歌え似合わぬJ-POP
原作軸5-6年後ぐらいのよだつかです。冒頭で🦅が☀に振られていますが、お互い好きです。ご安心ください。
しかし、以下注意です。
大注意:最新話の内容を含みますアーーーーー
中注意:🦅が冒頭でふられています
小注意:情緒はまあまあめちゃくちゃの人間が書いています、許してください
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「ふられた」
似合わぬ朝陽を背負って現れた親友に、慎一郎は、
「おはよう純くん、いらっしゃい」
マジかい純くん!
叫びたいのをこらえ、まずは挨拶でもって出迎えた。
言いたい事とか聞きたい事をぶつけたりはしない。
夜鷹は生け垣の隙間に体をするりとねじ込み、庭のテーブルにつく。
「……はあ」
眠たげにまばたきをする夜鷹の横顔はおおよそ若いままに見える。
けれどその頬に浮かんだ表情は幼いとも、老いたとも判別しづらいものだった。
「お茶を淹れてくる」
「おかまいなく」
夜鷹は定型文を用いるのに慣れている。選手時代のインタビューもそうだった。
これは夜鷹にとって『生返事』であることを慎一郎は知っている。
5月も目前、そろそろホットティーだけではなくアイスティーも選択肢にしていく季節。
慎一郎はエイヴァに夜鷹の来訪を一声告げてから、カモミールミントティーを選んだ。
夜鷹は冷たい飲み物を飲まない、味のついたものも飲まない。
湯を電気ポットで沸かすたった1分の間が慎一郎に与えられた準備の時間となる。
庭にトレイを持って戻ると、さっきと同じ形のまま夜鷹はそこにあった。
いつもなら席に着くなり煙草を吸っていただろう。
「どうぞ」
「ありがとう」
「……」
ビジネスにおいては本題前に軽く話して緊張を緩和することをアイスブレイクというらしい。夜鷹にとってはばかげていて、しかも不要なものだった。
出されたティーカップに手をつけず、かといって煙草を吸うでもなく、夜鷹は上着のポケットに手を突っ込んだままライターを指先でもてあそんだ。
慎一郎の見えないところで金属のライターはひやりとした感触を指に伝えてきて、夜鷹へ冷静を促す。
「……それで、その」
「伝えたらふられた」
夜鷹が口を開いた。あまりに簡略化されている。
「それだけ?」
「うん……なんでだろうな」
夜鷹のその一言で、今日ここに現れたのは解決を求めているのだと慎一郎にはわかった。
およそ恋バナ――恋バナなのだこれは、恋バナにおいて解決なのか話を聞いて欲しいのか、そこの見極めは非常に重要である。
夜鷹純という人間はスケートを全て解決してきた人間だが、恋はスケートではない。
「うん。もう少し話を聞かせてくれる?」
「言った通りだよ、伝えたらふられた」
夜鷹は言葉の足りない人間だが、言葉を知らない人間では決してない。
面倒くさがって言葉を省いているのではない、としたら、あまり語りたくないという感情が立ち入っている。
慎一郎はハーブティーに角砂糖をふたつ落としながら言葉を招く。
「純くん、こういうのは細部が大事なんだ。人の気持ちは特にね」
「……」
純が顔を逸らした、逸らした先は向かいの家の塀があり、その上で名も知らぬ小鳥が一羽じっとしていた。
雀と鳩と鷹ではないということだけはわかる。それからカワセミでもない。
「まず、好きだって言ったかい?」
「言ったようなもの」
「うん」
投げるように言葉を返した夜鷹は、受け止められてしかたなく、続けた。
「…………君が欲しいと言った」
「突然だから、驚いてしまったのかもしれないね」
「わかるはずだ」
不機嫌そうに夜鷹が手をテーブルの上に出した。煙草とライターは握られているが。
「うん、僕にはわかるよ。欲しいって事は、好きだって事だよね」
目線だけで夜鷹が頷いた、当然だと言いたげに。好きでもないものを欲しがったりはしない。
「……」
