第113話 大学生の1日は長い


 夏休みの大学生というのはだらけ切った者たちばかりだ、と思っている人が多いのではないだろうか。


 その偏見は、概ね正しい。


 小中高の学生なら宿題や塾があるし、社会人にはそもそも休みが少ない。それに比べて、大学生には自由な時間が圧倒的に多い事多い事。


 追われるタスクがないのでその気になれば自堕落に遊んで休みを楽しむことが可能だ。


 事実、1回生の時は本当に酷かった。


 気の合う奴らと酒・煙草・ギャンブルに溺れ、学生という身分を盾に享楽と怠惰の限りを尽くしたのだ。本当に、ただただ楽しいだけで何の成長もない1月だったと言える。


だがしかし、2回生になった俺は一味違うのだと、ここに宣言させてもらおう。


 今日は、そんな慌ただしくって予想外まみれで…………なんでそうなるって感じの俺の1日を改めて振り返ってみようと思う。


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『痛てて……昨日も、ちょっと飲みすぎた』


 と言う事で、まずは朝、11時半起床。


 昨日、飲みすぎたせいか少し頭が痛かった。


『おい、朝だ。起きろ猫屋』


 鯨飲から来る鈍痛をノンアルコールビールで洗い流しながら、仲良く腹を出して寝ている三姉妹安瀬・猫屋・西代の中から猫屋だけを慎重に叩き起こす。


『んぁ~……じんなーい…………わたしまだねみゅーい……あと10ぷんだけ寝させてぇー……』

『それで起きた事ないだろ、俺らは』


 寝起きでぐにゃぐにゃの軟体動物みたいな猫屋が、薄い毛布を頭から被って愚図りだし始める。


  猫屋には今日、13時から肘のリハビリの予定があった。そろそろ起きないと昼飯を抜かなくてはならなくなる。


『2度寝してたら化粧する時間なくなるぞ?』

『…………んんー』


 これを言えば、大抵の場合は猫屋は布団から這い出ててくれる。


 彼女は少し崩れた髪を手櫛てぐしで整えながら洗面所に向かって行った。


 安瀬と西代ではこうはいかない。扱いやすい一面があるというのは非常に助かる。


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 時間は飛んで、昼の13時。


 猫屋をリハビリセンターまで送り届けたその待ち時間。俺はいつも通り1パチで暇を潰すと猫屋に言って、煙草の吸える喫茶店でグリーフケアの勉強を始めた。


(はぁ……俺はなんでこう、意志薄弱なんだろ)


 夏休みに入ってから勉強時間はこの1時間しか取れていない。陽が昇るまで飲んで騒いでいるせいだ。深酒は良いとしても、もっと早く起きるようにしないとな……。


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 午後2時。


 リハビリを終えた猫屋と帰宅するついでに、晩飯の食材の買出し。


 今日の晩飯当番は俺だ。買出しは常に、4人共用の生活費から、安くて、量が多く、加えて3人が概ね満足しそうな献立を選ばなくてはいけない。


 今日は相談役がいたので買い物は20分程度で終わった。いつもなら、買出しには少しばかり時間がかかる。


 理由はそれぞれに食の好みという物があるからだった。


 安瀬は和食や季節の物を好む。


 最近で言えば、土曜の丑の日にアナゴとちくわの代用品蒲焼きを出してやったら『うむ!! アナゴは今が旬であるし、鰻の代わりにちくわとは珍しいの!!』とご満悦。その日の安瀬はグデグデになるまで食酒けざけを呷って幸せそうだった。


 猫屋は言うまでもなく、辛い物を常に欲している。


 あと、食後のデザートを喜ぶタイプだった。『辛い物食べた後にはー、甘いのが欲しくなるんだよねー』と言うので、たまに割引の果物を食後に出す。甘い物は俺も大好物であり、食後のみとはいえ舌が合うのは個人的に嬉しい。


