その欠落を埋めて、幸福で満たして
夜鷹に初級の大会の件を持ち出されて、司が羞恥のあまり逃げ出してしまうところから始まるよだつか馴れ初め話。
※本誌(60話)のネタバレを含みます※
主成分
・シリアス→ギャグ→ちょっとシリアス→ラブコメ
・よだじゅんの最初のコーチ(モブ)を捏造してます
・ちょっとだけ同人オタクが出てくる
・札束で殴ってくるタイプのよだじゅん
・つかぴの守護者な加護さん
・よだつかを見守ってくれる加護家
・加護家と仲良くなるよだじゅん
あと当社比でイカれた更新速度だったんですが、よだつかのウェブオンリーで本を出したいので、しばらく原稿に集中しようと思います。ラブコメを書きたいですね!
ここからは本誌のネタバレ混じりの後書き的な話
・
・
・
・つかぴの原始の願いが「俺も思わせたい」なのだとしたら、それを叶えられる男がすぐそこにいるよな!? という気持ちで書きました。そこの生きる気力のなさそうな男! 君だよ君ぃ!!!
・よだじゅんの最初のコーチ捏造ネタは、ひとつ前の話でも書いたんですが、光ちゃんの夜鷹に関する発言がつかぴの過去話とリンクしてるところを見ると、この先いのりちゃんの司先生に関する発言もよだじゅんの過去回とリンクするのか…!?と妄想したところからです。もしいのりちゃんの「司先生の夢を終わらせた」とリンクした場合、よだじゅんには終わらせなかったコーチがいたのかな…という妄想です。
・今回の本誌で加護家とよだじゅんに家族つきあいしてほしい~!!!ってなったので書きました。
・唐突な同人オタクの登場はほんとごめん。
・最初はもっとギャグ話にするつもりだったんですよ! それがわりとシリアスになることに気づいて同人オタクたちもどうにかしようと思ったんですが、代替案が浮かばなくて…そのままに…。
- 482
- 659
- 7,410
1
「君、シングルで大会に出たことあるんだって?」
その問いかけはまるで悪夢のようだった。どうか悪夢であってくれと願う類のものだった。司は呆然と夜鷹の顔を見返した。
『純くんが枠を取ったので、明浦路先生も一緒に滑りませんか?』
その誘いに内心で大いに葛藤しながらも、結局はホイホイとついてきたのは、夜鷹と鴗鳥とともにスケートができるということがあまりに魅力的だったからだ。しかし前回の夜を忘れたわけではない。司は念入りに鴗鳥に確認した。夜鷹さんは俺が来ることを嫌がりませんかね?と。鴗鳥は笑って、明浦路先生を招きたいといったのは純くんなんですよ、と答えた。
そんな馬鹿な。それは何かの間違い、いや鴗鳥への夜鷹の友情が成せる技だろう。平たくいえば前回同様に嫌だけど鴗鳥先生には言えなかったに違いない。そうわかっていながらも我慢できずにノコノコきてしまった。
───これはその罰だろうか?
製氷の後、帰り支度が済んだところで、突然夜鷹がいったのだ。
「シングルで大会に出たことがあるんだって?」
なんで。どうして。それを夜鷹が知っている。鴗鳥に話したことはない。洸平たちにさえ黙っていた。なのにどうして。
パニックに陥って、とっさに声が出ない。全身から血の気が引いていく。
前を歩いていた鴗鳥が、驚いた声でいう。
「そうなのですか? 明浦路先生はシングルのキャリアもお持ちだったんですね」
やめてください。お願いだから。
キャリアなんて呼べるものじゃない。あれはただの愚かさの証明だった。
けれどこちらの様子など前を歩く鴗鳥には見えない。だからこそ彼の声は明るく優しかった。
「どういったプログラムを組まれたのでしょう? 明浦路先生の演技を、ぜひ一度拝見してみたいものです。ねえ、純くん?」
「……まぁね。映像はあるの?」
笑い飛ばそうとした。
明るく、空気を壊すような真似はせず、いやいやそんなたいそうなものじゃないんですよと、そう軽くいえばいい。いえ。笑い飛ばせ。
だけど声が喉の奥で詰まった。
「……ない、ですよ、映像なんて。キャリアなんて呼べるものじゃないんです。酷い演技で、酷い点数で、ははっ、ほんと笑っちゃうくらいでした。俺に才能なんてないんだってよくわかって……」
