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計画的葬儀について(後)/あねの小説

計画的葬儀について(後)

23,806文字47分

原作より少し未来軸。「そうだ、葬式あげよ」を思いついてしまったAkurjTksによるAkurjTksの葬儀に関するあれやこれ!これは手遅れの物語!二話目後編!今回はYDKとHTMのターン!!ふわっと踊ります!!

諸注意
・スコア61の内容を含みます
・アイスダンスは頑張って調べましたがふわっとお読みください
・YDKさん出ます!
・名前付きモブのお子様たちがいます。これ以降の出番はないです。いつも通り捏造たっぷりでお送りします。

後半です。司君が己の意志で、こういう意図でもって葬式をぶち上げるんだよ!っていう腹を決めました。ちゃっかり練習の全てを見れるポジションを手に入れましたydkjn。香典、まぁ渡す人が増えますね。tksくんがhtmさんにお願いしたのはもう予想がつくと思いますので、次回はパパでます。何とか八月中にはもう二本上げたいっ!

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そんな、加護家でのやり取りから早二週間。
アートブックを捲りつつ、サウンドトラックを熱心に聴き込みながらそれでも司は自身のプロには手を出していなかった。なぜって。そりゃ、六級の受験のための練習の方が大詰めだったからだ。
まさかの夜鷹純を迎えての練習は過酷を極めた。
バッジテストを受ける間の司の個人練習の時間については、コーチ陣、そして唯一の生徒であるいのりとで当初どうしようかと話し合いが持たれた。結果、多少お勉強した金額ではあるがクラブ費用を払って司はルクスに生徒としても在籍することにしたのだ。これで少なくとも曲掛けの時間は確保できた。当初は一人当たりの時間が減ると一部保護者から難色を示されたが、それも司がきらきら星の練習を始めてからは一変する。これ以上ない生のお手本に対し、司が曲を掛けている間は瞳、洸平、そしていのりで要所のポイントについて解説をすることで他の生徒たちにとっても有意義な時間となるように工夫したのだ。何より、かつて高峰瞳のパートナーであった男のスケートは美しい。それは保護者だって知っている。そう、知っていたので。
そんな訳で司はクラブの練習時間内でバッジテストの練習をしていたのだが、ある日そこに突如として生きる伝説……いや、生きてた伝説の男を連れてきてしまったわけなのでフロアもとい、大須のリンクは湧きに湧くこととなった。
当然、瞳と司の制止を振り切って夜鷹に是非我が子のコーチを!と突撃する親も居た。命知らずである。しかしそんな親たちも、初手心底冷たい眼差しからの「僕のスケートはあなたの子供を幸せにしない」を叩き付けられ、次に明浦路司に対しての情け容赦のない指摘の嵐を目の当たりにして皆そっと離れていって現在に至る。
しかも夜鷹のそれは指摘というには漠然としていて、単に夜鷹が気に食わなかったポイントを滔々と言って聞かせるのだ。強かった選手が、良き指導者になれるかというとそれは違うんだよなの見本そのものだった。一方、夜鷹の長文説教を真摯に受け止め、噛み砕き「つまりこういうことですね!!」と正しくアウトプットしてきっちり調整してくる明浦路司コーチの株はギュンと上がったとか。相対効果ってやつかもしれない。
なお、夜鷹純の存在は完全秘匿となっていた。これが意外にも徹底されている。親はともかく子供たちは夜鷹純を知らない若い世代なので、単純に「司先生の先生をしている名前を言ってはいけないあの人」扱いだった。親しみを込めてヴォ卿と呼ばれている。夜鷹純はかの名作を知らないので、よくわからないけど挨拶されたら頷くだけ返している。
何はともあれ、バッジ取得に向けた過酷な練習の日々を乗り越えて。
そして随分あっさりと、司は六級に合格した。
「ご、合格、しました……っ!!良かったぁ~緊張した~~!!」
「うそでしょ……あの完成度で不安だったの?」
「どっかの誰かさんがひとの構成の難易度をガンッガンに上げてくださいましたからァ~?」
「へぇ。どこのどいつだろうね」
いつものメダリストとお供の司によるスケート会会場である邦和のスケートリンクにて、現場に到着するなりリンクに直行した司は合格のスタンプが押された手帳を二人の前に突き出して結果報告を行った。いずれも当日現地に居た年長者二人はまず落ちるとは思っていなかったが、現物を見せられるとそれはそれで感慨深いものである。
「改めて、おめでとうございます明浦路先生」
「ありがとうございます!!」
司と鴗鳥がお決まりのやり取りをしている間に、一通り滑って来たらしい夜鷹がするするとフェンスまで戻って来る。まだシューズを履いていない司とはいつもより身長差が少ない。
「それで、七級はいつ受けるの?」
「あっ、七級は受けません」
最近繰り返している会話だったせいで、司はこの時も反射で口にしたのだが相手が悪かった。途端に機嫌が斜め下にガクッと落ちていった夜鷹がおっかない半眼で睨みつけてくるので、大慌てで必要な説明を夜鷹と鴗鳥に対してサクサクと繰り返す。
「いのりさんもまだ受けていないので、どちらかというと今後はいのりさんの今期プログラムの完成度を上げつつ、並行して彼女の方の七級対策をしたいんです。なので俺のは後回しです。まぁあとは別件でやりたいことも出来まして」
「なに?」
受験しない理由について一応の納得はしたのだろう。受験を打ち切ったのではなく後回しとしたのも効果的だったのかもしれない。とはいえ、しっかりと最後の一言を聞いていた夜鷹が余計に圧を上げてくる。
「純くんどうどう」
「えーーーーっと……その。自分のために、ちょっと、プロを作り……ましてぇ」
「えっ!?明浦路先生それは本当で……あれっ、七級はでも?」
司のもじもじとした告白に、パッと顔を明るくした鴗鳥はしかし直前に七級を後回しにすると司自身が言っていたことを思い出す。
司がこのタイミングで自身のためのプロを作ったのだと言えば、自然とそれは七級のためのものだと想像できる。でもそうではないと言うのなら、一体何のためのものなのか。
それは毎シーズン趣向を凝らし構成を熟考し、ギリギリまで己の肉体と調整したプログラムを用意するのが当たり前だった男たちの、それこそ当然の発想だった。だから、仲良く首を傾げているメダリストコンビに司はこっそりと苦笑を噛み殺しながら自身の計画について語ったのだ。
「葬式……ですか」
内容はおおよそ加護家で語ったものと同じ。ただ、六級の練習に追われながらも日々の仕事……この場合、耕一の職場でのアルバイトと加護家の家政夫業務の事を指す。それに司が顔を出すたびに、まるで外堀を埋めるみたいにして加護親子があれこれと計画をサポートしてくれていた。それにより、司と加護親子の無理のない範囲で、かついのりの練習や大会日程の間を縫って〈葬式〉はかなり具体的なスケジュールを立て始めていた。
とはいえだ。不穏なワードには違いないわけで、全てを語り終えた後に難しい顔をしている鴗鳥に、司は意識して穏やかに話しかける。