 西代は小食であり、好みの献立を口にした事は一度もない。


 しかし、おかずの種類が豊富であると僅かに頬が緩む。餅と野菜ジュースだけで過ごしていた1年前を鑑みると、健康的で微笑ましくなる。


『リハビリ頑張ったしー、私、今日はとびっきり辛いのが食べたいなー。ね? 陣内』

『へいへい。俺のできる限り、辛いのを作ってみるよ』

『まじ!! やったねー!!』


 猫屋のおねだりによって、今回は彼女好みの晩飯で確定した。いつも誰の好みを優先するかで悩むので、時間を使わずに即決できたのはありがたかった。


 この後、別の予定もあるしな……。


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「あ、ぱいせ~ん!! 遅いっすよ!!」


 午後4時、20分。


 小走りで駅の改札口を通過した俺の耳に向かって、雑な敬語が飛び込んでくる。


「すまん。悪かった大場おおば。晩飯の仕込みしてたら遅くなっちまった」


 大場おおばひかり。今日も今日とて海賊のような眼帯を掛けた変な女に、俺は軽く頭を下げた。


「20分も遅刻っす!! まったくぅ……デートで女の子を待たせるのってどうかと思うっす!! 良くないっすよ、そういうの」

「……はぁ!? デート!?」


 事実無根のデタラメをぶち込まれたせいで、遅れて驚いてしまう。


 俺は今日、彼女に頼まれて親へのプレゼント選びに駆り出されただけだった。


 なんだかんだ世話になっている後輩に少しでも恩を返すために来たのであって、今日はデートなんて甘ったるい物ではなかったはずだ。


「おやおやぁ? なんっすか、その過剰な驚きっぷり。デートって聞いて緊張してきたっすか? 相変わらずの純情ぷりっすね!!」


 くひひっと、大場は人を食ったような笑みをこちらに向けてくる。悪戯が成功したガキみたいに無邪気に笑っているので、ちょっとイラっとする。


「大場テメェ……遅刻したのは申し訳ないと思ってるけど、あんまりふざけた事言ってると俺は帰るからな」


 正直に言って、ついこの前軽薄な場にはいかないと安瀬に言い切った手前、年が近い女と2人でショッピングは忍びなかった。


 大場にはバイトでも異性関係でも相談に乗って貰って助かっているが……コイツが万が一にでも、億が一にでも、デート気分だったのなら悪いが帰らせてもらおう。


「ちょちょちょ!! じょ、冗談じゃないっすかパイセ~ン!!」


 俺が本気で帰ってしまいそうな気配を感じ取ったのか、大場は慌てて俺にすり寄ってくる。


「お茶目な後輩ジョークってやつっすよ~!! お、男の人と出かけるなんてほんっっっとに久しぶりだったんで、ちょっと調子に乗っちゃったぁー……みたいな?」

「いやいや、お前、俺と同じ大学だろうが。男なんて溢れるほどいるだろ」


 調子の良い大場の言葉の矛盾点に鋭く突っ込んだ。


 大学の男女比は9:1なのだ。男友達なんて、勝手にできる物だろう。


「いやぁ、それが私ってバイトばっかりしてるせいかあんまり大学に友達っていないんっすよね。サークルなんかにも入ってないっすし」

「え?」

「あはは、言ってませんでしたっけ?」

「ん……」


 友達が少ない。


 そう言っている大場は、ちょっと恥ずかしそうだった。


 思えば、彼女も俺たちと一緒で変人と呼ばれる部類の人間だ。友人作りで苦労するのは、当然と言えば当然の事実に思える。


「……そうか」


 本当に久しぶりのお出かけに浮かれていたのだとすると、こっちが申し訳ない気持ちになってくる。


 よくよく観察してみれば、彼女の服装は中々に気合が入った物だった。案外、本気で俺なんかとのショッピングを楽しみにしていたのかも……。


「……まぁ、なんだ。私服のセンスは超いいのな、お前」


 女性の好みには無頓着な俺だが、服装については可愛く綺麗にまとまった物が明確な好みとして存在した。


 今日の大場の服装は、俺の好みに合っていた。


 レッドワイン色が妖しいミニスカートに、黒を基調として無数の英単語が刻まれたTシャツ。銀の指輪とウォレットチェーン。


 所謂、V系やゴスロリと呼ばれるファッション。


 それらは黒と蒼色が混じる髪と、毛先だけを綺麗に跳ねさせたウルフカットに良く調和し、似合っていた。


「お、おