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この作品「台風まあいっか」は「よだつか」「夜明」等のタグがつけられた作品です。
台風まあいっか/ととたの小説

台風まあいっか

12,491文字24分

原作軸謎時空よだつか。台風と地震がヤバくて書きました
大注意:緊急地震速報が鳴る描写があります
中注意:しりとりのルールによっては禁止されている可能性があります

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「……暇だな」
夜鷹が言う。
「も~」
司が口を尖らせる。


7月になったばかりだというのに、とんでもない台風が来る。
最大風速44 m/sの非常に強い、大きさが半径850 kmもある。
今日の夜中から明日の夕方にかけてじっくり日本に居座るタイプの台風らしい。
そのとんでもない台風が来るということで、日常は前もって大慌てをした。
役所関係や教育機関は予報の段階で臨時休校や閉鎖を決めた。
民間会社も可能な限り自宅待機を指示する。
もちろん交通や物流、警察消防それから医療関係にサービス業に……どうしても出勤をしなければいけない仕事も多い。
スポーツ関係、フィギュアスケートについてはまあ、シーズン開始直後とはいえおおむね待機組と言って良いだろう。
大須のリンク自体が今日の夜間から明日閉めることを決めた。
来ても帰れなくなる人が出ても困るし、それなら夜中も開かないという決定だった。
それを受けて結束いのりと明浦路司が所属するルクス東山FSCは明日は休みとなる。
ホームリンクを同じくする名城クラウンも、グラビティ桜通も同様だ。
時刻は20時、今日は夕方からのレッスンを終えたところ。
「はー、お知らせおーわり」
明日は朝の貸切練があるが中止。
ヘッドコーチの高峰瞳はLINEやメール、電話で連絡対応を行っていた。
ノートPCの画面を見て、疲れの滲むため息をつく。
父である高峰匠の時代、つまり昔は連絡網といって電話で生徒の親同士で回し、運営側は完了報告を待つだけで済んだが現代はそうはいかない。
今時ほとんどはLINEからの確認ページ画面を開き、ボタン一つで了承!の確認ができるとはいえ、手間は手間だ。
お知らせを出しました、あとは責任取りません、で終えるところもあるが、瞳はなるべく確認までを行いたい。
夕方のレッスンを終えた子供たちを解散させて戻って来た明浦路司が声をかけた。
「おつかれさま」
「あー司くん、おつかれさま、みんなもう帰った?」
「うん、帰ったところ」
「よかった。こっちはいま連絡終わった~~疲れたわぁ!」
「生徒さん達もはしゃいじゃって大変だったよ」
「子供ってこういう緊急事態って好きなのよねえ」
「あはは……」

