Epic Collageとはどのようなジャンルか
今年の4月、PitchforkがJoshua Chuquimia CramptonとElysia Cramptonからなる兄弟2人組ユニットLos Thuthanakaのデビューアルバムに10点満点で9.3点を付けた。
これはエクスペリメンタルとして異例の高さであるだけでなく、全てのアルバムレビューを通して見ても2020年に10点を記録したFiona Apple『Fitch the Bolt Cutters』以来の高得点であり、大きなインパクトを残した。
Los Thuthanaka或いはそのメンバーElysia Cramptonのソロの音楽作品を説明するときに挙げられる音楽ジャンルにEpic Collage(エピック・コラージュ)というものがある。このEpic Collageなる音楽ジャンルを解説した日本語の纏まった文章はネット上には恐らく存在しない。そこで、この記事において私がその解説に挑戦してみたいと思う。現在、音楽はジャンルというフレームで語られにくくなっている。この記事ではどこからどこまでがEpic Collageなのか境界線を引くというような定義論を展開する訳ではなく、この語が実際にどのように使用されているのかということに焦点を当て、その特徴付けや周辺事情について語ってみたい。
Epic Collageという語が明確に使用されている場として最も大きいものは、世界最大級の音楽レビューサイトRate Your Music(RYM)であろう。寧ろ、RYMを除けば海外でもジャンル名として積極的には使われていないというのが実情と言えるかもしれない。そのため、今回はこのRYMに記載されているジャンル概要の文章を和訳したものを軸に進める。
1. Deconstructed Club
先ず、RYMのEpic CollageのジャンルページにおけるShort Descriptionは以下のようになっている。
シネマティックで濃密なデジタル・コラージュ。Deconstructed Clubのサウンドパレットと、脱文脈化された斬新なサンプルを頻繁に使用。
これだけを読んでもジャンル説明として理解しがたいと思われるが、Epic CollageがDeconstructed Club(デコンストラクテッド・クラブ)というジャンルを前提にしているということは分かるだろう。そこで、先ずはDeconstructed Clubについて説明してみたい。
Deconstructed ClubはPost-ClubやExperimental Club、Club-Not-Clubとも呼ばれ、一般に広く知られるジャンルではないが、Epic Collageと比較すると浸透している言葉である。例えば、英語版ではwikipediaがあるし、日本語の記事やツイートでの使用も多々見られる。
Deconstructed Clubとは、既存のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを元に、そこにポスト・インダストリアルの攻撃的で不快にも聴こえるサウンドを混ぜ合わせた音楽を指す。単純な4つ打ちから外れた様々なダンス・ミュージックのリズムを取り込んでいるが、特にUKのヒップホップとも近いグライムの影響は強く、日本では現代グライムと呼称されている時期もあったようだ。破壊的でディストピックなデザインが特徴的である。
ここで注目したいのが、このジャンルの名称に用いられているDeconstructedという単語だ。これはナイーヴには「解体された」という意味であるが、フランスの哲学者ジャック・デリダが用いたdeconstruction=脱構築という概念が想定されていることは間違いない。この脱構築及びこれが用いられたフランス現代思想、ポスト構造主義、ポストモダニズムなる1970年代頃の思想潮流はDeconstructed ClubやEpic Collageと深く関わっている。ポストモダンと言うと流行りの終わった一潮流のように見られがちであるが、今でも影響力を持っているのは確かだ。ここではこれらの思想の詳細は省略するとして、取り敢えずは脱構築とは何かについてのみ述べておく。脱構築とは、簡単に言えば、一方がもう一方を支配したり優位に立っていたりする二項対立において、その構造を検討することで、その優位性が転倒し得ることや二項の境界が曖昧であることを明らかにすることである。
では、Deconstructed Clubはどのような意味で脱構築と関わっているのだろうか。第一には、字義通りこのジャンルが脱構築されたクラブ・ミュージックであるという点であろう。ここでの脱構築は明確な二項対立が想定されているというより、もっと素朴で広義に、既存の概念を解体し新たに再構築するという意味で捉えた方が分かりやすい。即ち、既存のクラブ・ミュージックという枠組みを問い直し、アトーナリティ、複雑なリズム、金属音や爆発音などの暴力的なサンプルを取り入れ、再構築されたのがDeconstructed Clubであり、ダンスフロアで踊るというクラブ・ミュージックの機能性を脱構築しているのである。
