「あなたのためを思って言っているんだよ」との言葉で理不尽な提案を押し付けられたり、こちらが正当な抗議をしたら「そんな言い方じゃ聞いてもらえないよ」などと言われたりした経験はないだろうか。本書ではこうした「うまく言い返せないが、不当な気がしてモヤモヤする言葉」(ずるい言葉)の各類型に対して、どのように考えたらよいか、場合によってはどのように対処したらよいかを考えた本だ。
すべての編集作業を終えてあとは発売を待つだけとなった時、まさに本書でとりあげたのと同じ類型に含まれる発言を報道で耳にしたので、この発言を足がかりにスピンオフ企画『大人版「ずるい言葉」』をやってみたい。少々お付き合いください。
大阪府知事が新型コロナウィルス対策の一環としてポピドンヨードを含有するうがい薬について発言したのを耳にした人は多いだろう。本稿ではこの話題をとりあげる。ただし、その科学的有効性や、医学的知見を政治に活かす手法の是非とは異なる点に着目したい。
ポピドンヨードに関する発表当日にうがい薬の買い占めなどの混乱が起こったことをふまえ、翌日の会見で記者に批判的な質問をされた府知事は「僕がそういうふうに感じたところをしゃべったら、それは間違いだとか言われたら、僕自身はこれ、言いたいことも言えなくなる」と述べた。
これには驚いた。というのも、「(言いたいことが)言えなくなる」という発言は、これまでパワーハラスメントやセクシュアルハラスメントに関して言われることが多く、まさか新型コロナウィルスをめぐってこの発言に出会うとは思わなかったからだ。
上述の拙著でも、女性教師が容姿のおかげで得をしているとの判断を男性教員が発言するエピソードを設定し、その分析をおこなっている。「言えなくなる」の用例としては、府知事の発言は新しいタイプのものだと感じた。
実際に会見全文を読んでみると、府知事はこんな主張をしているようである。ポピドンヨードの重症化抑制の可能性について発表した会見が、予防効果を示したものと「誤解」されている、それには(「誤報」とは言わずとも)会見を編集して放送しているメディアの責任もある、と。しかし、府知事によるこの見立ての是非もここでは問わない。
ここで注目したいのは、府知事の「言いたいことも言えなくなる」発言の「言いたいこと」とは一体なんなのか、という点だ。
新型コロナウィルスの感染拡大を防止するための市民の行動に役立つことこそが「言いたいこと」であるならば(政治家ならばそう思っているべきだろう)、もっと誤解を生みにくい、より正確に伝わる表現が「言いたいこと」の筆頭に挙がるはずだ。そしてこの場合、結果に対する責任が誰にあろうが「言いたいこと」が言えなくなるわけではないし、むしろその「言いたいこと」を政治家には言ってもらわなければ困る。
にもかかわらず「言いたいことが言えなくなる」と発言するのであれば、府知事の「言いたいこと」、つまり発言に際して重視していることが、そもそも政治家に期待されるそれと違ったのではないか、と私は邪推してしまった。たとえば、「手放しで褒められるようなことこそが私の言いたいこと」「自分がリスクなく目立てるようなことこそが言いたいこと」であれば、たしかに「誤解の責任の一端はあなたにもある」と詰め寄られるリスクのある発言はしづらくなるだろう。
ただしこれはあくまで邪推だ。そこで、邪推かどうか確かめる手段を考えよう。たとえばこの発言を聞いた記者は、このように尋ねればよかったのではないか。「そこで言うところの『言いたいこと』って、何を指しているんですか?」「何ができれば自身の『言いたいこと』を言えていることになる、と考えているんですか?」
そう、本稿が主張したいのは、「言いたいことが言えなくなる」と言われる時の「言いたいこと」が、そもそも好ましいものでない可能性を真剣に考えてみてほしいということだ。邪推を重ねないよう府知事のエピソードからは離れ、せっかくなので、多くの読者が忘れてしまったかもしれない別の具体例を挙げてさらに考えてみたい。
