「親不孝ばかりだった」 所持金1万5000円で島を飛び出した放蕩息子 キャバクラ暮らしから一変の激動人生
市場の野球チームをきっかけに天職と巡り会う
酒屋で働いていた当時、原口さんは大阪市中央卸売市場の野球チームに誘われた。仕事の傍ら、青春時代を捧げた野球で市場関係者との交流も深める。そんななか、勤めていた酒屋がなくなると分かり、再び人生に迷うことに。 「僕の先輩に自由な人がいて、思いつくまま沖縄やアメリカのロサンゼルスに移住するような人で。僕もその生き方に憧れていたし、酒屋の仕事がなくなるならいっそ『沖縄へ行ってみようかな』と思っていました」 移住という選択肢も頭をよぎるなか、市場の野球チームで共に汗を流していた仲間が「一緒に働こう」と誘ってくれた。現在、原口さんが勤める株式会社三恒の専務だった。 「専務は1歳下で、僕が沖縄に行くと聞いて社長にすぐさま話を通し、面接の機会を作ってくれたんです。それをきっかけに27歳で、今の会社に入りました」 現在は入社17年目で、当初の約2年はアルバイトとして勤務した。得意先への配達や魚を切る作業など、一通りの仕事を経験。若手として、いつしかバイヤーの先輩たちに憧れを抱くようになったという。 「カッコいい先輩たちをマネして、アルバイトではありながら、市場にいたお客さんをつかまえて自社の商品を勝手に売り込んでいたんです。そうしたら、面白いと見込んでくれた社長が僕を買ってくれて。正社員のバイヤーとなりました」 大阪に連れていってくれた先輩、水商売から足を洗うきっかけをくれた恋人、現在の会社に誘ってくれた野球仲間。原口さんの人生では、常に影響を与える人たちとの出会いがあった。 そして、天職と巡り合って17年目。今は、かつて放蕩(ほうとう)息子だった自分を許してくれた家族、地元の淡路島への恩返しを誓う。 「95歳の祖母もいて、田畑も残る地元にはいずれ貢献したいと思っています。会社が大阪府内で営む宿泊施設の淡路島版を作りたいし、民宿や食堂のように、地元に人が集まる場所も作りたくて。親不孝ばかりだったから、両親も喜ばせたいです」 地元の淡路島に、本州と島を結ぶ明石海峡大橋が開通したのは1998年。それまでは船で渡るしか手段がなく、当時10代だった原口さんにとって本州へ渡るのは、まさに一世一代の決断だった。勢いのままに大阪へ飛び出し、天職に出会った人生でも変わることのない故郷への思いを口にした。
ENCOUNT編集部/クロスメディアチーム