福岡県庁が決別した議員の「先生」呼び、そもそもなぜ議員は先生と呼ばれるのか
福岡県の服部誠太郎知事は7月14日の定例記者会見で、県職員が県議会議員を「先生」と呼ぶ慣例をやめ、「議員」「委員長」などの役職名で呼ぶよう見直したことを明らかにしました。委員会室に入る県議に職員が起立してお辞儀をすることの禁止、視察の際に駐車場まで出迎える慣例の廃止なども合わせて打ち出し、服部知事は「数十年来のあしき慣例、慣行と決別する」と強調しています。背景には、県幹部の互助組織「部課長会」が有力県議の政治資金パーティー券を購入していた問題があります。部課長会は10年以上前から、議長・副議長の就任祝賀会のパーティー券購入費用を会員に補助しており、6月に公表された県の調査では「議会への忖度」がその土壌にあったと指摘されました。県職員出身で副知事も務めた服部知事は、この方針を7月9日に各部長へ伝えたと説明しています。
ところで、そもそもなぜ議員は「先生」と呼ばれるのでしょうか。この呼称の由来を遡ると、単なる敬称の問題にとどまらない、日本の政治家育成の歴史がみえてきます。今回はこの「先生」呼びのルーツと、呼称が生み出す構造的な問題について考えてみます。
「先生」呼びの由来は明治時代に遡る
議員を「先生」と呼ぶ慣習の起源は、明治時代に遡るといわれています。当時は普通選挙制度が存在せず、一定額以上の直接国税を納める男性のみに選挙権が認められた制限選挙の時代でした。1890年の第1回衆議院議員総選挙における有権者は、全人口のわずか1%程度に過ぎなかったとされています。時代のエリートであった議員は、同じく社会のごく一部のエリート知識人によって選ばれ、法律をつくる特別な存在であり、医師や弁護士と並んで、学識ある人物への敬称として「先生」と呼ばれていたのがひとつの源流です。
ただ、それ以上に重要なのが「書生」の存在です。書生とは、明治から昭和初期にかけて、政治家や弁護士などの家に住み込み、玄関番や雑用をこなしながら勉強させてもらい、教えを受けた若者たちのことを指します。地方から志を抱いて上京した若者が、尊敬する人物のもとに身を寄せ、その背中から学んでいく。つまり本質的には師匠と弟子の関係であり、弟子が心からの敬意を込めて師を「先生」と呼ぶのは、ごく自然なことでした。この書生制度こそが、後の議員秘書の原型になっていったとみることができます。
筆者自身も議員秘書を務めた経験がありますが、書生制度の名残を感じる場面は今もあります。たとえば議員事務所に所属していても、名刺に「秘書」の二文字の肩書きを与えられない人が一定数います。書生さんは秘書ではなく、あくまで書生さんでしかない――そうした感覚の残滓が、令和の議員事務所にもなお息づいているといえます。
政治家が絶大な力を持った時代の「先生」
師弟関係としての「先生」が機能していた時代、政治家の存在感は現在とは比べものにならないものでした。象徴的な逸話として、東京・神楽坂の「逆転式一方通行」があります。神楽坂通りは午前中が坂を下る方向、午後は坂を上る方向へと、時間帯によって一方通行の向きが入れ替わる全国でも珍しい道路です。これについて、目白の自宅から国会に通う田中角栄元首相の便宜のためにつくられた、という説がまことしやかに語られてきました。実際には、警察は交通量の変化を理由とした規制であると説明しており、記録にも残っていない都市伝説に過ぎません。しかし「あの角栄さんならやりかねない」と多くの人が信じてしまうほど、政治家が絶大な力を持つと受け止められていた時代があった、ということです。書生を多く囲っていた田中角栄元首相だからこその逸話といえるでしょう。
師弟関係なき時代に残った「先生」
翻って現在はどうでしょうか。今の議員秘書は、師匠に弟子入りする書生ではありません。公設秘書は国会法に基づき国費で給与が支払われる特別職国家公務員であり(国家公務員法第2条第3項第15号に「国会議員の秘書」と明記されています)、私設秘書は事務所と雇用契約を結んで給料を受け取る労使関係です。ちなみに公設秘書の制度も、1947年施行の国会法では「事務補助員」という名称で始まり、翌年の改正で「秘書」に改められたという経緯があり、法制度上の秘書はそもそも師弟関係とは無縁の存在として設計されてきました。実際、求人サイトで「国会議員秘書」と検索すれば、月給や運転免許の要否が明記された求人が普通に出てくる時代です。もちろん、今も秘書から政治家を志す方はいますが、先生の家に住み込んで教えを乞うという関係は、もはや過去のものといえるでしょう。
つまり、師弟関係という実態が失われたのに、呼び方だけが「先生」のまま残っているのです。中央省庁の官僚と話すと、「先生と言っておけば間違いがないから、名前を覚えなくていい」という趣旨の話を耳にすることがあります。敬意の表現であったはずの呼称が、思考停止の符号と化しているとすれば、皮肉な話ではないでしょうか。
形骸化した「先生」が忖度の土壌をつくる
怖いのは、この形骸化した「先生」呼びが、呼ばれる側の意識を変質させてしまうことです。周囲が全員「先生」と呼び、部屋に入れば全員が起立してお辞儀をする。そうした環境に何年も身を置けば、自分は特別な存在なのだという感覚が芽生えてもおかしくありません。呼称や所作の積み重ねが、行政職員の側に忖度の土壌を耕してしまう。福岡県の部課長会問題は、まさにその実例としてクローズアップされたとみるべきでしょう。
本来、国会議員であれ地方議員であれ、議員は国民や住民の代表であって、行政職員の上司ではありません。とりわけ地方自治体は、首長と議会がともに住民から直接選ばれる二元代表制を採っており、知事部局と議会は緊張感を持って向き合うべき関係です。その意味で、今回の福岡県の見直しは二元代表制の原点に立ち返るものであり、むしろ当たり前のことを当たり前に確認したものと評価できます。一方で、呼称を改めるだけで忖度の構造そのものが消えるわけではない、という指摘もあり得ます。ただ、数十年来根付いた意識を変えるには、まず日々の呼び方や所作といった目にみえる行動から変えていくほかない、というのもまた実務的な真実といえそうです。
呼び方は関係性を映す鏡
呼び方は、関係性を映す鏡のようなものです。師匠と弟子という実態があった時代の「先生」と、その実態が失われた現在の「先生」は、同じ言葉でもまったくの別物です。もちろん、政策や見識において心から「先生」と呼びたくなる議員がいることも事実であり、呼称の選択は最終的には一人ひとりの敬意の問題でもあります。
それでも、政治家と有権者の距離感は、もっと近く、健全なものになっていくべきではないでしょうか。読者の皆さんも、地元の議員と接する機会があれば、「〇〇先生」ではなく「〇〇議員」「〇〇さん」と呼んでみてはいかがでしょうか。福岡県庁の小さな、しかし象徴的な一歩が、政治と行政、そして政治と有権者の関係を問い直すきっかけになるのか、注目です。
この記事は、Voicyで配信したポッドキャスト「なぜ議員は『先生』と呼ばれるのか?」をもとに、加筆修正して配信しました。