📖椅子📖
ただの椅子の話です。中身はありません。同じ事を繰り返しています。フィクションです。
椅子
椅子の話をしましょう。
私が座っていた椅子のネジを、突然人に取られたんですよ。当然グラついて、座れなくなったので、新しいネジをつけて座れるようにしようと思ったのですが、使えるネジがなくて、結局椅子は座れなくなりました。換えの椅子に座っても、座り心地が悪くて、地べたに座り込みます。
地べたに座っていたら、「いつでもここが空いているよ」と言って自身の膝を指差してくれる、心優しきお兄さんがいました。その膝は心地良い場所で、変わることのない安心できる場所でした。
ありがたいやら、申し訳ないやらで、なんだか消えたくなりました。甘えたいし、ずーっと座っていたいけど、そうもいかないし。
やっぱり、新しく座りやすい椅子を探すことにしました。今ある椅子はボロボロで、もう使い物になりません。いや、ちょっとは使えるかもしれないけれど、もうなんだか、あまり座りたくありません。まだ座れるかもしれないと思って置いておいて、たまに座ってみるのですが、やはりざわざわする。
私は恐れているのでした。もう、いたずらにネジを取ろうとする人なんて居ないのですが、どこかで、また取られるかもしれないとビクビクしているのです。
仕方がないので、私は新しい椅子を用意しました。ずっとお兄さんに頼るわけにはいきませんから。本当はお兄さんに甘えたいけれど、お兄さんにも事情がありますから。自分で座れるのなら、そうした方がいい。
ですが、新しい椅子に座って、それでよかったかと言われたら、それも違う。新しい椅子も、座っているとざわざわする。どうしてでしょうか。なんだか、もう二度と、心地よく座れる場所はないのではないか、そう思ってしまいます。今のところ、安心して座れるのは、あの心優しきお兄さんの膝だけなのです。
いつかまた、安心して座れる椅子は見つかるでしょうか。もう二度と見つからなかったら。そんな考えがよぎって仕方がありません。椅子のネジと一緒に、自分のネジまで取れてしまったのかもしれないと、そう思いました。もし本当に取れてしまっていたら、私はきっと、二度と椅子には座れない。座れても、おそらくガタついている。そしていつも、じんわりと腹を立てている。そうに違いないのです。
あの椅子に座っていたときは幸せだった。ガタガタしていなかったのだから。地べたに座るようになってからは、地面の冷たさが体中に行き渡るみたいに、心が冷えていくような感じがする。あの椅子に座っていたときの私は、まるでいなくなってしまったみたいな。実際、椅子が壊れてから、私も変わったような気がします。いつ誰がネジを取りに来るかわからなくて、誰もが恐ろしいと思うようになったのですから。少し前まで隣に座っていたあの人も、突然牙を剥くかもしれないですから。そういう人を、私は何人も見てきました。お兄さんも、そういう人に突然牙を剥かれていましたし。お兄さんはそれもあって、膝を貸してくれるのかもしれません。多分、お兄さんは牙を剥く事はありませんが、その他の人はわからない。
そもそも、椅子のネジを取ろうとする人はまともじゃないし、そういう事をしようとする人は滅多にいません。私が周りの椅子のネジを取ろうと思わないし、まず人の椅子に興味がないのだから、周りの人もそういう人が多いはずですし、それほど怖がる必要はないのかもしれませんが、怖いものは怖いのです。
椅子は、木製のほうが温かみがあって心地が良いのですが、いかんせん、木製ですから、燃えてしまうときがあるのです。燃えてしまったら消し炭になりますから、二度と座れなくなります。また他の椅子を見つけて、座ることができたらいいですが、まれに、椅子が見つからなくて途方に暮れる人がいます。
座れたらいいのです。だから、ネジが取れたぐらいで怖がる必要はないのです。まだ私の椅子は燃えていないのだから。たとえ椅子が燃えたとしても、大丈夫なのです。立っていればいいだけの話です。少なくとも、お兄さんはそれでどうにかなっていますから。
人生は椅子取りゲームです。どうしても、椅子が足りなくなります。必死にならないと、椅子がなくなります。ただ、必死になりすぎると、自分が燃え尽きてしまいます。そうなると立つこともできませんから、それだけは避けなければ。
一つ気をつけたいことは、椅子や自分が燃えていなくても、立つことができなくなるときがあるということです。体を持ち上げることができなくて、椅子にも座れません。空けておいてくれている、お兄さんの膝まで行くこともできません。そうなると、椅子取りゲームどころではないので、声をかけてくれる人がいなければ、そのまま腐ります。
幸い、私にはあのお兄さんがいたので、腐ることはなさそうですが、あまり甘えてしまうと、お兄さんまで腐らせてしまうような気がして、恐ろしいのです。それでも、甘えたいと思ってしまうのです。別に、心地よく座れる椅子が絶対欲しいというわけではないのですが、理由もなく、なんとなく、今のこの状況が気に入らないのです。
やっぱり、椅子のネジさえ取られなければ、こうはなっていなかったのではないかと、そう思わずにはいられないのです。ネジを取った人はもう、ネジをなくしてしまっているし、諦めるより他ないのですが。
きっと、椅子に執着しているのです。私は。多分、椅子のことを気にしなくなれば、少しはマシになると思うのです。気にしすぎなのです。人が偽物の椅子に座って見栄を張っていても、椅子の使い方を間違えていても、困ることはありません。ただ私が勝手に気にして、不快に思っているだけなのです。人の椅子を気にしているほどの余裕は、私にはないはずなのです。椅子取りゲームで、椅子があるだけまだマシなのです。
お兄さんの椅子は、素敵で綺麗です。その周りには沢山の椅子があって、それに囲まれています。私も、同じようにしていました。それが幸せだと思っていました。嬉しいことに、割とお兄さんの近くを囲っていました。太陽を追うように見ていたら、ネジを取りに来た人に気が付かなかったんです。それで取られて座れなくなったので、椅子を空けることにしたんです。今もそれは残っているので、座ろうと思えば座れるのですが、なんだか、もう座ってはいけないような気がします。
同じようにネジを取られたお姉さんがいるのですが、その人は普通に座っていますし、私もそうして座っていれば良いのかもしれませんが、なぜだか、座れないのです。たまに座ってはみますが、以前のように長くは座れないのです。
新しい椅子は、少し離れた場所に置いてあります。ネジのない椅子よりはマシでした。穴を通り抜ける風のような感じがしますが、それでも、ガタついてささくれた椅子よりはマシでした。椅子を離したからか、近くに座っていた人との縁が少し切れることとなりましたが、それは別にいいのです。座っていられるのですから。それに、お兄さんは私の椅子の場所を知っているし、元の場所に座ってもきっと許してくれますから。自分ごと腐るよりは、きっとこれがいいのでしょう。
本当にいいのでしょうか。
こういう事を考えると、終わらなくなりますし、また椅子を探す事になりますから、やめておきましょう。



がたついた椅子に座りつつけるのも新しい椅子に座るのも座る人の自由だし、座りたいと思った時に座りたい椅子をお兄さんに近づけて座ればいいと思う。 ただ椅子のネジは座り続けて近くの椅子と擦れたり動かしたりするうちに少しずつ弛んでがたつくこともる。 それはゆうきちゃんが座る椅子もそうだし…
確かにその通りですね。 椅子に座っているとその人の座り方や使い方によっては、他の人の椅子にぶつかったり、寄せすぎたりして、知らないうちに、そんなつもりはなくても人の椅子を奪うこともありますよね。 ネジも締めすぎるとネジが潰れることもあるし、塩梅が難しいですよね。 椅子をくっつける…