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『みいちゃんと山田さん』アニメ化擁護論者の屁理屈を木端微塵にしよう!

割引あり

 『みいちゃんと山田さん』のアニメ化が発表され、批判を呼んでいる。露悪的かつ差別的な内容をアニメにして大々的に放送しようという目論見なのだから当然の反応だろう。

 そして、例によってSNSの表現の自由戦士やアンフェといった、オタク文化を背景に持つ反社会的勢力がアニメ化を擁護し、批判者を誹謗中傷している。(批判者を批判している、わけではないことに注意)

 もちろん彼らの主張はよく見る屁理屈なので、ここで徹底的に叩きつつ、どうして『みいちゃんと山田さん』アニメ化はすべきではないのかを明らかにしたい。

 なお、本作については過去にnoteで取り上げたことがある。

 いま思うと、随分ひねくれた視点から批判してしまったなという反省がある。こんなことなら、あの時点で内容を読んでおいて真正面から批判すべきだった。とはいえ、この手の作品の売り上げに貢献することは避けたく、読む方法がないままずるずるとここまで来てしまった。私はかつて、批判のために山田太郎の新書を書店で買ったら、売れるからにはいい本だろうと勘違いした書店が本を面陳してしまったという苦い経験がある。

 なので、今回の批判についても、本作は読まないままなされている。それは公正のために公言しておく。ただし、今回の批判は作品を読まずともできる範囲でなされている。作品を批判するためには、批判の内容がいかなるものでも作品を通読しなければならないというルールは存在しない。作品の内容によってここでの批判が無効になるなら、そういう反論はしてくれて構わない。

ファクト

 本作のアニメ化を批判するにあたって、確定しているファクトを明らかにしておきたい。とはいえ、本作において揺るぎようもなく事実だと断言できるのは、現時点では以下のひとつだけだと思う。

・『みいちゃんと山田さん』読者のうち無視できない数が、本作における表現や内容をマイノリティに対する侮蔑に利用している

 この点に関しては、本作の擁護者の発言を見ると明らかだ。そもそも、前掲の記事を書いたのもこの事実があったからだ。少なくとも、本作の悪影響は軽視できる程度ではない。現在はアニメ化に関する話題が目立つが、少し落ち着いたところでSNSを検索すれば実際に侮辱として使っている投稿は無数に目にするし、逆に被害の報告も腐るほど見つかる。

 なお、本作が「みいちゃん」的な知的障害者・精神障害者を侮蔑的に描いているという指摘には賛同するが、ここではあえて事実ではなく評価として扱うことにした。私が本作を読めていないこともあるが、こうした読解はどうしても評価の域を出ることが難しく、ましてや擁護者にそれを事実として突きつけることは困難だろう。

 裏を返せば、本作のアニメ化を批判するには、上掲のたったひとつの事実関係のみを持ってすれば事足りるとも言える。

擁護者≒表現の自由戦士の詭弁

 ここからは実際に、本作のアニメ化を擁護する人々の詭弁を明らかにしていきたい。なお、ここで見られる詭弁は本作に特有のものではなく、表現の自由戦士があらゆる場所で使う詭弁と同じである。彼らには具体的に考えるという脳がないので、コピペしかできないのだ。なので、ここからは自由戦士の詭弁のカタログとしてもみてほしい。

表現の自由の侵害/表現規制/キャンセルカルチャーだ

 違う。

 市民の単なる批判が規制になるはずもない。それはアニメ化を止めろと主張したとしても同じことだ。

 アニメ化自体を否定しても、それは表現の自由を侵害したことにはならない。表現の自由はあらゆる表現を認めなければならないというルールではない。表現の自由はその他の権利同様、権利同士の衝突で調整される。アニメ化を止めろという主張はその調整としてアニメ化自体を止めるのが妥当だと主張しているにすぎない。個人情報をばら撒くのを止めろと主張しても表現の自由の否定にならないのと同じことだ。

 キャンセルカルチャーにいたっては意味のない鳴き声でしかないので無視してかまわない。彼らはキャンセルカルチャーが何かを定義していないのだから。仮に、彼らの言葉遣いにあわせてキャンセルカルチャーを定義するなら、それは「些細な、あるいは理不尽な理由による何かしらの取りやめ(かそれを要求すること)」を指す。が、障碍者差別であるという理由によるアニメ化の否定は理不尽でも些細でもない。彼らの基準に照らしても、これはキャンセルカルチャーではない。

 そして、もし仮に、単なる批判が表現規制や表現の自由の侵害であるなら、彼らの言動もまた表現規制だということになる。なぜなら、彼らは我々の表現 (アニメ化への批判) を批判しているのだから。自分の批判は表現規制ではないが相手の批判は表現規制だという理屈は通らない。

 表現規制は止めていただきたいものですね。

表現ではなくいじめる側の問題だ

 どこかの馬鹿が振り付けたせいか、同じことを繰り返すアカウントが大量発生してしまった。

 何かの表現によりいじめや差別をする人間が現れたら誰のせいになるかはケースバイケースである。当然だ。どんな表現でどのように扱われたかによって異なるに決まっている。『ドラえもん』を見て銃乱射事件を起こすような場合は犯人の側にだいぶ問題があるが、『GTA5』や『ジョーカー』だったら話は変わってくる。

