ご当地金メダリスト
☀️先生のゆく先々に現れる🦅さんの話
ご注意!!FB2と14巻発売前に書いています!!!
※本誌、単行本未収録のネタバレあります
※試合結果など捏造妄想
※よだつかタグつけていますが恋愛色あまりありません、でもブロマンスってほど熱い感情でもない
※全体的にふわっとした話
※☀️先生から🦅さんにあまり矢印がありません!!!ご注意!!!
※ふわっとしてます
※最後らへんの☀️先生と🐦先生のお互いの呼び方は、数年後には仲良くなっててほしいな🫶という希望を詰め込みました。
※横浜で強化合宿がされたことはありませんが、フィクションなのでお許しください……
ほんとうは🦅誕用に書いていたんですが過ぎてしまい、でもFB2がでる前になんとかしたかった…!
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いちばん初めの土地は、大阪だった。
いのりの試合が終わったあとに同じく選手の引率で来ていた蛇崩に飲みに誘われ、居酒屋に案内してもらった。大阪といえば串かつと言うイメージだったが、連れてきてもらったのは鉄板焼きのお店だった。大阪人って意外と串かつ行かへんねん、とのことである。生徒や指導の話を中心に盛り上がり、じゃあお開きで、と店を出た瞬間、彼はいた。
店の前に設置している灰皿で煙草を吸っている、夜鷹純が。
いまの夜鷹の話は鴗鳥慎一郎から聞いていた。数年前、スターフォックスFSCに移籍した光のコーチを辞めて、シューズを置いたままどこかに消えてしまったという。友人から捜索願を出されている目の前の人物を凝視していると、目が合ってしまった。
「あれって夜鷹純……さん?」
隣の蛇崩がこそっと司に耳打ちした。司は無言で頷くと煙も気にせずに夜鷹に近付いた。
「お久しぶりです。鴗鳥先生から捜索願を出されてるんですが、連絡してもいいですか?」
蛇崩が「捜索願?なんで?」と言っている。夜鷹はすこし考えると、「慎一郎くんには元気してるって伝えておいて」と言った。
「証拠の写真を撮ってもいいよ」
「えっ、じゃあ、はい」
司はスマホをかまえ、煙草を吸っている夜鷹に向かってシャッターをきった。遠くの背景に、戎橋と、ネオンが見える。蛇崩はそれを見てちいさな声で「ひっかけ橋とグリコ、似合わんなあ」と呟いた。
そのあと夜鷹は司の全身をじっと見て「きみも元気そうだね」とだけ言って、夜の街へ消えていった。
「……なになになに?え?あれ夜鷹純やんな?司先生、お知り合いなんですか?」
「ちょっと話したことあるだけですけどね」
「めっちゃびっくりしてんけど!まさかここで遭遇すると思わんやん!」
ていうか捜索願ってなに?あのひとこの居酒屋おったん?それか灰皿だけつこてたん?てかここでなにしてたん?蛇崩の総ツッコミに司は答えられなかった、だって司もまったくどうして、彼がこんなところにいたのかはわからなかったのだから。慎一郎を安心させるためにも、以前交換したメッセージアプリで写真とメッセージを送っておいた。返信は、蛇崩のツッコミをかなり丁寧な文言にしたものであった。
今度は、福井だった。
毎年恒例、ルクス東山FSCでの合宿の帰り、敦賀駅で生徒たちと新幹線の到着を待っていた。まだ乗車までは時間があり、ほかのコーチに声をかけお手洗いへ行った。用を済まし、土産屋の前を通ったとき、見覚えのある黒い人物が視界の端にうつる。
「あれ、夜鷹さん」
夜鷹は土産屋で恐竜のキーホールダーを見ていた。司の声で顔を上げると、キーホールダーをひとつ取ってレジに向かい、会計を済ませると司のもとに戻ってきた。
「また会いましたね」
「うん、これ」
さっき見ていた恐竜のキーホールダーを渡された。かわいらしい顔をしているが、特に欲しくもないものをもらってすこし困ってしまった。
「いりませんよ……」
「これは慎一郎くんに」
そう言って渡してきたのは、二十個入りの羽二重餅だった。
「これ賞味期限七日後じゃないですか、二十個も多いんじゃ?」