第二には、Deconstructed Clubのシーンが社会的マイノリティによって担われてきたという点である。Deconstructed Clubという言葉はテン年代後半に入らないと一般化しないが、その起源は2009年に始まったGHE20G0TH1K(ゲットーゴシック)というアンダーグラウンドなニューヨークのダンスパーティーにあるとされている。このパーティーを始動させたDJのVenus XはDAZEDのインタビューで、観客は多様性に富んでおり、黒人や女性、クィアのDJを積極的にブッキングしたと語っている。こういった政治的意識が、白色人種と有色人種、男性と女性といった歴史的に前者が後者を支配してきた二項対立を脱構築するという視点で捉えられるのである。
ジェンダーマイノリティの問題について考えてみると、1990年代に誕生したクィア・スタディーズという学問分野は、明確にポスト構造主義を援用している。男女という二項対立に囚われない性の在り方を肯定し、さらに主体の脱構築を通してアイデンティティの流動性や両義性を認め、差異に基づくマイノリティの連帯を志向するものである。クィアの差別に抵抗する思想と脱構築的な音楽表現がパラレルになっている。
例えば、このシーンにおける最重要人物の一人であるArcaは2017年のele-kingのインタビューで、「自分は中間点にいる、どっちつかずだ」と語っている。ベネズエラにルーツを持ちつつアメリカでも暮らしているArcaは、どちらにも属したことがないという感覚を持っており、さらにセクシュアリティやジェンダーの面でも自分は中間に存在すると感じているのである。これはまさにアーティスト自身が二項対立の曖昧な境界線の上にアイデンティティを持っているということだ。そして、そのようなどっちつかずの状態において受けることを余儀なくされる差別や抑圧の中で、感じている苦痛から美しいものを作りだそうとしていると述べている。自画像を極端にも奇形化したアルバムジャケットや『Mutant』(2015)というアルバムタイトルにも見られるように、自らが異形であることを敢えて前面に表し、その苦痛を表現することとDeconstructed Clubにおけるインダストリアル由来の狂暴なサウンドが結びついているのだ。その表現に美を見出すことでマイノリティの人々そして自分が他とは違うことを肯定するのである。
Loticも2015年のResident Advisorのインタビューで黒人でゲイであることを作品を通して率直に表現したい、と語る。SoundCloudに投稿されているDJミックス『DAMSEL in DISTRESS』(2014)では、刺々しいインダストリアルやノイズが吹き荒れる不穏なサウンドスケープを体験できるが、それはLotic自身の苦しみを物語っているように思える。
2017年にトランスジェンダーであることを明かし、2021年に不慮の事故で亡くなった際にはLGBTQ+のコミュニティでジェンダー解放のアイコンとして残していこうとする運動も起こった、SOPHIEもこの周辺のシーンの重要人物だ。SOPHIEはDeconstructed Club的な要素を十分に持っているが、ジャンルに分類するならばBubblegum Bassということになるだろう。Bubblegum Bassとは、A.G. Cookが設立した〈PC Music〉というロンドンのレーベルの周辺で展開される音楽を指し、Deconstructed Clubよりもキッチュでキャッチーなエレクトロ・ポップ・ミュージックである。SOPHIEはBubblegum Bassの象徴的存在であった。
さらに、Bubblegum Bassに近いジャンルとして、Hyperpopも重要である。Deconstructed ClubとBubblegum Bassがテン年代にあるとすれば、それらに関連して発生したHyperpopは20年代の音楽ということになるだろう。Spotifyの公式プレイリストの名称に端を発するこのジャンルの起源の一つとしてもDeconstructed Clubは位置付けられる。Hyperpopは基本的に歌モノであるが、過剰で攻撃性のあるサウンドは通底しており、クィアのアーティストの活動の場となっている点も共通している。今度はポップ・ミュージックの脱構築がクィアの辺境性への抵抗と重なるのである。先述したArcaや、Hyperpopの多くのアーティストが極端にピッチシフトしたボーカルを用いることも、クィアネスの表現と接続しているとされている。
このように、Deconstructed Clubとその周辺のシーンは社会的マイノリティのコミュニティに基づいて成立しているのである。
2. Epic Collage
ここからは以上のDeconstructed Clubの議論を踏まえて、RYMのEpic CollageのDescriptionを幾つかに分けて引用して説明していく。冒頭の文章は以下のようになっている。
Epic Collageとは、音楽学者Adam Harperが、著名なプロデューサーであるElysia Crampton及び〈NON Worldwide〉を通じて展開されるデジタル・コラージュのような音楽形式を説明するために作った用語である。