慎一郎は純の沈黙に慣れている、そういう時はじっと黙って言葉を待つ。
待つのにも技術がいる、慎一郎も体を傾けて庭を見た、ちょうど視線の先には純いつも出入りに使っている生け垣の隙間がある。
最初は葉っぱをいっぱいくっつけていたな、などと振り返った。
いまや純の薄手の黒い春物のコートには葉っぱやひっかき傷はない、何回もこの生け垣をすり抜けるうちにそこはすっかり夜鷹のための出入り口のようになった。
それだけ行き来があるからこそできた道である。
「マジか……」
しかし、とうとう慎一郎が先にぽつんとつぶやいた。息子理凰の言葉遣いがちょっと移ってしまった。
「マジだよ」
「僕も一緒に考えさせてよ、純くん、きっと何かの間違いだと思う」
「……うん」
ところで日本においては『告白→付き合う』という流れが一般的とされるが、これはさほど世界においては一般的ではない。
諸外国においては、まず付き合ってみてその上で見極めるというようなやり方もある。
それでは日本は告白がスタートなのかといえばそれも少し違う。
恋愛における告白という行為は、最終確認の儀式だという声がある。
一発逆転の手段でもなければ、あわよくば関係を繋ぎ止めるための申請でもない。
去年などはこんな呟きがSNSでとことんバズった。
『あのさ告白って受験とか試験じゃないんだわ、それまでの関係性があってその上で最後の確認なんだわ。それがわかんないやつがいきなり告白から始めるんだわ、ダメモト受験してくんな、うざい』
もちろん慎一郎から見て、夜鷹と明浦路司というのはそれなりの関係性が築かれていた。
それなり――いやそれなりどころではない、紆余曲折もあったし物理的な東奔西走もそれに主に司の七転八倒七転び八起きもあって築かれたものである。
サクサクふわふわお菓子の家のようなものではなく、喩えるなら石垣のように大小を組み合わせて積み上げたような、もしくは念入りに鉄筋をタテヨコ組み上げたような。
石垣を積み上げるばかりで城が建っていない、鉄筋を組むだけでコンクリートが流し込まれていない、ような。
だから慎一郎は純に言ったのだ、もうじゅうぶん基礎ができたのだから、告白してはどうかと。
とっくに純も40歳を越えて、次はアラフィフと呼ばれる段階に入る。司だってアラフォーだ。
8歳も年が離れたふたりはいま短い同じアラウンドレンジにいる。
告白を勧められた純は渋った、何で僕が、言うなら向こうだよ、と。
それを慎一郎は説得したのだ、きみのほうが8歳も年上なんだし、オトナなのだから――と。
慎一郎は告白の成否をまるで考えもしなかった、どんな城が建つかとか、どんなマンションになるか、そんなことを見据えていた。
その結果、まさかの冒頭の、
『ふられた』
である。
まさしく青天の霹靂というやつだ、あの太陽はいったいどうして翳ってしまったのか。
告白をすすめた慎一郎はしっかり責任感を感じ、お茶とともにこの問題に挑んだのである。
「それで、明浦路先生は何て?」
「……ありがとうって言ったよ、ありがとうございます、」
文頭のありがとうございますは要注意だ。
「ありがとうございます、でも、ごめんなさい」
「……うーん」
ありふれたお断りだ。サンキューバットソーリー。
純が言葉を少しずつ、大切な氷を削り出すみたいに慎一郎に伝えるものだから思いのほか時間がかかる。
これを世間やAIに要約させると、『脈ありだと思ってたのに告白してこないから確かめたらフラれた』になってしまう。
背景や人物を考慮せず、事象だけで判断するとそうなる、だが。
それは正しいが、事実ではない、鴗鳥慎一郎はそう思う。
だって明浦路司は夜鷹純が好きだ、慎一郎は知っているし、純もわかっている、司だって自覚しているはずだ。
「ごめんなさいの後、何か理由は言っていた?その、明浦路先生はひかえめな方だから――」
「はぁ、僕もそう思ったよ」