「彼なら大丈夫だよ」
「ええ……さすがに飽きませんかね」
前回、慎一郎から夜鷹が元気なら良かったが心配もしている、という内容のメッセージが来ていたことを思い出して伝えた。
「心配いらないと伝えておいて」
「姿を見られて嬉しいとおっしゃってましたよ」
だから偶然会った今日も写真を撮ってもいいか聞くと、あっさりと承諾された。
こじんまりとした土産屋を背景にして写真を撮ると、司が乗る予定の列車番号がアナウンスされた。夜鷹には挨拶もそこそこに、急いで生徒たちのもとに戻った。羽二重餅があったため名古屋に戻ってすぐに慎一郎のもとを訪ねることになり、彼は二十個もある、と喜んでいた。恐竜のキーホルダーはいつものリュックにつけてみた。
その次は、横浜であった。
強化合宿があり、夜にはホテルでコーチ同士の情報交換会と称して飲み会をするため、司は蛇崩と買い出しに行った。買い物を終えコンビニを出たところ、また外に設置してある灰皿で煙草を吸っている夜鷹を見つけた。蛇崩が「またあ!?」と言っている。
「こんばんは、また会いましたね」
「うん」
「鴗鳥先生もそこのホテルにいらっしゃいますよ、連絡しますか」
「しない。元気と伝えておいて」
「では……」
司がカメラを構えると、夜鷹が煙草を灰皿に押し付けた。その瞬間にシャッターをきる。そして司を一瞥し、駅の方面へ消えて行った。
「また会うてもうた、夜鷹純に……」
「早く戻って鴗鳥先生に伝えましょう」
コーチたちが集まっている部屋に行くと既に慎一郎もいたので、司はこそっと伝えた。
「鴗鳥先生、さっきそこのコンビニで夜鷹さんと会いましたよ」
「またですか!?明浦路先生はよく純くんに会われますね……」
「これほんまに偶然なんですか?」
こそっと伝えたつもりだったが、慎一郎の声がおおきく響いたため全員に注目されてしまい、司ははじめに大阪、福井、そしてここ横浜での夜鷹との遭遇の話をすることになった。
「そういうわけで、俺なぜかよく夜鷹さんと会うんですよね」
「それってもしかしてストー……」
「シッ!」
誰かが誰かの口を塞いだ声がしたが、司は慎一郎の様子が気になりそれどころじゃなかった。慎一郎はむずかしい顔をしている。
「鴗鳥先生?」
「……どうして純くんは、私には連絡をくれないのでしょうか……」
「それは……」
司は、いつも夜鷹に〝慎一郎くんには元気にしていると伝えて〟と言伝を頼まれる。だから、彼が慎一郎に安心してほしいと思っているのはわかっているが、それなら自分から連絡するなり家に行くなりしたらいいのに、と慎一郎は言った。
「今度、また会ったとき言ってみます」
「ありがとうございます、明浦路先生」
「なんで司先生も会えるとわかる前提なの?」
こうは言ったが、この三回はたまたま司と夜鷹が偶然おなじ場所にいたに過ぎないのだ。二度あることは三度ある、だが、四度目はそうそう起きないだろう。司はそう思っていた。
四度目は、フランスのロワール地方にあるアンジェという街だった。
グランプリシリーズの一戦目として訪れていたこの街では、帰国日の午前中にマルシェが開かれており、日本人選手たちと寄ることにした。出発の便は夕方であるため余裕はある。マルシェがやっている広場まで歩いていく途中、いのりをはじめとした選手たちが、外観が華やかなショコラトリーのまえで足を止めてしまった。それだけでなく、その近くにはパティスリーやブランジェリー、カフェなど、ヨーロッパの地方都市ならではのかわいらしい、さながらおとぎ話に出てくる建物が立ち並び、そのたびに選手たちは中に入りたがった。これじゃあ徒歩十分のところが一時間かかってしまうなと思った司は、ほかの大人たちと相談し、マルシェで先に選手たちの昼ごはんを確保してこようと決めた。ここのマルシェの名物はパエリアだ。マルシェ自体も十時を過ぎるとしまう店もあると聞いたため、急ぐ必要がある。
翻訳アプリを使いなんとか買い物を終えた司は、またもや黒い人物を見つけた。そのひとはちかくにある大聖堂をじっと眺めている。今日は陽射しが強いからかサングラスをしていた。
