【INTERVIEW】Shuta Hirakiに問う、最新作『Etude』とアンビエントのアクチュアリティ。
アンビエントは、その成り立ちから“目立たない”という哲学を持った音楽であるが、現在は少なくない音楽リスナーが選択的に、能動的にアンビエントに類する作品を選び、そして聴いているという時点で、もはやこの哲学は破綻をきたしているのかもしれない。今の音楽視聴環境であれば、ストリーミングサービスにあるアンビエントのプレイリストをシャッフル再生するのが、最も理念に沿った聴き方であり、“癒し系”なものとして雰囲気を消費する人々の方が、原理主義的な聴き方をしているのかもしれない。ならば、作り手も破綻したアンビエント・ミュージックを作るべきではないだろうか。
飽き性で辛抱の足りない、刺激ジャンキー気味な私は、本質的にアンビエントを聴くのには向いていない、厄介なリスナーである。起承転結のような構成が見えるアンビエントに鼻白むことが多い。それは私がアンビエントに凡庸なストーリーテリングを求めていないからだ。一方で、ただの無気力なループミュージックがいいかと言えば、それも違う。それならば、空調か冷蔵庫のノイズを過剰に分析しながら聴く方が幾分か楽しい体験になる。このような話を、いつぞやにShuta Hiraki氏とした記憶がある。その時は、私のそのような旨のポストに興味を示して、声をかけていただいた。彼は音楽家でありながら、リスナーとしても卓越した目利きを持ち、文筆家としても独自の視点と軽やかな筆圧の文体と、確固たる批評精神を兼ね備える人物だ。それでいて、他者の多様な意見も柔軟に消化する方なので、私のいちゃもんに近い意見にも興味を示してくれた。
彼が作る音楽は、私が忌避するアンビエントとは対極にあると言っていいものだ。どの音にも指紋が付着しているように感じるほど、血の通ったもので、どこかにサプライズや快楽的要素が潜んでいる。アンビエントと言えば、相場では尺の長いものが多いが、彼は時にかなり短い尺の楽曲も作る。特に最新作『Etude』では、理想的なフォーミュラを見出している。ショートコンテンツの全盛期の時代にコミットしたアンビエントというものが実現すれば、それは間違いなく新たな音楽へのブレイクスルーだ。一方で、連続して聴くことでオーセンティックなアンビエントとしても受容することができる、音楽フォーマットとしての“アルバム”の価値を再考させられる、批評的な構造をだとも言える。
いま、最もアクチュアルな視点を持ったアンビエント作家、Shuta Hirakiに聞いた。
新たな制作プラットフォームで模索した、新たなサウンド
hiwatt(以下H) :今回のアルバムを聴いて最初に思ったことは、曲の長さがアンビエントと呼ばれる音楽としては短いものも多く、長くても6分台で、長短を分けてこれらを構成したことで、退屈する隙がありませんでしたし、非常に居心地が良かったんです。しかも曲間がシームレスですよね。アルバムという表現のフォーマットとして、今回のディレクションは、特に現代の人々の耳には最適なものだったと思うのですが、意識されたことを教えてください。
Shuta Hiraki(以下S) :まず本作の制作の経緯として、最初からアルバムとしての構想があったわけではなく、「Etude」とのタイトルになっているように自分にとっての新しい制作環境で何ができるか試す目的で作っていた曲がいくつかありました。そこからアルバムへ発展させるにあたってそれらの間を繋ぐような小品的な曲なり展開を作っていったという流れなので、各楽曲の長さはそれで結果的に生まれたものという認識です。ただ私はアルバムというフォーマットにはとてもこだわりがあるので、通して聴いた時の流れについては結構細かく調整した記憶がありますね。アルバムとしての全体像がある程度見えてきてからは、(結果的に叶いませんでしたが)できればLPレコードでリリースしたいという欲も出てきたので、それに収まる規模にまとめたという側面もあります。なので自分にとっては本作は6、7曲目の間で一度切れるような意識です。全体的な規模感などの面で「現在の人々の耳には最適解」というのは私も感じている点ですが、そこを狙ったというよりも、まず自分自身が今40~45分辺りのアルバムがコンパクトさと充実感の面で一番しっくりくるという個人的な嗜好が先にありますね。
H: 「Etude」という言葉も多義的で、基礎練習や習作、スケッチ的な意味合いもあるかと思いますが、スケッチ集のような印象を受けました。また、この作品をレコード化するのは、ヴァイナルのエイジングと共にクラックルノイズが付与される経年変化との相性も非常に良さそうなので、是非とも実現して欲しいです!新たな制作環境とおっしゃられましたが、どのような環境の変化があったのでしょうか?