先ずAdam Harperについてであるが、彼の有名な論考として、Vaporwaveについて述べた2012年のDummy Magazineの記事がある。これは、当時インターネット上に散乱していたVaporwaveという音楽に対して、資本主義的消費社会へのアイロニカルな姿勢や加速主義的な視点を指摘し、批評的に語られる契機を作ったというVaporwave史における重要な記事である。この記事において、現在はDeconstructed Clubの金字塔とされる『Classical Curves』(2012)で知られるJam Cityや上述のElysia Cramptonの別名義E+Eの名前が登場し、後編の記事ではこれらの音楽をVaporwaveから分岐した音楽としてDistroidという名称を提唱して説明している。現在Distroidという言葉は使用されていないが、後のDeconstructed Club、Post-Clubにあたる範囲に近いところを指していたと考えられる。なお、双方関連はしているものの、Deconstructed ClubがVaporwaveから派生したという解釈は現在は一般的ではない。
その後、2014年に上の引用のようにEpic Collageなる言葉を使ったのがこのThe FADERの記事である。ここでは、GHE20G0TH1Kにも参加していたDJのTotal Freedom、〈NON Worldwide〉を設立したDiamond Black Hearted Boy(別名Chino Amobi)、そして冒頭で述べたLos ThuthanakaのメンバーであるE+EことElysia Cramptonについて述べられている。中でも最重要なのがElysia Cramptonであろう。彼女はボリビアのアイマラ族をルーツに持つアメリカ人で、トランスジェンダーである。やはり、彼女も社会の中心とされてきた人々から疎外された存在であって、その状況に対する抵抗への意識と音楽が結びついている。
このスタイルは、Deconstructed Clubのテーマ的要素を活用し、現代のポスト・インダストリアル音楽と直接的に並行してそのざらついた音の質感を取り入れつつも、必ずしもビート主体やクラブ志向ではなく、より広がりのある映画的アプローチを好む。これはむしろ、アンビエント、グリッチ、ノイズ、ニューエイジ、シネマティック・クラシカル、ネイチャー・レコーディング、プログレッシヴ・エレクトロニックなどのジャンルに近いものと言えるだろう。
これら2つの引用から分かるように、Deconstructed Clubは実験性を持つとはいえクラブ・ミュージックの範疇にあるのに対して、Epic Collageは名前の通りコラージュ音楽である。前項では詳しく述べなかったが、Deconstructed Clubもコラージュ性を持つのが特徴の一つであり、Epic Collageはそれを強調したものだと言える。
こういう書き方ではDeconstructed Clubが先にあってEpic Collageが後から出てきたように思えるが、E+EやDiamond Black Hearted Boyはゼロ年代末から活動しており、コラージュ要素が強いものとしてDeconstructed Clubと同時に発展してきたものである。寧ろ、言葉として登場するのは恐らくEpic Collageの方が早かった。ただし、RYMに登録されるなどしてジャンル名として定着していくのはDeconstructed Clubの方が早く(この周辺のシーンに日本で最も詳しいと思われる音楽ライターの門脇綱生氏が2018年に作ったこのプレイリストは、Deconstructed Clubとして世界最古のものらしい)、Epic Collageがジャンル名として認識されるのは20年代に入ってからのようだ。冒頭でも述べたようにEpic Collageという名称が使用されず、Deconstructed Clubとして纏めて書かれていることも多い。
RYMではユーザーの提案と投票によってジャンルの登録も決定されるのだが、上の引用における「現代のポスト・インダストリアル音楽と直接的に並行して」の部分に関連してRYM上では論争があったようだ。ジャンル同士の関係、即ち何が何のサブジャンルになっているのかを示す欄において、Epic CollageはElectronic、Post-Industrial、Sound CollageのサブジャンルだったところをPost-Industrialを消去するという変更が行われている(ちなみに、Deconstructed ClubはElectronic Dance MusicとPost-Industrialのサブジャンル)。その根拠として、E+EのEP『Bound Adam』などアンビエント的でPost-Industrialに当てはまらないないEpic Collageも存在することを提示している。Epic CollageはDeconstructed Clubと隣接しているが、コラージュ中心で必ずしもインダストリアルのサウンドではなくてもよいという点が相違点になっていると考えられる。
ここで重要なのが、このコラージュという手法を用いることで、ポストコロニアリズム(脱植民地主義)的な発想をより明確に発信することができるという点だ。ポストコロニアリズムもポストモダニズムに影響を受けた思想で、近代にヨーロッパを中心として展開された帝国主義や植民地主義を批判し、植民地の支配者と被支配者の二項対立を脱構築して被支配者の側に立って分析を行う。近代=モダンというものが帝国主義的に啓蒙的に拡大していくことを是とする価値観を持っていると考えると、ポスト構造主義の代表的哲学者であるリオタールの述べるポストモダン、即ち大きな物語が終焉し小さな物語の時代になるという図式にも当てはめられるだろう。