俺なんか、明浦路司のよくない口癖である。これでも最近はずいぶん減ったと言うが。
――俺なんか、貴方にふさわしくありません。
夜鷹純選手に憧れ、コーチ夜鷹純に挑み、夜鷹純と交流を重ねた明浦路司。これならいかにも言いそうではある。
純の目がゆらりと胡乱に揺れた、
「……ほかに好きな人がいるから、ごめんなさい、だったかな」
「ほかに!!?」
今度こそ慎一郎は大声を出した。純は少し気を取り直したように座り直す。
「そんな、ようなことを言っていた」
「……ううん、信じられない」
軽く純が顎をのけぞらせた、イメージからすれば意外なほど太くしっかりした喉がさらされる。天を仰ぐという仕草ですら内心はどうあれ一枚の絵のように整っていた。
「ほかに……?いったい誰が……」
もちろん慎一郎も純も明浦路司のプライヴェートを全て把握しているわけではない。
だが、フィギュアスケートのコーチというのは勤務時間が生活に食い込むほど長くなりがちだ。
慎一郎だって過労で倒れたことがあるほど。
職場恋愛職場結婚が多いとされるがそれは逆に言えばそれぐらいしか出会いがないとも言える。
司は結束いのりと二人三脚と言われるほどずっと寄り添っていた、最近では他の生徒も増えたと言う。
その上月に2度は夜鷹の貸切にも顔を出している、言ってはアレだが夜鷹以上に誰かを好きになるヒマなんかあったか?
「……彼が好きなのは僕じゃないなんて思いもしなかった」
J-POP!慎一郎がぐうっと胸を押さえた。
こんなJ-POPみたいなことを夜鷹純に言わせるなんて!慎一郎は大声を出したくなった。なんなら司の肩をゆさぶりたい。
恋は人を変えるというが、それにしたってよろめきすぎている。
「慎一郎くん」
「なにかな」
「僕に協力して。彼が好きな人間を聞いて欲しい」
純は不安そうな顔など見せなかった。して欲しい事がある時ははっきりと言う、夜鷹のそう言うところが慎一郎は好きだ。
いい歳をした男が、恋愛で他人を頼るというのは勇気のいる事だろう、人からみくびられたり馬鹿にされることを誰よりも嫌う純にとっては特に。
「もちろん」
慎一郎は二つ返事で了承した、というか純が言い出さなければ慎一郎の方から言っていた。
ずっと氷に乗る以外に人生と言うものを謳歌してこなかった親友に、ようやく訪れた春なのだ。
氷点下まで下がる事もあるし桜が咲いたかと思えば風は強くふきつけ癇癪みたいな花粉も飛び交う、けれどそれはまぎれもない春だった。
意気込む慎一郎をよそに、純は短く舌打ちをした。もちろんその相手は慎一郎ではない。司か、もしくは純自身に向けたものだ。
「彼が好きな人間が僕じゃないわけはないんだ」
言葉選びだけ見れば自信過剰とも言えるが、慎一郎にもそれに頷かされる。
恋の種というのは世界のどこにでも転がっていると言う、たとえば落としたハンカチを拾ってもらったり。
仮に明浦路司がその芽を見つけたとしよう、だがその小さな芽は夜鷹純を凌駕するほどの実をつけられるものか。
鴗鳥慎一郎もまた、行動の人間である。
電話でもLINEでもなく、ルクス東山FSCを迅速に訪問した。夜鷹が失恋を報告した日の当日、昼を少し過ぎたころ。
正正堂堂、逃げも隠れもどころか正門からの襲撃である。
「明浦路先生、お話があります。お時間をいただきたいのですが」
「ははあ」
珍しく司は普段の恐縮ではなく、苦笑でもって慎一郎を出迎えた。
「その様子ですと、用件はわかっているようですね」
責めるわけではないが、口調としてはそうなってしまった。
慎一郎は司と親しくはなったし息子を救ってくれた恩義もある、けれど長年の親友をふった相手に向ける態度としては順当だ。
「はい、ええとあと少しで休憩なのでちょっとお待ちいただければ。場所は――」
「うかり屋にしましょう」
慎一郎は自分が現役時代から通う、馴染みの甘味処の店名をずばりと口にした。
「は、はい」