 表現で説明すると認識がバグるのが自由戦士だから、少し例を変えよう。表現の流布を流通に置き換えると、これは販売した商品によって事件が起きたらだれの責任なのか、という話であると捉えられる。

 例えば、いかにも分別のついていない一桁歳の子供に包丁を売り、その子供が誰かを切りつけた場合、責任はだれにあるだろうか。もちろん、包丁を売った側である。明らかに自体は予見可能だったからだ。子供に責任はないとは言わないが限定的だろう。

 しかし、包丁を売った相手がスーツを着た礼儀正しい大人だったら話は変わる。この場合、責任の大半は事件を起こした人間にあると考えるべきだろう。包丁の販売者が、戸棚に鍵をかけていたり予め身分証の提示を求めるなどしていればなおのことだ。

 本作のアニメ化はまさに、包丁を幼児に売りつけるようなものだ。文字通り、アニメの視聴者の中には子供も含まれるだろう。放送時間は不明だが、サブスクを考えればあまり関係がない。分別のつかない子供に刃物を握らせ、案の定事件が起きた場合、責任は刃物を握らせた側にある。

 あるいは、視聴者層には子供と同等の分別しか持たない人々も多い。オタクである。大人だったとしても、一見して分別がないと分かる人間に刃物を売ったら、事件の責任はやはり販売者にあると言わざるを得ない。誰が見ても予想できる事件が起こりそうなら、刃物は戸棚にしまい、アニメ化は取りやめるべきである。

嫌なら見るな

 そういう話ではない。

 この問題はアニメが嫌かどうかではなく、アニメによって障碍者への侮辱や差別が蔓延するかという問題である。アニメを見ずとも、アニメを見た人間が侮辱をするなら被害を受けることになる。

 何の意味もない発言だよ (by安倍晋三)

殺人は描かれているのに

 自由戦士の詭弁としては二十年選手となりつつあるのがこの屁理屈。彼らは「悪行を描いているから批判されている」と問題を単純化し、その理屈で同じ悪行を描いているミステリなどは批判していないから言行不一致だなどと主張する。

 この主張がなぜ間違っているかというと、作品への批判の要点が「悪行を描いている」ところではないからだ。ここで問題となっているのは作品を通じて現実の世界に被害が生じる可能性である。

 ミステリにおける殺人描写が批判されにくいのは、日本では幸いなことに殺人がほとんど許容されていないからだ。だから、殺人を描写しても現実世界に被害をもたらす可能性は考慮されない。

 一方、残念ながら、性暴力や障碍者差別はそうではない。オタクたちの物言いが証明していることだが、これらの悪行はまだまだ悪行であるという認識が薄い。そのため、フィクションで面白可笑しく描かれると現実にも被害が出かねないし、本作の場合はすでに出ている。漫画の時点で被害が出ているなら、アニメ化したらそれが悪化すると考えるのは当然だ。

 裏を返せば、ミステリにおける殺人の描写も、その殺人が社会において否定され切っていないと懸念されれば批判されるだろう。いささか極端な例を出すなら、「外国人連続殺人事件」みたいな話を書いて、犯人に「反日外国人が許せなかったんだ!」と語らせたら強く批判されるはずだ。現在の日本において、ヘイトクライムはフィクションだと割り切れるものではない。

 同じ悪行であっても、社会の状況が変われば評価が変わる場合もある。現代では走り屋漫画のような、道路交通法をガン無視するような作品はあまりバッシングされない。それはなんだかんだ言って交通事故が少なくなってきたからだ。これが交通戦争と呼ばれる時代なら評価は変わるはずだ。交通事故による被害が身近にあるとき、無茶な走りをする人たちの物語をフィクションだからといって許容はできない。あるいは、現代でも煽り運転の被害を懸念する人は作品を強く批判するだろう。

作品には学びがある

 本当に作品に学びがあるかどうかはここでは立ち入らない。あまり関係がないからだ。

 本作に本当に学びがあったとしても関係はない。なぜなら、その学びはあくまで「みいちゃん」を馬鹿にするためのものであり、福祉を考えるためのものではないからだ。

 これは「教育勅語にはいいことも書いてある」という主張に似ている。教育勅語は天皇制の礼賛のためのものだから、道中にいいことが書いてあっても肯定できない。これも同じ理屈である。

製作者へのいじめだ!

 ちょっと何言ってるかわからないですね。ただ、愛好することで批判といじめを区別できなくなる作品なら、アニメ化は止めた方が賢明だろう。

きみは、あのみいちゃんよりおっちょこちょいか?

個別事例で考えられないオタクたち

 詭弁の打ち返しはこの辺にしておく。

 詭弁を並べてみて改めて思ったが、オタクは事例ごとに考えるということが全くできていない。彼らの詭弁の多くは、「AとA’は共にBだから同じ結論になるはずだ (なのにそうなっていないからお前は間違っている)」という形式に当てはめられる。

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