なんだかんだ仕事を終えたら21:00だ。
まだ外は静かだが、風は明確に強くなってきた。幼稚園の子供は傘を振り回して飛ぼうとするぐらいには。
司がふだん自転車通勤をしていることを知っている瞳が声をかけた。
「司くん帰りは歩きのがいいわよ、これから旦那が車で迎えに来てくれるから乗せて行こうか?」
「うん、歩き。まだ降ってないし、折り畳み傘もあるし……大丈夫だよ、ありがとう」
「そ、気を付けてね」
帰路についてすぐ、加護に今から帰宅する旨をLINEで報告した。
すると今日は仕事がものすごく忙しいので、羊と会社に泊まると返信が来る。
どーんと会議室に大きなピザを広げる写真が続いて届いた、加護のことだから社長自らピザを取りに行ったんだろう。
司くんのもあるからねー!焼きたてじゃなくてゴメン!
ふっと気が抜けた笑いが漏れる。
加護の会社は危機を何度も少人数で乗り越えてきたこともあり、仲が良い。
アットホームな職場は今やブラックの代名詞みたいなものだが、ただ内輪でなれ合うだけではないと司は思う。
ピザの大きさからして、きっと社員の人も一緒になって食べているんだろうな。
ふと、司は脳裏にとあるひとの顔が思い浮かんだ。
さすがにもう起きているだろうが、一人で夜に生きる、ニュース等まるで見ない浮世離れしたひと。
夜鷹純、明浦路司の心を今も一番騒がせる男の名前。
あのひと、どうしているだろう。
夜鷹はとあるリンクの真夜中の貸切枠をまとめて確保しているので、こまごまとリンク運営側とやり取りをすることは少ない。
先日空調機器の不良で臨時閉館した時も現地に行くまで気づかなかった、と話していたのを思い出したのだ。
いつも夜鷹が使っているリンクは知っている。
HPを確認してみればやはり、大須と同じく臨時閉館となっていた。
夜鷹は移動にタクシーを使う、だけど。
電話をしてみる。出ない。歩きながらLINEを入れてみた。
『台風が近づいているから、今日リンクお休みみたいですよ』
少ししてから既読がついた。煙草を吸っていたか、シャワーでも浴びていたのかもしれない。
『うん』
うん、司はこの、夜鷹が返してくる返事の幼いところがとてもかわいいと思っている。
夜鷹は手紙と言うコミュニケーションツールを使うが、LINEはほとんど単文だ。面倒なのだろう。
『いってもいいですか』
司は後先を考えずに送信した。返事はすぐに返って来た。
『いいよ』
夜鷹とのコミュニケーションにコツがあるとしたら、『とりあえず言う』だ。
ダメならダメとそう言う。断られるかも、と考えるだけ無駄なのだ。
加護には、一人暮らしで心配な人がいるからそちらに泊まる、と連絡を入れた。


夜鷹のマンションへ向けて司は歩いている。
ううん、と唸るような風が吹いている。リンクを出た時より、だいぶ強い。
ビル風だからかもしれない。ビルに阻まれることで力が強くゆがめられて、隙間をくぐったら癇癪のように吹き出す。
司の頬を風が張り飛ばすように打った、パーカーのフードが何度も背中から浮く。
突然、ギュウウッ!ギュウウッ!と人の神経を逆なでて、危機感を叩き起こすために生まれた音が鳴った。
緊急地震速報だ。
「うわっ」
出元は司のスマートフォンだけではない、先を歩く女性のスマートフォンからも響き、耳障りな合唱をした。
その間5秒もなかっただろう。
ぐらっと大きな地震があった。縦に沈み込んで、横に揺さぶられた。
ここ最近では一番大きな地震だ、司はとっさに道路の標識を掴む。
周囲を見渡せば先を歩いていた女性も電柱に手を当てていて、こちらをはっと見たのがわかる。
こういう時、誰かと視線が合うとふしぎと落ち着く。
激しくはないが大きく世界が横に揺れる。
なすすべもなく上を見れば電信柱と標識はゆっくり揺れているのに、電線はバタバタと蛇のように暴れていた。
日本人だからと言う訳ではないが、地震には慣れている。
しばらくして収まったのを見計らうと、頷き合うでもなしに女性も司もそろって日常に戻った。

司は少し、脚を早めた。


夜鷹のマンションに到着する。司はエントランスにあるセキュリティを生体認証で解除し突破した。
リュックの内ポケットからカードキーをあらかじめ取り出した、ようやく司が受け取った夜鷹の部屋のカードキーだ。
夜鷹はこのマンションに三部屋を持っている(一部屋は賃貸)。司が持つこのカードキーが繋がる先は夜鷹が寝起きする部屋のものだ。
履き古した靴の墓場の部屋にはまだ、司はまだ踏み込む資格がないと思っている。
だがまあ今日のところは用があるのは夜鷹なので、立ち止まることなくエレベータホールに向かう。
いつもならもうこの時間には帰っているだろうコンシェルジュが小走りにやって来た。

