第8話

 アネットが店を発った晩、デルミーラ=パラッシュは覚悟を定めていた。


 ――これ以上の好機はない。


 常に自身に目を光らせていた邪魔者がようやく消えてくれたのだ。

 全身の血が沸き立っている。思わず息が荒くなる。


『灯』メンバーの暗殺――それこそが、デルミーラが共和国を訪れた理由。

 ようやく辿りつけたとう事実に安堵しながら、店の倉庫で呼吸を整える。


『キミたちが「灯」を見つけられる確率は、一パーセントでしょう』


 そのセリフは、レゲンス党の突撃隊から自身を救い出した男から授けられた。

 彼は救世主ではない。もたらしたのは新たな地獄。


『そしてメンバーを一人でも殺せる確率は、一パーセントにも満たない』

『無謀すぎる? いいえ、心配はありません』

『人の可能性は無限です。適切な「死に方」を与えられると、真なる力を発揮する』


 それが、『葬儀屋』と名乗った黒フードの男が告げた命令。


『――死地を彩れ。レゲンス党を影で操る「灯」に挑め』


 デルミーラたち二十人の同性愛者は、暗殺者として共和国に送り込まれた。

 ロクな訓練も受けないまま、最低限の金だけ持たされ、共和国の首都に放り込まれた。逃げたかった。しかし、逃げれば連帯責任で仲間が殺される。


『門出』という組織名は、あの男が名付けた名。

 誰の目にも明らかな捨て駒――死にゆくために送り込まれた者。


(……でも本当に、運が良かった)


 デルミーラは店の倉庫に隠していた、ナイフを取り出した。


 突然共和国に放り込まれ、飢え死にしないだけでも精いっぱいだった。

 心が挫けた時、『門出』の誰かが拳銃を調達してくれた。その不審な行動を『灯』のメンバーが見つけてくれたのは、奇跡に等しい幸運。


(ごめんなさい。エルナ先輩、そして、サラ店長)


 彼らの外見は『葬儀屋』から教えられた特徴と一致した。


 僥倖を喜び、デルミーラは、ナイフの先端に毒を塗布する。

 この毒物は『アカシア・クヴェレ』の常連客から手に入れた。ギャングの一員という彼の説明が正しければ、少しでも体内に入れば、すぐに酩酊させる猛毒。


(ワタシ、アナタたちを殺す)


 脳裏には『葬儀屋』から直接、デルミーラに告げられた言葉がある。



『デルミーラさん、アナタの恋人――実は、収容所に囚われているんですよ』



『灯』の誰かを一人でも殺せたら、恋人を解放する――その密約が殺意を昂らせる。


(きっと、これは幸せ、なのかもしれない……)


 デルミーラは、毒ナイフを固く握りしめる。


(たった一つだけの命を、恋人のために捧げることができるなんて……!)


 命を懸けるには、十分すぎる条件。

 デルミーラは幸福を確信し、店の方にいるエルナを呼んだ。


「……エルナ先輩、よかったら、来てくれませんか?」

「のー? どうしたの、デルミーラさん」

「……ごめんなさい。言われた、お酒の場所がわからない……」

「ん、きっとアネットが奥にしまっちゃったの。探すの手伝うの……!」


 エルナはすぐさま倉庫に駆けつけ、奥の木箱を漁り始めた。そこには、『LWS劇団』やジビアたちが世界各国から購入してきてくれたワインが並んでいる。


 エルナは完全に背を向け「ふふー♪」と鼻歌を歌っている。

 なんとも呑気なことだ。相手の警戒を解くため、二週間をかけたのが功を奏した。


(――心苦しいけれど――)


 デルミーラは音を立てないよう、そっとエルナの背後に近づいた。


 この倉庫は、完全に防音。稀にエルナたちが捕らえた者を尋問するためにも用いている。たとえ悲鳴が起きようと外に聞こえることはない。

 真剣にワインを探るエルナの背中に、デルミーラはナイフを振り下ろす。


(――さようなら――今日まで、楽しかっ――)