植民地支配は文化にも抑圧を与えてしまう。支配者の文化が正統なものであるとみなされ、被支配者の文化が劣位に置かれるのだ。被支配者の側の文化を評価するときも、それがエキゾチックで普通とは違うことが面白いなどとして異国趣味的に受容されてしまいがちである。音楽においてもワールドミュージックがブームになったときは、このように正統なものから外れた謂わば変なものとしてウケていたと考えられる。ポストコロニアリズムではこれを批判し、被支配者のアイデンティティを肯定して西洋中心的な価値観を相対化した音楽の在り方を模索する。
Red Bullの記事やDAZEDの記事を見ると分かるように、Elysia Cramptonは実際にポストコロニアリズム的な思想を内包しており、自身のルーツであるボリビアとその周辺のワイニョやクンビアなどの音楽をサンプルとして用い、コラージュ芸術を作る。しかし、彼女のアイデンティティは固定化されたものではなく、クィアであったり、ボリビアの現地の神話に影響を受けつつもキリスト教徒であったり、ボリビア系アメリカ人であったりする。そのため、彼女の作品では多様な要素が混在したエクスペリメンタルが形成されるが、そういった折衷的な姿勢もコラージュという手法と合致していると言えるだろう。
Deconstructed Clubにおいても、Arcaのようにラテン音楽のリズムを取り入れたラテン・エレクトロニックに近いものが多かったり、ブラジルのバイレファンキや南アフリカのGqomのDJミックスが行われたりしており、反植民地主義の志向が存在している。Deconstructed Clubの項で紹介してもよかったのだが、コラージュとの相性を考えてここで紹介した。
Epic Collageでは、スポークンワード、詩、ラジオドラマなどの要素が取り入れられることがあり、これらはしばしば合成音声、ASMRの語り音声、ポップメディア(映画やゲームのセリフ、インタビュー、バイラルビデオなど)のサンプルの使用を通じて表現される。
Epic Collageのアーティストたちは、しばしばポップ、コンテンポラリーR&B、トラップ、ニューメタルといったジャンルのボーカルステムなど、認識可能なサンプルを文脈から切り離して使い、それに一見対照的な音響背景を与えることで、単なるマッシュアップを超えた、全体としてより深い意味を持つ作品を作り出す。これにより、従来のマッシュアップのような軽快さではなく、むしろ重厚さが表現されるのである。
「認識可能なサンプルを文脈から切り離して使い」という部分は非常に重要である。この文言こそポストモダンと言える。ポストモダンでは歴史の物語をそのまま受け継がず、過去を断片的に用いて新たな文脈を作り出す。その引用をコラージュして生まれる折衷性、多元性、多義性、混淆性、無秩序性もポストモダン的であり、それがEpic Collageの美学になっていると言えるだろう。上述のAdam HarperのEpic Collageの記事でも、E+Eの音楽の引用元はチャートに入るようなポップ・ミュージックからスピリチュアルな神学にまで及ぶと記述されており、シュールレアリスム的という表現も登場する。その接続による奥行きがEpic CollageをEpicたらしめている。
このスタイルのリリース作品には、Chino Amobi『Paradiso』のようなトレイラー的衝撃音や機関銃のような音、Sentinel『Murmur』に見られる森の小動物のざわめき、Amnesia Scanner, Bill Kouligas『Lexachast』の引き伸ばされた歪んだサンプル使いなどが見られ、どれもDeconstructed Clubと美学的な関係を共有しながら、異なる表現を見せている。
ここでは、作品の例を挙げてサンプルの使い方においてDeconstructed Clubとの共通点を指摘している。作品の紹介については最後の項で行いたい。
ここまでDeconstructed ClubとEpic Collageにおいて、ポストモダンやクィアネス、ポストコロニアリズムが見出せるということを見てきた。ここで、そもそも脱構築される対象の一つであったハウス・ミュージックは、有色人種のゲイのコミュニティを起源として1970年代にシカゴで誕生した、という点を補足しておきたい。例えばこのnoteの記事では、DJサンプリングを用いるハウス、テクノ、ヒップホップにおいてポストモダン性があることを指摘している。元来ハウスが持っていた精神性を矮小化して、マジョリティの人間がファッションとして消費することが主流化している現状を、植民地主義の文化の盗用的な観点で見れば、Deconstructed Clubはそれを再び取り戻すという意味でも捉えられるだろう。
そして最後にもう一つ、ポスト・インターネットというキーワードを紹介しておきたい。これはインターネットがスマートフォンの普及等によって遍在化した状況を指す言葉であり、Deconstructed ClubとEpic CollageからBubblegum BassやHyperpop、更にはVaporwaveまで含む音楽を指す語として、2018年のAdam Harperによるシーン総括的なRed Bullの記事や、今年発売のミュージック・マガジンのディスクガイドにおける門脇綱生氏によるトピック解説でも用いられている。なお、これらの文章にDeconstructed Clubという語は登場するが、Epic Collageという語は登場しない、ということからもEpic Collageが積極的に使用されていない様子が分かる。
