綴る/warm your heat.
2026/01/25 夜明けを告げる太陽の君2の無配ペーパーでした。FB2前に書いたものです
当日お手に取ってくださりありがとうございました
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【綴る】
夜鷹純の背中は、見惚れるほどに完成されている。無駄のないしなやかな筋肉の乗るライン、冬に輝く月光を反射する雪のように滑らかでひやりとする白い肌。彼が纏う近寄りがたいほどの静謐なオーラを、そのまま形にしたかのようだ。司が触れることさえ躊躇われる、夜鷹はそんな静けさを湛えて見えた。
けれど風呂上がりの柔らかな熱を帯びた今の彼の背中はどこか無防備で、ベッドの上でなら俺の手を拒まない温かさがある。
「ねえ純さん。ちょっとだけ、じっとしていてください」
ベッドの上で読書をしていた純さんの背後に、俺は吸い寄せられるように潜り込む。読書の時だけ掛ける、純さんの眼鏡姿。この純さんは外では見られないので、間違いなく俺だけが知る純さんの姿だ。それが嬉しくてニマッと笑う俺を見て、純さんの視線が和らいだのが分かる。
「……また何か、僕へのいたずらでも思いついたの」
「いたずらだなんて人聞きが悪いです。クイズですよ、クイズ! 俺は今、なんて書いたでしょう!」
俺は弾む声を隠そうともせず人差し指の腹を、パジャマ越しに浮き出る彼の肩甲骨の真ん中にそっと置く。縦、横、そしてふわりと跳ねるような指運びで。純さんの肌は俺の指先が触れるたび、背筋が微かに硬く震える。くすぐったいのを我慢している、それが指先越しに伝わってきた。
「……『はな』?」
「残念、不正解です」
「なら……『ね、こ』?」
「もっと外れ。そんなに難しいかな?」
ふふっと鼻で笑った俺は、今度は指を寝かせて背中の中心にゆっくりと三つの文字を綴る。純さんはくすぐったそうに背中を震わせるが、やめろとは言わない。代わりに開いていた本を閉じ、俺の指が背中に描く軌跡を、全神経を集中させて読み取ろうとする。俺が差し出す言葉に真面目に向き合っている彼の後ろ姿が、たまらなく愛おしい。
「……わからないな。くすぐったくて、僕の思考が鈍る」
「ヒントは三文字です」
「三文字?」
俺は純さんのうなじに近い、最も敏感な場所に指を置いた。純さんはひゅっと首を竦めたが、すぐに力を抜いてくれる。
「もう一度やりますよ。まず最初がこう、……こう、これで最後の文字。これなら分かるはずです」
一文字ずつ、柔らかな文字を刻むように意識した。全部を書き終えると同時に俺は純さんの肩に顎を乗せ、耳元でふんわりと囁く。
「さあ、正解は?」
「……わかった『あした』、だ」
「大正解!」
純さんの息が、柔らかな安堵を含んでほうっと吐かれる。
「でもどうして、明日なの」
「明日は休みでしょう? 純さんと一緒に過ごすのが楽しみなので」
それは愛を囁く言葉でさえない。ほんのささやかで、そして未来への小さな願いだ。俺が指を離して笑うと、純さんはゆっくりと振り返る。眼鏡の奥にある金色の瞳が、穏やかな光を湛えて俺を見つめた。
「……そう。きみが綴ったのは未来か」
純さんはそう言うと、俺の手首を優しく掴んで自分の方へ引き寄せた。
「今度は僕の番だ。司、後ろを向いて」
「えっ、純さんもやるんですか?」
「公平にいこう。……いいかい、当てるまで寝かせない」
促されるままに俺が背を向けると、純さんの冷たい指先が俺の背中に触れた。少し緊張して身を硬くした俺の肩を、彼のもう片方の手が優しく支える。Tシャツ越しにさらさらと、流れるような指運び。指先から伝わる彼の意志は驚くほど明確で、そしてきっと甘い想いに満ちていた。
「……『やくそく』、ですか?」
「正解だ。……あしたは僕も少し早起きをして、司が前に行きたいと言っていたパン屋に行く」
「その話、覚えていたんですか」
俺が朝のロードワーク中に見つけた店だが、どうやら老夫婦が営む店は営業時間が短く、朝早くから昼までで閉店してしまう。レトロな佇まいのパン屋に妙に引かれ、一度行ってみたいなどと叶わぬ願いとして口にしたことがある。なぜなら午前中は純さんの貴重な睡眠時間。夕方になって不機嫌に起きだす純さんと一緒など、はなから無理な話だと思っていた。
「覚えてはいるよ。僕に早起きの約束ができないだけで」
純さんは俺の背中に額を預けるようにして、低くて心地よい声で続ける。
「そこで僕は、今夜寝なければ行ける気がしてきた」
「なんか無茶なこと言い出したなこの人」
「司と僕は明日、仕事も用事もない。そこで今夜は、きみのクイズの続きを聞かせて。……一晩かけてきみの望む『あした』を、僕がすべて読み取ってあげる」
「一晩かけて?」
「そう、司がどんな『あした』を望んでいるのか。……僕とどんな約束をしたいのか、興味がある」
「……クイズが正解なら、全部叶えてくれるんですか?」
「どうかな。でも僕の出来る限りは」
純さんはそう言って俺の肩越しにそっと唇を寄せた。ふたりの背中に綴られるのは、確かな温かさで満たされる言葉だ。
【warm your heat.】
かつての夜鷹純にとってパーソナルスペースに他人の気配が混じることは無関心の対象、あるいは自分の境界を乱す不快なノイズでしかなかった。
けれども明浦路司と交際を始めてからというもの、夜鷹の聴覚が拾いあげる世界の音は劇的な変化を遂げている。
明け方にベッドにもぐり込んだ僕はまだ微睡の中にいた。昨日から泊まりに来ている司は隣で眠っていたが、朝が早いタイプなので外界が明るくなればもぞもぞと動き出す。僕を起こさないようにと司は細心の注意を払いベッドを抜け出した。薄目で司の背中を見送りながら、続いて聞こえてくるのが僕の好きな音だ。
──ペタペタ……ペタペタ……
スリッパを履かずに裸足で床を歩く音。彼がスリッパを避けるのは、パタパタという乾いた音が僕の眠りを妨げないようにとの気遣いだろう。実際には司が忍者のように静かに歩こうとしても、その恵まれた体躯が床を踏みしめるペタペタという特有の音を僕の耳は見つけ出す。その司がたてるリズムを聞きながら僕はまた目を閉じた。かつての孤独の中では決して得られなかった安堵感。
ああ、今日も司が僕の隣にいる。かつての孤独では絶対に得られなかった安堵感に浸り、いつしか深い眠りに心地よく落ちていく。
これが僕の朝における、幸福な時間になっていた。
†
けれども冬が近づくにつれ、その愛おしい足音に一つの懸念が混じるようになる。ペタペタと鳴るたびに司の足裏が、氷のように冷えたフローリングに熱を奪われているのではないか。そう思うと彼の気遣いが、僕には少しだけ痛々しく感じられた。
「今度の契約更新で、新しい部屋に越そうと思う」
ある夜のこと、リビングでコーヒーを飲む司に僕は準備していた資料を差し出す。
「えっ、ここから越しちゃうんですか?」
「司と過ごす時間も増えたし、今の間取りでは司専用の空間も持てない」
実際に司はいまリビングで、仕事用のpⅭを開いている。
「勝手にくる俺のことまで、気遣う必要ないですよ。俺はここでも」
「違うよ。いつでも司が来られるようにしたい、これは僕の我が儘だ」
加護家に居候している司を、強引に同棲に持ち込むことも考えた。しかし今は僕が司の恋人としての実績を積むべき期間だと判断し、これでも僕は控えめにしている。司も加護家を出ることを考えているようだし、僕の所にいつでも来られる環境を先に作っておくのも手だ。