S: 基本的には音作りやその扱いなどの面で、これまでやってなかったこと含めいろいろと試してみようというところから出発しているので、それによる多様性や多義性はタイトルに合っているかなと(笑) ただ最終的には「これが(練習曲という意味での)エチュード?」と驚かれるような重厚さや聴き応えも感じられる仕上がりを目指しましたね。主題と相反するようなものを抱えた作品というビジョンは常に自分の中にある気がします。制作環境の変化についてはすごく単純で、メインDAWをAbletonからBitwigに切り替えたことですね。時系列でいうと『A Wanderer』の制作が終わったのが2022年の5月頃で、ここまではAbletonがメインでしたが、その後完全にBitwigをメインにして、2022年7月辺りから本作の制作に入りその年のうちにはほぼ完成していました。ややこしいんですが、2024年にリリースした『Lyrisme Météorologique』は今回の『Etude』より後に制作したものになります。
H: Abletonはもはや業界のスタンダードと言えるDAWかと思いますが、4年ほど使用してみてBitwigの特異性としてどのようなことが挙げられますか?
S: Bitwigの利点はいろいろあるんですが、私が特に助かっているポイントとしては①シンセのパラメーターを自動で動かすモジュレーション周りの複雑性とUIの扱いやすさ②複数のプロジェクトを並列で開いておいて行き来できる③動作が軽い、といったところですね。特に①は洗練されていて、ユーザー側でモジュレーターを自由に増設する前提の設計になっているため複雑な回路を組んでも扱いやすく、ポリ・モジュレーション(和音を弾いた時にLFOなどのモジュレーションがそれぞれ異なる周期や波形でかけられる)にも対応しているため簡単に複雑な音作りができます。なんとなくBitwigの設計思想には、アナログシンセやひいてはアコースティック楽器のサウンドが持つ複雑性(揺らぎ)をボイス数の厚みやポリフォニックな設計による力業で模倣、凌駕していこうとする野望めいたものを感じます(笑)
H: なるほど!アナログのモジュラーシンセじゃモノフォリックでしかやれないようなことを、ポリフォニックでもやれちゃう、しかも自由度が高いって感じですかね?それは12曲目の「横顔」などで聴けるシンセでしょうか?
S: 12曲目「横顔」で途中から入るシンセの低音でも、発音が起こるたびに音の揺らぎ方がかなり変わるようにしていますね。他にそのような機能を活用した音作りだと6曲目「Incense」で最後に一旦音が切れてから再度鳴る音色も入力されたMIDIノートに対して複数のオシレーターが毎回異なる倍音発生装置として動き、かつPhase Modulationで干渉しあうという仕組みにした記憶があります。私は何か風変りな音を作る際に、アコースティック楽器の音響を参考にすることがあるのですが、この音はたしかシンバルの弓弾きの音をイメージするところから始めたはずです。
H: 一方で、楽曲ごとに多彩なアコースティック楽器と見受けられる音が用いられていますよね。ここから楽曲ごとにお聞きしていきたいのですが、1曲目「Solstice」の主旋律はなにかの弦楽器を使用されているのでしょうか?それらとエレクトロニクスと組み合わせる上で意識されたことはありますでしょうか?また、メランコリックなメロディの楽曲ですが、先頭に配置した狙いも伺いたいです。
S: 1曲目のヴァイオリン(もしくは二胡)のような音はSWAM Violinという物理モデリングのソフトシンセをRoli seabordというコントローラーで弾いた音ですね。
この作品で聴こえてくる弦楽器的な音はこれで出している割合がかなり高いです。本作にははっきりとアコースティック楽器を思わせる響きであったり、主旋律があるといえる楽曲が多数あるのですが、そこはいわゆる「テクスチャー」として認知上処理されるようなサウンドのみで綴られる音楽に、(制作者として)やや飽きてきているというのが要因としてあります。「テクスチャー」が聴覚的に刺激物となるには、一定の異物感も重要だと思うのですが(そしてそれは多くの場合、雑音性の高い音響の挿入に期待されるものだと思うのですが)、私はリスナーとしての傾向的に抽象的な音響のみで綴られる作品を聴く割合が高いが故か、はっきりとした旋律という要素をむしろ異物感を加える要素として入れている感覚があります。なので電子音と合わせる際の意識においても、(もちろんある程度調整はするのですが)少し違和感があるというか浮いているくらいでもいいと考えていますね。この曲は収録曲の中でもかなり後に作ったものなんですが、その時点で先頭に持ってくるような曲がなかったので、半ば必要に駆られてというか、ベタに「幕開け」のような雰囲気やモチーフがあるものを狙って作りました(笑)
