自由学園明日館から考える、「自由」と民主主義【建築編】
第1回「大人の社会科見学」ミステリーツアーで訪れたのは、東京・池袋にある国の重要文化財「自由学園明日館」です。場所は防犯上の理由から参加希望者のみにお知らせし、6名で見学しました。
今回は喫茶付き見学券(1,000円)を利用し、まずは食堂で紅茶と焼き菓子をいただきました。その後、講堂で約1時間、スタッフの方から詳しい解説を伺い、館内を自由に見学しました。普段は館内を巡りながら解説を行っているそうですが、今回は講堂でじっくりお話を聞く形式でした。
自由学園明日館は、フランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新が設計した建築として有名です。
でも、この建物の魅力は、美しい建築だけではありません。
「どんな社会をつくりたいのか」「どんな人を育てたいのか」という教育の思想が、建物の隅々にまで込められているところにあります。
その教育理念は100年前のものとは思えないほど、現代の日本社会や民主主義が抱える課題にも通じています。
その魅力を余すことなくお伝えしたくて、記事を【建築編】と【教育編】の二つに分けることにしました。
【建築編】では、フランク・ロイド・ライトの建築思想や、弟子・遠藤新による工夫、そして100年以上使い続けられてきた自由学園明日館の建築としての魅力をご紹介します。
次回の【教育編】では、なぜ戦時中に「自由」という校名が問題視されたのか、その背景にあった教育理念や思想統制、そして100年以上受け継がれてきた「自ら考える教育」の意味をたどります。
それでは、なぜこの建築が今なお世界中の建築ファンを惹きつけ続けているのか、一緒に見ていきましょう🔍
フランク・ロイド・ライトと遠藤新
明日館を設計したのは、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトです。
ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並び、「近代建築の三大巨匠」の一人と称される建築家です。
当時ライトは帝国ホテル設計のため来日しており、自由学園を創立した教育者・羽仁夫妻の教育理念に深く共感して、その設計を引き受けました。設計は助手で高弟だった遠藤新とともに進められ、その後、ライトが帰国した後も遠藤が設計思想を受け継ぎ、増築や講堂の設計などを手がけています。
そのため明日館は、ライトの建築思想と、それを日本で受け継ぎ発展させた遠藤新の仕事が一つになった、とても貴重な建築なのです。
建築に込められた思想
設計したフランク・ロイド・ライトは、建物だけが主役になるのではなく、人や自然、家具まで含めて一つの調和した環境をつくることを目指す「有機的建築」という建築思想を提唱した建築家でした。
建築家の存在感を誇示するような、奇抜さや大胆さだけを競う建築とは対照的に、ライトが目指したのは、人が心地よく過ごせる空間です。
光や風、庭、人の動き、そして家具や照明までを建築の一部として捉え、それらが互いに調和して初めて、一つの建築が完成すると考えていました。
ガイドの方のお話では、ライトは学校というより、「先生と生徒が共に暮らす一つの家」のような空間を目指して設計したという考え方が紹介されていました。
実際に明日館を歩いてみると、その考え方が建物のあちこちに表れていることが分かります。
木枠で装飾をするスタイル
自然と調和する建築
明日館は一見すると洋風建築ですが、実際に歩いてみると、日本建築にも通じる自然と調和する考え方が随所に感じられます。
建物は空へ高く伸びるのではなく、地面に寄り添うように、ゆったりと横へ広がっています。大きな窓や開口部によって室内と庭がゆるやかにつながり、建物の中にいても自然の気配を感じられる空間になっています。
こうした水平性を重視したデザインは、ライトがアメリカで確立した「草原様式(プレーリースタイル)」の特徴でもあります。広大な草原の景観に溶け込むよう、建物を低く水平に広げ、自然との一体感を大切にする設計思想です。
実際に歩いてみると、教室が並ぶ学校というより、一つの大きな家の中を巡っているような感覚になります。
また、館内は東西に視線が抜けるよう計画されていて、どこにいても光や庭とのつながりを感じられます。窓は単に採光のためではなく、外の景色を建築の一部として取り込む役割を果たしています。
幾何学模様の窓枠は建物全体に統一感とリズムをもたらしていて、どこを切り取っても美しい景色をつくり出しています。
実は、窓枠の外側は長い間茶色に塗られていましたが、1999年から2001年にかけて行われた保存修理で塗膜などを詳しく調査した結果、創建当初は現在と同じ緑色だったことが分かり、その姿へ復元されました。
一方で、ライトが設計した水平に広がる屋根は、日本の高温多湿な気候では雨漏りなどの課題も抱えていました。
そのため保存修理では、創建当初の意匠をできる限り尊重しながら、防水性や耐久性を高める改修に加え、耐震性や設備面の改善も行われました。こうして創建当初の美しさを守りながら、今も現役の建物として使い続けられるよう受け継がれています。
空間の魔術師
建物の中を歩いていると、不思議なくらい部屋ごとに空気感が変わります。
天井の高さや室内の明るさが部屋ごとに異なることで、ドラマティックな空間の奥行きが感じられます。