これらのアンダーグラウンドな音楽はインターネットを通して成立したものであり、インターネット性が本質でもある。野田努がJam Cityのアルバムをレビューしたele-kingの記事では、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノのような「地域の特性が音楽を特徴づけてきたクラブ・ミュージックにおいて、具体的な場も党派性もない、ネット上から情報収集した雑食性に特徴を持つクラブ・ミュージック」がDeconstructed Clubであるとしている。ポスト構造主義における重要なワードとしてドゥルーズ+ガタリが提唱したリゾームという概念があり、これは中心も始まりも終わりもなく多方に錯綜するモデルを指すのだが、インターネットはまさにリゾーム的だ。中心と周縁という構造ではないインターネットだからこそ、Deconstructed ClubやEpic Collageは成立したのである。
また、Adam Harperの記事ではポスト・インターネット・ミュージックはAccelerationist Musicとも呼ばれると記述されている。つまり、加速主義的な音楽なのである。加速主義とは、資本主義を過激に押し進め、その到達の果てにある変革を求める思想であるが、これもドゥルーズ+ガタリの脱領土化という概念に依拠しており、ここにもポストモダンが現れる。ポスト・インターネット音楽の過剰性や飽和性、終末論的なデザインが加速主義と結びついている。
Deconstructed ClubやEpic Collageは今でも拡大を続けている。特にEpic Collageはテン年代エクスペリメンタルの一つの潮流であるが、RYMを見るに20年代の中頃の現在リアルタイムでリリース数が伸びていることが分かる。
Hyperpopに代わって今後Epic Collageがエクスペリメンタルを牽引していくかのような勢いである。これはジャンルの解釈が広がっているというのもあるだろうし、ジャンルが依拠している思想に関係なく音楽性や音像だけがリファレンスとなって波及しているという側面もあるだろう。ただ、そのようにインターネットに中心なく存在している様や、ジャンルの定義範囲の曖昧な動きに見られるように、このシーン自体がポストモダン的に存在しており、大きな痕跡を残しているのだ。
3. 作品紹介
以下、Epic Collage或いはその周辺にあると考えられる作品を25枚紹介してこの記事を終える。
E+E『The Light That You Gave Me to See You』(2013)
Self-Released
Adam HarperがEpic Collageを提唱した2014年の記事でも念頭に置かれていた、記念碑的アルバム。自身の周縁性に基づく凶暴なサウンドデザイン、カオスの構成、多様なサンプリングのコラージュ、どれを取ってもEpic Collageの最たる例であると言えよう。Justin BieberやRihannaのボーカルステムを露骨に用いたり、起伏が激しかったり、後の作品にはない初期作品ならではの衝動を感じることができる。Epic Collageだけでなく、より広くDeconstructed Clubの黎明期の作品としても重要な一枚である。
Elysia Crampton『American Drift』(2015)
〈Blueberry〉
Adam Harperの記事から1年後、Elysia Crampton名義で初めてリリースしたアルバムである。この時期には、記事の存在を前提にした引用符付きの"Epic Collage"という書き方が幾つかのレビューで用いられている(ex : The FADER, Moo Kid)。本作はルーツであるボリビアだけでなく、拠点とするアメリカのバージニアの歴史にも意識が向けられているという。前作と比較するとより纏まった印象が強く、Epic Collageのインダストリアルに限らないアンビエント的なスタイルに差し掛かっている。
Chuquimamani-Condori『DJ E』(2023)
Self-Released
Elysia Cramptonの更なる別名義の作品。Pitchforkの2020年代前半ベストアルバムではサプライズ的に9位に選出されている。この作品は、彼女のディスコグラフィーだけでなくEpic Collage全体を見渡しても最高傑作なのではないかと私は思う。サンプルはすべて必然性を持って音楽のピースを担い、異なる領域のものが一切の無理なく隣合っている。ボリビアの伝統音楽がノイズやビート、エレクトロニックと混ざり合って共存しながら、神聖で儀式的かつエモーショナルな空前のダイナミズムを形成し、その融合が他に類を見ない次元で成立している壮大な30分間である。
Los Thuthanaka『Los Thuthanaka』(2025)
Self-Released