「また会いましたね」
「うん」
「そうだ、これひとつ要りません?」
司はパエリアを買う前に、羊へのお土産として石鹸を購入していた。3個で5ユーロ。3個もいらないかな、と思いながら購入したので、黄色い石鹸をひとつを夜鷹に渡した。
「レモン」
「レモンの匂いなんですか?フランス語わからないから色で適当に決めちゃいました」
裸で渡してしまったが、夜鷹は受け取ってくれて、ポケットにしまった。
今回はいつもと違って、選手たちが来るまでここで待つ予定だ。時間があったので、司は慎一郎のことを伝えた。
「鴗鳥先生が、どうして自分には連絡をくれないのか、とおっしゃってましたよ」
「……慎一郎くんは、僕が近くにいると心配してしまうから」
気が休まらないだろう、と夜鷹は呟いた。司はそういうものなのかなと思ったが、たしかに、司も大事なひとが自分のことで気に病んでいたら、もうこんなやつなんて放っておいてくれていいのに、と思うことがある。しかし、加護家をはじめとしたまわりの放っておかないひとたちがいたからこそ、いまの自分がいるとも思っている。司はなにか話を続けようかと思ったが、夜鷹にそれを言う義理も資格もないし、これはいい大人の話だ。なので、「そうなんですね」とだけ答えておいた。
そのとき、後ろから「司せんせー!」という声が聞こえた。生徒たちが到着したらしい。司はじゃあここで、と夜鷹にわかれを切り出し、カメラをかまえ、大聖堂を背景に夜鷹の写真を撮った。そのとき一陣の風が吹き、夜鷹の前髪を押し上げた。彼の特徴的な、前髪の白が見える。瞬間に司は、ああ、ほんとうに夜鷹純なんだな、と実感した。ヨーロッパの冬の空気はずいぶん乾いていて、あの銀盤が恋しくなった。
「あれぇー?今のって」
いつの間にか夜鷹は去っていた。到着した選手たちは既にまわりの露店に釘付けだ。引率していたライリーがしげしげと視線を司に送る。
「夜鷹純さんです。たまたま会ったんですよ」
「やっぱり!でもこんなところで?アハハッ!ストーカーっぽい!」
「まさか。偶然ですよ」
「スケートから離れたひとが偶然こんな地方都市に~?そんなことあるんですかねえ~?」
まあいいや!そんなことよりブランジェリーでたくさん買ったので、あとで食べましょうね~☆
そう言って生徒たちとともにまた買い物に繰り出したライリーにはああ言ったが、さすがの司ももう偶然だとは思えなかった。きっと瞳や洸平に詳細を言うと、遅くない?と言われるに決まっているのだが、司はここでやっと、夜鷹がわざわざ自分に会いに来ているのだと気付いた。
五度目は、名古屋であった。
年内最後のいのりのレッスンを終えて出たところに彼はいた。いや、待ち伏せされていた。ここにいるのはさすがに偶然ではないだろう。
「こんばんは」
「うん」
夜鷹はなにか言いたいことがあるのだろうか。それとも、慎一郎になにか伝えて欲しいことがあるのだろうか。
「夜鷹さんはどうして俺に会いにくるんですか?」
「僕がきみに会いに来てると思ってたの?」
「えっ、まさか偶然で済まそうとしてますか?」
夜鷹は眉間にしわを寄せたがすぐに無表情に戻した。そしてどこか気まずそうに、視線がゆれた。
「……どこに行けばいいのかわからなかった」
「はあ……」
「スケートから離れた自分はひどくつまらないやつで……自分じゃないみたいだった」
夜鷹は白い息を煙草の煙のように吐いた。司はなにを言えばいいかわからず、ふたりでしばらく無言のときを過ごしたが、夜空を見上げた夜鷹がそれを遮った。
「これでもいちどめは陽の元で生きてみようとも思ったんだ、拒否されてしまったけれど」
いちどめ、とは以前慎一郎から聞いた、引退直後のことだろうか。
──氷に人生を賭けた僕たちにとって氷と関係ない世界で生きることはとても苦しい
──純くんはその最たる例でした
慎一郎の言葉を思い出す。