H: どういうソフトシンセか確認したのですが、グリッサンドまでこんなにも精緻に表現できるんですね…
音のテクスチャーと言えば、最初にお話しした「現代の人々の耳」に聴かせる上で、歌の無い音だけで伝えるアンビエントに類する音楽においては、特に大きな武器になり得る要素かと思います。関連する話として、「ドパガキ向けの音楽」という概念が流通しているように、短い尺の中で刺激的要素の多い楽曲の需要が増えているわけですが、その反面、メディテーションへの訴求に促して、局所的にアンビエントへの需要も高まっている印象もあります。ストリーミングが標準リスニング環境となった今、Hirakiさんもそこに音源を置くべきかという葛藤もあるかと思います。こうした状況をどう見ているかということと、今作にそんな状況が影響を与えたのか、お聞きしたいです。
S: 正にグリッサンドやビブラートのニュアンスはこの音源とコントローラーを使う最大の利点ですね。ただこの辺の感触は音源というよりコントローラー(seaboard)によるところが大きい気がします。
現在のアンビエントを巡る(経済的な面も含めた)聴取環境については、やはりなかなか複雑な思いがあります。ここ十数年ほど(特にニューエイジ・アンビエントの隆盛が起こって以降)アンビエントの需要は様々な側面で広がったことはたしかで、それに関わる音楽家の活動領域の広がりや、経済的な面での恩恵といったものが生まれていると思います。特に後者に関しては「メディテーティブ」や「チル」といったタームとプレイリスト文化との相性のよさも追い風になっているでしょうね。ただ私の実感としては、そういった恩恵というのはある程度定式化された音楽性や聴取体系に則ったものにおいての話で、アンビエントと関りはあるものの逸脱的な要素も多く含んだ作家や作品は(一部のビッグネームなどの例外を除いて)そことスムーズに繋がってはいないという認識です。私はリスナーとしても制作者としても、アンビエントの定型に綺麗に収まるものを聴いたり作ったりすることはあまり多くないので、ある種の「溝」を感じることも少なくありません。個人的に非常に尊敬しているRacineというエレクトロニック・ミュージシャンがいるのですが、彼が参加しているユニットCorporationが今年リリースした作品『DRAME I : Hiver de force』のリリースまでの経緯も、そういった「溝」を象徴する事例のように思えました。
『Etude』は結果的にこれまでの私の作品では見られなかった4分前後の曲が10以上並ぶという形式になっているので、見方によっては「ポピュラー」な構成なのですが、含まれるサウンドは雑多ですし、例えば「メディテーティブ」や「チル」といった特定の方向性に回収できるものを目指してもいないので、先に述べたような「複雑な思い」は自然と反映されて(しまって)いるのではないかと思います。
H: seaboardと言えばピッチベンドやビブラートを能動的にコントロールできるMIDIキーボードですよね。一昨年にリリースされた「Graveyard」もグリッサンドするシンセが印象的でしたし、5曲目の「鵞鳥白鳥」でもそれは同様でした。
このような演出も、ある種、刺激的なマテリアルと言えますが、一方でOneohtrix Point Neverを想起するような「鵞鳥白鳥」の終盤や、「For North」でも聴けるような、「メディテーティブ」や「チル」とは真逆の、非常にエモーショナル、曲によっては激情的とさえ言えるサウンドは、「複雑な思い」として無意識的に出てきたのでしょうか?もしくはなにかリファレンスがあったりですとか、このタイミングで作りたいという意図があったのでしょうか?
