レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/09/29
- 登録日時
- 2023/03/28 00:30
- 更新日時
- 2023/03/28 00:30
- 管理番号
- R1000267
- 質問
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解決
「大垣音頭」には2種類ある。戦前と戦後にできた「大垣音頭」のそれぞれ、製作されたいきさつを知りたい。
- 回答
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戦前の「大垣音頭」は、昭和6年(1931)8月に作られた。野口雨情作詞、藤井清水作曲、島田豊振付の「大垣音頭」で「泣いて別れて(思い出しては)水門川の~」の歌詞からはじまる。同年発行の「麋城会誌」第108輯によると、大垣芸妓置屋組合が花柳界を通じて広く大垣の情緒を全国的に紹介するため、大垣小唄とともに著名な作詞家、作曲家に頼んで作られたことがわかる。
戦後の「大垣音頭」は、昭和23年(1948)8月に作られた。作詞は公募によるもので、髙野廣忠氏の歌詞が大垣市により選ばれた。大村能章作曲の「大垣音頭」で「揃ろた揃ろたよ大垣音頭~」の歌詞からはじまる。同年発行の「大垣商工時報」第21号によると、新しい郷土大垣の姿を歌によって全国に紹介するため大垣市役所が歌詞を募集し、制作したことがわかる。
昭和52年(1977)10月30日の岐阜日日新聞記事「よみがえる“大垣音頭”」によると、戦前の「大垣音頭」を懐かしむ人もあり、大垣市民謡協会により踊りとともにうけつがれたことがわかる。現在も2つの「大垣音頭」が伝えられている。経緯や内容に関するコピー資料は、ファイル資料『音頭・市民の歌・校歌ほか』として所蔵している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- B11319100 音頭・市民の歌・校歌ほか 767
- B11989075 麋城會誌 第108輯 [麋城會/編] [麋城會] 1931.8 065
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 事項調査
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000331094