冒頭に紹介したElysia Cramptonとその兄Joshua Chuquimia Cramptonによるユニットのアルバム。Joshua Chuquimia Cramptonは、Elysia Crampton同様アンデス音楽に根差しつつもソロ作でノイズロックやシューゲイズを感じさせるギター音楽を手掛けている。今作はその影響も色濃く現れており、Epic Collageをレペゼンするような範囲からは若干外れているように思われる。また、反復という手法もElysia Cramptonの音楽にはあまり見られなかったものだ。ボリビアの音楽の少しずつズレたリズムを反復したり、サイケデリックなギターに突っ掛かりを持たせたりすることで、「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」ようなアルバムである。
Chino Amobi『PARADISO』(2017)
〈NON Worldwide〉
〈NON Worldwide〉とは、アフリカ人とアフリカン・ディアスポラ、即ち奴隷貿易などの影響で現在世界中に離散したアフリカルーツの人々のための実験的コレクティヴである。ナイジェリアにルーツがあり、このレーベルの設立者の一人であるChino Amobiは、有色人種の連帯の象徴になろうとする政治的意識を持っている。インタビューによると、その大部分がElysia Cramptonとのやりとりからインスパイアされたという『PARADISO』は、黒人の多いアメリカ南部やグローバルサウスといった、二項対立で現状劣位に置かれている南部地域の文化を祝福することがコンセプト。アグレッシヴなサンプルやスポークンワードが重厚に配置され、完全にクラブ・ミュージックとは別の場所に位置しているEpic Collageの代表作である。
Total Freedom『10,000 Screaming Faggots (Hood by Air FW14)』(2014)
Self-Released
Total FreedomはAdam HarperのEpic Collage記事にも登場したDJ。Epic CollageとDeconstructed Clubにおいては、DJによるミックスの存在も重要だ。この作品は、LGBTQコミュニティのサポートも行うブランドHood By Airのランウェイショーで用いられ、SoundCloud上にアップされているDJミックスである。破壊的にデザインされたミックスは、ダンスフロアとエクスペリメンタルを繋いでいる。
TCF『415C47197F78E811FEEB7862288306EC4137FD4EC3DED8B』(2014)
〈Liberation Technologies〉
ノルウェー出身、ベルリンを拠点に活動するTCFのEP。Adam Harperの記事ではFelix Lee、Why Beと共にヨーロッパでのEpic Collageの例として紹介されている。コラージュ音楽というよりアンビエントや冷淡なエレクトロニカと言える内容だが、デジタルで抽象的であり、多重に張り詰めて差し迫ってくるような音像は、ここで紹介している他の作品と呼応するものである。
M.E.S.H.『Piteous Gate』(2015)
〈PAN〉
EartheaterやAmnesia Scanner、さらに少し範囲を外れてMarina HerlopやYves Tumorのリリースもある、テン年代エクスペリメンタルを代表するベルリンのレーベル〈PAN〉より。どちらかと言えばDeconstructed Clubだろうか。音数は比較的少なめで、産業的なサンプルを鋭利に織り交ぜ、ディストピアストーリーを構成する作品だ。Epic Collageという語が使われているオランダのメディアの記事では、Elysia Crampton、Fisと並列して語られている。
Rabit『Les fleurs du mal』(2017)
〈Halcyon Veil〉
Elysia CramptonやChino Amobiの作品にも参加しているRabitの17年作。LoticやVessel、Sd LaikaといったDeconstructed Clubの中心的アーティストが属する〈Tri Angle〉から2015年にリリースした『Communion』と比較して、自身が立ち上げWhy BeやJesse Osbourne-Lanthierのリリースも行った〈Halcyon Veil〉からリリースした本作は、よりビートレスでアンビエンスの割合が高い。Deconstructed Club的なものからEpic Collage的なものに重心が移動した、と言えるのではないかと思う。
Sadaf『History Of Heat』(2019)
〈Blueberry〉
イラン生まれ、カナダ育ち、ニューヨークを拠点に活動するSadafの唯一のフルアルバム。ペルシアの伝統音楽を軸に世界中のポップミュージックを参照し、儀式的な女性ボーカルや気高いストリングス、ノイジーなビートと絡み合っていく。中心のない流動的な混沌の中で、肉体性が官能によって神聖なものに接続し、宗教性を帯びて氾濫していく様に圧倒されるような一作である。リリース元は『American Drift』と同じ〈Blueberry〉。
Yikii『Flower's Grave』(2019)
〈Genome 6.66 Mbp〉
2017年から活動を始め、現在20枚以上のアルバムをリリースしている中国の多作実験作家の一枚。Yikiiの音楽は何よりも恐怖の表出という面で優れている。中国の土着文化と結びついたホラー感覚や、不協和音、ノイズ、そして向こう側の文脈を見えなくさせるコラージュが恐怖を喚起する。Deconstructed ClubやEpic Collageとの同時代性を持ちつつ、現実と非現実を脱構築した夢現の情緒が独特の美しさを放っている。