S: 「Graveyard」の中盤や「鵞鳥白鳥」の前半も同じ手法ですね。「For North」もかなり近いといっていいと思います。この辺りの表現については、アンビエントから得た音響感覚やサウンドの実験を踏まえたうえで、それをより拡張的なかたちで用いてみたいという欲求からきていると思います。正統的なアンビエントであれば、聴取者に対して意識に急激に深く食い込み過ぎず、かといって簡単に飽きられてもしまわぬよう、表面的な穏やかさとそこに潜む様々なレイヤーでの「揺らぎ」のバランスを慎重に取ることに表現の神髄があると思うのですが、本作に至る近年の私の関心は、音楽的な多様性がそのバランスを食い破るような様相になっているかもしれません。なので慎重に調整されたアンビエントが目指すような「機能」の面での美しさを、(もちろん否定しているわけではありませんが)特に本作ではほとんど気にしていませんね。
このような関心の在り方は、やはりアンビエントに接地するような領域にありながら、より実験的で自由な作風をとるアーティストたちの様々な作品に触れている中で自然と育まれてきたものです。ムードであったり、時には仰るような激情的な旋律といったかたちで表れる(私の言葉で言うなら)「哀歌」的なニュアンスも、そのようにして生まれたものの一つですね。ただこういったビジョンは私としてはかなり前から思い描いていたもので、2021年に出した『白炭』という作品で既にそれを試してもいたので、今このタイミングのというよりも最早継続的な関心といったほうがいいかなと思います。
「鵞鳥白鳥」の終盤に関しては、これと次の曲の間にダイナミックな展開がほしいと思って作ったのですが、ちょっと振り切りすぎかなと迷いはありました(笑) でも今はとても気に入っています。
アンビエントにおける有機性の有無と、有機性の根源となったアジア映画からの影響
H : 近年はシュルティボックスの演奏であったり、Hirakiさんの持続音の表現は明確に労力を要していると思うんですね。もっと抽象的になってしまいますが、血が通っているというか。アンビエントのジャンルではそれが感じ取れないものも多く、個人的にはそれを感じ取れなかった時にハマれないことが多いのですが、ミュージシャンシップと言いますか、表現におけるポリシーを最新作からも強く感じます。
S: アンビエント自体、例えばルーパーを使って簡単に作れるとか、「血が通っていない」音楽と捉えられかねないところがある種の良さでもありますからね。そこに違和感を感じる人が一定数出るのは宿命といっていいと思います。私自身も、アンビエント的な音作りなり音楽的な発想からスタートした作家にしては、ルーパーなど機械的な持続を生むシステムに頼る割合はとても少ないほうだと思いますし、そこを乗り越えたい気持ちはあります。ミュージシャンシップというと大袈裟に感じてしまうのですが、私はジャズが好きでジャズミュージシャンの正に臨機応変な音楽的な振る舞いの多様さに憧れがあるのは大きいと思います。ただ私は特定の楽器のエキスパートでは全くないので(シュルティボックスはかなり扱いが簡単な楽器で、私の使用法はとても限定的です)、そういった人間がしかしどうにかしてジャズ的な有機性への憧れを昇華した結果、こういったことになっているという感じでしょうか(笑)
H: 有機的な楽器と言うと、9曲目の「白舟」も規則的に鳴る拍子木が、作中でも異質な存在でしたが、タイトルに引っ張られて和風に感じる一方で、メロディが日本的かというとそうでもなく、拍子木をCR-78のクラベスにその機能を転換して捉えた時に、80年代的なものにも感じました。比較的、リバーブが短く、ゲートリバーブのように感じたというのもあるかもしれません。この曲はどのような発想で作られたのでしょうか?