「――はい、デルミーラさん。お酒なの」


 振り下ろしたナイフは、エルナの顔の横を通過した。

 仕留める寸前、エルナが振り向いたことで、ナイフは空を切った。そのまま彼女はにこやかな表情で、ワインボトルをデルミーラに差し出してくる。


「え……? あ……あ、ありがとう……」


 咄嗟にデルミーラは、ナイフを握る手を背中に回した。

 見られたのではないか、と冷や汗をかきながら、ひきつった笑いをしてしまう。


「どうしたの? ワイン、早く持って行って」


 幸い、エルナは穏やかな微笑みを浮かべ続けていた。


「エルナの顔になにかついているの?」

「あ、い、いや……も、もう一本、欲しいかも……」

「もう一本? ん、それもそうなの。せっかくだからサービスなの!」


 エルナはデルミーラにワインを渡すと、再び木箱を漁り始める。

 また無防備に背中を向けるエルナ。やはりデルミーラの凶行は見ていなかったのか。


「確か、ジビアお姉ちゃんからのお土産があったはず」


 そう楽しげに喋るエルナの声を聞き、デルミーラは殺意を込め直す。

 相手が自身のナイフに気づかぬなら、再び振るうまで。


(――今度こそ、さようなら――エルナ、先ぱ――――)

「――はい、お遊びはお終いなの」


 振り下ろしたナイフを握る手が、ワインボトルで弾かれた。

 エルナが突如、握ったワインボトルを背後に振るったのだ。まるでナイフの柄を狙ったような一撃。デルミーラの手からナイフがすっぽ抜ける。


 倉庫の床に転がるナイフを、エルナは優しく棚の下に蹴り飛ばした。


「危ないものは没収」

「え……」

「カウンターに戻るの。もうじきピークタイムだから」


 何を言われているのかも分からず、デルミーラは固まっていた。


 殺すか殺されるか――そんな修羅場を覚悟していただけに、唖然とする。

 エルナはまるで何もなかったようにワインを抱え、隠し扉を開けて店の方に戻っていっている。やはり当然のようにデルミーラに背を向けて。


 ――まさか、イタズラと思われた?


 そんな楽観的推測がデルミーラの脳裏によぎった直後、冷ややかな声が届いた。



「やっぱり一番に狙われるのが、エルナなのね」

「さすがエルナ先輩っすね。危険をとにかく惹きつける」



 常連客のティア、そして、サラ店長の声。

 声が届けられた瞬間、デルミーラの顔がかっと熱くなった。


 真意こそ見えぬが、それが自らを軽んじる侮辱くらいは察せられる。怒りのままに、いまだ背中を向け続けているエルナに、デルミーラは飛びかかっていた。


「ふざけっ――!」

「コードネーム『愚人』――尽くし殺す時間」


 振り向くことなく、エルナは反応していた。

 ワインボトルを投げ捨てると、デルミーラが伸ばした手を掴み、その勢いを利用するように投げ飛ばしていた。が、途中デルミーラのスカートがエルナの髪に絡まる。


 両者一緒に体勢を崩し、エルナの「のっ!」という悲鳴とともに床に転がった。


「……………………不幸」


 床に叩きつけられ、大の字になったエルナだったが、すぐに目を見開く。


「でも、この程度なら――もう、慣れっこなの!」

「嘘……まったく見ずに――」


 デルミーラは戦慄しながらも立ち上がり、状況を認識する。


 現在、店には『灯』とおぼしきメンバーしかいない。ティアは逃げ場を塞ぐように、入り口付近に立っていた。サラはエルナが投げ捨てたワインボトルをキャッチしている。


 度重なる失敗に、心臓が縮こまる心地がした。


「――もしかして、最初から……」

「そういえば、この店のコンセプトはまだ説明していなかったすね」


 サラがワインボトルの栓を抜くと、磨き上げたグラスに注いだ。



「『アカシア・クヴェレ』――スパイさえも招き入れる、魔の泉」


 注がれていく濃い赤紫のワイン。その毒々しい色に、デルミーラは目を奪われる。

 最初から嵌められていた。毒の泉に浸かったのは、自分自身だと思い知る。

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