Neo Geodesia『2562 Neon Flames』(2021)
〈CHINABOT〉
アジア各地の音楽を新たな形で届けるコレクティヴ〈CHINABOT〉は、アジアの伝統音楽と様々な現代の音楽スタイルを融合させることに成功している。その設立者であるNeo Geodeosiaのこのアルバムは、自身のルーツであるカンボジアのクメール人の音楽に、Epic Collage的な電子的撹拌を施した作品である。カンボジア仏教音楽の一つであるスモットからテレビ番組のジングルまで、様々な素材をコラージュした壮大なレクイエムとなっている。
ABADIR『Ison』(2023)
〈SVBKVLT〉
カイロ出身で、エジプトで発展したキリスト教の一派であるコプト教徒として育ったABADIRは、この作品について「純粋に個人的なもの」と語る。エキゾチックなものとしてではなく、自らのアイデンティティを表現するものとして、周縁部に位置すると考えられているエジプトでのキリスト教の教会音楽のフィールド・レコーディングを、他の様々な宗派のものと共に使用している。聖歌隊の合唱のサンプルはドローンのようにも機能しており、Epic Collageの中でもアンビエントに近いタイプの作品の一つである。〈SVBKVLT〉は〈Genome 6.66 Mbp〉と共に上海からアジアのDeconstructed Club周辺シーンを牽引する重要レーベル。
weed420『Amor de encava』(2025)
Self-Released
今年の話題作の一つであり、Bandcamp Dailyでも紹介された。記事内ではElysia CramptonとJoshua Chuquimania Cramptonがリファレンスにあると記述されており、またBandcampでアーティスト自身が付けられるジャンルタグにはEpic Collageが含まれている。Epic Collageで括られる主要アーティストも自らEpic Collageとタグ付けすることはあまりなかったのだが、ここ数年意識的に付けられたリリースが急増している(去年と今年で全体の約半分を占める)。weed420はベネズエラのグループで、レゲトンやサルサのリズム、ベネズエラのテレビCMや交通騒音のサンプルを利用し、ベネズエラで生きることの苦難を表現する。ノイズの液体的な感触を聴くと、Hypnagogic Pop、Vapornoise、Plunderphonicsといったジャンル名も浮かんでくる。
23wa『AZ』(2025)
〈IDL〉
こちらも今年の作品で、7月にリリースされると一部で注目を集め、現在レーティング数は少ないもののRYMにおいてEpic Collageのアルバムの中でオールタイム1位にランクインするほど評価されている。23waはエクスペリメンタル・ヒップホップのアーティストとして活動してきたが、今作ではElysia Cramptonを彷彿とさせるインダストリアル風味のカオティックなコラージュを展開。底知れぬエネルギーを放つ快作で、シーンの活性化が感じられる。
Aho Ssan『Rhizomes』(2023)
〈Other People〉
タイトルのRhizomesとは、先述したドゥルーズ+ガタリのリゾームのことである。これは、軸も中心もなくあらゆる方向に広がりを持ち、多様な要素が繋がっているというEpic Collage的な音楽的特徴を指していると同時に、それを達成するために行った様々なアーティストとのコラボレーション関係の構造も示している。実際、〈Other People〉のファウンダーであるNicolás Jaarを始め、Moor Mother、clipping、Valentina Magaletti、Rắn Cạp Đuôiなど、フィーチャーしたアーティストは多岐にわたる。
julek ploski『śpie』(2019)
〈Gin&Platonic〉
私の調べた限り、BandcampでEpic Collageのタグが付けられたテン年代のリリースは10個程度しかなかったのだが、その内3つがjulek ploskiだった。『śpie』は多様性のある大量の音の粒が絶妙かつ奇妙に造形する芸術的Epic Collageである。Deconstructed Clubのタグも付けられており、実際にインダストリアルなテクスチャが支配的であるが、GHE20G0TH1Kで見られるような暴力的イメージと共に、洗練された前衛芸術のような趣も感じられる。そのような相容れないムードを曖昧なまま結びつけている。
Hashirat『Her Animal』(2021)
Self-Released
アリゾナの実験作家の1stフル。2ndでより顕著になるEDMやHyperpop的な感覚も伴った、100分に及ぶ破壊的コラージュ作品である。Bandcampのセルフライナーノーツによると、本作は植民地主義や帝国主義の恐怖や痛みを超えた文化的アイデンティティの祝福であり、伝統や優位的な価値観を葬る混沌であるという。サンプルは解体されて曖昧な状態となり、ないまぜとなった無秩序な空間に漂っている。
Giant Claw『Soft Channel』(2017)
〈Orange Milk〉