「大変、大変申し訳ございません、さっきの地震でエレベータの安全装置によって停止しておりまして」
「えっそうなんですか」
鴗鳥慎一郎と同じ角度ぐらい深く、コンシェルジュが頭を下げた。
「連絡をしたところ明日の朝には作業の人が来るそうなのですが……奥の貨物用のエレベータか、非常階段をご利用くださいませ」
「わかりました」
司は奥の貨物用エレベータではなく、非常階段へ向かった。疲れてはいるが、司は階段を選ぶ。
子供っぽいなと思わないでもないがこうした時でもないと入れないところというのになんとなく惹かれて。
非常階段はコンクリート打ちっぱなしである、さすがに非常階段まで豪華でピカピカなタイルを敷き詰めたりはしないのだ。

上り始めてすぐ、夜鷹からの着信だ。司はもたもたと応答する。
「はい」
『いまどこにいるの』
「いま、マンションに」
『そう、煙草買ってきて、それから水も』
「はい」
夜鷹は要求を言うだけ言って電話を切ってしまった。
まだ2Fである。司ははいと言ってしまったので階段を下る。
夜鷹の家は24Fではないが、それなりに高層階だ。
俺、何階だったら断ったかな。そんなことを考えた。
昔の自分なら、夜鷹純からのお使い!って舞い上がって、24Fだったとしても喜び勇んで戻るだろう。
だが今は違う。夜鷹純も、夜鷹も、純も、それなりに司は見知って、触れ、感じもした。

えーっ、もう上がってきちゃったんで無理です。
こんな風にさらっと答えられるだろうか。
いや、
すみません、エレベータが停まっていて階段なんです。
言えるかなあ。地震の「じ」すらいえなかったのに。

つらつら考えながら司が戻ると、さっきのコンシェルジュが清掃中の看板を引っ張っているところだった。
上からエレベータ停止中の紙を貼っていて、これをホールに置こうとしているのだろう。
下に車輪がついているはずなのにびくともしないらしく、仕方なしにうんうん力を入れて半ば抱えるようにして運んでいた。
思わず声をかけた。
「それ、車輪にロックがついてますよ」
「えっ」
司は駆けつけてしゃがみ込み、車輪を調べるとそこに司が言った通りロックがかかっている。
「ありがとうございます」
いつも同じような微笑みの、いや、当初は司のことを少し怪しむところがあったっけ――ともかくコンシェルジュの嬉しそうな顔が、司には嬉しかった。
「いえいえ」
コンシェルジュはエレベータホールに看板を設置すると、これでよし。
手を貸すほどではないが、なんとはなしに司はそれをぼんやりと見ていた。
「ありがとうございました、あ、そういえば、なぜ――」
さっき階段へ向かったはずのなぜ司がここにいるのだろうという疑問に、
「ああ、煙草買ってこいって言われちゃって」
「まあ」
「まだ2Fでよかったです」
「ですけどもねえ~」
なんとなしに、言葉の端々からこの人地元のひとだなと司は感じた。
このマンションはたしか朝かなり早くから受付に人がいるし、近所だと通勤も楽だろう。
「傘ありますか?よかったらどうぞ」
コンシェルジュは司を一見し、折り畳み傘しかもっていないだろうと判断し、親切にも黒い長傘を持ってきてくれた。本来は入居者向けのサービスだろう。
コンビニ行き帰りの間だし、折り畳み傘もある。でも親切が嬉しくて司はありがたく受け取った。
返す時はそこの傘立てにでも返しといてくれればいいと説明され、二人してマンションを出る。
「あの」
「はい?」
「うちの非常階段、けっこういいんですよ」
「……」
マンションを出るなり彼女が笑ってそう言った。
司はようやくその人が目尻に黒子を持つ人だと気づく。
「朝日がすごく、きれいに見えます」
非常階段へのみだりなお立ち入りはご遠慮ください、と取ってつけたように時間外労働を終えたコンシェルジュは付け加えた。