S: CR-78のクラベスに置き換えて捉えてみるというのは面白いですね。この曲はかなりベタなアプローチでアンビエント・ジャズをやってみた曲で、揺らめくような電子音のうえで旋律的な動きを聴かせるという発想がベースとなっています。メインとなるのは自分で吹いたトロンボーンをサンプラーに入れて弾き直した旋律で、いくつかの音階を行き来しながら動いているという意味でジャズ的といえるかなと。拍子木のような音の入るリズム面はかなりスタティックなのでそこが80年代的という印象に繋がるのかもしれませんね。「和風」との印象もありがたいです。この作品は全体的なトーンとして、アジアの映画監督によるフィルム・ノワール的な作品から得たイメージであったり、湿気の多い季節や土地の雰囲気を意識していたので、その辺りが影響しているのかもしれません。
H: アジアのフィルム・ノワールから着想を得たというのはしっくりきます!先に触れた激情的なサウンドは、言い換えればバイオレンスを感じたのですが、印象として一般的なアクション映画と言うより、ノワール映画の方が近かったので。具体的な作品名をお聞きしたいです。
S: フィルム・ノワールの持つ雰囲気であったり、比較的近年のアジアのそれが持つ色彩感は本当に大きなインスピレーションですね。具体的な作品ですとディアオ・イーナンの『薄氷の殺人』と『鵞鳥湖の夜』、ビー・ガン『ロングデイズ・ジャーニー』は細部にも全体としても惹かれる部分が多いフェイバリットですし、ウォン・カーウァイ『天使の涙』の雑多さや、韓国ノワール(例えばパク・チャヌク関連作品)のショッキングさも、音を作る際に思い浮かべることがあります。
H: 今作は英語と日本語の題目が入り混じっていますね。『鵞鳥湖の夜』とリンクするかのように「鵞鳥白鳥」という曲もありますが、そのタイトルをテーマにして音像化するか、出来上がった曲のイメージに合うものを付けるか、もしくは制作していた状況から名付けているのでしょうか?
S: 曲名は常に悩みどころでして、基本的にはほぼ全て曲ができた後にどうにか捻りだして付けていますね(笑) 「鵞鳥白鳥」は正に『鵞鳥湖の夜』へのちょっとしたオマージュ意識、「Solstice」は作品全体の季節感、「白舟」はアンビエント・ジャズ的なアプローチなのでナラ・シネフロをモジってみたのが着想源ですが、他はこれといったリファレンスもなく直感で付けたものです。文学的イメージを付したい時などは知人に相談することもあって、例えばShuta Hiraki & Shuma Ando『idiorrythmie』では曲名を安藤さんに任せたことで作品の輪郭が一気に固まったということもありました(経緯は以下のnoteに書いています)。
H: 個人的には「Liquid Ash」というナンセンスながら納得感のあるタイトルが好きです(笑)
S: 曲名はほんと直感なので(笑) 珍しく日本語のタイトルが多数入っているのも、デザインを考えた時に漢字がある程度入っているのは今ならアリだなと感じたことが大きいです。
アンビエントは、歌やトレンドと相いれるのか
H: このアルバムを聴いていて、いくつかの曲はボーカルが乗っても成立するコンポジションだなと思ったんですね。特に「白舟」ですとか。これまで明確な歌曲を作られてはいないかと思いますが、自らの音楽に自分や他者の声が乗ることについて考えたり、もしくは現在進行形で考えていたりしますか?
S: 本作ははっきり主旋律がある曲もいくつかあるので、コンポジションの面でそういった関心はあるのですが、具体的にボーカルが乗るところまでは想像しておらず予定もないですね。ただ広義での「声」や「歌」というものを自分の音楽にどう封じ込められるかというのは強く意識しています。その意識が主旋律というかたちを取ることもありますし、抽象的なサウンドでも、その手触りに記名性を乗せられればそれは「声」に近しいものとなるはず、と考えて作っているところはあります。先に述べた「特定の楽器のエキスパートでない自分がどうジャズのような臨機応変さや有機性を取り込めるか」という観点と近いかもしれませんが、私は地声がとても低くしかも発声の音域がとても狭くて、世にある「歌」をほとんどろくに歌いこなせないので、そういった人間がいかにして「声」なり「歌」を確立できるか、という意識もあります。先に「哀歌」という表現を出しましたが、よりポピュラーな例えを出すと、制作の最中に自分がやっていることに対して「アンビエントを作るというよりフォークやブルースを作り歌うことに近いのかもしれない」と思うこともたまにあります。
ちょうど最近の体験になるんですがBoards Of Canadaの久々の作品『Inferno』の2曲目「Prophecy At 1420 MHz」で、ギターフレーズが入った瞬間にその手触り一発で彼らの過去の作品との繋がりや反響のようなものが意識を包み込み、彼らの作品世界に「呼び戻される」ような感覚があったんです。
あれこそ正に音楽的な広義の「声」がもたらすものだと思いますし、音楽が持つ魅力のうちでも非常に強力で惹かれるものだなと。あと数年前にMary Halvorsonというジャズ・ギタリストの演奏を間近で見る機会があったのですが、彼女は両足をペダル(おそらくボリュームペダルとディレイに繋いだエクスプレッションペダル)に終始乗せたまま演奏していて、手だけでなくその足の操作も一体となった表現が正に「声」というべき強力な記名性を放っていたのが大変印象に残っていますね。
これは音楽における「声」に思いを馳せる時に頻繁に思い出す経験です。
ただやはりこう書き起こしてみると私は現段階では自分の「声」なり「歌」に関心が向いているので、他者によるそれが入ってくるのは実現するとしてもかなり先の話かなと思います(笑)
H: Mick Jaggerの声=Rolling Stonesというような記号性だったり、Johnny Marrが話してたことで、母親がラジオから流れてきたギターを聴いて、自分の演奏だと認識されれば一流だってエピソードがありますけど、音のシグネチャーという点では今作はブレイクスルーになり得るんじゃないでしょうか?マイクロトナールの表現がフォーカスされる昨今の潮流とも親和性があると思います。一方で、潮流やトレンドなるものをどの程度意識されていますか?