やや気圧されたように司も頷く。一旦それで解散した。
これから恋バナ――やはり恋バナなのだ、これは――恋バナをするのだ、それも親友の失恋を覆させるための。
少しでも自分に有利な場所を選ぶのに躊躇はない。
平日という事もあり、甘味処うかり屋は空いていた。老舗であるものの実直な営業からSNSなどにもあまり掲載されず、さほど混雑する店ではないが。
窓に面した席を選ぶ。季節のフルーツを使った限定甘味などにそそられつつも、慎一郎は決めごとのように水羊羹を注文した。
「水羊羹をください」
「じゃあ俺もそれを」
現役時代から、慎一郎はここの水羊羹を勝負の前に選ぶことにしている。そして勝負のあと、勝ったらクリームあんみつ、負けたら塩大福を選ぶ。
一種の願掛けのようなものだ。塩大福が嫌いというわけではない、嫌いどころか、一番好きなのはクリームあんみつだが、塩大福はクリームあんみつの次に好きである。
塩大福は罰ではなく、銀メダルなのである。
水羊羹に菓子切を入れ、一口運ぶ。さらっとほどけていく甘味は控えめだが、舌にしみる。よし。
「単刀直入に申し上げます、純くんが貴方にふられたと言っているのですが事実ですか?」
「はい、事実です」
司は目を細め、にこっと微笑んだ。わざわざ用意された笑顔だと慎一郎は思った。
「なぜ!……いえ、んんっ」
前のめりになりそうなのを慎一郎は咳払いでもっておさえこんだ、なぜ、貴方は純くんを好きなはず、そう問い詰めたくなってしまった。純くんがJ-POPになっているんですよ!
「理由はほかに好きな人が居るからだと。……私は純くんに頼まれました。貴方の好きな人を聞いて欲しいと」
「……」
小さく司が目を見開いた、含んだように笑みを取り戻す。
「明浦路先生、貴方の好きな人を教えてください」
「俺が好きなのは、夜鷹純さんです」
よどみもためらいもなく答えた司である。
「……で!す、よねぇ」
ですよね!と大声をあげそうになったのをまたも抑え込む、その余波で慎一郎は語尾を珍しくだらしなく脱力させてしまった。
「貴方が純くん以外を想うはずはない」
「っそ、そう言われるとちょっと恥ずかしいんですが……」
逆に司は恥ずかしそうに赤面し口を尖らせた。こちらの顔は見慣れたものだった。
「なのに、なぜ嘘などを……?」
「嘘ではないんです。さっきのは少し間違いで、俺は――俺は、『好きな人がいるから、ごめんなさい』こう言いました」
「……貴方は純くんを好きで」
「はい」
「純くんも貴方を好きで」
「っそ、うみたいですね」
「貴方は、純くんが好きだから、純くんの告白を断ったことになります」
「はい」
はっきりと司は笑った。
慎一郎は今度こそ力を込めて聞いた、
「理由を教えてください」
「うーん、恥ずかしいんですが、反抗期みたいな……」
「反抗期?」
「……あの人、すごく正しい顔をしていたんです」
「はあ」
「さきに言っておきますが、俺が間違っています。あの人の方が正しいんです」
司は行儀悪く、もてあますように水羊羹へ菓子切をタテヨコに入れた。柔らかい水羊羹は四等分までは自立を保ったが、八等分されてくずおれた。
「この間、あの人の昼んぽに付き合った時です」
昼んぽとは。
夜鷹純は長らく昼夜逆転生活をしていたが、身体はいたって健康なままだった。
とはいえ体というものは衰えていく、とうとう主治医から時々でよいので昼間に活動し、日光を浴びることを勧められた。
夜鷹は真面目に家のベランダで全裸になることを考えたという、別に誰から見られるわけでもないし、たとえ見られたとしても恥ずかしい身体をしていない。
それを司が、散歩しませんかと声をかけた。たしかにその方が時間がつぶれると考えた夜鷹はそれに承諾した。
これが昼んぽである。てくてくのこのこ。
「道が汚れてたんです。あの辺お酒の飲める店も多いし、酔っ払いが吐いてたみたいで」
