「使う人がいるのか」から615倍へ “常識”を破る小池都政10年 子育て支援は数百万円規模に
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「リスクを恐れるな。やってみなければ分からない」 2016年7月31日、小池百合子氏は東京都知事に初当選した。 【画像】10年前の街頭演説では無数の緑色のペンライトが揺らめいた その前夜、数えきれないほど多くの緑色のペンライトが揺らめく中、都知事選の最終演説を終えた小池氏に、東京・池袋で単独インタビューした。 自民党東京都連の支援を得ないまま立候補し、「崖から飛び降りる覚悟」で戦った選挙戦。 選挙戦の手ごたえとともに、後に続く女性たちに何を伝えたいかを質問すると、その最後に返ってきたのが、「リスクを恐れるな。やってみなければ分からない」だった。 さらに、こう語気を強めた。 「できない理由を探しているうちはダメ。どうしたらできるかを考えよう」 組織の論理や前例よりも、自ら定めた目標に向けて踏み出す。「戦う女」としての小池氏の特性が、よく表れた言葉だった。 あれから10年。小池氏が都政で重ねてきた子育て支援にも、この発想は色濃く表れている。 ◆「使う人がいるのか」4年で約615倍 その一つが、ベビーシッター利用支援だ。 制度が打ち出された当時、都庁内には戸惑いがあった。 「こんなのを使う人がいるのか」 「知事が先に行ってしまっている」 自宅内に家族以外の人を入れ、子供を預けることへの抵抗感や、行政がその費用を公金で支えること自体に、疑問を投げかける見方もあった。しかし、結果の数字は都庁内の想定を覆した。 一時預かり型の利用児童は、2020年度の44人から毎年急増した。2024年度には、交付申請ベースで2万7072人に達した。実施自治体も2自治体から26自治体へと広がった。 利用児童は、わずか4年で約615倍になった。 補助は原則、子供1人につき年間最大36万円相当。障害のある児童やひとり親、多胎児を育てる家庭では、年間最大72万円相当となる。 「使う人がいるのか」と疑問視された制度だったが、支援がなかったために、需要が表に現れていなかっただけであることがわかったのだ。 「やってみなければ分からない」を、そのまま表すような事例だった。 ◆3年間保育料だけで約120万円軽減 幼い子供を育てる母親たちに「助かる支援は何か」と尋ねると、真っ先に出てくる施策の一つが保育料無償化だ。 都は、2019年10月から、0〜2歳児の第2子を半額、第3子以降を無償とする独自の負担軽減を実施、2023年10月には第2子まで無償化し、2025年9月には、ついに0〜2歳児の第1子まで対象を広げた。 都の調査によると、保育料軽減策開始前の2017年、認可保育所の平均保育料は、0歳から2歳までの3年間で、121万8000円に上っていた。第1子からの無償化によって、2017年の平均保育料を基準にすれば、3年間で約120万円の負担が軽くなる。 そして、保育料無償化とともに挙がるのが、「赤ちゃんファースト」だ。 出産した家庭が、専用サイトから育児用品や子育てサービスなどを選べる10万円相当の支援である。 さらに、2026年1月から2027年3月までに生まれ、出生時に都内に住所がある子供には、「赤ちゃんファースト+」として3万円相当が上乗せされる。 「バースデーサポート」では、1歳または2歳時に、区市町村を通じて6万〜8万円相当を支援する。時期や金額は自治体によって異なる。 ◆支援は「点」から「線」へ 支援は、乳幼児期だけにとどまらない。 0歳から18歳までの対象者に、所得制限なく月5000円、年間最大6万円を支給する「018サポート」がある。出生後から18歳の年度末まで満額を受け取れば、子供1人当たりの累計は最大113万5千円となる。 妊娠や出産を望む段階からの支援も広がった。卵子凍結に上限20万円、不妊治療に1回上限15万円を最大6回、無痛分娩に最大10万円を助成する。 かつて個別に存在していた支援の「点」が、次第に一本の「線」につながろうとしている。 小池知事が繰り返し指示してきた「切れ目のない、シームレスな支援」である。 そして、都が先行した所得制限のない子育て・教育支援を追うように、国も児童手当と高校授業料支援の所得制限を撤廃した。 ◆出生数、待機児童は改善するが新たな壁も 2025年の都内の日本人の“出生数”は10年ぶりに増えたが、“出生率”が反転し増加に至るかは不透明だ。保育所の待機児童は2016年の8466人から2025年には339人に減った一方、課題は学童不足へ移り、2026年も2550人が待機する。 課題は、なくなったのではなく、形を変えて立ちはだかる。 この10年間、小池都政を取材してきた。子育て政策はもちろん、スタートアップやデジタルなど多くの分野で、「ここは同じ都庁なのか」と思うほど、目まぐるしい変化を目の当たりにしてきた。 当初は前例のない政策に道を開き、やがて都庁職員とともに施策を練り上げる形へと変化していった。その歩みは、10年前の「やってみなければ分からない」という言葉と重なる。 「やってみた」からこそ見えた成果と課題を、次の一手につなげられるか。「できない理由」ではなく、「どうしたらできるか」。東京の子育ては、確かに変わった。だが、その変化を未来につなげられるかは、これからにかかっている。
小川美那
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