「いまも十分だと思っています。でも、そう言ってくれるのが嬉しいです」
「うん。内見に行く部屋の候補を絞ってあるから、司も確認して」
「俺は……その、純さんと一緒に過ごせるのならどこでも。純さんの気に入った場所が、俺の居場所ですから」
そんなことを司は恥ずかしそうに、けれど真っ直ぐ僕に言う。まだ僕に対して幾分かの遠慮はあるだろうが、司は自分の意見はしっかりと言葉にするだろう。ただ彼にとっての居場所が、僕の隣なのだという事実。僕はその無欲を装った司の要求を、ひどく愛おしいと思う。
そして物件を二人で巡った後に結局は僕の独断で、ある条件を最優先に新居を選んだ。
†
引っ越しを終えた新しい寝室。
部屋は以前よりも広くなり、司がコーチとしての仕事や勉強に集中できる専用の個室も作った。それでも『眠る時だけは一緒が良い』という司の願いと、僕が密かに育てている独占欲が一致し、僕たちは大きなベッドで眠っている。
新居に司が泊まりに来て、最初に迎えた冬の朝。いつものように司が音もなくベッドを抜け出した。実は眠ったふりをしていた僕は、布団の中で耳を澄ます。
──ペタペタ……ペタペタ……
「……ん?」
一度足音が立ち止まり司は何かを確認する。まるで初めて氷の上を歩くような慎重さで、困惑しているようだ。続いて寝室のドアを出てリビングへと消えていった足音が、慌てたようなリズムで戻ってくる。寝室のドアが静かに開き、司が僕の顔をそっと覗き込んできた。
「……純さん、起きてますか?」
「うん。……なぁに」
僕はゆっくりと上半身を起こした。司は裸足のまま、目を丸くして床を指差している。
「床、これ温かいです。え、なんで? 暖房、まだつけてないですよね?」
「……床暖房、入れたから。僕が寝る前にタイマーをセットした」
「えっ」
「きみが起きる時間には、足が冷えないように」
「……こんな設備、わざわざ?」
「これがあったらきみも、冬の朝を気持ちよく過ごせるでしょ。……もう、冷たい思いをして歩かなくていい」
冬の凍てつく朝を、陽だまりに変える魔法と思って。僕の言葉を聞いた司は絶句した。
僕がなぜ、あんなに熱心に物件を選んでいたのか。なぜ内見のたびに床をじっと眺めていたのか。その理由がすべて自分の裸足のためだったのだと、司は気づいたらしい。司の目が潤み、ふわふわとした笑みが溢れる。司はそのまま床に膝をつき、ベッドに座る僕の膝に顔を埋めた。床から伝わる熱と僕の膝。二つの温もりに挟まれ、司は幸せそうに嘆息する。
「……あぁもう。純さんは、俺を甘やかしすぎです……」
「そんなことはない」
「だって、こんなの贅沢すぎる」
「これは僕のためだよ」
「……どうして純さんのためなんですか」
「きみが僕を起こさないように裸足で歩く音が、僕は好きだ。だからそれをやめさせたくなかった。それだけだよ」
僕はそう言って、司の藁色の髪を優しく撫でる。司の立てる足音で、孤独に染まっていたはずの僕の朝は温かに塗り替えられた。胸を温めてくれる司の足音を守ることは、僕自身への最大の贅沢だ。床暖房の熱は、司の献身を受け取るための僕なりの返答だった。
「……純さん。俺、一生純さんのそばから離れられそうにないです」
「いつも僕の傍で寝ればいい。逃すつもりもないけど」
「うぅ~~……どうしよう、俺」
まだ悩まし気に唸る司を僕は、決して焦らせはしない。いつか司自身の口から決心を聞けるように僕は、この床の熱のようにじんわりと少しずつ司を懐柔していくつもりだ。
きっといつかここが、名実ともに二人の家になる。この家でペタペタと鳴るあの足音は、これからも温かく僕の朝を彩り続けるだろう。
おしまい