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さっさと口説き落とせと狼は独り言ちる/玲夜の小説

さっさと口説き落とせと狼は独り言ちる

8,550文字17分

自己肯定感の低いtksとそれに巻き込まれるhkrちゃんの話
ひかつか味が強い気がしますが互いに矢印はないし、ほんのりよだつかです

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 『一人の少女をオリンピック金メダリストへと導いた名匠』『フィギュアスケート界のフェアリー・ゴッドマザー』『クイーンメーカー』エトセトラエトセトラ。一人の男に贈られた賞賛の言葉がテレビ番組やら誌面やらインターネットの海やら、様々な媒体を通じて散見され、狼嵜光は鼻で笑った。
 あの男――明浦路司のことを今はもう認めている。全日本ノービス後の横暴は光の黒歴史にしっかり書き連ねられているし、司に向けた幼稚な嫉妬の数々は消化不良を起こして時々誤作動を起こすが、終生のライバルと定めたいのりとの金メダル争いに司は必要な人材なのだと理解している。光自身も少し、ほんの少しだけ恩義は感じている。まあ、それでも好き嫌いで言えば後者だと断言できるのだが。
 光にとっていっとう大切な人達は皆、口を揃えて司のことを高く評価する。その評価自体は間違っていないと光は十分理解したが、それに反して司本人は己を必要以上に低く見積もって序列を下げようと行動する傾向がある。相変わらず序列を乱す行動に内心むかっ腹を立ててしまうのだが、酸いも甘いも知った今では昔のように怒りをぶち撒けられるほど世間知らずのスケート少女で居られなくなった。

「ふぅん、名匠ねぇ……」
「ゔっ」
「フェアリー・ゴッドマザー」
「ゔぁっ」
「クイーンメーカー、魔術師マーリンの再来」
「やめてぇ……」
「結束いのり選手の名物コーチ・明浦路司氏の魅力に迫る」
「迫るなぁ!」
「結束選手のファンの中には明浦路氏の苗字にちなんで〝アポロン先生〟と呼ぶ人も少なからず存在する」
「えっナニソレ⁈」
「神に例えられるなんて烏滸がましいですね。何様ですか明浦路先生」
「俺の意思じゃないよ!」

 光の近くで奇妙で情けない悲鳴をひんひんすんすんと上げる司に、光は冷え冷えとした視線を向ける。
 いのりの寄生虫やら甘い汁を啜る害虫やらと揶揄して司を侮辱にしていたメディアは、いのりが光から表彰台の頂点を勝ち取ってすぐに掌を返し、フィギュアスケートの選手育成において欠かせない傑物だと称えた。司を侮った言葉の数々に司を特に慕っているいのりと理凰は怒り心頭な様子で、司の所属クラブであるルクス東山FSCはすぐさま声明を出し、司を認めているその他クラブのコーチ陣もSNS等を用いて遺憾の意を示していた。まあ、当の本人は実績的にそう捉えられても仕方ないと穏便に済ませようとしていたが。
 まあ、はっきり言って司の悪癖それが起因だった。現在進行形で司が不仲である光の元へ避難しているのも、これに関する周囲の行動に由来している。

「揃いも揃って俺のことを買い被りすぎなんだ。素晴らしいのは結果を出したいのりさんで、俺はそれの手助けをしたに過ぎない。世間に賞賛されるのはいのりさんただ一人でいいのに」

 俺なんか見なくていいのに、と譫言のように溢す司に光は態とらしい溜息を返す。謙遜も行き過ぎれば卑屈で鬱陶しいものだ。本人からすれば謙遜ではなく事実なのだろうけど。
 光はギロリと司を睨み上げ、平坦な声で紡いだ言葉で鋭く刺した。

「そんなだから〝自己肯定感上げ隊〟なんて訳の分からない会が発足されるんですよ」
「うぐっ」

 光としては司の自己肯定感が低い分にはどうだっていい。自分の価値を見誤って尊大な態度を取られるよりかは、過小評価して赤べこの如くペコペコ頭を下げている方がまだ見ていられる。理由は違えど、慎一郎もよく頭が下がる人なので。
 だが、いのりをはじめとした司を取り巻く周囲の人々は司に深く根付いた自己肯定感の低さを良しとはしなかった。その輪の中には司に放浪の身を偶然ひっ捕えられ、首根っこをひっ掴まえられた状態で光へと受け渡され、なんやかんやあってコーチの座へ戻ってきてくれた夜鷹純も一席を置いている。しかし、光としてはあなたもその点に関しては人のことを言えないだろうと呆れている。当然、自信の何もかもが地の底を這っている司よりは断然マシだが。
 第一、光は〝自己肯定感上げ隊〟なる謎の会の被害者である。遥かに嫌い寄りに位置する男がこの集団からの避難先に光を選ぶのだ。光からすればいい迷惑なのだが、自分を選定した理由も分からなくもないため拒否もしにくい。誠に遺憾だが。
 内心舌を打ちつつ、普段被っている猫を何匹か取り払う。この男に猫被りなど不要だ。黒歴史のおかげでしっかり本性はバレているし。