「葬式という言葉を使っていますが、それ自体は俺による、俺のためのけじめの発表会みたいな感じです。おかげさまで三回転までのジャンプが揃ったので、真剣に自分が躍るための、男子シングルのプログラムをやってみたくなって」
「けじめの、ですか?」
「はい。期間内にちゃんと仕上げて、最後はどこか……地方になっちゃうと思うんですが、貸切取って盛大に踊ろうと思って」
「それはまた……」
照れたように頬を掻く青年を見やって鴗鳥は、夜鷹と一緒になってこの青年を呼び出しては好き勝手に喋ったり踊ったり思い思いに過ごしたこのスケート会での日々を振り返った。司の実力は十分過ぎるほどに知っている。ならばその、司が作ると言う男子シングルの本気のプログラムはぜひとも見てみたい。
「明浦路先生、日程が決まりましたら是非参加……いや、参列させていただきたく」
「うぇ!?いや、その、鴗鳥先生実は」
「ねぇ」
すっと流れるように素早く直角に頭を下げる鴗鳥に、すっかり反射神経が鍛えられてしまった司もまた素早くその場にしゃがみ込んでより下の位置をキープせんと不毛な戦いを繰り広げる。しかし、それも夜鷹の一声によってピタリと止まった。
「何をやるの。演目は?オペラ?クラシック?オリジナル?構成は?振り付けのデモ、動画、イメージのスケッチや何かは無いの?」
きっと、司が説明したことのうちの殆どは聞き流していたのだろう。それでも一点だけ、夜鷹純だからこそ気になるプログラムそのものについてを問うて、猛禽の眼差しが司に鋭く突き刺さる。
夜鷹の圧に息を止めながら、司は背負ったままのリュックを意識する。実は、持ってきている。あの夜からどんどん書き込み済みのページを増やしていくあのスケッチブックをここに。今夜、二人に自分のプログラムの話をすると決めた時に真っ先に荷物に詰め込んでいたそれを、司は引っ張り出した。
「……使用曲は、映画のサントラです。作品はこれ。それで……構成とか振り付けのアイディアは、ここに書き溜めてます」
司の差し出したスケッチブックを鴗鳥が受け取る。見れば、夜鷹も氷から上がってエッジガードを着けているところだった。二人が真剣にページを捲る間で、司は映画についても簡単にあらすじを説明する。鴗鳥は原作を知っていて、夜鷹はメインテーマを使った選手が居たからとタイトルだけは覚えていたらしい。一通り、構成や振り付けをまとめている部分を二人が流し読みしたのを確認して今度は、スマートフォンから曲を流す。実際には編集が必要となるが、それに伴った申請や権利の許諾、支払い有無の確認などについてはなんと羊が主導となって調べてくれている。いずれ必ず司にも必要となる知識なので、羊が進捗報告をしてくれる時に一緒に勉強している最中だ。そして、楽曲使用について掛かる費用は耕一が出資することで本当に決着がついてしまった。
加護親子にタッグを組まれて頷かせられたので、酷いと言って芽衣子の写真の前で愚痴を零していたら「芽衣子だったら全部出す!!って言い張ったと思うよ~」と耕一がトドメをくれた。軽々と想像できてしまって、ちょっとだけ泣いたのは秘密である。
そうこうしているうちに、七分近くある壮大な楽曲が最後の一音を長く響かせて終わった。再生を止めて、そわそわと落ち着きのない司の前で鴗鳥と夜鷹の二人が細く細く息を吐き出している。二人ともあまりにも真剣な目でスケッチブックを見下ろしているので、まるで採点されている気分で堪ったものじゃない。
「あの、大枠は出来てますがまだまだ細部は詰められてませんしこれからガンガン変わっていくのであまりこう……!!」
「ねぇ」
「はい!?」
突っ込みどころが満載なのは承知の上。なのでご容赦くださいの気持ちで司が少々でかめに声を張るも、その勢いは夜鷹の静かな呼びかけによってすぐさまピタリと止まった。
「これをいつまでに仕上げるつもり?」
「えっと。あまり長引かせたくないので来年のシーズンが始まるまでには」
「そう。でも君は本業がある」
「もちろん。当然いのりさんのコーチは手を抜きません。とはいえ、氷に乗る練習が全てではない。貸し切りを取る時期や場所なんかと合わせて、練習のスケジュールも少しずつ立ててます」
「その貸切、何回ぐらいを予定してる?」
鋭く切り返されて思わず息が詰まる。背中を冷や汗が流れ落ちていくのを感じながら、ええいままよと覚悟を決めて司は両手を差し出した。指は全部、開いている。
「……来年夏までに仕上げるのに、本業が忙しい時期が大半で、貸し切りが十回?」
夜鷹は声を荒げなかった。とはいえその声にはおよそ温度というものも感じられなかったわけだが。
もう司は顔を上げることもできなくて、ただ俯いて黙る。何かを言い返すこともできたが、何を言い返していいのかも分からなくて唇を噛んだ。だって、別に、司自身は選手ではない。もの凄く私情でもってやりたいだけだ。誰にも迷惑はかけない。耕一や羊の顔が浮かぶが、その度に司は頭の中で香典だからと繰り返す。
きっかけであったはずの〈葬式〉という形式は、決意がぐらつくたびに縋る先になっていた。
「七級を、受験するとして」
「……はい?いや、受けないってさっき」
受験しないと言ったにも関わらず蒸し返す夜鷹に、咄嗟に言い返そうとするも思いのほか強い調子で阻まれる。
「いいから聞いて。継続して七級を受験するとする。それなら君は今のまま、ルクス所属でクラブの練習時間内に自身の曲かけ時間を確保できる。いのりのスケジュール次第で時間は減るけど確実な手段だ。それを選ばない理由は?」
「それは……」
その方法を考えなかった訳ではない。それでも、そもそものプログラムの主題を思えばそんなことはできなかった。
「これは、葬式なんです。選手になりたくて、でもなり方も分からないまま置いてきてしまった俺の。そんな風に銘打っている物を、いのりさんや他の、これから選手として羽ばたいていくだろう子どもたちに見せたくない」
ひとつずつ、間違っていないかを自問自答しながら司が絞り出した声は掠れていた。それでも問題なく二人の耳に届いただろうに、どうしてか二人とも怪訝そうな顔をする。その理由に思い至って、こんな話すらまだしてなかったのだと気づく。
いや、そうじゃない。きっと自分だって本当は、話したくない事だったのだ。何も自覚しないまま、恥と後悔と苦しみだらけのそいつを自分の中に生き埋めにし続けてきた。まだ微かに息があるまま。だから、それを。
「俺、フィギュアスケートの選手になりたかったんです。……シングルの、選手に」
視線はどうしても床に固定だった。そこには当然二人分の足がある。持ち主の足によく慣れたスケートシューズ。ジャンプの威力に耐えられるブレードを備えた、シングル用のそれ。
額のあたりに、鋭く息を飲んだ音が届いた。方向的に鴗鳥で、夜鷹はいたって静かだ。それで良い、そうであってほしいと祈っていたせいでどこかホッとした気持ちでゆっくりと顔を上げた。
司の視線は、夜鷹と真っ直ぐぶつかっている。
「だから、盛大に葬式を出して見送ってやろうって。そいつにやる餞別としてのプログラムです。もの凄く私情で、しめっぽくて、どうしようもなく、なんの未来にも繋がらないものです」
言い切った司が口を噤めば、しんと沈黙が降りる。実際には機械の唸る音がどこかからするから完全な無音ではない。それでも、張り詰めた重たい空気が嫌で司は直ぐに降り積もるそれを払った。