夜鷹が光の専属コーチになるまえ、鴗鳥家に訪れたことがあると聞いた。そのときの彼は、赤子だった理凰のちいさな手と並んでもわかりやすいほどやせ細っていて、とても元気そうで良かった、とは言えない様子だったという。そして慎一郎の妻エイヴァも彼を見つけたとき〝嫌な予感〟がしたのだと。司はその話を慎一郎から聞いたとき、よだかの星を思い出した。羊の本棚から拝借し読み直したそれは、やはり司の記憶とおなじだった。
『よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。』
よだかは遠くに行くまえにかわせみに会いに行った、最後の挨拶をするために。しかしお日さまの元に行きたいと頼んでも昼の鳥ではないと拒否をされ、星に頼んでも相手にされず、力を振りしぼり空のもっともっと上へ飛んでゆき、燃える星になった。それがよだかの最期だ。エイヴァの〝嫌な予感〟もそういうつもりだったのだろう。しかし、そのとき夜鷹はよだかとちがい、慎一郎から約束を受け取ってしまった。それゆえに生きることになり、そうしてそのうち光の専属コーチに興味を示した。
でも今回は、慎一郎の元ではなく司のまえに現れた。また約束をもらいたいのなら、よく知らない司ではなく長い友人である慎一郎の方が適任だと思うけれど。
「俺の元に来たのはなぜですか?」
夜鷹はややあって答えた。
「なぜだろうな……きみなら慎一郎くんやエイヴァや光みたいに、僕をなんとかしようとしないからかな」
なんとかしようとする。ひどく曖昧な言葉だが、司は夜鷹がなにを言いたいのかなんとなくわかってしまった。彼らはきっと夜鷹を見ると引き止めて、生きやすいようにあちらこちらに奔走する。本人に自覚があるのかはわからないが、頭上にある星々を焦がれるように見つめる目の前の彼は、大切なひとたちに迷惑も心配もかけたくなかったのだろう。しかしスケートと完全に縁を切ることもできなかった、陸上で生きることは彼にはとてもむずかしいから。そこで顔見知り程度の、放っておいてくれる司のまえに姿を現したのだろうか。頼られても司はどうしようもないが、慎一郎と光を思い出して、ひとつだけ伝えることにした。
「これは俺の経験なので、すべてのひとが当てはまるとも思わないし、特にあなたにとったら耐え難いことかもしれませんが……」
前置きをして、夜でも目立つ彼の目を見つめる。
「自分を放っておいてくれないひとたちに身を預けてみる、という選択をすると、まったくちがう方向に進むことも、あります」
司がいのりのコーチを始めたばかりの頃。名古屋にいたら、また加護が拾ってくれた。オーディションに落ち続けていたら、昔の言葉を覚えていた瞳が声をかけてくれた。孤独とともに滑っていたら、匠がすくい上げてくれた。同好会のひとたちを信頼したら、悪意のない彼らの言葉が呪いになった。芽衣子を助けたら、支援をされてスケートができた。
すべて、司の選択の結果である。しかしそれは司のことを放っておかないひとたちがいたから選択できた。いい事ばかりじゃなかったし、すべてが最善の選択だったとは思えない。だけど、司が現在いのりと出会えてコーチとして在り続けているこの状態は、選択の結果のなかだと最良だと思っている。とある文豪は言っていた。『運命は偶然よりも必然である』。司はこの言葉を、氷上のいのりを見て初めて理解した。無駄にしたと思った時間も才能も経験も、俺はこの少女に、俺のすべてをあげるためにいままで選択をしてきたのだ。
「『〝運命は性格の中にある〟という言葉はけっしてなおざりに生まれたものではない』」
「……?」
「運命は偶然と思われるけど、実際のところはそのひとの性格や生きざまから生まれるって意味だと、俺は思っています」
「だから、夜鷹さんのまわりに放っておかないひとたちがいるのも、金メダリストという結果だけ見てるのではなく、いままでのあなたの生き方や考え方の結果というか……」
