人権がはく奪され、一般人により残酷な方法で殺されていきます。これは一般人が常に障害者にストレスを感じているという描写ではなく「世界は無情であり、人間は邪悪です」という作者自身の信念から描かれた世界観だと思われます。
この状況を覆す「救世主」が現れます。それは身体障害者の当事者でした。彼の示した解決法は「すべての人間を身体障害者にする」というものでした。スティグマが一般化すれば差別はなくなるという理屈ですが、この解決法だけが正解だと思う人間は少ないでしょう。
世界が平和になったかのように見えた時、しかし身体障害者の救世主には知的障害者に対する寛容がありませんでした。このような人間が存在し得るのは悲しいことに事実ですが、しかし現実には、自分と違うスティグマを持った人間に寛容な人間も多くいます。
私がこの作品を紹介することで何を伝えたいのかというと、作品を読み解くには必要な知識があるということです。
同作者の別の作品に目を向けてみましょう。『青髭未満』ではホームレスを嫌悪した女性を主人公がその場でふっています。(※1)
自分がそのホームレスと同じような状態になった時の恐怖を抱いているがために、そうした人間に冷たい態度を取る人間に対しても恐怖を抱いているというものです。
『想師』でも主人公はホームレスの友人を持っており、『遺跡の見える町で』では機転の利いた好漢であったカイスト(※2)が脳に障害を負って被差別者となって登場します。
また『モラル』や『デビル・ボード』でも、障害者が物語の重要なポジションにいます。
狂気太郎はその作品で、人間はいつでも死や障害、被差別者に転ぶ可能性があると伝えています。
目の前にいる人間が自分と同じなのだという深い共感性が、彼自身の苦悩の元でありながら、残酷でありながら美しい世界観を構成する一助となっているのだと、私は思っています。
ちなみに、狂気太郎という作家はお酒が大好きです。
お酒の勢いで書いてるのか露悪的な言葉がたまに「独り言」に出てくることもありますが、彼の根底にある恐怖と優しさは変わりないと思っています。
人間は完璧ではありません。差別を完全になくすことが難しいのは、人間の心に必ず嫉妬や恐怖があるからです。
悪は正義よりも強いから、正義は常に戦わねばならないのです。
冒頭で書いた某ホラー小説家は、狂気太郎を読んでいるという発言を以前していました。
何度も言いますが人間は完璧ではありませんので、同じ本を読んでいても人間が違えば受け取り方は全然違うものになります。
作者の気持ちを完全に受け取ることはできません。
発言を封殺するために作品を販売停止に追い込む等の行動は、それこそが怨恨を残す行為となるでしょう。我々は互いを少しずつ窘めながら、許していくことしかできないのです。
言葉狩りについて話します。
私は、言葉狩りは知識のあるものとそうでないものを分断し、断絶を助長する差別の撤廃とは逆行するものと考えています。わずかな言葉遣いから生まれを想像すること自体が差別だと私は考えています。
ただ、知識がありながら露悪的に、歴史を伝えるためではなく、それこそ誰かを貶めるために言葉を使うことは直球の差別であり、許されないことです。
知識なき者の言葉なのか知識があっての差別発言なのかを分ける手段が今は無いために短絡的な分け方しかできないことに、もっと文章を読み込む力を持つことで対抗しようという気持ちを持っています。
これは私自身の考えであり、読んだあなたが別の事を考えていても仕方がないと思います。それこそが多様性なのですから。
※注1 この『青髭未満』は作者自身の恋人募集文である、とサイト上の「覚書」に記録が残っています。それゆえに主人公の言動は作者自身の偽りない言葉であると考えた方が自然です。
※注2 カイストとは狂気太郎の作品中に登場する転生者の総称です。転生者であっても、魂にまで至る傷を負うと転生後に影響が出ます。
追記:狂気太郎さんからツッコミがあったので、ここで書いた解釈は私自身の感じたことであって、作者自身の意図とは関係ないことを強調しておきます。
また、物語の終盤に関して「これは物語上でのオチに当たる」と書いたことが適切ではないと自分で思い直したため訂正しました。
狂気太郎さん自身の考えはmadtaro.x0.comの小説覚書でご確認ください。




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