「というか、いちいち私のところに逃げてこないでください。不愉快です」
「狼嵜選手は俺を過剰に褒めないから息がしやすいんだ」

 気付いているでしょ? と小首を傾げる司の脇腹目掛け、光は躊躇なく肘鉄をめり込ませた。鍛え上げられた引き締まった尻を世界トップレベルの現役選手の脚で蹴り上げないだけマシだと思ってほしい。時が来たらタイキックくらいは習得しておこうと心に決めた。
 突然襲ってきた痛みに低く呻く司に少しだけ胸がすいた光はフンと鼻を鳴らした。これに懲りたら二度と避難場所に選定しないでほしいのだが、これで片手の数ぴったりのやり取りのため、司の悪癖が改善されない限りきっと光の望みは叶わないのだろう。
 今度は隠すことなく舌を打ち、けっと言葉を吐き捨てる。

「じゃあ私が明浦路先生を褒め称えたらもう近付いてこないんですよね」
「俺のことを、あなたが……?」

 一瞬の沈黙の後、静寂を切り裂くようにアハハと明るい笑い声が上がる。売り言葉に買い言葉とはいえ、光は返答を誤ったと再び舌を打った。

「あなたは俺には嘘をつけないよ」
 
 狼嵜光は明浦路司を褒めない。
 それがお互いの共通認識で、覆りようのない事実だ。


 *


「ねえ理凰くん。司先生と光ちゃんってあんなに仲良かったっけ?」
「最近一緒に居るのはよく見るけど、仲が良かったかは……」

 オリンピックお疲れ様会兼祝勝会と題し、ライリー・フォックス主催で開かれたパーティーの真っ只中である。パーティーといってもそんな堅苦しいものではなく、どんちゃん騒ぎのほぼ飲み会のようなものだが。
 オリンピック金メダリストを一から育てたコーチとして、先程まで酒が入った馴染みのコーチ陣に取り囲まれていた司は隙を見てその輪から抜け出し、こちらもまた休憩と称して壁の花に徹していた銀メダリストの光の隣へ吸い込まれるように並んだ。
 この二人が揃うとどうにも突撃しづらい雰囲気が立ち込め、それこそあの空気感に飛び込めるのはよっぽど空気が読めない人間か無神経な人間だけだろう。その候補の一人は現在紫煙を燻らせに席を外しているが。

「こっそり話聞いてみたいんだけど、私が近付いたら元の二人に戻っちゃうんだよね……」
「俺の時もそうだよ。取り繕うというよりも、瞬時に切り替えてるというか。あの二人、少し似てるんだよな」

 そうぽつりと溢す理凰に、いのりも思い当たる節があるのかこくりと頷き返した。
 司と光のどちらも自分達にとっては大切な存在で、だからこそ自分達の知らない側面を見せる二人に少しだけ不安になることがある。
 特にここ最近の司は突然ふらっと居なくなるような危うさがある。ようやっと世間一般に明浦路司コーチを認められたというのに、自分にそんな価値は無いと頑なに否定し、司先生は素晴らしいコーチだと何度真摯に伝えてもただただ息苦しそうに笑うのだ。不安になるなという方が土台無理な話だ。
 オリンピックの舞台での光との再戦を誓い、現役続行したいのりにはまだまだ司が必要だし、選手であり続ける限り手放すつもりもない。いのりの目が黒いうちはあらゆる意味で司を嫁にも出すつもりはないが、最近は虎視眈々と司を狙う輩が増えたため少々気が抜けない。特にあのまっくろくろすけ。
 とにかく、元気もりもりホカムキおじさんの割に消え入りそうな儚さを見せる司を繋ぎ止めなければならない。司をよく知る瞳や洸平曰く、現役時代よりは改善の傾向にあるらしいが、いのりとしてはいのり的世界一のコーチには幸せを真正面から余すことなく全て享受してほしいのだ。
 そのためにルクス東山をはじめとした司と親交の深い人々と結託し、司の自己肯定感を上げようとしているのだがどうにも上手くいかない。司の大恩人であり、司の父と妹を自称する加護家からはやんわりと「ほどほどにしてあげてね」と忠告を受けているのだけど。