司はとある歓楽街の名前を挙げた、昼間はわりかし静かなので昼んぽ先に選んだと補足する。
「あの人がいきなり俺をだ、抱き寄せる……みたいに、俺がそれを踏まないようにしてくれたんです」
ぐっと司は声をオロオロさせながら言った、
慎一郎はこんな状況ながら内心で親友の見せた男しぐさにワオと小さな歓声を上げる。
「正直叫ぶかと思いました。……優しいですよね、や、優しくない人だと思っていたわけじゃないんですけど……」
「純くんは、やさしいひとですよ」
慎一郎が言い添える、それを司はほほえみで受け止めた。
「その時、あの人が眉をしかめるのが見えました、俺にじゃないです、たぶん吐いた人に」
司が目を伏せた。視線の先には窓があるが、窓の外を見ているわけでもない、窓ガラスに映った自分の姿すら目に入れていない。
「俺は二十歳から匠先生にスケートを教わりました。先生に教わるために、色々アルバイトをしていたんです。昼間は単発の日雇いが多かったです。引っ越し屋の……」
あは、と軽く司が笑った。慎一郎が真剣な顔をしている。
「でもそれじゃ全然足りません。とにかくお金がなかったんです、恥ずかしながら。匠先生はトップのコーチですし。昼だけじゃ足りないので夜も働くことにしました。夜は交通整理が多かったです、勤務時間も長いから稼げるし」
聞き取りやすい声で滑らかに司は話し続けた。
「それからキャバクラのスタッフもやりました、黒服ってやつです。……汚い話ですが、お客さんが吐いてしまったら掃除をするのも仕事です。しょっちゅうでした」
水商売というのは9割以上お酒が絡む、客を酔わせていい気分になってもらうのが仕事だ。
「ある時、酒癖は悪いけど気のいいお客さんがいて、俺が掃除してたら1万円くれたんです、汚してすまんな~って」
司が視線をあげた、慎一郎は司の話がどこに降りるのかがわからないので黙って聞いている。
「店長に報告したら、それは貰っていいってことになりました、はは」
笑ってからはあ、純と違って軽やかなため息だった。
「正直俺、嬉しくなっちゃって、それまでめちゃくちゃ嫌だったのに、もうじゃんじゃん吐いてくれって思いました、あ、すみません食事中に」
もう一度軽く詫びて、ふたたび司は窓ガラスを見た。
「その一万円で俺は氷に乗れました。嬉しかったけどもちろんそんなお客さんめったにいません、でも一度貰っちゃったから次を期待しちゃうんです。チップ貰えるかもって。貰えたら嬉しいし、貰えないと余計に腹が立つし、そんな自分がまあ、嫌いでした」
慎一郎は言うべき言葉がなかった、わかりますとは決して言えないし、かといって大変でしたねも違うからだ。
だから聞いている姿勢だけを続けて、水羊羹を口に運ぶ。
「あの人は俺がゲ……としゃぶつ、踏まないように助けてくれました。少しだけ眉をひそめました、汚いなって、でも俺はその吐いたものを這いつくばって掃除して、それどころかお金が貰えるなら歓迎すらしていたんです」
「……」
「だから」
だから、と司はここにきて、だからを述べた。気を取り直したように平たいものの幅の狭い菓子切で水羊羹を掬おうにも当然失敗し、突き刺そうとしてさらに水羊羹は散らばった。
取り返しのつかないようにそれは見えた。
「……それから、前にあの人がTV壊しちゃった時も、次に行った時にはきれいになってましたよね」
「ああ、はい」
それは慎一郎の答えられる質問だった。
純と連絡が突然つかなくなり、さてはスマートフォンを壊したのだろうと思われた時の話である。
司は激しく心配して慎一郎に連絡した、だが慎一郎は慣れていたので、直接家を訪ねようと司を誘ってくれたのだ。
果たして家を訪ねてみれば本人はぴんぴんしており、スマートフォンが壊れた(壊した)と平然と言ってのける。
『必要があれば慎一郎くんの家に行けばいい』とも。
その時司と慎一郎は、壊したスマートフォンの行き先がTV画面だったと知った。大きな画面は真ん中に大きな亀裂をくらって沈黙し、現代美術『虚無』みたいな。
