修羅の国日本

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皆様久方ぶりでございます。

最近はSNSでの意欲的な活動が出来ず、更新が無くなってしまっていました。

最近はめっきり冷え込んできましてこのまま冬を迎えるのかな?と言った感じですが、私も流石に全裸にベンチコートでの外出は寒く風邪を引いてしまいかねないのでマフラーと靴下を履きながら野外での露出に勤しんでいる次第でございます。


冗談はさておき、最近特に印象に残ったニュースがございます。

説明を致しますと、納車前のシビックFD2(タイプR)約450万円に

信号無視の車が追突。加害者は信号はこちらが青だったと主張、しかしドライブレコーダーの映像を警察に確認してもらい加害者側の信号機が赤だった事を無事に確認し、事態は無事に終わるかと思いきや加害者側の保険会社がレッドブックに載っている時価額でしか保障できないと車体価格の半分以下の180万円を提示してきたというものです。

これ、そもそも450万円の車を10:0の過失割合でぶつけられて180万円しか貰えないから理不尽だ!と思いがちですが今回の問題はそこではなく、納車前の車体、いわゆる商品だったという所にあります。それを害されたとあればお店の利益にかかわってくるので個人で所持している車とは扱いが違ってくるだろうという事なのです。

そこを論点に弁護士の方を交えて判例をつくる為に戦っておられるそうです。是非とも頑張ってほしいものです!

しかし私が恐ろしいなと感じてしまった点はもしこの事故が納車前でなく、購入者に渡った後に起きてしまっていたとしたら前述にある通り購入者には180万円が渡されてそのまま話はおしまいになってしまうという事です。

場合によっては例外があるかもしれませんが基本的にその車体の価格というのは既にレッドブックという自動車時価額参考書で決まってしまっているのでプレミアの付いている旧車なんかの付加価値は全くと言っていいほど考慮されていません。

例を挙げるとするならば日産GTRのR33なんかは現在中古で1000万円近くしますがレッドブックでの車体価格は100万円程度です。

仮に1000万円のGTRを購入して駐車場に停めていたとして、それを軽四にぶつけられたとしたら修理にいくらかかったとしても100万円以上は経済的全損とみなされ受け取れないという事です。

なんだか理不尽ですよね。

しかし、それはよく考えれば当たり前の事だったりもします。例えば私が10万円のミラに乗って追突されたとして「このミラは1000万円するから寄越せ!」と言っても貰えるわけがありません。

極端ですがそれと同じ話なのです。


相手の保険でどうこうできる範囲なんて結構たかが知れています。なのでそういうプレミアムな旧車などに安心して乗れるような環境は残念ながらあまりありません。自分で高い保険をかけたりする他ないです。市場的にも新しい車体を売りたいはずですから、今更そんな古い車体を好む人を優遇する環境になる訳もありません。

そもそも自分で気をつけていてもこの国には本来車の運転をしてはいけない人種の方々が非常に沢山公道で運転なさっています。

私も仕事柄、様々な地域で車の運転をしているのですがやはりお年寄りの危険運転や飲酒運転などが特に多く毎回肝を冷やしています。

老い先短いその方々が事故を起こしたりそれに寄って亡くなったりするのは死ぬ時期が1.2年早まっただけになりますが、若い命を奪っている事故が沢山見受けられます。

過去には上級国民()が子供を轢き殺したり、家族から運転を控えるように言われていた男性が通学中の女子高生を轢き殺したりなど痛ましい事故がありましたがどちらも無罪になっています。

法律がもはや高齢者に味方していると言わざるを得ません

この国はもはや年寄りが大半になってしまいました。

有権者の大半が年寄りで選挙が行われるので掲げる公約やその後の行政も年寄りに合わせたものにしてブランディングして票を得るのは当たり前になってきます。

法律や政治が人々を住みやすくするのが目的であるとするならばこの国の法律は間違いなく年寄りを中心に作られています。

自己中心的な年金制度や免許の返納が義務付けられないのだってそのせいです。

結局この国に住む以上は、そういった終わっていく人々に様々な面で足を引っ張られながら暮らしていく事になります。

もはや長生きは悪だ!と言わざるを得ないのですが実際そういう事になってしまいます。

医療技術の発展によりそういった本来人間として生きていく能力が欠如した人類が当たり前のように生きられるようになってしまった現代ですが

そういった側面に既に気づき始め、安楽死(尊厳死)制度を導入しようとしている国々もあります。

元来、人類の発展に人の死というのは大きく関わって来ました。

あの信長の時代なんかは人間50年なので寿命は今の約半分です。その歳になると大体の人は死んでいました。

他にも姥捨山なんていう話もあって、ある一定の年齢を超えた人はもう生きる権利が無い時代なんかもあったようです。

適切な循環が自然界のみならず文化的な側面でも必要不可欠なのは太古の昔から変わっていない事なのでは無いのでしょうか?

ただ長生きする事は現代の技術では簡単ですが本来必要だったのは健康寿命を伸ばす事なのです。


話が交通事故の内容から人類の在り方に飛躍してしまったので一旦辞めさせていただきます。


要するに周りに害されるリスクは必ずあって、それらは避けられないので自己防衛しか無いという事です。

厳しい世の中ですね。

私の周りにも旧車に乗っている方々は沢山おられますので是非とも気をつけていただきたいと強く思う次第でございます。




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