サバンナにウィンカーはない
小学生の運動会で、私はリレーの選手だった。信じてもらえないかもしれないが、当時の私は足が速かったのだ。ゆえにモテた。小学生という社会集団はサバンナの動物たちによく似ている。足の速い生き物が尊ばれ、生き残る。
あの日、私は必死にコーナーを駆け抜けていた。応援席から飛んでくる声に背中を押されながら、目の前を走るライバルの外側へ回り込み、一気に追い抜いた。白線の感触。土埃の匂い。耳の奥で鳴り続ける歓声。あのときの景色は、不思議なくらい鮮明に覚えている。
大人になった今、当時の俊足はどこかへ置いてきてしまった。コーナーで差をつける力はもう私にはないし、最後に全力疾走したのがいつなのかも思い出せない。
そんな私は、先日、思いがけず再びトラックに立つことになった。
いつものスーパーへ向かっていた時だった。入口の自動ドアは私の左手にある。私は当然のように左へ曲がり、店内へ入ろうとしていた。
まさにその時、後ろから来た妙齢の女性が、私の内側へスッと入り込んだ。リレーで言うならインを差された格好だ。私は左へ曲がろうとしている。そこは私のコースだ。にもかかわらず、彼女は最短距離を選び、私と自動ドアの間をすり抜けるように前へ出た。
「わ」と思わず声に出てしまった。文句を言いたいわけではない。純粋にびっくりしてしまっただけ。けれど、そんな「わ」には女性は一瞥もくれず、そのまま手押しカートを手に取りそのまま入店した。
「スポーツマンシップ!!!」
本当はそう言いたかった。抜くならアウトから抜け。
確かに結果だけ見れば彼女の勝ちだろう。彼女は先に自動ドアへ到達した。それは紛れもない事実である。もちろん、陸上競技のルール上、内側から抜くことは反則ではない。だが、安全のために「抜くなら外から」というのは、トラックを走る者たちの暗黙の美学のはずだ。そんな原則を無視して、減速しなかった彼女。果たしてその勝利に胸を張れるのだろうか。
正々堂々と来てほしかった。せめて彼女と真っ向から勝負したかった。
もしかすると、彼女が私をライバルだと認めた可能性もわずかにある。私に勝つにはなりふり構っていられない、そういう精神状態の表れだった可能性もある。けれど、それを確かめるすべはもうない。ここには、ホイッスルもスターターピストルもないのだ。
しかし、ふと考える。もしかすると、私は予告をしてほしかったのかもしれない。
車はウィンカーを出す。「これから左へ曲がります」という宣言だ。彼女にはそれはおろか、サンキューハザードもなかった。せめて目が合っていたら。せめてウィンク、いやまばたき二、三回でもあったら。
私は、もやもやした気持ちを抱えたまま店内を一周していた。自然と総菜コーナーに足が向かう。どうにも、今日は自炊する気が起きない。
コーナーでは、多くのお客さんが陳列台を取り囲んでいた。路上ライブでもやっているのかというくらいの人だかりに驚きながら目を凝らすと、その奥で店員さんが黄色いシールを掲げているのがわかった。
そうか。ここもサバンナだったのか。
やるかやられるか、そんな半額総菜の世界。インだのアウトだのと言っている余裕などない、弱肉強食の大草原。
シマウマに群がるライオンたちが目を光らせている。右から順番に貼られていくシール。自分のお目当ての総菜に貼付された瞬間、飛びついてやろうというオーラが渦巻いている。
けれど、そこには確かな秩序もあった。インから抜いてやろうという人は誰一人いない。
誰も飛び出さない。誰も割り込まない。誰も他人の腕の下から手を伸ばさない。店員さんが貼り終わるのを、皆きちんと待っている。
しかし、疲れ果てていた私がその秩序を守ることなど、できるはずがなかった。ここはサバンナ。スポーツマンシップなんてものは、空腹と疲労の前では意味をなさない。私は飢えたハイエナのごとく、まだシールすら貼られていないチョレギサラダめがけてインから差した。肉食獣の動きで、草を奪ったのだ。
そんなハイエナをちらっと見て、店員さんは言った。
「あ、それも貼っときますね」
「ありがとうございます!」
そう言いながら、私は両目で二、三回、まばたきをした。


狙ってる獲物が3割引で手を打つか半額まで粘るか 店内コースをぐるっと回って帰ってきたらなかった時の衝撃
一瞬の戦い。0.01秒を縮めるための過酷なトレーニング、まさに男子100m。
やっぱりコーナーを曲がるには瞬足を買うしかないですよ。 もしかしたら次はそこに運命の出会いが待ってるかもしれません。ただし、二人の愛は半額シールで割り切れるとは限らないことだけ留意しといてくださいね。
(今さら返信すみません) 2人でゼクシィを買いに行くため、本屋の雑誌コーナーで差をつけたいと思います。
スーパーはね、いつだって戦場なんです。より安いものを求めて皆、世界と戦っているんです。チョレギサラダ、店員さんが優しくてよかったですね!
甘い気持ちで生き残れる世界じゃないですよね。その険しさを乗り越えた先に、実りある晩御飯と表彰台が待っているのだと思います。
スーパーでインを差すとかなにやつか、と思いました。ただ者ではないですね。 そして値引きシールの前に人は無力になります…わかります スポーツマンシップそれなにおいしいの状態ですね。そういえばLIFEのコントにそんなのがありましたかねえ。
くノ一だったのかもしれません。 値引き、なぜあんなに魅力的なのでしょうか。私もそろそろ傷み始めているので値引きされないように気をつけます。 コントになるくらいあるあるなんですね!嬉しいです!