「あんな大きいTVをすぐ買えるなんてお金があるなって思うより先に、ああ、ここのマンションは業者用にエレベーターあるから搬入が楽でいいなあって思ったんです」
「?」
いまいちピンと来ていなさそうな慎一郎に、
「引越しの時って荷物を運び出すのも運び入れるのもエレベーターを占拠することが多くて、トラブルになったりするんです。マンションによってはエレベーターを使わず運べるものは階段で運べなんて言われることもあります」
「……」
「ベッドとかピアノはクレーンで吊り上げたりすることもあるんですよ、業者用エレベーターがあると嬉しくて……」
説明というよりはどこか懐かしむようなそれでいて恥じるような、
「俺はあの人にふさわしくない、俺、ちゃんとそう思っていますよ」
そして唐突に司は、みょうな『ちゃんと』を持ち出した。
「明浦路先生」
「あの人は正しい、でも、俺が欲しいと正しい顔で言われて――なんか、腹が立ったんです。あの人の正しさを見れば見るほど、俺の間違いを思い知らされるみたいな――」
司は皿を手にすると、失礼しますと小さな声で言ってから唇を近づけ、まるで炒飯の最後の一口を食べるようにささっと砕けた水羊羹をかき込んだ。
すぐに皿を戻し、素知らぬ顔をした。慎一郎のほか、その犯行を見た人間はいなかった。
にこっと司は笑った、あまりよくない笑顔に見える。
「なんでもかんでもそう、正しいばっかりになると思うなよって、」
めちゃくちゃである、言い分も何もない、さすがに慎一郎はわずかに𠮟りつけるような色を声に乗せた、
「そんな、貴方は純くんを」
「はい、好きです。本当に好きで、あの人以外好きになれるとも思いません、けど、だけど俺なんか、貴方にあげないぞって」
ム!司は跳ねるように眉をいからせた。
「そもそも、好きだって言われたら、俺もですって言うつもりだったんです」
「ほう」
そこは慎一郎も気になっていたところだ、好きだ→君が欲しい、ではなく、君が欲しいだけでは足りない。
「でもあの人、すごく嫌そうで」
「嫌そう?」
「うーん、こう、ムスーッとした感じで……」
「ああ」
「あの人は『欲しい』って言ったんです。俺はずっと誰からも欲しがられなかったし欲しいものは手に入らなかったのに、今更なんだよって思って」
慎一郎の知る明浦路司は、たしかに子供っぽいところがある、だがそれは純粋とか明るいとか、子供の正の面においてだ。
これは子供の負の面――正しいの反対が正しくないではなく、負なのに気づく。
「飽きたとか別に好きじゃないって言っておきながら、欲しいって言うのは――その、ズルい」
頬まで膨らませて、口を尖らせて。
「というか!俺はあの人に好きだってずいぶん前ですけど言いました」
「え」
「しかも聞かれたから言ったんですよ!?『君は僕が好きだね』って、あれ、いや、聞かれてすらいない!断定でした。でも俺はす、……っ好き、だったので、好きですって言いました」
「そ……の時は、その、純くんはなんて」
「『そう』で終わりでした。俺もまあ、俺なんか受け入れてもらえるとは思いませんでしたけど――、証明も途中だったし」
慎一郎は司の俺なんかを咎めそこねた、純くん、話がちょっとずいぶん違うじゃないか!そちらに気がそれてしまって。
「気まずいじゃないですか。でもあの人、平気で貸切に呼んでくる。だいぶ前に俺が行かなかった時期ありましたよね、あれがその時です」
「ああ」
当時は慎一郎が間に入っていたので思い出せる。三連続位断られて、純が癇癪を起して――あったなそんなの。
「僕のスケートを見るよりも、大事なことが他にあるのかって言いました」
「……」
言いそう、いや、言ったんだ。慎一郎はもじもじと指を組み合わせた。
「あの人の、それはそれ、これはこれっていう一話完結型のメンタルはとても素晴らしいと思います、選手として」