コンシェルジュさんとは逆方向、いまだ平和な、風はあるが雨も地震もない平和な道を司は歩いた。
このあたりは高級マンションが並ぶ通りだが、夜の薄い布を掛けられて大人しくしている。
コンビニだけが死んだように無機質に輝いていた。
店内に客の姿はなく、到着すると司はまっすぐ冷蔵庫から水のボトルを二本取り出した。
レジへ向かう。夜鷹の吸う煙草の番号はとっくに覚えてしまっている。
褐色の肌をした外国人店員は司の顔を覚えていたらしく、レジに並んだ司を見るなり煙草のほうをチラッとうかがった。
もしかしたら自分のことを、喫煙者だと思っているかもしれないな――司は少し愉快だった。
煙草の番号を伝える。水のボトルと煙草はリュックへ入れた。
「袋いりますか」
「だいじょうぶです、あと、からあげく……からあげください」
「はい」
セブンイレブンはからあげくんではなく、若鶏のからあげ(むね)である。
言うタイミング間違えたな、司はこうしたことを気にする。最初に言えば煙草と一緒に出せたかな……。
そんなことを司が考えているとは知らないだろう店員はホットスナックを紙に包みながら、ぽつんと言った。
「さっき地震、やーばかったですね」
「ですねえ~~」
短い会話だった。からあげを手に退店する。
司はこうしてコンビニなどで店員に雑談を向けられるのも好きだ。
高身長でともすれば威圧的にとられがちな司は、敵じゃないと言われたように。
「あざしたー」