司は言いながら後頭部をぼりぼりとかいた。司のような選手として大成しなかったものとはちがい、相手はすべてを焚べてスケートに捧げ、実力で世界をねじ伏せてきた人間だ。今さら、悩んだのならまわりのひとたちを頼れと言ったところで素直にそうするとは思わないが、いまは司が感じたことを伝えたかった。
「それに、鴗鳥先生たちに心配をかけたくないのなら、姿を見せてあげるのがいちばんかと思いますよ……」
夜鷹だって、親しい友人がまた伏せってしまうことを望むわけではないだろう、鴗鳥の名前を出すと、いつもどこか気まずそうにしていたから。いまも眉間にしわを寄せて──
「きみが僕にアドバイスできるとでも?」
「いえいえそんな、とんでもない……」
やっぱ言わなきゃ良かった。司はそう思ったが、夜鷹はなかなか立ち去らない。それどころか、なにか言いたげだ。
「きみはどうなの」
「え?」
「僕のことを聞いたとき、どう思った」
司は、夜鷹が失踪したという話を慎一郎から聞いたときの感情を思い出そうとしたが、その頃はジュニアになったばかりであるいのりの振付と構成のことだけを考えており、それどころではなかった気がする。心配というのなら、どちらかというと光のことを気にかけた。そしてこう思ったのだ。
「……勝手に勝負を降りるな、とは思いました」
これを格上相手に言うのは憚られたが、きっとごまかしは効かないと思ったので正直に伝えた。しかし夜鷹は険しかった顔をすこしやわらげた、気がした。司は夜鷹の歴代コーチは言えるが機微がわかるほど彼を知らないので自信はない。
「……きみのことは、一時はおもしろいと思った」
もう飽きたけど。夜鷹はそう言ってポケットに手を入れなにかを探している。しかし見つからなかったのかちいさく舌打ちをした。
「……飽きたはずだ」
夜鷹は忌々しそうに司を睨んだ。探し物が見つからないのも勝手に興味を持たれ飽きたのも司の知るところではない。さっきは機嫌が良くなったと思ったが気のせいだったのかも。
「……あの、これからどうするつもりでしょうか」
ここではじめて、いま司は伝説のスケーター夜鷹純の今後に関わっているのかもしれない、と気付いた。
たしかに司は大阪で夜鷹と会ったときもそこまで狼狽えなかった。ああちゃんと生きている、とほっとしたことだけは覚えているが、それだけだ。だけどそれは、司が夜鷹を引き止めるだけの材料がないというのも理由だ。司は、彼を自分たちにつなぎ止めておくための金も時間も魅力も、なにもかも持っていない。しかしまわりの気をもませまくっている人物にまたこのまま失踪されてしまえばきっと司は後悔する。なにか、また約束を。
「狼嵜選手があなたに教わることはもうないんでしょうか」
「ない」
夜鷹が光のコーチを辞めてからも彼女はずっと強い。スケート界で死の舞踏はすでに夜鷹純の代名詞から狼嵜光のものに変わって数年経ち、箱庭のバレエも、4回転ルッツも、すべて夜鷹純のものだったのに狼嵜光が奪っていった。彼女は夜鷹純の影を喰らって生きている。夜鷹純が、過去になる。伝説が、狼嵜光の当たり前になっていく。その一挙一動を、司たちは見ている。それならば。
「夜鷹さんが氷上で最強だったのなら、いまの時点ではそれを受け継いだ狼嵜選手が最強ですが」
〝いまの時点では〟ですよ!と、いのりを意識して司は強調した。
「その最強の狼嵜選手に、結束いのり選手はいつか勝ちます」
「全日本で証明できなかったくせに?」
「はい、彼女が狼嵜選手に挑み続ける限り、俺も絶対にあきらめない」
「光は僕とおなじ道を辿る。きみたちの夢は叶わない、言ったはずだ」
司はおおきく深呼吸をした。またこのひとにこれを言うことになるとは。
「言ったはずですよ、氷の上に絶対はない、って……」
すこし声が震えてしまい、情けないがいのりの顔を思い出して勇気をもらった。彼女は初めてのJGPファイナルで優勝し、あれから何度も奇跡を起こしている。いまや狼嵜光に次ぐ実力者だ。
「だから、あなたは勝負を降りたその場所で、俺といのりさんの辿る道をずっと見ていてください!いつか絶対、俺たちは奇跡を起こしますから!」
絶対絶対ぜぇーったいに!見ててください!約束ですよ!