〈Orange Milk〉の主宰者であり、death's dynamic shroudのメンバーでもあるKeith Rankinのソロプロジェクト、Giant Claw。このアルバムはVaporwaveとEpic Collageを繋ぐ作品とでも言えるだろうか。Vaporwaveの中でもクリーンなサウンドのUtopian Virtualに近いと思うのだが、Vaporwaveの響きが長く継続する空間系のエフェクトの感覚が全くなく、Vaporwaveを短く切断して繋ぎ合わせたような音楽に仕上がっている。しょうもなさを持ったサンプリングの使用という点でVaporwaveとEpic Collageは共通しているが、文脈から切り離した貼り合わせによって、Epic Collageはしょうもなさに留まらない重厚感を生む。
CVN『I.C.』(2019)
〈Orange Milk〉
アンダーグラウンドな音楽シーンを紹介する日本のウェブメディアAVYSSの主宰者であるCVNが〈Orange Milk〉からリリースしたアルバム。Koeosaemeや食品まつり等も含む彼の周辺のシーンは、最も面白い日本のエクスペリメンタルシーンの一つであろう。サンプルなどの音のオブジェクトが不規則に、そしてある程度の空白を持って並んでおり、そのどこか未来的な奇妙さに恐怖さえ覚えてしまうような作品だ。
MON/KU『MOMOKO blooms in 1.26D』(2023)
〈i75xsc3e〉
日本においてEpic Collageの最も近くで巨大な音楽を展開しているのはMON/KUではないだろうか。実際、skream!の記事で「エピック・コラージュ/ポスト・シューゲイザーの若き旗手」と紹介されたり、自らもChupuimamani-Condoriが好きだとツイートしたりしている。シーンと共鳴するインダストリアル要素があり、ときにジャズが現れ、Botanicaとも呼ばれるアコースティックなサウンドとの折衷やボーカルの叙情性もある、広く対象を咀嚼した特異点的作品である。
world's end girlfriend『Resistance & The Blessing』(2023)
〈Virgin Babylon Records〉
world's end girlfriendをEpic Collageという言葉で片付けてしまうのは野暮なのだろうが、このアルバムがEpic Collageを要素の一つとして持っているのは間違いない。このアルバムをレビューしたele-kingの記事にはPlunderphonicsと並んでEpic Collageが登場し、これはEpic Collageという言葉を用いた数少ない日本語記事の一つでもある。ポストロック的なギターが前面に現れるデザインはここで紹介している他の作品と一線を画すものの、記事でも述べられているように多様なサンプルを文脈と切り離して用い、あらゆるジャンルを破壊的に飲み込んだ145分の超大作は、まさにエピックなコラージュ作品であると言えるだろう。
Son Lux『Everything Everywhere All at Once』(2022)
〈A24 Music〉
映画『Everything Everywhere All at Once』のサウンドトラック。この映画自体、所謂ポリコレや多様性の極みであることこそが美点になっているような作品だ。多元的で、視覚的情報も含めて様々な要素を絡み合わせて貼り合わせたかのようであり、音楽もそれに見合った様相を呈している。2時間近くあるこのアルバムは基本的にクラシカルやアンビエントのように展開するが、映画のシーンと呼応するように究極的なカオスに到達することもある。恐らく文脈的にはEpic CollageやDeconstructed Clubに関係ないこの作品も、Epic Collageとして捉えることができるのではないだろうか。
The Ephemeron Loop『Psychonautic Escapism』(2022)
〈Heat Crimes〉
リーズを拠点に活動するアーティストが14年かけて制作した大作。自閉症、ADHD、トランス女性としてのアイデンティティを持って生き、探求する中での率直な表現の結実であると言う。この作品には、精神的な苦悩や孤独、或いはそんな中でのドラッグ体験が投影されており、ダークなアンビエントから攻撃的なインダストリアル、激しいメタル、そしてシューゲイズのようなサイケデリックな陶酔感まで非常に多様なジャンルが折衷され、エクストリームに混濁されている。RYMではEpic Collageとタグ付けされているが、独特な質感を纏っており、未だに語彙がないだけでもっと未来のエクスペリメンタルのジャンルに属するのではないかとも思える怪作である。
Asleep Country『Fake Opulent』(2023)
〈New Motion〉
Epic Collageすら飲み込んでしまうような、極めてハイカロリーな長尺作品もここでは数枚扱ってきた。その中でもこのアルバムは全編178分であり最も長い。Epic Collageの特徴の一つとしてシネマティックであることが挙げられているが、この作品は大半の映画より長く壮大で、超越的な芸術であるように思える。コラージュなのかどうかすら問題ではなくなるほど、我々を包み込む音の洪水はとめどなく続く。過剰な美しさで息が苦しくなってしまう。



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