「という訳で!クラブとは別のところで計画を進めているわけになります。はい」
「つまり、その貸切も自分の持ち出しってことか」
「うっ、そうなります」
「葬儀と銘打っているとはいえ演技の体をとるなら音楽の編集は?衣装は?」
やたらとぐいぐいくる夜鷹に、司は慌てて頭の中のメモを捲る。答える義務は無かったとしても、ここで段取りを説明しておいて穴があるなら指摘されたかった。夜鷹も鴗鳥もかつてフィギュアスケート男子シングル界で長く輝き続けたトップ選手たちだったのだ。一つのプログラムを作り上げる過程におけるこだわりや注意点があるならば、いくらでも聞いておきたい。
「衣装についてはまだ保留です。あては一応あります。音楽についてはその……編集はともかく、クラブを通した練習じゃないので情けない話ですが許諾や申請方法について勉強中です」
「それはまた、大変では?お手伝いしましょうか」
「そうだね。慎一郎君にお願いするか……僕の知り合いを紹介するけど」
司の告白に気圧されていた鴗鳥が我に返り、しょっぱい顔をした後に気遣わし気に司に手伝いを申し出てくれる。ルールやスケート連盟の方針も時代と共に変わるので、おそらく鴗鳥の方は引退後もコーチ業で色々とあったのだ。反対に夜鷹はケロッとしたまま隣の親友に丸投げしたので、現役時代もコーチや専門職に対してこの調子だったのではと察する。さすが夜鷹純。今親友からジトっとした目で睨まれて気まずげに視線を逸らしたのは、見なかったことにしよう。
「ありがとうございます。でもその、俺が良く話題に出す加護さんの娘さんが張り切って調べてくれているんです」
「ああ、噂の加護さん。娘さんはフィギュアスケートにかなり詳しいとか」
真夜中のスケート会を繰り返すうちに距離が近づき、互いの家族や身内の話題でも盛り上がるようになった司と鴗鳥だ。司にとって最も身近な身内はもはや加護家になっているので、鴗鳥もその辺りはよく把握している。
なのでこの時も司は軽々頷いて、そしていつもの調子でペロッと余計なことも言った。
「そう、その娘さんです。親の耕一さんもイベンターのようなことをしていたので多少心得があるみたいで。それに、楽曲使用に関する費用をお香典として出していただく約束なのでどうにか一緒にやり切りたくて」
張り切った羊の様子を思い出しながら語った司は、ふと目の前のメダリスト二人がじっとこちらを見ながら何やら思案気な表情をしている事に気づいてしまった。
「……へぇ」
「なるほど」
「あっ、なんかしくじった気がする」
ぞわ、と背中を這った嫌な予感も、時すでに遅しというやつ。すいと細められた夜鷹の金眼が鮮やかに光を弾く。途端に上機嫌になって薄い唇を開いた夜鷹のそれは、なんだか獲物を前にした猛獣の舌なめずりじみていた。
「じゃあ、僕は君が練習するのに必要なリンクの貸し切り代を香典として出そう。三倍滑らせる」
「はぁ?!さっ、三倍ってあんた」
「おっと、ずるいな純くん。僕だって先生にリンクを融通したいんだけど」
「鴗鳥先生まで!?」
「大会が立て込んでくると名古屋じゃどうしてもリンクがとりずらいから、そういうときに融通してくれれば十分」
「なに言ってんですか選手が優先ですよ!?車借りて地方リンクを視野に入れてたんで俺はそっちで……ってそうじゃなくて!!」
楽し気に予定を詰め始めようとする二人をとにかく大声を出して司が止めに入る。穏やかに笑っている鴗鳥に対して夜鷹は明らかに煩いなって顔をするが、どうか聞いて欲しいと居住まいを正した。
「さすがに香典だからっても、そんなん頂けません!!いくらになるんですか怖いな!?」
「僕が今まで参列してきた葬儀でいくら包んだと思う?知りたい?」
「ばっ!?そういうのは言いふらさないのがマナー……ちょ、怖い嫌だ!嫌だってぇぇ!!聞きたくないって!!」
思わず後ずさった司を追って、夜鷹がずいずいと追い詰めてくる。鴗鳥は動く気配がないので大人しく受け取っておけという事なのだろうか。それにしたってだ。
「あの、でもほんと、俺の我儘でやりたいだけの計画なんです。香典返しをお渡しできないしそもそも用意するつもりもなかった。俺に出来る範囲でやるって思ってたから、だからっ!」
「知り合いの葬儀と聞いたら用意ぐらいするでしょ。往生際が悪い」
「香典あてにしないで自分で葬式代出すつもりだったって言ってんだよ!そんなつもりでこの話をしたんだじゃない!!」
「は?加護家は?加護家はよくてなんで僕は駄目なの?」
「だーかーらー!!」
「はい、そろそろいったんストップ。二人とも落ち着いて。どぅどぅ」
よいしょと立ち上がった鴗鳥が、最終的にフェンスまで追い詰められていた司の前から凄む夜鷹をひょいとどかす。エッジガードが着いているとはいえ、シューズを履いたままの足で顔の脇に足ドンされていた司はキャンキャン騒ぎながらも生きた心地がしなかった。額の脂汗をそっと拭って、鴗鳥に宥められている夜鷹の様子をそっと窺う。
大分身体の厚みが戻ってきた夜鷹は流石に鴗鳥の陰に隠れない。苛立ちを引っ込めて、今はもう何やら腕を組んで思案顔だった。
「うん。……ねぇ。それならこうしよう」
「この話まだ続けます?」
「あ、明浦路先生せめてもうちょっとだけお付き合い頂きたく……」
ぼそぼそと話合っていたと思ったら、まだ話題を引きずる様子の夜鷹にさすがの司も率直な声が出た。なんというか、プログラムの内容や全体スケジュールについてアドバイスが貰えたらという下心があえなく爆散し、既に喋ってしまったことを猛烈に後悔し始めているというのに。
「香典は出す。それで、僕は君の付き添いをする」
「……付き添い?」
「明浦路先生、こちらを」
きっぱり宣言した夜鷹に対し、司が単にオウム返しをしただけなのを分かっていたのだろう。鴗鳥がすっとスマホを差し出すので受け取れば、そこには葬儀における付き添いという役割についての説明が書かれたページが表示されていた。
「アッ、なる、なるほど」
いい歳してこんなことも知らなかったと顔を赤くする司を、夜鷹は思いのほか穏やかな顔をして宥めた。
「僕は以前、付き合いのあった故人に生前から頼まれてたから知ってただけ。その時は葬儀までの一晩を寝ず番してた」
「夜鷹さんが、ですか?」
思わず正直な声が出てしまって慌てて司が己の口を手のひらでバチンと塞ぐ。別に、夜鷹は冷血漢ではない。アウトプットが下手くそで対人関係の経験値が一桁で他人にも自分にも興味がなくて、でもその全てに対してもどかしさや絶望を感じる程度に情のある人だ。司はもう、そのことを知っている。それでも、夜鷹が求められたからと言って故人に付き合ったと言うのは意外に思えて仕方なかった。
「そう。引退後も世話になった人だった」
揺らがない夜鷹の金色が、一瞬だけゆらりと揺らめいた気がしてどきりと脈が跳ねる。引退後の夜鷹の空白を、司は何も知らない。それでも、そこには確かに夜鷹が生きた人生があったはずだ。
「明浦路、司」
改まって名前を呼ばれ、思わず司も居住まいを正した。視線が、いつもより近い。
「僕は君の、葬儀までの長い夜の供をしたい。シングルスケーターの入口に立てなかった男の弔いに、かつてシングルの王者だった僕が付き添うなら餞別として申し分ないと思う」