司は一息で言い切った。子どものような言い方で一方的な約束を押し付けてしまい、おそるおそる夜鷹の顔を見ると。
「……ははっ」
うわあ笑った!夜鷹の笑い声を聞くのはこれで2回目だ。また身体が驚いて震えてしまった。
「僕に飽きられないようにね」
そう言って夜鷹は暗いほうへ歩いて行った。
「……はっ!」
司は慌てて時間を見た。まだまだ電車は走っている、良かった。日付を見ると12月30日。あ、あのひと誕生日だ。
「おめでとうございます、くらい言えばよかったなあ」
最後にファン心があたまをのぞかせてきたが、すぐにうえから押し付け底にしまった。いまの彼はあこがれではなく、ふたたび証明するべき相手だ。
「……負けなぁいッ!」
走って走って、真冬に汗だくで帰ってきた司を見て加護と羊は驚いていた。
あれから夜鷹が会いにくることはなかったが、約三年後、夜鷹純が狼嵜光の専属コーチに就任したというニュースがスケート界に流れた。いのりが光からとうとう金メダルを奪い取った、翌シーズンのことであった。
「光から純くんに、またコーチをしてほしいってお願いしたそうですよ」
いま、司は慎一郎が運転する車の後部座席にいる。
「それでまた純くんは貸切枠を確保することを条件に了承したのです」
「そ、そうなんですね~……」
「今度は表立ってコーチとして就任したので、キスクラに座ってもらえるって光もうれしそうでした」
よかったね、狼嵜選手。こころの中で言うと、想像上の光があなたに関係ありませんが?と冷たい声で返してきた。いのりが光を超えたことで多少彼女の態度はやわらかくなった気がするが、今度はいつもいのりのそばにいることから嫉妬をむき出しにされ、会えば鋭い眼光で刺される。いまだに彼女の天敵認定なのは変わりないらしい。
「それで今日はひさしぶりの貸切らしく。司先生にもぜひ来てほしかったんです」
……なんで?
慎一郎は安全運転をしながらのんびり話しているが、司は心臓がどかどか鳴っていた。だってまた、あの散々な夜の幕開けだ。
いのりが光を超えたことで光の態度はやわらかくなった、司には。しかしいのりにはあまり笑顔を見せなくなってしまった。それは、一時期いのりが光にしていた態度とおなじようなものだろうと、司は思った。姿を見るだけで、悔しくて悔しくて涙が出て、まともに話せない。無敗記録を誇っていた光にとって初めての感情だろう。しかしその目は純粋に勝負を楽しんでいる、獣の目でもあった。オオカミは群れの絆を深めるため、追いかけっこや取っ組み合いをして遊ぶ。彼らからするとたまらなく楽しくて、生きるための狩りの練習にもなる。しかし人間からすると獣同士の、おそろしい喧嘩にしか見えない。それにいのりは、唯一ついていける少女になった。光は昔から自分を孤独にしない者を求めていたのだろう。だからいくら引き離しても必死に食らいついてくるいのりがあんなにも好きなのだ。初めて、追いかけっこで光に追いつき、さらに追い抜いてきて首を噛んできたいのりが。
ふたりの仲はきっと、つぎの試合で改善されるだろう。いのりは光に勝ったことを奇跡にしたくないと言っていたから。
「司先生」
「はい」
「三年前は、ありがとうございました」
三年前。三年前というと、やたら夜鷹が司のゆく先ゆく先に現れた、あの年のあたり。夜鷹にヤケクソのような約束を取り付けた、あのとき。
「司先生に会いに行ったあと、純くんはすぐに僕に連絡をくれました」
──慎一郎くん、選手でもコーチでもない僕は、なにをしたらいいと思う?
「……純くんにそう言われたとき、僕はとても嬉しかった、きっと誰かにまた約束をもらったのだとわかったから」
信号待ちで、ミラー越しに慎一郎と目が合う。親友を思う、やさしいまなざしで司のことも見ていた。
「慎一郎先生は、どう応えたんですか?」
「ここは間違えてはいけないとかなり考えて──だれにも内緒の〝鴗鳥慎一郎のひみつの友だち〟になってもらいました」
「ひみつの友だち」
夜鷹純には似合わない、ずいぶんかわいらしい響きを司は復唱した。なんだかそれは──子どもの頃そばにいたイマジナリーフレンドのような、お互いがいちばんの理解者のような、ふたりだけが世界をゆるがすくらいの重大な真実を知っているような──とんでもなく特別なものに感じる。
「〝ひみつの友だち〟には、僕の日々の悩みの相談に乗ってもらいました。夫婦喧嘩のこと、汐恩の反抗期のこと、クラブの運営のこと、生徒の指導法のこと、イップスになってしまった子のことも相談したかな。あとは、振り付けのアドバイスなんかも」