コンクリート打ちっぱなしの非常階段を上る。スニーカーなのに足音がやけに響いた。
道沿いにはマンションが並ぶがその周囲は低層マンションや公園、一軒家が多く視界は開けている。
たしかにこれは朝日が綺麗に見えるだろうなと思いながら、一段一段上がっていく。
手にしたからあげが冷めていく、さっき食べたかったから買ったのに階段をのぼりながら食べるのは難しい。
ひとつ、頬張る。
からあげは冷めても美味しい。あぶらっこいころもが、しょっぱい胸肉に合う。
残り3つというところで夜鷹が暮らす階までたどり着いた。
さほど疲れは感じていない、背負っているのもたかだか500mlのボトル2本だ。
呼び鈴を押して待った。
「……遅かったね」
部屋着姿で、夜鷹はいつもの、怒っていると疑われそうな美しい顔でドアを開けて司を出迎えた。
声がくぐもっているのは煙草を咥えたままだったから。
その煙草がコメディ漫画みたいに短いから、司は慌てる。
「危ないですよ!」
それでもリュックから水と煙草を差し出す。用は済んだとばかりに受け取った夜鷹は背を向けた。
細身なのに華奢な印象を与えないその背で、夜鷹は言った。
「勝手に入ればいいって、いつも言ってる」
カードキーはあるものの、司はまず、呼び鈴を押すことを咎めている。
「ええまあ、はい」
のらりくらり、司はかわしながら靴を脱いだ。
「僕が都度ドアをあけなければいけないのが、わかっていないのかな」
「さっきの地震大丈夫でした?大きかったですよね」
「……うるさかった」
スマートフォンの緊急地震速報のことを言っているのだ。
「投げなかったんですね」
以前は夜鷹は警報がうるさいからと投げて壊してしまったことがあった。
夜鷹はさっそく買ってきてもらった煙草のフィルムをベリベリと剥がしながら、少し小さな声で、
「…………きみに水と煙草を買いに行かせたかったから」
司は夜鷹から見えないところでにっこりと笑った。
うぬぼれたい、きっとこの人は、俺が家に来る途中に地震で何かあったんじゃないかって思って連絡してきた。
そして俺が無事だとわかったから後付けで煙草と水をパシらせた、どうだこの推理。
外れてたっていい、うぬぼれだから。
「TV見てもいいですか、ニュース見たいんですけど」
夜鷹は視線で頷いた。
司はリモコンの音量ボタンに半ば指をかけながらTVをつけた。音は小さく、夜鷹はうるさいのを嫌うので。
リビングのTVを点けるとちょうど見慣れた名古屋駅の中継だった。
『さきほどの地震の影響は……』
「うわ、あそこの看板落ちたんだ。ここ揺れませんでしたか、」
「うん」
「最近では一番大きい地震でしたね、電線がバッタバタ揺れてて怖かったなあ~」
「そう」
煙草を吸いながら、夜鷹の目がくるりと光の調子を変えた。
うっすらとした興味を示したのだ、何に?司が「こわい」と言ったからだろう。
「さっきの地震でエレベータ停まっちゃって、明日には動くそうですけど」
「……うちの?」
「はい」
夜鷹はさきほどよりも大きな声を出した。
「ならここまで君は階段で上って来たの」
「はい、あ、貨物用エレベータは動いてますよ、制御が違うんでしょうね」
「……」
「……貴方から電話を貰ったの、まだ上る前でしたよ」
司は軽い嘘をついた。夜鷹が罪悪感を感じないための嘘だった。
「さっきの電話で、コンクリートが反響しているような音がした、あれは非常階段じゃなかったのか」
だが夜鷹は嘘が嫌いだ。そしてその嘘を見逃さず、さらには見抜こうとしてくる。
聞けば真実を答えてもらえるはずだと思っているような夜鷹の無垢さは、傷つくことを恐れなさ過ぎて、司には恐ろしい。
軽率な自分が悪かったのだ、司は押し通した。
「いいえ、上る前でしたよ」
「……僕は君に、階段を」
低く空が唸った。
雷鳴だ。
雷光、そして、少ししてからゴロゴロと腹に響く音。
司が大きな体をびくりとさせた。
雷というのは大神ゼウスの権能の一つとされる、それだけ人間がおそれるものだ。
夜鷹の家の窓からは空が良く見える。
ぴかりと真っ暗な一面を裂くような光が走って、静かになり、そしてばりばり割れるような音。
「うわ!でもまだ遠いですね。」
司はドキドキしながら、不安を打ち消すように言葉を続けた。
「そういえば、昔は雷の近い遠いを大人がわかるのがすごいなって思ってました」
ぴかり。ごろごろ。
「学校で、音よりも光の方がずっと速いから、光ってから音がするまでに時間があるのが遠いって教わって……」
夜鷹はこうした、司の内容のない言葉につき合いはしないが、聞いていないわけではない。
リビングの大きなソファに腰を下ろして、手招きをする。黒のソファは黒の布張りだ、風呂上りにタオル一枚で腰を下ろす時、皮や合皮は張り付くようだから夜鷹は好まない。
拳どころか腕一本分ぐらい隙間をあけて司が隣へ座ると、ひょいと煙草くさい指が伸びてきて耳を掴む、そのまま夜鷹のほうへ引っ張られる。
「アダダ」
耳を守るために、倒れ込んだ。
その先にはもちろん夜鷹の太腿がある。させるか!司は腕を突っ張って、夜鷹の太腿へ頭を着地させずに踏みとどまった。
だが耳を掴んでいた指は手のひらになって、そっと司の耳を塞ぐように、やさしく押さえつける。
とうとう夜鷹に膝枕をされるような格好になった。
しずしずと汗をかきそうな司が横目で夜鷹で仰ぐと、逆光の影がかかった顔で目を輝かせ司を見つめている。
ピカピカ、ではなく、炯々というのが似合う。
「……」
「こわいね」
少しも怖いと思っていない口ぶりは、どこか子供をあやしているようだ。
「灰、落とさないでくださいよ……」
憎まれ口を叩いたら、夜鷹はまだ火を点けたばかりで長い煙草を灰皿へ惜しまず押し付けた。
煙草より大事だと扱われた気がして、司はカッと顔が赤くなる。