流石にそれは夜鷹純じゃないと口に出せない台詞すぎるなと、すっかり圧倒されて声の出ない司が小さく呻く。その様子にふんわり首を傾げながら、微かに眉間に皺を寄せてそれに、と夜鷹が続けた。
「貸し切りを取るのに、さすがに一人きりでは滑らせられない」
「ああそれは、確かに」
そのとおり。同意する鴗鳥に続いて司も内心で頷く。いくら加護家のふたりがついてきてくれると言っても、夜中の寒いリンクに滑らない二人を同席させるのは忍びないと思っていた。その点、夜鷹であれば放っておいても好き勝手滑ってくれるし、いざという時の対処も分かるだろう。刃物と遜色ない物を装備して、時に時速三十キロ近いスピードを出し、そのまま氷を蹴って宙を跳ぶ。そんな競技なのだから。
とはいえ、それでも司は微動だにできないまま段々と顔色を悪くさせていく。その逡巡を嗅ぎ取って、薄っすらと機嫌を降下させた夜鷹が棘を含んだまま追撃を試みる。
一歩、踏み出されたので司は一歩下がろうとして、でももう背中はフェンスについていて動けない。
「僕じゃ気に食わない?」
「とんでもない。違う、逆です。むしろ役不足すぎる」
「……うん」
「純くん、これを」
勢いを殺された夜鷹の微妙な反応に察したのだろう。再びスマホの画面をストトトトと軽やかに繰って、鴗鳥が画面を夜鷹の前に差し出す。納得はしたらしく、小さくふぅんと呟いた夜鷹の金眼が鋭く司へ戻って来る。
「本気なんじゃないの。死に物狂いで使えるもの全部使いなよ。このチャンスはまた巡って来るものかどうか、考えろ」
「……タイミングとしては、今しかないです」
考えれば考えるほど、この思い付きを実行するには今シーズンしかないと思わされる。シニアを目前にしたいのりの事もそうだし、司の環境も変わろうとしていた。
司は自身の性格を理解している。いま、この勢いで成せなかったならきっとなにくれと理由を着けて遠ざける。
でも、今だ。今更だけど、今だから。
「なら、やれ」
今ここで腹を決めろと迫って来る夜鷹に、それならばとひとつだけ願うことにする。望んだのは夜鷹自身なのだから、どうせなら面倒を見て欲しかった。
強く、目を瞑る。まぶたの裏で瞬くものを数える。腹の底で膝を抱えていたいつかの何かが顔を上げた気配がする。なにより、耳鳴りのように潮騒のように繰り返し自分を苛み続けた自分の声の「いまさら」が聴こえない。それこそが決め手だった。
「やるなら、夜鷹さん。付き添いなんて温い事言わないでください」
しっかりと顔を上げる。正面から、夜鷹純と視線を合わせる。明浦路司の始まりのひと。そして、その終わりも付き添ってくれるひと。なら、どうせなら苛烈でいて。何一つ諦めることを許さないで。
「俺が迷ったり躊躇したら、首を落として。一思いに介錯していただきたい」
それはフィギュアスケートという競技に命を燃やし、魂を捧げ証明し続けたあなただから頼めること。
顔を傾けて逸らし、露わにした首筋に司が自ら手刀を落とす真似をする。冷や汗が止まらない司をしかし、夜鷹は鼻で笑った。それはもう、無邪気に楽しそうに。
そう言えば、かつてこの人に喧嘩を売ったのもこのリンクだったと思い出す。
「甘ったれるな」
言葉の割に、満足げに夜鷹が目を細めるものだから。思わず成り行きを見守っていた鴗鳥と視線を合わせて、司は肺の中身を全部絞り出すような溜息をついた。賽は投げられた。
本格的に、考え事が増えてしまった。


さてここにきて、〈葬式〉と名付けたプログラム発表会に至るロードマップを埋めるのに必要なものがおおよそ揃ってしまった。
今夜も司はいのりのデータ整理を終えた後に自身のスケッチブックを取り出して、映画を再生する。オープニングが流れる間に飛び出したインデックスだらけになったスケッチブックを捲り、スケジュールをまとめている部分を出す。本当ならこれもPCで管理したほうが良い。分かっていても、どうしてもデータの世界にこれを残したくなくて今日もシャーペンを握る。フリクションのボールペンでは、あっという間に紙に穴が開いたので。
「……三倍か」
恐ろしい気持ちを抱きつつ口に出して、司は握ったばかりのペンを放り出しわしわしと髪を掻きまわした。つい数日前の出来事だ。夜鷹と鴗鳥に葬式の話をして、結果として夜鷹からとんでもない香典をもらうことになった。もうそのことについて司は後ろめたく思うことも戸惑うこともしないと決めている。なぜってあの後予定通り三人で氷に乗ると思ったなら夜鷹が姿を消し、戻ってきたと思ったら彼のスマホを差し出され、何事かと画面を覗き込んだならそこに映っていたのは彼の所有している資産や預金やその辺の諸々のスクリーンショットだったので悲鳴を上げて大転倒する羽目になった。普段香典でいくら包むと思う?の根拠を叩き付けられて腰の抜けた司を脚で挟んで見下ろしながら「つまらない心配なんて何も必要ないよね」と勝ち誇った顔をされたので。
これについては正直カチンときた。でも、冷静になればそれだけの実績を積み上げたのが夜鷹純であり、スクリーンショットの数々もまたスケーター夜鷹純が生きた歴史の一部なのだと考えたなら冷静になる。金はあっても使いよう。なぜなら司にスマホを放り投げた夜鷹は、そのまま滑り出してあっという間に加速し、軌跡が目に残るクワドルッツを跳んだ後の方がよほど幸せそうに見えたので。金は、彼がスケートを摂取するための手段の一つでしかない。氷の外の生活に馴染めない苦しさを司は想像できない。だからその生き物が、表に出す気のない、明浦路司のたったひとつの手持ちのプログラムが出来上がるまでを見たいと言うならそれでいいと思った。夜鷹にとっての司のスケートの価値を推し量ることなどできないし、してはいけない事なのだろう。
改めて司はシャーペンを手に取り、簡易で作ったカレンダー表とその枠外に細々書きつけた計算式を一つずつ追った。司の懐事情や加護家のスケジュールと照らし合わせて厳選した練習日。バツを着けた日付も練習が可能となれば、スケジュールはガラリと様子を変える。夜鷹が貸し切り代を受け持ってくれるのならば、ここに試算した予算の使い道もまた。
ぞわりと、みぞおちから這い上がる震えがあった。恐怖ではない、興奮に近いもの。自身の欲求に対して手段が揃っているという状況に目の前がチカチカする。勝手に顔が笑いそうで、ぎゅっと顔面に力を入れた。できる。やれる。それも思いっきり。葬式と銘打ったおかげで、最初で最後の一度きりなのだからどうせなら、という言い訳が立った。誰に対してかと言えば自分に対してだ。難儀な生き物であるが、こうでもしないと司はもう遠い過去の自分を昇華してやれない。いのりに宣言した通り、いつか自分が再びアイスショーのオーディションを受けるなら。その時には胸を張って、アイスダンスをやっていましたと言いたいのだからやはりいま、いまこそ。
「……ん?」
過去を見つめながらつらつらと未来を引き合いに出したところで、チラッと脳裏を掠めた違和感に司は手を止めた。それを慎重に手繰り寄せたなら。難儀な生き物である明浦路司が盛大に、こればかりは一歩も引かないぞと内側から主張してやっと気づいて大声が出る。
「っ、あっ、やべっ!!」
どこにも出す気のない、司のたった一つのプログラム。この一連の計画を葬式と銘打ったなら。
その訃報を、知らせなければいけない人がまだ居るじゃないか。