「え!いいなあ!」
思わず声に出てしまい司はあわてて口を手でふさいだ。慎一郎に生意気な口を聞いてしまった。しかし彼はふふん、と得意気な顔をするだけだった。
司は考えた、夜鷹と慎一郎の関係を。それは、昔からみんなよりすこしばかりスケートが上手な少年と、その親友、という間柄だった。スケートが上手な少年は、夫婦喧嘩や親友の娘におとずれた反抗期の問題は解決できたのだろうか。このふたりは、スケートと、それ以外でも繋がっている。
「〝ひみつの友だち〟案を出すのは勇気が必要でした、間違えたらまた消えてしまうかもしれない、と」
「わかります。俺もあのひとと話すのは薄氷を踏むような気分でした。スケートリンクみたいにやわらかく頑丈にしてほしい」
「ははっ」
慎一郎は珍しく身体をゆらしておおきな声で笑った。一瞬、司は車を心配したが慎一郎とおなじく巨大な車体は安定して走行している。
「結果、受け入れてもらえて、日々相談に乗ってもらっていました、まわりには内緒にして。エイヴァにはすぐバレましたが」
「あのひとに相談しても、言葉がきつくて萎縮してしまいそうだ……」
相談しても、なんでできないの、もっと練習したらいいんじゃない、認識が甘い、とか言われそう。
「僕は夜鷹純検定2級を持っているのでなんとかなりました」
「ふはっ、慎一郎先生ってけっこうお茶目ですよね」
「知りませんでしたか?」
「いえ……あなたのエキシビション、大好きなので知っていたかも」
司が言うと、今度はミラー越しにウインクされてしまった。ファン心が黄色い声を上げ、くちからも出た。
到着すると、すでにひとり銀盤にいた。リンクをおおきく使っている。渇いて渇いて仕方なかった喉を潤すように、やっと噛み合った歯車のように、水を得た魚のように、縦横無尽に滑っている。その姿はいままでの数年を取り戻そうと、一分一秒でも無駄にすまいと氷上を求めていた。声もかけられずに魅入っていると助走に入ったのがわかった。モホークでバックインに乗る。その脚は綺麗な八の字を作っていた。美しい姿勢をキープしてカーブをなぞる。エッジも深い。ジャストのタイミングで右足を回転方向に振り上げた。サルコウ、着氷。だけど、あきらかに回転数が足りなかった。4回転には届かない。彼はまた広くリンクを使い、滑る。一秒にも満たないひとつひとつの動作を丁寧に確認しながら、また跳んだ。彼の現役時代の練習風景を見ているようで、胸を締め付けられた。あのひとはまだ、氷上に執着している。
「……今日は二十二時からの四時間を、貸し切っています」慎一郎が言った。
時計を見ると二十三時を過ぎたところだった。つまり、ここにきて一時間経っている。たった一時間。
「……一時間で、あそこまで勘を取り戻せるものなんですか」
慎一郎から聞いた話だと彼は数年間、氷に乗っていない。年齢ももう40を超えている。さすがに彼の現役の、そしてあの夜に比べると、ジャンプの幅も高さも劣っている。しかし、一蹴りでぐんと伸びて加速するスケーティングも、正確なエッジワークで踏まれるステップとターンも、まったく色褪せていない。さっきは回転不足だったクワドサルコウもあと一時間足らずで跳べるようになるだろう。氷上に執着していると言ったが、氷のほうが彼を離したがらない、というほうが正しいのかもしれない。
「……純くんの、まだ陸での生活には不安があります。また突然消えてしまうかもという心配がいつもあった」
慎一郎は夜鷹から目をはなさずに話し出す。
「だからまた、ここに戻ってくることができて良かった。夜鷹純のスケートをまた、見ることができて良かったと、思います」
司はおなじ事を思った。司が憧れて、どうしても欲しかった、夜鷹純のスケートがまだあった。それがどんなに幸福なことか。彼はまだ氷上にいたがっていて、そしてそれを許されている。チリっと胸が焼かれたような痛みを感じた。たぶん、これは嫉妬だ。あそこまでスケートの神様に愛されている人間は、ほかにはいない。
「……しかし、いずれ下りなければいけないときがくる。だからそのときのために、よすがが欲しかった」
慎一郎がつぶやいたとき、夜鷹がふたりに見られていることに気付いて近寄ってきた。ひさしぶりに見たその顔は、以前よりは確実に年齢を重ねているのがわかった。それでも現役時代に客席を魅了していた美貌と、純粋にも見えるほど本能だけで行動するところは、そのままで──
