イオン熊本中央店の敷地内にある謎の構造物

熊本市中央区大江4丁目、ちょうど電車通りと産業道路が交差するあたりにイオン熊本中央店があります。
しかしながら、この店がイオンになったのはほんの2年前のことで、それ以前はダイエー熊本店でした。個人的にはいまだに“大江のダイエー”と言ってしまうことも多々あります(笑)。

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そのダイエー熊本店がオープンしたのは1980年。
熊本初の大手資本の大規模ショッピングセンターということもあって、開業前に繁華街側などから猛烈な出店反対運動が起きたそうで、結果、店舗の規模・内容は本来の計画よりだいぶ縮小されてしまいました。その影響もあってか昔から立地や建物のサイズの割にはあまりめぼしいテナントは入っていない印象でしたね。
それでも2005年には隣接地に市街地唯一のシネマコンプレックスであるシネプレックス熊本(昨年からは4DX対応のユナイテッドシネマ熊本に改称)をメインとした別棟の「グランパレッタ」が建設されるなど、さらなる誘客にも力を入れています。

さて、イオンの平面駐車場の中にぽつんと、円筒の形をした謎の構造物があります。
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明らかに周辺の風景から浮いていますね。
この位置では駐車場利用者からすれば、かなり邪魔な気がするような・・・? 
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うーん・・・ なぜこの位置に??
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傍から見たら大きな焼却炉のようにも、トーチカのようにも見えますかね?
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種明かししますと実はこれ、かつてこの場所に立っていた煙突の一部分なんですよ。
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ダイエーが開業する前、この場所にあったのは熊本製糸合資会社が経営する工場でした。
熊本製糸の創業者は横井小楠の門下であった長野濬平(ながのしゅんぺい)といい、明治期における熊本の養蚕産業のリーダーとして広く活躍した人です。1872年に県に掛け合って当時託麻郡大江村と呼ばれていたこの場所に養蚕試験場を、さらに1893年にはこれを発展させる形で熊本製糸を興しました。
1924年には高さ62mに及ぶシンボリックな大煙突がたてられ、高い建物がなかった当時は市内のどこからでも煙突の姿を望むことができたといいます。熊本市街地のランドマークとして、長く市民から親しまれていました。

※煙突跡の説明書き。文章は熊本の文芸家として名高かった荒木精之氏によるもの。
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戦後になると大江界隈は軒並み住宅・商業・病院・学校・オフィス用地となり、次第に煤煙を振りまく工場の存在自体が問題視されるようになります。施設の老朽化も相まって工場移転の機運が高まり、最終的には玉名郡菊水町(現・和水町)へと移ることになりました。
その大江工場跡地にダイエーが進出したわけですが、今でも敷地自体は熊本製糸の後身であり、不動産賃貸業に業種転換した「東亜シルク」が所有しています。前述のグランパレッタを企画・建設したのもこの東亜シルクです。
(なお、機能移転した菊水の工場は同業である城北製糸との共同使用でしたが、製糸産業の衰退により1993年に操業停止してします)。

※この角度からは見えにくいですが、今でも立体駐車場の壁には東亜シルクの文字が掲げられています。
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かつて工場のシンボルであった大煙突は工場閉鎖・解体とともに運命を伴にしますが、熊本製糸関係者や周辺住民からも惜しむ声が大きかったのでしょう。
かつての煙突の高さのわずか10分の1、最下部の6.2mだけが工場跡のモニュメントとして敷地内に残されることになったのでした。

煙突内部に入ってみると、中はがらんどうです。
なんとなくおしゃれな窓枠の傍には別の石碑が建立されています。
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昭和天皇が1931年と49年の2度、この熊本製糸工場へ行幸されたことを記念したプレートがはめ込まれています。
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煙突の上部、天井を見上げるとこんな感じ。煙突とはいえ雨水が入らないように今はドーム状の屋根が葺かれているわけですが、窓枠同様、煤けてはいるもののおしゃれなデザインですね。
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煙突の建設から90年以上たちましたが、ここから見える景色もずいぶん変わったんでしょうね。
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工場閉鎖からやがて40年。今でもぽつんと残る、製糸工場と大煙突の名残。
ほとんどの買い物客は見向きすらもしないのは残念ですが、この界隈の歴史の証人として、これからも末永く保存されることを望みます。
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