「瞳さんごめん、ちょっといいかな」
「うん?どうしたの司くん」
火曜日。ルクスの夜の貸切練習があるこの日に、司は貸し切り直前の時間で瞳に声をかけた。もう既に二人ともレッスンを始められる格好をしていて、リンクサイドで今日のレッスン内容を確認していたところだった。一通り、コーチ全員でミーティングを終えたところだったので特に何を気にするでもなく瞳は背の高い司を振り仰ぐ。その司はと言えば、既にシューズを履いている長身を更に背伸びで高さを上げて何かを探しているようだった。
「司くん?」
「うーん、いや。大丈夫。あとで洸平くんや珠那くんにも伝えるんだけどね。その、俺のバッジテストの話なんだけど」
ストンと踵を下ろした司が、ゆったりと瞳を見下ろしながら口を開く。言い辛そうに少しばかりもたついた司の持ちだした話題に、予想がついて続きは瞳が引き取った。
「そうか、七級。どうする?六級でストップして、七級はいのりちゃんの後に考える?」
さらりと、なんてことないようにしながら、しかし司が言いたかったことをすっかり全部言ってくれた上司に司が大きな口をポカンと開けて瞬きを繰り返した。そんなに驚くこと?と茶化す瞳に、ぎゅっと一回だけ強く目をつぶって、だってと絞り出した声は言い訳じみている。
「みんな、他の人は当たり前に俺が七級も続けて受けるって思ってたから。うん」
「ああ。そりゃあ、何と言っても私はあなたの上司だし、バッジテストもウチが後押しして受けてもらってるようなものだし」
司の受験費用の一部はクラブ持ちなのだ。一番最初にスケジュールを話し合った時だって、内容を詰めたのは六級までだった。なので司がこう言い出すのは予想の範疇だ。そして誰よりも司と付き合いの長い瞳は分かっている。
「それに司くんは、何よりもまず、いのりちゃんの先生だもんねぇ」
「……うん。そうなんだ」
どれだけ真剣に自身のバッジテストに向き合っていても。それとは別に、司が一番心を砕いているのはいのりの先生である自分であることには違いないのだ。ジュニア後半戦の今シーズン来シーズンの作戦を練りながら、視界ではもうシニアのシーズンを捉えている。司も、いのり自身も準備することややっておかなければならないことは沢山あった。
だから余計に、今なのだと。すっかり出来上がったスケジュール表を前に、司はやり切る覚悟を決めたのだから。
「そういうわけで、七級は受験しない。でも、ちょっと、俺がやりたいことがあってね。それの話をしたくて」
司の視線が忙しなく腕時計とリンクと、リンク外の休憩スペースを行ったり来たりする。司の様子にただならぬものを感じた瞳が小会議室を取るかと提案するが、それには高速で首を振られた。
「こっ、個人的な事なんだ。ゴメン。でもどうしても瞳さんには伝えておきたくて」
「もしかして司くん、結婚でもするの?」
「違うよ?!」
めいっぱい否定した司は途端にしょんぼりとしてしまって、心なしか見上げる長身も一回り縮んだようになってしまった。
「違うんだ。本当に、個人的な、俺のスケートの話で。でもちょっと、子供たちには聞かせたくなくて」
「……アイスショー、申し込んだとか?」
ぼそぼそと元気をなくしたまま呟く司に背伸びして、ほぼあり得ないと分かっていて一応瞳がこっそりと聞いてみる。当然、首を横に振った司がぎゅっと眉間に皺を寄せて細くため息をついた。
その様子を、なんだかいつか見たことがあった気がして瞳は改めてリンクを見回す。時間は、まだある。製氷は終わっていて、いまならば。
「じゃあ、司くん。秘密の話は氷の上でしよっか」
「……えっ!?」
手早くエッジガードを外した瞳が司の手を引く。それに引きずられるようにして自身も氷に乗り上げた司を、慣れたように瞳が先導した。ゆったりと上がった手に合わせて、司が位置に着く。サイドバイサイドの立ち位置。ごく自然に、身に沁みついている習性か何かのように。リーダーである司の右手は瞳の腰を引き寄せ、差し出し合った左手が握り合わさる。視線を向けずとも、お互いに重ねた手と込める力で蹴りだしのタイミングがぴったりと重なった。別々にオールを持った船を、息を合わせて漕ぎ出すように。スピードは、滑らかにトップへギアが入る。
突如として無人の氷上を滑り出した二人の様子に、一瞬にして周囲が色めき立ちながら注目した。
「……えっ、えっ!?瞳ちゃん司くんと滑ってる!!」
「はっや……」
「えっうそ?!」
「久々にみた……」
大きく一周。その間に、見学の保護者たちの間で歓声が上がるのが耳に届いて司の顔色が僅かに曇る。それを見てもいないのに察して、瞳が声を上げた。
「全日の時のフリーのステップやろう、司くん。このまま最終コーナーで入るよ。覚えてる?」
「もちろん!」
力強く頷いて、あっという間に二周目のコーナー間近となる。慎重に、ターンを噛ませながらホールドでのステップシークエンスがはじまった。かつて全日ではサーキュラーとダイアゴナルの二種類を組み込んでいたが、これから始まるのはリンクを斜めに突っ切るダイアゴナルステップシークエンスの方だ。
視線、握る手の強弱、引き寄せる力の加減、それら全てが合図として瞬き始める。フリーフットの高さ、エッジの角度に至るまで細心の注意を払う。身長差や体格差を加味して、外側から見た時に一番美しく映るように自身の肉体へ指示を出す。それらは全て二人に叩き込まれてきた技術であったが、とはいえお互いに現役を退いて久しい。体重を預ける瞳は上体を反らすときの角度が深く、復帰するための支点になるよう司が足掛かりを作るものだったが、今となっては怪我の怖さもあって軽めに収まった。それを分かっていて瞳は笑ってごまかしたし、合わせていてバレバレの司もつられて笑った。随分と時間が経った。あっという間だった。でも、それでも頂点を見つめて、戦い続けた身体は忘れていない。かつての自分たちに追い付かない悔しさを噛みしめながら、そうあれかしと設えた一対の相手と思う存分踊る。
終わりは、スピンを交えて。本来ならそのまま次のエレメンツに移行するけれど、今日はここまで。
瞳と司が示し合わせたように遠く離れたリンクの入場ゲートに向かってレヴェランスを送れば、再び歓声と拍手が沸き上がった。
「っは、ぶぁっ!!あっつい!!駄目ね~~身体が全然動かなぁい!」
「っはは、はははっ、やばい俺も何回か詰まった。俺、瞳さん蹴ってないよね大丈夫だよね??途中で匠先生の怒鳴り声の幻聴が四回ぐらい聴こえたんだけど!」
なんて言って息を整えながら器用に震えて見せる司に、瞳はしゃあしゃあと「私は七回聴こえたわ!」と返してバシンと向かい合ったパートナーの肩を叩いた。
「それで、ここなら遠いから大丈夫でしょう?」
「あ」
流れる汗を拭った瞳が、いつも通り着込んでいるダウンベストの前を開けながら司を見上げた。クラブの喧騒は遠く背後にあって、ようやく瞳の気遣いに思い至って司がくしゃりと顔を歪める。こちら側にも通路はあるが、貸切前のこのタイミングならまず誰も来ない。秘密の話には、もってこいだった。
「それで、司くんのスケートの話、だっけ?」
パタパタと顔を仰いでいた瞳にひとつ頷いて見せて、司は三度目となる自身の計画の話を始めた。同じ話も三度目ともなれば大分道筋が整ってくる。