あっこれは、褒めていない。慎一郎は察した。
引きずらない、結果だけを引き継いで向上する。だが司は迷い悩んだ過程も大事にしたいのだ。
「正しい。けど、正しいからって、何でもかんでも手に入ると思うなよぉ、えっと、俺の答えはこういうことです」
慎一郎は脱力した、可能ならもう二人まとめてどこか設備の整った部屋にでも叩き込みたいところだ。
「すみません、めちゃくちゃで」
意地の張り合いだ、これは。これでは。
「――では、私は純くんへこう伝えることにします―、『だそうだよ、純くん。それでどうしよう、諦める?』と」
盛大に司が噴出した。
「あっは!……いいなぁ、あの人は鴗鳥先生にこんなに応援して貰えて、ずるいですよ」
「はい、私は純くんの味方ですが、明浦路先生の敵になったつもりもありませんからね。強いて言うなら二人の恋路の味方です。さて、クリームあんみつを食べましょう」
鴗鳥慎一郎は上手にウインクをしてみせた。慎一郎もまた、J-POPである。
次に手を挙げて、店員さんに、クリームあんみつを二つくださいと言った。
慎一郎の大ファンでもある司は、慎一郎の和菓子ジンクスを知っている、だから面白くなさそうな顔をしてそれでもクリームあんみつは食べた。
「……ちぇっ」
ずいぶんかわいい舌打ちに、慎一郎は打ち慣れた純の舌打ちとあまりに違うから笑ってしまう。
クリームあんみつには、すくいの匙がついている。
あくる日やはり夜鷹はやってきた。
「……おはよう」
似合わぬ朝陽を背負って現れた親友に、慎一郎は、
「おはよう純くん、いらっしゃい」
よほど気になってるんだね。
からかいたさでなくいじらしさ、まずは挨拶でもって出迎えた。
言いたい事とか聞きたい事をぶつけたりはしない。
夜鷹は生け垣の隙間に体をするりとねじ込み、庭のテーブルにつく。
「それで?」
お茶を淹れる暇はなかった。
「明浦路先生の好きな人は、君だったよ」
慎一郎からの答えを聞いて、
「だろうね」
純は当然のように答えながら、それでも少し安心したようだった。
なるべく主観を交えず、慎一郎は司の言っていたことを説明した。
終始眉を寄せていた純は、聞き終えてどこか呆れたように、
「……反抗期、つまり、僕に八つ当たりしている?」
「そうなるね」
「話にならない、彼の過去と僕に、何の関係もない」
「……そうだね」
「彼がどれだけの苦労をしたか、僕に知って欲しいってこと?」
「純くん」
慎一郎は穏やかに頭を軽く振った、純がこういうだろうことがなんとなく想像できていた。
「明浦路先生は過去の苦労や傷を大げさに見せびらかすような方ではないよ、むしろ――」
むしろ、彼が周りにその苦労や傷を見せる人間だったら、もっと早く――いや。
「自分のための選択は全部間違いだった、いつも他人が正しかったと」
「それが?」
「純くんは正しい、だから受け入れたくなかった、あげたくなくなったんだって」
「くだらない」
「それに、明浦路先生は、純くんが好きって言ってくれたら好きっていうつもりだったんだ」
「後出しだ」
顔をしかめた純に、慎一郎もめっと眉に力を入れる。
「しかも君、自分のことが好きだろうって明浦路先生には言わせたんだって?」
「……」
純は完全に今思い出した顔をしている。その時どうだったかは『完了』枠に入れてしまって、けれど『愛されている』という事実だけをとってあった。
きっとプレゼントの包み紙や箱を捨てるタイプだな。対して明浦路先生はリボンまで取っておくタイプだろう。慎一郎は分析した。
これはどっちが正しいとかそう言う話ではない、うん、慎一郎はわざと口調を改めた。
「――ねえ、純くん。もうずいぶん昔、理凰が6級に苦戦していた時の話。私は理凰が3回転が跳べない原因は私にもわかっていたんだ、ジャンプに慎重になり過ぎて、タイミングがどんどんずれてしまっていて」
「……」