S: やはり広義での「声」はとても重要ですよね…。一応本作は自分の中での位置付けとして『Voicing In Oblivion』~『白炭』~『A Wanderer』などのアンビエント・コラージュのような様相を持った作品の感触を引き継ぎつつ、それらの作品を支えていたサンプリングという技法をなるだけ使わずに自分で作ったシンセの音を中心に描く、というものでした。そしてそれをやるうえでシグネチャーの模索は最も力を注いだ部分といっていいと思います。そういった意味で本作は自分のこれからの制作のプロトタイプにもなり得るかなと。
トレンドへの意識については、私は新譜を聴く割合も高いほうだと思うのでそれなりにありますね。マイクロトーナルな試みについてはドローン的なアプローチをやっていると自然に関心が出てくるのでトレンドとの関りはたまたまという認識ですが(そして本作ではマイクロトーナルなアプローチはごく僅かですが)、他にもいろいろと意識していることはあります。本作の制作時点だと、やはりシンセでの現代的な音作りを模索するにあたって、デコンストラクテッド・クラブ以降な感性を持った様々なアーティストの作品はとても参考になりました。例え最終的にアンビエント寄りの作風に着地するとしても、現代的なアトモスフィアの感触をそこに埋め込みたいなら一度そこを経過するのは必須のように感じています。他に気になる潮流としてはダブ・テクノ~ダブ・アンビエントの流れですね。本作においてはそこへの意識は「浮」という曲で少し試した程度なのですが、自分の作風へ取り入れられそうな要素はまだいろいろとありそうだなと感じています。
アンビエントへ深くコミットしている音楽家というのはある程度自身の作風が確立されると、表面的な音楽性の更新よりも、それの利用領域の開拓や、制作プロセス/ツールの開発に注力していくケースが多いように思うのですが、私は表面的な更新への興味が薄れないタイプで、割と珍しいのかもしれません。
H: 今作におけるマイクロトーナルについては、グリッサンドでの微分音の移ろいにとてつもない快楽を感じました!
おっしゃるように、ダブ・テクノ〜ダブ・アンビエントとの接続は聴いた上で感じていて、個人的に嬉しかったポイントです!具体的に感銘を受けた作品はありますでしょうか?また、Hirakiさんの音楽リスナーとしてのスタンスも尊敬してやまない側面なのですが、自身の制作と並行する中で、影響を受け過ぎないように割り切るように意識をされているのでしょうか?