最初は、衝動だった。たったひとりで夜明けまで、がらんとした部屋で踊り狂っていた。翌日、初めて口にした時はまだ、夢物語だった。でもその夢に、今度こそ手伝わせてくれと背中に手を添えてくれる人がいた。おかげでスケッチブックの上にしかなかった計画は徐々に現実に根を下ろし始めたけれど、まだまだ形は曖昧だった。でも二度目で、発破を掛けられた。明浦路司が絶対に目を逸らせない人に容赦なく追い詰められて、腹を決めた。とんでもない香典を貰うことになってしまったけれど、何よりも嬉しかったのはどんなに無様でも非効率でも、試行錯誤の末に苦しみ抜く姿を最後まで見届けてくれるということ。それで万が一の時があったならこの首を落としてくれるというその約束の方だった。誰にも見つからないまま立ち枯れた明浦路司にとってそれは、望外の喜びに他ならない。
今、今更。やっと今になって、こんな時だけれど。でも今しかない。
何者にもなれなかった、あの日までの明浦路司を盛大に弔うならば。
「男子シングルを目指した司くんの、葬式……か」
話を聞き終わり、すっかり汗も引いた瞳は静かに呼吸を繰り返す。一方、ここまで一気に事の成り行きを語った司は喉の渇きを感じながら、緊張で張り付く口の中を剥がして心音を数えた。本当に、伝えたいことはここから。
「そういう訳で、この計画については俺の個人的な物になるからクラブとは別に進めるつもり。もちろん、いのりさんたちの指導に影響しないように注意するよ。怪我したら元も子もないし」
「そう、ね。司くん熱中するとよそ見出来ないし。でもその点、計画に加護さんと夜鷹さんが噛んでるなら安心できるわ」
「そ、そう?」
「そうよ。うん。今やりたいって事は、今の司くんに必要なんでしょう?こう言っちゃ薄情だけど、クラブ外のあなたのプライベートまでは関与しません!」
「瞳さん……」
「ま、できる事なら見せてくれたら子供達のお手本になるのにっては思うけど」
司を見上げる瞳が、眩しそうに目を細める。アイスダンスの距離で向かい合う時、よく瞳は司を見上げて眩しいと文句を言うことがあった。照明で頭が光っている、と茶化して笑ったものだけれど。今の顔はもっとずっと、複雑に苦い。
「それに司くんの本気のシングルの演技なんてさ、私でも見た事ないんだから」
「あ……」
透明なまま瞬く瞳の視線は、頑なに司を通り越して後頭部のその向こうを見つめている。
明浦路司と高峰瞳の出会いは、明浦路司とアイスダンスの出会いそのものだ。その出会いだって、司が手を引かれて舞台に上がったから果たされたもの。
シングルを目指していた男を生き埋めにして、その上に立って緊張した顔で挨拶をした、あの日。
「瞳さん。俺は、俺は自分のことを、アイスダンスの元選手だって言える。どこでも、誰にでも」
十分に引き絞った弦から手を放す気持ちで。いま、改めて司は葬式の意味を定める。
思いついた時は、映画の中の絶望に引きずられていた。加護に話した時はまだ、記念のつもりだった。夜鷹に啖呵を切った時に初めて、まだ微かに息のある気配を感じた。
どうして、今になって。今更になって葬式なんて出そうとしているのか。当事者ですらずっと整理できていなかったそれの、一部始終をここでぶちまける。じゃないときっと、本当の意味で始めることができない。
「アイスダンスを選べたことを、俺は何も後悔してない。俺はもうアイスダンスの難しさも、美しさも知ってる」
畳みかけるように言い募る司の腕に、瞳がそっと触れる。徐々に熱を帯びていく司とは反対に、瞳は冷静だった。だから、かつてもう何度も自問自答し、二人で会話を重ねた事実を呼び覚ます。
「あなたは、アイスダンスを選ぶしかなかった」
その日の事は運命や、奇跡なんて言葉で置き換えることができる。一方で、はなから選択肢の無かった司の前に差し出されたそれは、当時の高峰匠が打って出た博打、何にも染まっていないこの足ならばという打算。もっと大きくとるなら脅しと捉えることもできるのだ。それでも、瞳には司が必要だったし、司は選手として生きていくために瞳が必要だった。組んだ経緯があまりにも異例だった二人の間で交わした言葉は膨大で、その始まり方についてだって何度も、いろんな角度から振り返った。
だから、司もまたそっと、指先で瞳の肘に触れながら少しだけ笑う。思い出を懐かしむみたいに。
「それ、何度も俺は言ったよね。そうだったかもしれないけど、でも俺は嬉しかったって。匠先生に見つけてもらえて、来るかって言ってもらえて嬉しかった。嬉しかったんだよ瞳さん」
それだけで、当時の司には十分だった。だからいつも話はここで終わったのだけれど、でも色々なことが巡り巡って、今その時の想いは別のところから血を噴き出している。
ぎゅうと、眉間に力を込めて。司は痛みを直視する。
「あの時の俺は、氷の上に居られるだけで幸せだった。間違いない。ほとんど閉ざされていた選手の道が開けたんだ。僥倖、奇跡、だった。だけどね、今だから言える。俺は……俺は、同じぐらい、悔しくなりたかったっ、って!」
急激に鼻の奥が詰まって痛くて、もっとぎゅっと、顔中に力を込めて司は今更自覚してしまった痛みを吐き出す。司は傷を見ないふりをするのが得意だ。痛みを無視するのに慣れきっている。常に時間に追われ続けたせいで、時間薬を乱用し過ぎたのだ。結果、碌にケアもしないまま、見たくなくてガーゼだけ貼り続けたそれはいつまでたってもぬかるんで湿気って、血と膿の匂いをさせ続けた。
それがまた、絶妙にいつまでも後を引くのを司は嫌というほど経験した。だからこれを機に終わりにしようとしてやっと、司は張り付いて余計に酷いことになっているガーゼを取っ払って傷を直視する。選手としての道が開けた歓びの日に生まれた、自分が置いていった影の中にあった痛みの正体。
「シングルの選手になれなかったことに後悔はない。でも、後悔できなかったこと自体が、辛いんだ。つらいんだ、瞳さん」
「司くん……」
「飛びつくように俺は匠先生の手を取った。これが最後のチャンスだって分かってた。その頃には俺もう、完全に麻痺しててさ。スケートで生きていけるなら何だってよかった。何だってよかったんだ。ごめん」
「……知ってる」
互いの肘を温め合うように手のひらを押し付けて、瞳は続く司の告白と懺悔が一緒くたになった叫びを聞いた。とっくの昔に爆発してても良かったのに、こんなになるまで置いてけぼりになってしまった司の悲鳴を。
「俺はアイスダンスを愛してる。でもじゃあ、シングルの選手になれなかったことはどうでも良かったのか。そんなはずない。やっと、やっと向き合える。後悔まみれで間違い続けた恥ずかしい自分の、逆切れを許してやれる気がするんだ。それで、終わりに出来る」
いい加減、膿んだ傷を豪快に洗って、縫って、綺麗な傷跡にしてしまいたかった。いつまでも残り続けて、事ある毎に痛むような、誰かに可哀想がられる過去の自分をさっさと葬ってしまいたい。そのために、盛大に見送るのだ。持てる力の全てで完璧に踊り切って、夢にまで見たジャンプを全部降りて見せて、何で今更、今になってこんなと歯ぎしりしながら悔しがりたい。気が狂うほどに自身の無駄にした時間を嘆いて、巻き戻ることのない時間に癇癪を起して八つ当たりしたい。喚き散らしたい。怒りをぶちまけてしまいたい。