天井の低い暗い空間にスポットライトのような天窓が現れたり、あえて少し暗く低くつくられた暖炉前の天井を抜けると、大きくホールへ吹き抜け、光がぱあっと差し込んできたり。
感情が揺さぶられるような仕掛けが随所にあり、ライトが「空間の魔術師」と呼ばれる理由を少し体感できた気がしました。
壁や柱で部屋を区切るだけではなく、光や天井の高さ、素材の質感まで使って、人が感じる圧迫感や解放感、視線の動きまで設計されているのです。
大谷石へのこだわり
建物を支えている基礎や暖炉、腰壁などに使われているのは、栃木県で採れる「大谷石」です。
私は以前、大谷資料館や採石場跡の地底湖を訪れ、その美しさに魅了されて以来、大谷石が大好きになりました。
ライトも大谷石の魅力を高く評価し、自由学園だけでなく、旧帝国ホテルやヨドコウ迎賓館などでも積極的に採用しました。
大谷石は柔らかく加工しやすい一方で、断熱性や耐火性にも優れています。
また、火山灰が固まってできた凝灰岩のため、表面には無数の小さな穴があり、自然が何万年もかけてつくり出した表情をそのまま建築へ取り込んでいます。
私は、その素材の使い方にもライトの「有機的建築」の思想を感じました。
家具も建築の一部
ライトを語る上で忘れてはならないのが家具です。
ライトは「建物だけ完成しても、本当の空間は完成しない」と考えていました。
だから家具も、建築を構成する重要なパーツとして、椅子や机、本棚、照明に至るまで、一つひとつが建物と調和するよう設計されています。
明日館で有名なのがこの六角椅子と食堂椅子です。
座ると女学生の目線の位置が下の窓枠になる設計
実際に使われていたのは左のサイズのものだが、
現在は大人が施設を利用するため
大きいサイズのものが使用されている
実は、自由学園は資金が潤沢ではありませんでした。そこで生徒たちは帝国ホテルで英語劇『真夏の夜の夢』を上演し、その収益で家具を製作しました。
また、遠藤新は限られた予算でも長く使えるように、規格材を組み合わせ、丈夫で修理しやすい食堂椅子を設計しました。
美しさだけでなく、使い続けることまで見据えた家具づくりにも、この建物の思想が息づいているように感じます。
建築を未来へ受け継ぐ
ライトは、暖炉を家族が集う家の中心と考えていました。館内には大谷石で造られた暖炉があります。
驚いたことに、5つある暖炉のうち、3つは現在も実際に使われています。
重要文化財なのに、火を使って大丈夫なのかと思う方もいるかもしれません。
しかし、自由学園明日館は建物を「保存する」のではなく、「使い続けながら守る」という動態保存の考え方を大切にしています。
一昔前までは、文化財はできるだけ手を加えず保存することが重視されていました。しかし、建物は使われなくなると維持管理の負担が大きくなり、所有者や活用する人も減ってしまいます。その結果、「保存するだけでは、かえって失われてしまう」という課題が各地で顕在化しました。
そこで近年は、建物は人に使われてこそ本来の価値を発揮し、その役割を未来へ受け継げるという考え方へと変化しています。自由学園明日館は、その動態保存を象徴する存在の一つです。
明日館では、現在も講演会や演奏会、結婚式などが開かれ、多くの人がこの建物で新しい時間を積み重ねています。それは建物の歴史を未来へつないでいくとともに、維持・保存のための大切な支えにもなっています。
100年以上前に建てられた建物や、そこに込められた考え方が、今も人々の暮らしの中で大切に生き続けていることを実感し、伝統や文化は、残しておけば自然に受け継がれるものではなく、人々の不断の努力によって未来へ受け継がれていくものなのだと感じました。
建築編のおわりに
私が今回この場所を選んだのは、建築が大好きであること、そして、この建物から現代にも通じる政治哲学や民主主義についての学びが得られると思ったからです。
建築家の自己表現を優先するあまり、実際には使いにくかったり、周囲の景観と調和しなかったりする建物も少なくありません。しかし、ライトの「有機的建築」と、羽仁夫妻の教育理念には、自然や社会、人との調和を大切にするという共通した思想があります。建物を主役にするのではなく、そこで暮らし、学ぶ人を大切にする温かさや優しさが、この建物からは伝わってきました。政治もまた、本来は国家や組織のためではなく、人の暮らしや尊厳を守るためにあるべきなのだと改めて感じるところです。
次回の【教育編】では、「自ら考える教育」が危険視された時代に、羽仁夫妻がどのように時代の圧力と向き合い、自らの教育理念を貫いたのかを掘り下げます。
国民生活よりも、安全保障を理由に国家権力の拡大が進む今だからこそ、私たちは「自由」や「人権」、そして教育の独立性をどう確かなものにしていくのかを改めて考える必要があります。
100年前、日本では治安維持法のもとで思想や言論、教育への統制が強まりました。その歴史は、民主主義は決して当たり前のものではなく、一人ひとりが主体的に支え続けなければ、静かに失われていくことを教えています。
羽仁夫妻が向き合った問いは、決して過去のものではありません。自由や人権、そして自ら考える力を社会の中でどう育んでいくのか。その問いは、今を生きる私たちも向き合うべき課題であるように思います。


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