「司先生と光ちゃんのお話が聞けたら、解決の取っ掛かりにはなるかと思ってるんだけどなぁ」
「同意。明浦路先生が抱えている気持ちをよく知りもしないで解決とか無謀だし」
「明浦路先生の悪癖あれは一朝一夕で治るような物じゃないと思うけどなぁ」
「そう簡単に諦められるような話でも……うわ、光⁉︎」
「あれ! 光ちゃんいつの間に!」
「明浦路先生、コーチに連れてかれちゃって」

 私としてはラッキーだけど、とニコニコ笑う光の登場にいのりと理凰はバクバクと激しく鳴る心臓を宥める。好き嫌いに関わらず、噂していた人物が急に現れるのはあまり心臓に優しくない。
 光が指差す方向に目を向ければ、純に腰を抱かれ、わんこ蕎麦の如く強制的に食事介助あーんを受け続けて涙目の司の姿があった。純本人は一口も食べないのに。うん、美貌の真っ黒おじさんは視界の邪魔だが、我が先生は相変わらず可愛い。既にアラフォーだけど、ベビーフェイスが故か出会った当時とあまり顔が変わっていない気がする。日本人って不思議。

「もうっ! もう十分ですから! とりあえずその手のフォークを置いてくださもがっ!」
「食事には幸福を感じる効果があるんでしょ。君は僕から与えられる幸せを享受する責任がある」
「全く意味が分からない! 第一、あなた食べないじゃないですか!」
「要らないからね」
「俺ももう要りませんよ!」

 司の大きな悲鳴を聞きつけた慎一郎が二人の間にぐいっと入り、純の不満げな舌打ち一つで純の強行が終了した。そのままいつも通り慎一郎を皮切りにお辞儀合戦が始まり、今度は純が言葉少なに止めに入る。この三人、何だかんだバランスが良い。天然ボケと天然ボケとツッコミ可の天然ボケしか居ないけど。
 司の悲鳴に割って入ろうとしていた一番弟子達は前に出していた右足を元の位置に戻し、おじさん達の戯れに呆れた目を向けている光の方へ顔を向けた。

「ひ、光ちゃん! 司先生と何のお話してたの?」
「明浦路先生と?」
「光と明浦路先生の会話から何かヒントが無いかと思ってるんだけど」
「ヒント……」

 そんな物無いけどなぁ、と思うも口には出さずニコリと微笑む。まあ隠すような話でもないし、私見だと前置きする。

「いのりちゃんのファンの間で明浦路先生は〝アポロン先生〟って呼ばれてるみたいなの。聞いたことはある?」
「アポロン……! 知らなかったけど素敵な名前だぁ!」
「俺も初耳。でも、太陽を具現化したみたいな存在の明浦路先生にはぴったりだと思う。明浦路先生は多才だし!」

 ファンから神に喩えられた恩師に思いを馳せ、鼻高々としているいのりと理凰に軽く相槌を入れつつ、ぴしゃりと冷や水を浴びせた。

「普通はそう考えるんだろうけど、私は寧ろ皮肉だなと思ったんだよね」

 明浦路司は多才だ。一度見てしまえば、並大抵のことは大概簡単に熟せる。それはきっと光も同じだ。両者共に自分の高い能力を自覚しているため、自己否定の気が強い司もそれには頷くだろう。
 けれど、光と司の運命は決定的に違っていた。光はいのりや純のように氷に選ばれずとも、氷に愛されていた。今の光はその縁の貴重さを自覚しており、司に本人の努力だけではどうにもならないそれが与えられなかったのも理解した。
 司には才能がある。それはあの夜鷹純さえも認める類稀な物で、光のように氷に愛されさえすれば、スケートさえ選ばなければ、きっと今以上に大成していただろう。
 
「理凰、言ってたよね。明浦路先生は太陽みたいだって」
「うん。それが?」
「変な話だから話半分に聞いてほしいんだけど、氷はきっと自分を溶かしてしまう、自分と対極的な存在である太陽が嫌いなんだよ。だから明浦路先生は氷に愛されず、受け入れてもらえなかったんじゃないかなって」
「でも! でも、司先生の太陽みたいなあったかい体は氷の上をたくさん滑るためにあるのに……!」
「太陽神アポロンと北風と冬を司る神ボレアスは相容れないみたいなの。ねえ、少しだけ似てると思わない?」