S: グリッサンドの中にそれを見出していただけるのは最高です!マイクロトーナルなアプローチにもいろいろやり方はあって、音程の比率などから12平均律以外のグリッドを持ち出して(時には自分で作って)それに沿うというのがきっちりしたやり方になると思いますが、グリッサンドでの表現は完全に感覚的にやってる部分で、これは「歌」における「節」の延長線上というか、とても身体的な方法で、やってみるとどちらもとても面白いんですよね。
ダブ・テクノ~ダブ・アンビエントだとtau contrib『encode』は折に触れて聴き返す愛聴盤になってますね。これはこの潮流ならでは抽象性が本当に美しいかたちで収められていると思います。かなり拡張的な例だとSpace Afrika『Honest Labour』は衝撃的でした。ダブ・テクノの感覚も様々なかたちで応用しつつ、逸脱の仕方もエッジーで、かつ作品全体としての歪な整合美というようなものが感じられる理想的な作品です。ulla『foam』もエレクトニカへの接合という意味で拡張的な例になると思いますが、忘れ難い作品ですね。この辺りはhiwattさんもフェイバリットだと思いますが(笑) 自分の制作とリスニングのバランスはやはりたまに気にはなりますね。話題にもなってるし今すぐ聴きたいけど、今の自分の制作物に変に影響を受けてしまいそうなのでそれが落ち着くまで保留しておく、というようなこともたびたびあります。逆に今日はインプットの日と割り切って聴くことに集中する日も結構ありますね。
H: 挙げて頂いたものは全て大好きな作品ですし、だからこそ非常に納得がいきます!ビートや音響もそうなんですが、それこそSpace Afrikaの作品におけるguestやBianca Scoutなどの歌唱もそうですし、ullaの作品の声ネタもそうですが、いずれも声を積極的に加工して、ある種、人ならざるものに転換していますが、Hirakiさんの仰った「歌における節」という有機的な挙動を、人ならざるもので表現するという、逆説的な影響の反映が非常にクールだと思いました。
S: 逆説的な在り方はある種の理想ですよね。異なったアプローチで結果的に近い地点にたっしていたり、または近いアプローチで全く異なったものへ辿り着いたり、そういった交錯は何かを創作するうえでとても刺激になりますし惹かれます。
他ジャンルの受容から受け取るものと、オミットすることの重要性
H: 以前、ポップパンクが原体験にあるみたいなことをお話ししたと思いますが、挙げていただいたような音楽から離れたものを敢えて聴いてみたりだとか、制作中にリフレッシュするような感覚で聴いたものはありましたでしょうか?
S: 自分の制作から距離のある類の音楽をリフレッシュ的に聴く場合、ここ2~3年は正に昔ハマっていたポップパンク~メロコアが多いのですが、『Etude』の制作時期にあたる2022年頃を思い返してみると、ミニマルテクノのDJミックスなどがそういった存在として重宝していたように思います。Richie Hawtin『DE9 | Closer To The Edit』は常にそういった場合におけるファーストチョイスですし、Andrew Weatherall『Hypercity』やOscar Mulero『Rxxistance Vol.1: Era』などもよく聴いていました。あとミニマル系ではないですが、James Holdenの名ミックス『Balance 005』もこのタイミングで初めて知ってめっちゃハマってましたね。時期によって移り変わりはあるんですが、自分がリフレッシュとして好む音楽はある程度様式美が確立されていて、かつ爽快な機能性があるものが多いかもしれません。去年はそこにスラッシュ寄りのデスメタルがフィットして、よく聴いていましたし(笑)
H: なるほど!今作は先述したように、クラブミュージックの中でもミニマルでちょっとダブテクノ的なノリがあるわけですが、それらから反映されているかもしれないですね。
今作は挑戦が多かったかと思いますが、これからの制作の足掛かりとなるであろうアプローチとして何が挙げられるでしょうか?楽曲の具体例を添えてお聞きしたいです。また、現在取り組んでいることにも絡めて教えてください。
S: いろんな方向性の中でも、今後より深めていきたい部分としてはまず「Liquid Ash」や「Laby」にあるような性急なトランジションやエグさのある音作りの部分ですね。ここは既に本作以降の試みでより複雑に扱えるようになっている自信はあるのですが、ただあまりラウドになりすぎるのも自分の音楽としてはちょっと違うかなというところで、落としどころに苦戦しています。また、『Etude』の時点では感覚的に用いていることが多かったマイクロトーナルな表現についても、これ以降の期間にしっかり理論的に学んだりもしたので、こういった様々な要素の混在の中により巧みに織り込んでいけたらと模索しています。実際作品を出してからのリアクションでこちらが気付かされることも色々とありまして、例えば「白舟」は思っていたより好意的な反応が多く、これを(例えばリズムのスタティックさや旋律を奏でるサウンドのトランスフォームなどの面で)アップデートしたようなものも作ってみたいですね。