結局、「好き勝手に発言したい」
2019年4月、鹿児島県垂水市で市議会議員選挙がおこなわれた直後のことだ。ある男性市議会議員が、同市議会で女性議員が誕生することについて「やりにくい。下手な言葉を言えば、セクハラ・パワハラと言われる恐れもある」と告示前に発言していたことがわかり大きな批判を受けた。
ハラスメントを「する側」の責任を問わず、ハラスメントを「される側」の女性(の主観)に問題の原因や責任を押し付けるかのようなこの発言は言語道断だが、男性相手なら抗議が起こらないから「やりにく」くない、と思っている点も問題である(男性から男性へのパワハラ・セクハラも当然存在し、またそれは見過ごされやすいからだ)。
この市議にとって「やりにく」くない状態とは、「今まで言っていたとおりに『言いたいこと』を好き勝手に発言できる」ことなのであろう。そして、このような考えを持つ者は市議として当然不適格である。市議の職務において「言いたいこと」は、まずもって「市政をよくし、市民の生活を向上させる役に立つこと」であるべきで、そのためには市民から選ばれた(女性議員を含む)議員どうしの間での風通しのよい議論を阻害するものであってはならないはずだからである。
要は、この市議にとって「やりやすい」状態は、本来ならば市議にとって何よりも「言いたいこと」であるべき、有益な議論における意味ある発言を可能にする状態からは程遠いわけで、そんな基準で市議が『やりにくい』かどうかを判断していてはダメなのである。この市議は「下手な言葉」という表現を用いているが、当人が思っている以上にそれがきわめて「下手な」言葉であることを真剣に受け止めるべきだろう。
ちなみにこの市議のその後の謝罪は「悪気はなかった。ちょこっと言ったことが大きくなっている。悪かったのであればおわびをします」というものだ。
「悪かったのであれば」は「ご不快に思われたのなら申し訳ありません」式の謝罪と同様で、現実にある悪さをあたかも仮定の話であるかのように扱い、場合によっては、不適切な言動で傷つけられた側の「主観」に問題を矮小化して責任転嫁している。要するに「不快に思う側が悪い」というメッセージをそれとなく発しているわけで、大変に悪質である。
ありがちな失言にこれまたありがちな失言を重ねるその「テンプレート」っぷりに、当時は本当に辟易としたのを今でも覚えている。なお、「悪気はない」の問題については拙著に書いたが、「悪かったのなら謝ります」の問題については書かなかった。書けばよかったと少し後悔している。
「言いたいこと」が不適切なんじゃないか
本論に戻ろう。批判や抗議によって「言いたいことも言えなくなる」と思ってしまったら、「そもそも私は何を『言いたいこと』だと思っていたのだろうか」と自問してみてほしい。功名心とか支配欲とか女性蔑視とか、そういった感情を満足させる発言を自身にとっての「言いたいこと」としてしまってはいなかっただろうか。
あるいは、批判や抗議に「言いたいことも言えなくなる」と応答されてしまった場合、「そこでいう『言いたいこと』の内容がそもそも不適切なのではないか」と考えることも有効だろう。
状況が許せば「何が『言いたいこと』なんですか」と訊いてしまってもよい。さすがにそう訊かれれば「建前」を語るだろうから、「そういう内容を言うのはかまわないと思います」と応じて以後の相手のくだらない発言を封じてもよいだろう(またもや手前味噌で恐縮だが、拙著では「本音」の称揚をやめて「建前」の意義を考えよう、とも書いた)。
文脈に応じた適切な言動についての交通整理が進むと、「窮屈だ」「言いたいことが言えない」と不平を漏らす人が必ず現れる。しかしそれは、「信号無視をして人も車もはね放題の方が、みなが信号を守り事故を減らして生活を送るよりマシ」と言っているようなものだ。