 ――明浦路先生と氷の関係に。

「明浦路先生は心の底から氷を愛しているのに儘ならないよね」

 光は心の内を吐露するかのように「勿体無いなぁ」と小さく呟いた。
 コーチとしての明浦路司はいのりによって掬い上げられている。だが、コーチとしての明浦路司を形作るきっかけとなった氷に拒まれ続けた苦節の日々は未だに司の心に棲みつき、暗い影を落としている。
 狼嵜光は明浦路司を褒めないが、認めている。たらればは嫌いだが、氷に愛されれば選手として輝けただろうにと夢想してしまう。あの男はつくづく運が無いのだ。
 今更どうしようもない運命を憂いて静かに目を伏せた光に、小さく震えた声が届いた。
 
「司先生は氷に愛されも、選ばれなかったのかもしれない。……それでも」

 手を強く握り締め、己を奮い立たせる。
 いのりではコーチになる前の司を救うことはできない。それこそ、それは司自身にしか不可能だということも分かっている。
 でも、今までの司が辿ってきたスケート人生を肯定することはできる。いつか司が司自身を愛せるようになるための支えくらいにはなれる。

 ――私は司先生に与えられてきたのだから!
 
「それでも! 司先生は自分から氷に選ばれにきたんだ!」

 光はぱちりと目を瞬かせる。
 あーあ、あの人に褒めるところが出来ちゃった。もう私を頼ってこなくなるのかな。……まあいいか。気を遣わなくていいあの人の隣は、存外心地良かったのだけど。
 小さく息をつき、光は未だにわちゃわちゃと戯れているコーチ三人の方へ足を進める。

「光、どうしたの?」
「んー、明浦路先生を褒めに?」
「それなら俺も一緒に!」
「あ! 理凰くんずるい! 私も行く!」

 わたわたと追いかけてこようとする二人にぴしゃりと「ダメ」と言い渡し、光は満面の笑みを浮かべた。

「これは私の役目だよ。二人にも譲ってあげない」

「明浦路先生」
「狼嵜選手?」

 ぱちりと大きな琥珀色の瞳が瞬く。ついでにこてんと首を傾げる姿は大型犬を彷彿とさせるが、光としては可愛くも何ともないためやめてほしい。隣の自分のコーチには刺さっているのか、猛禽類を思わせる瞳が瞬きも忘れてガン見しているけど。
 ぐっと背伸びし、やたら高い位置にある頬に手を伸ばしてむぎゅっと押し潰す。うわ、見た目に反して肌が荒れている。後でコーチに密告だな、と頭の片隅で考えながら口を開く。

「褒めてあげます」
「んぇ?」

 稲穂を思わせる髪に手を置き、わしわしと無遠慮に撫でる。こちらもあまり手入れされていないため、コーチに密告しておこう。高価な物を贈られて、ひんひん情けなく泣けばいい。司の怠惰の結果だ。

「あなたが居なければ私はいのりちゃんと出会えなかったし、理凰はスケートを辞めていた。コーチだって私から離れて戻ってきてくれなかった」
「偶然俺だっただけで、きっと……」
「たらればは嫌いです」

 息苦しそうに目を逸らそうとする司に、こちらを見ろと言わんばかりに強い視線を向ける。

「あなたは氷に拒絶されている」
「光……!」
「いいんです、鴗鳥先生。……うん、そうだね。それは否定できない」

 慎一郎が光を窘めるように語気を強めるも、司はふるりと頭を振ってそれをやんわり断った。その様子に慎一郎は口を噤むしかなく、司に黙礼だけして後ろに引いてくれた。

「私とあなたは似た生き物だから分かります。あなたにはあらゆる選択肢が用意されていたはずだ」

 拒まれても、愛を返されなくても、何の見返りがなくとも、あなたは一途に氷を愛している。
 選手としてのあなたは褒めないし、コーチとしてのあなたとも相容れない。己の考えを真っ向から話し合えば水掛け論にしかならないだろうから、お互い黙っておく方が賢明だ。
 狼嵜光は明浦路司を褒めない。褒めなかった。

「それでもあなたは氷を、スケートを選んだ。……選んでくれた」

 司の目尻から涙が一筋落ちていくのを視認し、ずいっとハンカチを押しつける。
 
「それだけは褒めてあげます」

 ぽろぽろと静かに涙を流す司に、光はふんと鼻を鳴らす。歳をとると涙腺が緩むとは言うが、司の涙腺の弱さに年齢は関係ない。筋肉を鍛える前に涙腺を鍛えるべきだ。
 押しつけても受け取られる気配のないハンカチで煩雑に涙を拭う。この男の目元が摩擦で赤くなろうがどうだっていい。

「もう、泣かないでください。私があなたを泣かせたみたいじゃないですか」
「光が泣かせてたよ」
「勝手に泣いてる明浦路先生が悪いんですよ」

 慎一郎に苦笑され、光は気まずげに目を逸らした。

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