また、雷光。そのあと大きな音がした。少し近づいてきた。
バチバチバチと弾けるような音がしてはっとする、いつの間にか雨が降り始めていて、風の後押しで窓ガラスへぶつかる音だった。
「雨降ってきた」
ビシャーンと雷がまた、鳴った。
「こわいね」
もう一度夜鷹が言った。それしか言葉を知らないみたいだった。
転んだ子供に対して、「痛い?」と聞くのではなく、「痛い痛い」や「痛かったねえ」と話しかける母親のようだ。
夜鷹がそうしてもらったか司は知らない。
「……君のくだらない話をして」
「くだらない話って、ひどい」
「ふ」
少しだけ夜鷹が笑った。その笑みはささやかだ。
夜鷹は最近、穏やかになった。と司は感じる。
激しい癇癪も、心を傷つける罵倒も減った。
それは人間としては成熟したという人も多いだろう。
だが、星が満ちて満月になるようにではなく、星の角へやすりをかけて摩耗させたものだったら。
それが司には寂しいと感じられてしまう。
もちろん夜鷹に言わない。言いそうになったことはあるが。
「……暇だからだよ」
暇とは、ゆとりであってほしい。司がゆっくりとまばたきをすると、夜鷹の手のひらは頭を撫でた。
今でこそ海外旅行のうたい文句に「なんにもしないをする」がある時代だが。
この人は動物を撫でたことがあるだろうか。
犬を撫でるとフカフカして、少しへんな匂いがして、あったかくて気持ちがいいって事知ってるのかな。
「雷って怖くて」
何かとっておきの話なんか、このタイミングじゃ出せない。だが何か言いたかった。
「うん」
「……台風が来ると雨戸を閉めて、そしたら光は見えないんですけど音はしてて……」
「うん」
「俺と兄ちゃんで、怖い怖いって騒いでたら、父さんが笑ったんです、大丈夫だよって」
「うん」
こぼれるように司は言葉をつづけた。
いのりに説明する時のように前後を正しく、途中確認を入れ、わかりやすいたとえを――そんなのとは全然違う、
記憶の箱に入っているものを、上から一つずつ取り出して見せているだけ。
これは開けてもいい記憶だっただろうか。
「俺と兄ちゃんはそれ聞いて安心して……俺達が安心して、たぶん父さんも安心したんだろうな」
「……うん」
夜鷹の相槌が遅れた。
激しい雨と、激しい雷。
「父さんは『雷は一番身長の高いやつに落ちるから、お前たちは安心だ』って言って……俺の身長は186cmあるんですけど……」
「知ってるよ、慎一郎くんと同じだよね」
「はい、父は190cmあるんです、俺はその時、父さんよりでかくなりたいって思ったんです」
司は顔を見られたくなくなった。
少し首をめぐらせて、夜鷹の太腿に頬をこすり付けた。世界で一番かっこいいジャンプを跳ぶ、脂肪のひとかけらもない筋肉。
「でもスケートをはじめたら、高身長は邪魔になるって」
「うん」
それで?夜鷹の指先が促すと、
「それだけです、……俺がでかくなるから父さんに雷をあてないでくださいって思ったのに、あんなこと思ったから身長が伸びたって思った自分、やなやつだなって思っただけです」
しばらく夜鷹は司の髪の毛を撫でまわした。撫で方を知らない人間のぎこちない手つき。
何か言おうとしているということが司にもわかった。

「……身長は、本人の意思とは関係ない、遺伝や栄養、環境、姿勢、さまざまな要因がある」
「あは」
「なに」
「今のは少しだけ、優しかったですよ」
夜鷹は乱暴に司の髪を掻きまわした。
「別に」
ほぼ同時に光と音が襲った。ガカアン、と響く先程までと明らかに違った音だ。
「うわっ!落ちた!」
司が跳び上がって体を起こす。
と同時に、TVや照明がふっつりと切れた。
「えっ」
「…………停電だね」
「うわ、うわ」