誰を悪者にしなくとも、抑えられない怒りは吐き出していいのだと。映画の中の未亡人の怒りを浴びて司はやっと、自分の事として置き換えることができたので。
「だから、俺は、かつての俺に引導を渡してくる。もう蘇って来るなって。あと三十年ぐらいしたら、どうにか懐かしい思い出ってやつに出来るように全力で葬って来る。きます。……あの、うん」
語尾はどんどん尻すぼみになっていって、最後に大きく鼻を啜って締めくくった司の独白に、瞳は瞬きをゆっくりと繰り返しながら取り敢えずはと長身の向こう側の様子を窺った。誰かが何かを騒いでいる様子はないので、どんどん声が大きくなる司をみんなすっかりいつもの事と放っておいてくれているのだろう。
「えっ、あ!やべっ、声デカかったかな」
「いつもの事ね。うん。でも、そっか」
慌てる司に向き合ったまま、どこかすっきりした顔の瞳の横顔を見ていられなくて、その上会話が途切れるのも怖くてとにかく司は口を開いて隙間を埋めるように言い訳を連ねる。これもまた、変わらない司の癖だ。良くも悪くも。
「うっ、そのね!生意気なこと言ってるのは分かってるんだよ!?贅沢な事させてもらってるんだけどでもほんといま、やってみたくて!ほんとに、あの、戻りたいとかそういうのじゃなくて!」
「分かってるって!」
大慌てでそれ以上を言い募ろうとする司を手で制し、そのままその手を差し出て瞳が滑り出せば自然と司もポジションについて漕ぎ出す。そうすれば瞬く間に今の今まで放っておいてくれた視線が集まるのを感じて司はぎゅっと顔に力を込めた。リーダーが情けない顔をしているわけにはいかない。
「じゃあ引き続き、全日リズムダンスのシーケンシャルツイズルで」
「えっ、いま?いや、さすがに、瞳さん!?」
「大丈夫大丈夫。リフトもだったけど、司くんこれも得意だったんだから!」
悲鳴を上げる司から瞳が無情にも手を放してしまうので、一瞬で覚悟を決めた司もまた視線でタイミングを計り、瞳を主軸に合わせる。瞳の方は司が合わせているのを感じながら、決してリズムを崩さずに動く。単純な約束事だ。でもそれが、氷の上でするとなるととかく難しい。フォアアウト、キックで抜けてステップ、続けてフォアイン。曲げた脚の角度と、腹と腰に沿わせた手指の先の先まで神経を渡らせて。スピードに乗ったまま抜けて、四肢を大きく使いながら位置に着く。どこからともなくかつてのコーチの声で、「無駄に長ぇんだ見せつけろ!足ぃ!」なんて叱責する幻聴まで聞こえてくる。最後はバックアウト。素早い腕の振り付けも相まってバランスをとるのが難しいが、最後まで耐えきって優雅に抜ける。互いに互いの後頭部が見えていたのでタイミングは合っていたはず、と少しだけ気まずい視線を合わせたなら、湧き上がる拍手に紛れない音量で瞳が最後の指示を出す。
「司くん、最後はやっぱりキャメルでしょ!」
「もぉぉ!」
片手を組んだまま一度お互いの身体を離し、引き寄せ合う力を遠心力に変換する。慎重に中心を定めて、瞳の腕の下を司の上半身が潜った。振り上げた長い足はそのまま、瞳の腕の中に引き継がれる。ポージングから長い脚に沿うように身体を沿わせた瞳をくっつけたまま司が回る、回る。姿勢が美しく、スピードも十分に乗っているダイナミックなキャメル姿勢でのスピンに喝采が起こる。とはいえ、この後の事を何も決めていないが、無難に解いてしまっていいのかと冷や汗をかく司の耳に瞳の「も、もうダメかも!」という切実な悲鳴が届いた。どんなに苦しくても顔に出したら台無しなので涼しい顔でしっかりと頷いて見せる。お互いにもうひと踏ん張りと気合を入れて、緩やかに姿勢を解いて最後、瞳の脇の下を掴んだ司がパートナーの身体を抱え上げふんわりと回転の力から解放した。合わせた瞳もきっちり演技をこなす。その瞳の両足が氷に戻ってきたところで、すかさず差し出された熱いぐらいの手のひらが瞳を力強く支えてくれる。正直膝がガクガクなので有難いとばかりに司に体重を預け、氷に片膝を着いた司の肩に斜めに腰かけて、伸び伸びと掲げられた瞳の腕が柔らかに天井を撫ぜた。静止。
まるで今まさに音楽が止まったのだと錯覚さえする、元選手たちによる突貫デモンストレーションの終わりだった。
「ひっ、瞳ちゃぁぁぁぁん!!」
「わぁぁぁ!!ひとつかぁぁぁぁ!!」
「はわぁぁ!?ひっ、ひとつか!司くんの足が五メートルあるスピニングムーブメントぉぉぉ!!」
悲鳴、悲鳴、拍手の間にとにかく悲鳴。おおよそどの声も歓喜の色をしていて、そもそも引退してからこんな風に人目のある中で瞳と踊ったのは初めてだったなと思い出して今更司の足に震えが来た。しかしそれも、バチンと背中を叩かれた痛みで吹き飛んでいく。
「いった!?」
「ほら立って。挨拶しよ」
司を引っ張り起こし、二人揃ってのレヴェランスにいっそう大きな拍手が送られる。大丈夫だったんだ、とむしろ呆気に取られている司の肩を瞳が軽い力で引く。くるりと半回転した先に、笑みを浮かべたまま力強く頷いてくれる元パートナーが、居て。
「思いっきり、やっておいで」
「……っは、はい!!」
「ふふ……泣きむし」
気持ちの全てをぶちまけて、それをかつて一緒に新しい世界を見てくれた人に伝えきって、受け止めてもらって。更には笑顔で送り出してもらえて、そこでようやく司の中の緊張が解けた。途端にぼろっと零れた涙を慌てて拭う司を、手を伸ばして前髪を整えてやりながら瞳が懐かしいねと囁く。
「ほら、帰ろ」
「っう、ん」
差し出された手を握った司を引っ張って瞳が漕ぎ出す。その背中を見つめて、司は今日もう一つ、彼女にお願いしなければならないことを思い出す。
「あのね、瞳さん。それでこの期に及んでになっちゃうんだけど……お願いが、あります」
「なぁに?変にかしこまった声出して……」
司が気力の限りを振り絞って教えてくれた計画以上に、まだ何か隠していることがあるのかとちょっとばかり瞳も構えた様子で足を止める。
その彼女に、神妙な顔をして司はそっと顔を寄せた。こそこそとした司のお願いごとに、瞳は一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、しかしこれも可愛い後輩のためであると思いなおして力強く頷いて見せる。瞳だって分かっているのだ。この話は他の誰がするよりも、自分がした方が確実に相手に届くのだということを。


「……よし、これでホントにもう何もないわね?それじゃあ戻りましょ。もう、ちょっとほんと、張り切り過ぎちゃったわ!!」
「なんかごめん、思ったより大事になっちゃって……」
「そういうこと言わないの。やろうって言ったのは私だしね。まぁそれでも……これは明日は筋肉痛決定ね。起き上がれなかったらどうしよう」
「明日……?」
「ちょっと、それ意味分かってて言ってるなら引っ叩くよ?!」
支え合いながらよろよろとゲートに戻ってきた二人は、ベンチに崩れ落ちながらそれぞれエッジガードを着けてやっとこさ一息ついた。瞳は足がもう生まれたての小鹿になってしまっており、一方の司は顔が大変なことになっている。
「ほら、司くんは取り敢えず顔洗っておいで。さすがにもう、いのりちゃんも課題終わってこっち来……」
司を促す瞳の台詞が途中で意味深に途絶えた。それに、嫌な予感をさせつつ司がゆっくりと振り返る。