「……ち、近い」
夜鷹はリンクからは出ずリンクサイドにいる司に、フェンス越しに顔を近付けてきた。南極カメラマンになった気分だ。ペンギンたちが人間とカメラに寄ってくる映像を思い出した。思わず後ずさるとまた身を乗り出してくる。
「ねえ」
「は、はい、なんでしょう」
「見てたよ、きみたちの奇跡とやらを」
司も逸らしていた目をゆっくりと合わせた。一方的に取りつけたヤケクソの、子どものような、あの約束。
「……ありがとうございます。言ったでしょう、俺たちは諦めないと」
「光は昔、僕に〝オリンピックに連れて行ってほしい〟と言った」
話が飛躍して困惑しながらも司は無言でうなずく。
「今度は〝結束いのりに勝たせてください〟だって」
身体が強張る。つぎは歴戦の女王がいのりに挑んでいる。いのりが追う側から追われる側になった。司はすこしの恐怖と、たしかな喜びを味わった。
「それで、光は純くんにコーチをふたたび頼んだのかい?」
「そうらしい」
夜鷹は、司から目を逸らさずに慎一郎の質問に答えた。以前見た、星々に焦がれているような目はもうなかった。瞳孔が開いている。彼の教え子と似た、獣のような目。
「奇跡は何度も起きない」
シンとしたリンクに夜鷹の冷たい声が響いた。気温が下がったような感覚におそわれる。ああ、追われる側は、こんなにもおそろしいものなのか。
「そうですね……にどめからは必然ですから」
光に勝つという奇跡は一回きりでいい、二回目からは必然にしたいと、いのりは言っていた。いのりが逃げ切るというのなら、司も全力でそれをとなりで支えるだけだ。
司の言葉に夜鷹は眉をひそめたが、くるりと背を向けまた滑りに行ってしまった。司は止めていた息を吐いた。
「ふふ、純くん嬉しそうですね」
「あれがですか!?」
夜鷹純検定2級保持者が言う。上級者が言うのなら……いやそうなのか……?だいぶいかめしい顔をしていたけど……。
慎一郎が笑っているので、司もくちをゆるめた。夜鷹がモホークに入る、右足フォアイン、左足バックイン。しっかりときれいなカーブを描けている。回転方向へ跳ぶ。今度は完璧なタイミングで腕を開いた。クワドサルコウ、着氷。あれから一時間どころか三十分足らずでできてしまった。しかし夜鷹は納得しなかったのか、また丁寧に何度も跳び始めた。
「光が結束選手に勝つために、つぎは足りないものはなにかと考えたとき出てきたのが、純くんだったのでしょう」
夜鷹ははじめ光の指導に戻ることを渋っていたらしいが、『あなたのようにコーチを変えるだけです』と言われ、夜鷹が去る前からいまもずっと所属しているスターフォックスのヘッドコーチからもネチネチと笑顔で嫌味を言われ続け、折れたらしい。
司は、いのりに初めて会ったときのことを思い出した。駄目なことだとわかっていても止められなくて、孤独にずっと練習していた。教本はボロボロになるまで読み込まれ、日付ごとに成果が書き込まれていた。ひとつひとつ、いのりのなかの、いっとう丁寧な字で。それは、いま夜鷹がしているジャンプの確認に似ている気がした。
「リンクに賭ける執念……」
光は、いのりとおなじものを持っている夜鷹になにかを見出したのだろうか。
「司先生、僕たちも滑りませんか」
「いいんですか」
「さんざん振り回されてきたんです、これくらい良いでしょう」
そう言って慎一郎は更衣室へ向かった。後を追おうとしたら、ふたたび夜鷹が戻ってきた。
「僕を飽きさせないでね」
「夜鷹さんって負けず嫌いですね」
なにを当たり前のことを、とでも言いたげな顔をした。
「つぎはなんの約束にしましょうか」
「……僕は、きみに勝つよ」
「じゃあ、俺はあなたに勝ちます」
それが約束。
「はあ……滑るならはやく滑りなよ」
「はい、お邪魔します!」
彼女たちのひたむきな勝負に賭けるつもりはない、だから、これは自分たちだけの約束。
来るオリンピックでこの約束は、ふたりのうちのどちらが果たすのか、またはふたりとも果たせないのかはわからないが、そのあとも約束は続くだろう。彼らの教え子が引退したそのときは、きっと司にも〝ひみつの友だち〟ができているかもしれない、とふたりを見ていた慎一郎は思った。
序盤、偶然何度も出逢ってしまうよだつかのすこしふしぎ話かと思って読み進めていたらしっかり深い話でした…ご当地金メダリストの写真は司先生のスマホにずっと大事に残ってるんだろうな…