司はスマートフォンを手にすると操作をした。
何かあったらすぐスマートフォン、そういう時代だ。
読み込みがやたらと遅い。見れば4G通信である。
いつも司は夜鷹の家のwifiに接続しているからだ、wifiルータが停電で落ちてしまっている。
低速通信でwebブラウザを起動し、ニュースサイトを開く。
その間にもますます雨は勢いを増して、雷もひるまない。
焦って更新ボタンをタップしている司へ、夜鷹は、
「何をしてるの」
とひんやりした声をかけた。
「え、停電状況を……」
「なおればつくよ」
「まあそうですが」
「……はあ」
停電中だというのに、夜鷹は場違いなため息をついた。
「暇だな……台風なんか、昼間の、僕が寝てるうちに通過すればいいのに」
「あのねえ、俺達は昼間働いてるんですよ」
「……そうだったね」
暗闇の中でも夜鷹の眼は光って見える。青いほど澄んだ白目。
夜鷹は嘘をつかない、そして、正しいと思えば口にする、してしまう。
正反対に見える教え子と共通点の一つがこれだ。
「リンクが休みなだけで、僕はこんなにも……何もすることがない」
夜鷹の苦しみを司は知らない。
苦しみを比較するのはよくないことだ、と諭されて司は振り返るようになった。
どこかで司は「でも、貴方は金がなくて氷に乗れなかったり、客のゲロを片付けたこともないでしょう」と思ってしまっていた。
人には人の苦しみがある。
司のように人からわかってもらいやすい苦しみを持つ人間も居れば、一見夜鷹のように全てを勝ち得て不自由のないように見える人間も居る。
電気はまだ復旧しない、だけど、夜鷹の白い頬はときどき稲光が照らすから司には輪郭が見て取れた。
「すぐ復旧しますよ」
司は慰めた。慰めるなんて、
でも穏やかな夜鷹がどこか寂しくて。
「このまま電気が戻らなかったら」
「あなたも、そんなこと思ったりするんだ」
「……」
「馬鹿にしてませんからね、言っときますけど!皆やりますよ、世界が滅んだらどうするとか、学校にテロリストがきたらとか、電車で忍者が並走してたらとか」
「忍者?」
「満員電車ってスマフォ見るのも大変だったりするんですよね、ひとと目があっても気まずいし……そういう時は窓の外を見て、景色が動いてくのにあわせて、忍者を走らせるんです」
「なんで」
「なんででもですよ、シュタタタ~って」
あまりに夜鷹の考えの範囲外だったからか、力が抜けたらしい。
司はなんとなく、夜鷹に向かい合うと腕を伸ばして、ぎゅっと抱きしめた。
服越しの体温を探す、夜鷹はイメージからは意外なほど体温が高い。
「なに」
とんとんと背中を軽く叩いて、夜鷹がかたちばかり咎めた。それはあやす行為に似ていた。
「カミナリ怖いんでぇ、甘えてます」
「……そう」
それなら、仕方ないか。しょうがないね。
夜鷹も司の肩へ頬をこすり付けた。ぴったりと隙間のない、もともと一つの塊だったものを分け、それをふたたび組み合わせたみたいに。
心臓の音が伝わる。司の心臓の音はただでさえはっきりしているのに、ドコドコ速くてうるさい、対して夜鷹の心臓の弱くないものの音はゆっくりだ。
あんまりたくさん心臓を動かすと、早く死んでしまう。
明かりのない部屋で呼吸す抱き合っている。
ときどき息継ぎみたいに抱きしめ直す。

