メランコリーキッチン
米津玄師さんの「メランコリーキッチン」モチーフです!
喧嘩した夜鷹と司がお互いに小さく歩み寄っていく話です。
ぜひ「メランコリーキッチン」検索して聞いてみてください。
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二人が暮らす家の中は今、穏やかな普段の空気を取り戻せないでいた。リビングは吹雪に遭った街のように冷え切り、キッチンの殺風景な様子は部屋の寂しさを物語っている。
「もう当分家には帰りません。」
同棲中の恋人である司と些細なことで喧嘩をし、問答を繰り返した結果、限界が来たのか相手の方からピシャリと言い放たれてしまった。
いつもなら二人で食卓を囲んでいるはずの時間帯なのにテーブルの向かい側に司の姿は無かった。一人では広すぎるであろう部屋に、夜鷹は置いて行かれてしまったのだ。
「……。」
本当に些細な喧嘩だった。夜鷹の吸うタバコの量が日に日に増えていくのを司が見兼ね、健康に気遣うよう進言した。それを夜鷹がそんなの自分の勝手だろう、と冷たくあしらってしまったのだ。言い方が癪に触った司は夜鷹に反発し、それを売り言葉に買い言葉で返してしまったため頑固な二人は自分の意見を曲げる事なく、挙げ句の果て決別までに至ってしまった。
夜鷹は、煙と共に静かに息を吐いていた。
別にリビングでタバコを吸わなくても良いのだが、いつもこの時間に司が食事を用意していたので癖で席に着いてしまった。そんな自分に苛立ち、さらにタバコの先端は短くなっていく。
「…寒い。」
喫煙者の体はニコチンの影響で、手足の末端に冷えが残りやすくなる。夜鷹も例に漏れずそうだから人より体温が低い、いつもなら司がブランケットをかけるなり暖房を付けるなりで対策をしてくれるが、今はその優しさが姿を現してくれることは無い。
そんな、ふとした事でも司の存在を思い出す。灰皿に残りのタバコを押し付けると、静かな机に彼の横顔や髪の色が並んで見えた。こういう時彼は、いつも何て言っていただろう、何を見ても司の事を連想してしまう夜鷹は、大概彼の虜になってしまっているようだ。
「夜鷹さんの分は作らないので、無理に食べなくて良いですよ。食べたくなったら、俺の分をあげますから。」
彼は食事に無関心な夜鷹を最初こそ気にかけていたが、無理強いをするのは良くないと自分に言い聞かせ、その内夜鷹が自分から食べることを望むまで受け身の姿勢を取るようになった。
一般的な生活基準の外側にいる自分を、司は否定せずに受け入れてくれた。この家のキッチンは、彼の恋人に対する器量と優しさの象徴のような場所であったのだ。
誰もいないキッチンに、彼の後ろ姿を見てしまう。靡くはずのないカーテンに、彼の声が残穢のように残っている。司のいない部屋は乱雑に服や物が散らばり、お世辞にも綺麗な状態とは言えない場所になっていた。今まで自分の生活を支えていた存在が突然いなくなってしまった事実に、苛立ちよりも先に寂しいといった感情が湧き上がる。
(…電話しないと。)
氷上では怪物として恐れられてきた男も、夜明けを知らせる太陽には勝てない。これから二人であらゆる選択を間違えても、氷の銀盤が全ての世界で凍えてしまっても、変わらず側に居れるように。今声を出さないといけない、そう思ったのだ。
司は覚えていないかも知れないが、夜鷹はこの家で忘れられない記憶がある。初めて彼をここに上げた時、部屋に保存食のような物は見当たらず、冷蔵庫の中は空っぽで食べ物も何もない空虚そのものであった。その時情け無くも腹の虫を抑えることが出来なかった司は「俺が作るので良かったら食べて下さい!」と言って走って近くのスーパーに行き自分の財布から出した金で材料を買ってきた。使用した形跡が無い調理器具を手に取り、徐に料理を始めた。米を炊き、鍋で具材を煮詰める。家主である夜鷹は静かにリビングでその様子を眺めていた。出来上がったのは二人分のカレーライスだった。
「お待たせしました!すみません、簡単な物しか作れなくて、」
「僕は食べないよ。」
「はい?」
「君が食べて。」
全く持って理解できない、という心の声が表情から滲み出ている。この頃は司は夜鷹の性質を深くまで理解しておらず、こんな反応になってしまった。自分で自分の胃袋と上手く相談できない大人は残念ながら身近にいるが、全く手をつけないというのは流石に想定外だった様で優雅に湯気を立てるカレーとは対照的に、彼はリビングで固まってしまった。
その様を見て違和感を持ち、仕方ない、といった様子の夜鷹は目の前にあるスプーンに手を伸ばした。匙の半分にも満たない、小さな小さな一口を皿から掬い上げ、口に入れた。数回ゆっくりと咀嚼し喉から胃まで着実に嚥下した。
「…うん、美味しいよ。」
味わう、とはまた違う確認のような作業を終えるとまた皿からカレーを掬い上げる。今度は匙を満たすくらいの、自分では無い、司が一口で食べそうなほどの量を迷わずに。そして、匙を彼の方に差し出した。
「あ、」
司は思わず涎が出てくるカレールーの香りと、自身の空腹に耐えきれず、口を開けてしまった。
美味しい、あの夜鷹純にあーんされた、咀嚼をしながら浮かんでくるのはシンプルな感想ばかりで自分の機転の効かなさに小さな落胆を覚える。そんな司とは違い、夜鷹は普段よりほんの少しだけ柔らかい表情を浮かべていた。その顔を見て緊張が解けたのか、司の口角はゆるゆると上に昇っていく。
「おいしいですね。夜鷹さん。」
誰も寄せ付けようとしない、憂鬱が立ち込めるこの家で、彼は場違いにも朗らかな笑みを浮かべる。部屋に滞っていた憂鬱を、司は夜鷹に差し出された料理ごと、美味しそうによく噛んで飲み込んだ。
「君は多分覚えてないよ。」
あの時のカレーの匂い、食感、味を夜鷹は確かに覚えている。
コメント
- おああ2025年2月13日