いま何の関係があるのかという顔だが、慎一郎は続けた。
「私は何度も指摘したよ、もちろん言いかたには気を付けたし、色々工夫して……でも通じなかった、わかってるって言ってくれてたけどね」
「……」
「ルクス東山の合宿で3回転が跳べるようになった日、夜に電話がかかって来たんだ、跳べるようになったと」
『俺、ジャンプ前に軸を作るタイミングが少し遅かったみたいでさ!明浦路先生はジャンプに対して気負い過ぎてそうなってるんじゃないか、って!先生の言った通りちょっと早く姿勢に入ったら跳べた!それから、』
あれとこれとここ!直したらぐっとよくなった、と理凰の声は弾む。こんなに嬉しそうな声は久しぶりだった、どころか、連絡以外の通話をしたことも記憶に遠い。
父さんだってそれ、指摘してきた……!と思う気持ちをぐっとこらえて、よかった、と繰り返すにとどめた。
「最近、理凰は調子がよくてね。4Sが安定して跳べるようになってから、理凰がこう言ったんだ――3回転の時と同じところを気にしたら跳べるようになった、そういえば、父さんも軸を作るタイミングって言ってくれてたねって」
もっと早く言ってくれたらよかったのに、なんて当時は思ってたとまで言われて、激しく脱力したものだ。
言ったよ、言ったとも!父さんなんども言いました!思い出してくれてよかった!
「あの時、理凰は私からの言葉は――私の言葉だからなおさら受け入れられなかった。いまの明浦路先生が同じとは言わないけど、その正しさを受け取りたくない相手っていうのは居るのかもしれないね――」
しかし夜鷹は金泥のようにどろめく目で睨んだ。慎一郎をではなく、脳内の明浦路司をだ。
「……つまり、他の男が彼を口説いたら彼は応じるって事?」
「ぜんっぜんちがう!意識している相手の言葉だから、ええとね、明浦路先生は君が好きで、けど素直になれない、わかる?」
「大好きだけど素直になれない」
「そう!」
復唱。夜鷹純にJ-POPみたいなことを言わせてしまった!
一番大好きで、一番正しくて、だから一番素直になりたくない、正しいからって言うことを聞きたくない。
反抗期というのは否定と衝突、それによって自我を確立させるものだという。
「……純くん、それでどうしよう、諦める?」
しばらくの間、純は黙っていたが、ふんと鼻を鳴らす。
「……それ、わかってて言ってるよね。僕がじゃあ諦めると言うと思ったの」
夜鷹純は思考の切り替えが得意だ、彼は正しい道を見つけるのが得意だ、そしてそれを選ぶのに躊躇はない。乱暴に髪の毛をくしゃりと乱す。
「……はぁ、僕が間違ってたな、」
「!」
「正しいかなんてどうでもいいことだった」
誰より高く跳び、誰より美しく、誰より正しく誰より一番強かった男は唸るように言った。
「純くん?」
「……スケートじゃないから、正しくやろうとしたのがいけなかった、」
「手荒なことはいけないよ」
「知らない、穏やかな僕は彼の好みじゃないんだろう。僕をこんなにしておきながら。それなら彼の望む通り、好きにやらせてもらう、彼の意思はもう――知らないよ」
なんだか物騒な話になってしまった気がする。これもまた、J-POPだろうか。
しかしまあ、君が代しか歌わないような親友が。
「僕の言うことがきけないなら、僕の言うことを聞きたくなるようにするだけだ」
今にもルクス東山へ殴りこみそうな勢いである。
「アプローチを変えるのはどうかな、ほら、こ、交換日記とか……」
「……ふぅん」
さかんな作戦会議を進めるうち、純が言った。
「……慎一郎くん、喉が渇いたんだけど」
「あ、ごめん、お茶を淹れるよ、何がいい?」
「味のないやつ」
「ないやつなんかないよ」
朝陽はますます勢いを増した、なんと今日は4月だというのに夏日になるという、だがかつて日の丸を背負い君が代を歌った男たちはものともしない。
昨日沈んだ夕陽など、今はただの新しい朝陽である。