鴗鳥が勢いよく振り返る。声が震えたせいだ。涙が滲んだせいだ。それが恥ずかしくてまた泣いてしまう。いやだ。見ないで。見せたくない。オリンピックの金銀メダリストたちの前でこんな惨めで情けない姿を晒したくない。
鴗鳥が顔色を変えて何か言おうとするのを、夜鷹が片手で制した。
そしてこちらを見ていう。
「コーチは?」
意味がわからず見返せば、長い前髪の隙間から暗い瞳がのぞいていった。
「コーチは誰。君には才能がある。活かせなかったならコーチにも問題がある」
それは夜鷹なりに気遣った言葉だったのかもしれない。
だけどたやすく過去を引きずり戻される。バカだった。間違えた。正しく対価を払って指導者を求めるべきだったのに! どうしてその決断ができなかったのだろう。
(俺だけがバカだった)
頭がぐらぐらする。まるであの時に戻ったようなおぼつかなさで、気づけば口を開いていた。
「コーチはいません……。クラブに入らなかったから……、お金がなくて……、でも、あの夜鷹純だってオリンピックでキスクラに一人で座ったんだから……、コーチがいなくてもいいんだって思って……」
夜鷹の顔がしかめられる。形の良い唇が開かれて、容赦のない声がいう。
「馬鹿なの、君」
鴗鳥が血相を変えて「純くん!」と制止する。
けれど、その通りだと思った。夜鷹はやはり正しい。
「いいんです、鴗鳥先生。夜鷹さんのいう通りです。俺もほんとにバカだったなと思いますから」
今度こそ笑ってみせる。軽い笑顔に見えますように。気にしていないように見えますように。この二人に気を遣わせずにすみますように。そう願いながらも身体が逃げ出したがる。
「すみません、用があるのでお先に失礼しますね! 今夜は本当にありがとうございました!」
深く一礼してから駆け出した。朦朧とするように頭が熱い。恥ずかしくて、情けなくて、惨めで。
(早く消えたい)
後ろから鴗鳥先生の引き留める声がしたけれど、聞こえなかった振りをした。
※
慎一郎は追いかけたけれど、追いつけなかったらしい。
険しい顔で戻ってきて、夜鷹の前に立った。
「純くん」
これは慎一郎がお説教するときの顔だ。
夜鷹はふいと視線をそらした。言い訳のようにいう。
「オリンピックのときの僕と初級の大会に出た自分を同一視するほうがどうかしてる。僕にコーチが必要なかったのはそれだけの技術と信念があったからだ。初心者が同じことをできるはずがない」
「そうだね。明浦路先生には、そうするしかない事情があったんだろうね」
「……無理だと、考えればわかることだよ」
「そうかな。知らないことは考えてもわからないよ。僕だってそうだ」
慎一郎は一歩も譲らない。この親友は偏屈な自分にも根気強く付き合える人格者だけれど、だからといって譲れないラインをあいまいにするような人間でもない。
こうなったときの慎一郎は頑固だ。長い付き合いでそれは知っている。
けれど、自分にだって言い分がある。
「僕は映像が見たかっただけだ。初級の大会に出たことがあるのはわかったけど、動画が見つからなかったから。本人なら持っているかと思っただけだよ」
「……調べたのかい? 大会の記録を? たまたま誰かからその話を聞いたわけではなくて、明浦路先生が出たことがあるかどうかを調べたのか? 純くんが、わざわざ?」
「見たかったから」
あの青年のスケートがもっと見たかった。教え子のために練習している姿ではなく、己のためだけに滑っている姿が見たかった。それがきちんと仕上げられたプログラムならなおのこといい。アイスダンス時代の動画は持っているけれど、数が少なかった。もっとほかにないのかと思って伝手を当たった。こういうときに『夜鷹純』の名前は便利だ。絶対王者、伝説の金メダリスト、その威光の前ではこの業界においてたいがいの望みは叶うものだ。
慎一郎はなぜか、何ともいえないような微妙な顔になった。
先ほどまでの厳しさは消えているけれど、代わりに妙にソワソワした様子でこちらを見ている。
「……なに?」
「いや……、そうだね、初めてのことは誰だってわからないものだから。うん、まあ、そういうことならね。あぁでも、明浦路先生には謝ったほうがいいよ、絶対に。そういう事情ならなおさら謝らなくちゃ。傷つけてしまったのだから、謝らないと駄目だよ、純くん。このままじゃ上手くいくものもいかなくなってしまうよ」