「社会そのものがデザインでできている」――クリエイター・佐藤可士和の整理し続ける人生
現場で試行錯誤を重ねていたが、大きなショックを受ける出来事があった。 「ある時、制作物が討議される社内検討会の議事録が回ってきて。どう評価されたかなと思って見たら、『これは若手の佐藤可士和くんというアートディレクターが、コンピューターを使って作った作品らしいです』とあり、憧れの大貫さんが『かっこつけてて、かっこ悪いな』と一言。ガーン! 全否定されたような気持ちで、かなり落ち込みました。同期や先輩に『どういうことなんだろう』と言って一晩中飲んだりしましたが、答えは分からなくて」 言葉の意味が腑に落ちたのは、Honda「ステップワゴン」の仕事だった。 「大きなプロジェクトで先輩もたくさんいるから、自分のエゴや作家性を出せる隙間は1ミリもないと思って、完全に消し去ってやってみようと。クライアントが聞いたら当たり前ですけど、車や企業だけに本気で向き合ったら、すごくうまくいったんです。自分では想像もしていなかったようなクリエイティブができて、車も売れて、広告が話題になり、ほしかった広告賞ももらえた。目の前の対象に素直に向き合えばいいんだと、自転車に乗れたような感じがありました」
やがて11年いた博報堂を退社し、SAMURAIを設立することになる。独立に迷いはなかった。 「最初から、佐藤可士和というクリエイターになろうと決めていたから。不安は全くなかったです。考えたこともない」 組織の一員として取り組むなか、違和感もあった。 「携帯電話が普及し始めた96、97年頃、マス広告一強の時代は終わるなと思ったんですよ。コミュニケーションのやり方が変わるから、デザインが主体の時代になっていく。例えばクライアントからこの商品の広告を作ってほしいと言われた時に、『これ、名前やパッケージを変えたほうがいいんじゃない?』と社内で言っていたんです。すると、『その通りなんだけど、頼まれてないんだよね』と」