現在一応新たな作品を作っていて、来年辺りに出せればと考えてはいるのですが、まだしっかりとビジョンが定まるような中心的な曲ができておらず、具体的なことは何も決まってないですね。ただその作品も、おそらく多くの点でこの『Etude』と連続性が見出せるようなものにはなると思います。
時の崖、anon records、Shuta Hirakiの周縁について
H: アートワークについてもお聞きかせください。
Taniaki Tomose氏による、カバーが掛かった車の写真のセレクトは、Hirakiさんによるものでしょうか?セレクトした決め手をお聞きしたいです。
また、《時の崖》作品のデザインを手がけるJoe Gilmore氏による手腕や、レーベルとの関係性についてもお聞きしたいです。
S: 写真のセレクトは私が行いました。本作のアートワークはCGなどの生成物よりも実写が合う気がしたので、知人の映像作家である谷瀬さんに何か候補にできそうなストックがないか伺ったところ、何度かに渡って新たな撮影も行ってくださり、最終的に20枚ほどの候補から選びました。イメージについては最初は「対照的な要素(例えば光と闇など)の溶け合い」が感じられるものという要望だったのですが、実際届いた候補の中ではこの写真のフィルムノワール的なストレンジさと物々しさに最も惹かれたため、ちょっと方針を変えてこれを選びました。布や遮蔽物から物や人の一部(もしくは色)だけが覗くというのは、先に例に出したディアオ・イーナンが非常に印象的に用いるショットの特徴でもあるため、そこへの意識も多少ありました。
最終的なデザインを行ってくれたJoe Gilmoreについては、最早私から述べることがほとんどないですね(笑) Rian Treanor & Cara Tolmie『Body Lapse』やKMRU『Dissolution Grip』など、私がリスナーとして好きな作品を手がけていることも多いですし、私が2024年にリリースした『Lyrisme Météorologique』でも非常に凝った仕事をしてくれたので、とても信頼していて、《時の崖》から出すことが決まった時点で彼に頼むことは即決でした。
彼はAIを用いたイメージ作成では時に大胆なものを出してくる一方で、フォントの選択や文字組みは洗練されたミニマルな方向性を好む印象ですが、今回は表に曲名がプリントされたややトリッキーな仕様にしてくれたのが、情報量抑えめな写真との対比でいいフックになっている気がします。
《時の崖》は2020年頃のレーベル発足当初から非常に気にかけていただいていて、気付けば結構長い付き合いになっていますね。発足当初は三者ともにミュージシャンでもあるa0n0さん、IKTSさん、peeqさんによって運営されていましたが、現在はa0n0さんとpeeqさんメインで動いている状態だと思います。peeqさんはレーベルを通して繋がる以前からお互いのことを認識はしていたんですが(私は2013年頃から作品を知って尊敬していました)、《時の崖》ができたことによってより深い親交に発展し、私が長崎でpeeqさんが熊本と拠点が比較的近いこともあって近年はイベント等でお会いする機会も多いです。《時の崖》はインダストリアル~ノイズからIDMやアカデミックな流れの電子音響まで、幅広く電子音楽を取り上げているレーベルで、今回の『Etude』はその中でもかなり間口が広い作品になると思います。本作と近しいものが沢山リリースされているというわけでは全くないのですが、実験的な音楽が好きな方には是非とも動向をチェックしてほしいレーベルですね。a0n0さんpeeqさんは作品も素晴らしいので、以下に個人的なフェイバリットを挙げさせてください。
http://bandcamp.com/album/city-lights
H: 最後になりますが、近々でShuta Hirakiのライブパフォーマンスを体感できる機会と、どのようなパフォーマンスになるか、意気込みなどをお聞かせください。
S: 直近の話になるのですが、7/31(金)に東京、北千住BUoYで開催されるanon press presents「CY」というイベントに出演いたします。
現代における「サイバーパンク」の可能性を追求する作品集『TOKYO CYBERPUNK TRIBUTE』のリリースパーティという体なのですが、ライブやDJに加え、映像、展示、パフォーマンス、トークなどさまざまな表現が入り乱れる刺激的なラインナップになっていますので是非ともお越しいただきたいです。イベントの詳細やチケット購入は以下のページよりお願いいたします。ちなみにオンライン配信も行われる予定です。私の演奏は『Etude』で使った音色やアプローチなども用いつつ、イベントのテーマであるサイバーパンクの要素も盛り込んだ内容になる予定です。私は活動拠点ある長崎以外でライブをする機会はあまり多くないため、貴重な機会かと思います。


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