ギュウウッ、と司と夜鷹のスマートフォンが大きく叫んだ。
二人ははっとして体を離して身構える、5秒もしないうちに今度は横揺れが始まった。
「今日二回目、」
「うん」
「さっきは縦揺れでしたけど」
「横揺れだね」
揺れる中で司はすっくと立ちあがった。さっと夜鷹の尻の下へ腕を突っ込んで、ひょいと抱き上げる。
「なに」
司は無言で夜鷹を揺らした。
「ねえ」
揺れがおさまるまで司は夜鷹を揺らし続けた。
おさまると無言でソファへ下ろし、司も横に座り、さきほどと同じようにぎゅっと抱きつきなおした。
「ねえ」
さっきのなに、と続くはずだっただろう言葉を夜鷹は飲み込んだ。
激しい雨が続く。雨粒が音を吸い取っているのか、雨音以外はのっぺりと耳の奥から静かだった。
「……ねえ、暑いんだけど……」
「……はい……」
体温が高い同士でくっついていると、熱い。
でもお互いなんか意地を張ってしまって自分から離れようという気になれない。
「なにかくだらないことを話しなよ」
「えっと!?えーっと……あ、じゃあ、しりとりでもしますか?しーりーとーり、り、はい」
「……君がやって」
「俺が!?ひとりで!?」
「聞いててあげるよ」
「んー……りんご、ご、ごーりーら、ら、らーっぱ、ここまでは決まってます」
「僕も知ってる」
「定番ですよね、鴗鳥先生とやったんですか?」
そわ……ファン心がちょっと、頭を出す。
「慎一郎くんとしたことはない。汐恩としたことが、あったかな……」
「ああ、理凰さんの妹さんの」
「汐恩はルールがちゃんとわかってなかった、らっぱ、パン、で終わった」
少し純が物足りなさそうな顔をしているから、つい司は言う。
「ふふっ……いいことを教えてあげます」
「なに」
「ンジャメナ、です」
「ンジャメナ」
「そう、ンジャメナ、アフリカの地名で……ンジャメナを使えば、しりとりを終わらせなくてもいいんですよ」
「それのどこがいいことなの」
どこか納得がいかないように純が身体を動かした。
「いいことって言うか……」
「『ん』がついたら負けなんだよね」
「そうですね」
「なのに、ンジャメナを言うのは何故」
身体を離すと顔が良く見える。純は話題がしりとりだというのに真剣そのものの顔をしていた。
「何故って、」
「相手が『ん』を言って、勝敗が決した、勝者側がンジャメナを言うのはなぜ」
純は自分でもふしぎなほど、その答えを強く求めた。
「…………勝ったのにンジャメナを言うのは、まだ終わりたくない、続けていたいから、ですかね」
少なくとも1分はかけて、司は答えた。
ぱちぱちと純が瞬きをする。
自分が勝ったけど、終わりたくない。まだ続けたい。それを選んでもいい。
「……ンジャメナ」
「なんですか?……あ、いま、しりとりになりましたね」
酷くつまらないことを司が嬉しそうに笑うから、夜鷹はフーと息をついた。


電気が戻った。
世界が切り替わるみたいに倍ほど明るくなった。TVも音を取り戻す。
夜鷹は今度こそ身をよじった。司もあっけなく追いかけはしない、それを夜鷹は面白くなさそうにする。
かといってしがみついたら肘をくらわせてきそう、いつまでたっても夜鷹純の機嫌はわからない。一生わからないと思っていたい。

「俺が居て、よかったですねえ」
「……なに」
突然なんだと言いたそうにする。
「ずーっと停電してたら冷凍庫の鶏肉、腐っちゃってすごいことになりますよ、俺が半分食べてあげますから」
「……」
冷凍庫の肉を解凍する時、夜鷹はあまり考え事をしないようにしている。
すやすやと氷ついていたところを引きずり出されて、煮え立つでもなくなまなましい保温をされ、誰かの血肉にされる鶏肉。
「今度サムゲタンやってみたいんですよね、丸鶏によくわからないやついっぱいいれて……でもあの石の器ないと……」

TVがさっきの雷が変電所に落ちて、どえらいことになっていると言う。
「うわ、火事まで……大変だなもう、全部じゃん」
「全部ってなに?」
「聞いたことありません?地震雷火事親父~って」
「ぼくのこと、おじさんだと思っているんだね」
「違いますけど!?」
司が必死過ぎて、純は、すこしおどけてみただけと言いづらくなった。


雷はまだ激しい。風もあっちこっちと向きを変えながら吹いているらしく雨音は一定でない。


明るい部屋、保たれる室温、凍ったままの鶏肉、若くてかわいいおとこ。
「……暇だな」
夜鷹が言う。暇で暇で、することがない、やれることを思いついた。手を伸ばす。
「も~」
さいてい、司が口を尖らせる。
「まあいっか」
拒みもしない。

「そういえば、非常階段、朝日がすごくよく見えるんですって」
「……ふうん」
「明日の朝、見ましょう、台風が行ったあとは良く晴れるから」
ソファに自分から転がってキスをねだりながら司が言った。
ンジャメナとは中央アフリカのチャド共和国の首都です。

コメント

  • みりん
    7月6日
  • El
    6月30日
  • 夜猫
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