突然の瞳と司によるデモンストレーションが始まった辺りで、フェンス際には人だかりができていた。それも今となっては大分散っているのだが、その中から現れた異様な光景にさすがの司も顔が引きつる。
「な、何してんだ二人とも!!」
司の張り上げた声に反応して、異様な様子の二人がゆっくりと振り返る。
方や、フェンスから思いきり身を乗り出し、両手でスマホを構えて何やら一生懸命画面を見ていた結束いのり。そしてもう片方は、そんないのりの背後から腕を伸ばし、べストの裾と足を掴んで落ちないように支えてやっていた夜鷹純。まるで組体操、またはカーブリフトまがいの体勢になっている大人と子供の組み合わせに、いよいよ本気で頭痛までしてきた司ががっくりと項垂れた。
「よ、夜鷹さん。とりあえずいのりさんを下ろしてあげてください……」
司の懇願に無表情のまま頷いて、夜鷹が思いのほか丁寧な手つきでいのりを手繰り寄せて床に下ろす。そしてすかさず、少女が食い入るように見つめているスマホの画面を覗き込んだ。
「どこから撮れた?」
「ツイズルの途中からですぅ!!悔しい!!先生たちもう一回お願いします!おねがいしまぁぁす!!」
これ以上ないほど切迫したいのりの懇願が響き渡り、思わず司から「いのりさん声がでかい!でも元気で良し!」なんていう中途半端な注意が飛び出す。いのりを後押しする夜鷹のじっとりした視線に突き刺されながらオロオロする司を救ったのは、タブレットを掲げ持って近寄って来た子供たちだ。
「いのりちゃんせんぱーい!オレ最初から撮ってたよ~」
「本当!?送って!」
元気な茶髪の少年のナイスアシストにいのりが盛り上がる。一方、しっかり着込んだ黒髪の少年はゆっくりと夜鷹を見上げてそっとコートの裾を引いた。
「ヴォ卿は間に合いました?」
「半分だけ。呼びに来てくれてありがとう」
無表情の夜鷹純に臆するでもなく、無表情で少年も頷き返した。このルクスではいつの間にか、司が滑り始めたら喫煙所に居るかもしれない夜鷹を呼びに行くという謎ルールが出来上がっている。
「いのりちゃんせんぱいの動画の方が足元大きいや。オレにもこの動画ください!」
「オレも欲しい」
「おっけ~翼くん瞬くんっと……」
「あとゆかりねえちゃんにも送ってあげて」
「了解!」
「いのり、僕も」
わいわいと盛り上がる子供たちの輪の中に平気で入っていく夜鷹はさすがとしか言いようがない。
「あの子たちの馴染み方、とんでもないわよね……」
「はは……肝が据わってるのは良い事なん……だと思う」
いま話題に上がった三人の子供たちは、それぞれ司が個人レッスンを受け持っている三人だった。とはいえ、いのりもまだまだ現役で、どうしても優先はそちらになる。司がそれを正直に説明した上で、子供たち含め三家族は待てると豪語した。十一歳だったいのりの、フィギュアスケーターに成りたい気持ちに本気で答えてきた司の姿勢を見てきたから。そんな風に言ってもらえて、絞られる肺から震える息を吐き出しながらそれならと、司も今のコーチ業の中で最大限できることを提示して今に至る。いのりのスケジュールを念頭に、その隙間で個別レッスン。司が多忙な時期は通常通りルクスのレッスンを受けつつ、疑問点や質問があれば動画や通話で対処するといった感じだ。まだまだ手探りではあるが、今のいのり優先の司にとって滅多にない好条件の話なのだから絶対に逃すなと瞳に懇々と諭されている。言われずとも、初めて、最初から〈明浦路司コーチ〉を求めてくれた相手を司だって大切に思っている。十分ではなくとも、双方納得のいくコーチングはしたい。
そんな現状となっているからこそ、文字通り現金な話、司の懐はかつてないほど潤っていた。
葬式の計画を立て、それに向けて細々としたものを買い替えたり、大きなものではブレードも思い切ってグレードを上げたものに換えた。夜鷹に伝えた当初の貸切回数だって、仕上がり次第では追加する余裕も見越してのものだった。しかしそれも、夜鷹が香典として建て替えてくれるなら使い道が変えられる。それに気づいて瞳に託した我儘が、果たして通るかどうかは相手次第だけれども。
「司せんせ~!クラブレッスン始めましょ~~!!」
気付けばもう、子供たちがわらわらとリンクに集まっていた。思い思いに氷の上で、眩しい命が弾けている。
葬式の計画を立てていても、シングルを目指していた自分と向き合う覚悟を決めたとしても。それでも、今の司の最優先はどうしたって、先生なのだ。その生き方をもう迷わないし、迷いたくない。
とはいえきっと、道は平坦じゃないんだろうなと今までの生き方を振り返って。でも、諦めが悪いのも自分だからと雑に放り投げて、司は顔を洗ってくるべく手早くシューズを脱ぎに掛かるのだった。


そんな司と、子供たちを見つめている大人が二人。
リンクを出て行った司を見送り、洸平が氷上の子供たちの注意を引いているのを眺めながら瞳は静かに佇む黒づくめの夜鷹純の隣に並んだ。
「司くんのお葬式、夜鷹さんも参加……参列?されるそうで」
「参加ってわけじゃない。僕は故人の付き添い」
夜鷹の周囲はよほどのことがない限り人が居ない。今回も、子供や親の耳の無いところで、それでも音量を落として話しかける瞳に夜鷹もまたほとんど口を動かさずに答えた。こちらは単にものぐさだ。とはいえ夜鷹の声は意外にも良く通る。なのでこのときの瞳の耳にも問題なく届いていたのだが、当の瞳は暫し宙に視線を投げて、近年母方の祖母の葬儀の際に親族が慌ただしくあれこれした記憶を引っ張り出して眉を顰めた。
「……もしかして、お通夜の時に一晩一緒にいるっていうアレですか?」
「そう」
まさかという気持ちで恐る恐る尋ねたのに、気負いなく肯定されてさすがの瞳もそっと痛み始めたこめかみを指先で揉む。あれだけの熱量で許しを請われておいてという感じではあるが、改めて司の葬儀という形式にかける思いを間接的に浴びてしまって面食らう。
「それは……司くんらしい凝り性というかなんというか、どれだけ本気なの司くん」
「どこまでも。香典だって出してるし」
「は?」
ぼそぼそと交わしていた秘密の会話を、突如瞳が通常音量でぶった切った。マジマジと夜鷹を見上げる瞳の顔にはしっかりと「それ聞いてない」と書いてある。これにはさすがの夜鷹も、都合の悪くなった猫のごとくそっと顔ごとそっぽを向いてどうにかならないかと祈ってしまう。きっとおそらく敢えて、司は加護家と夜鷹の間で取り交わした計画に掛かる費用の話を瞳に伝えていなかったのだろうから。
瞳の圧を夜鷹は受け流すことに集中した。そうこうしているうちに、戻ってきた司が不思議そうな顔をしながらシューズを履いて二人の横を通り過ぎていく。徐々に夜鷹が苛立ちを露わにしはじめたところで、瞳はすいと隣立つ真っ黒くろすけから視線を氷上へ戻した。レッスンがはじまるので。
「なるほど、香典……ね」
誰に聞かせるでもないしっかりとした独り言を耳にして、夜鷹は一瞬だけなんとも表現し難い表情を僅かに浮かべたがそれもすぐさま常の無表情へ切り替わる。
四方八方へ散らばる子供たちを、牧羊犬よろしく滑らかに追い立てて金髪頭の眩しいコーチが声を上げていた。

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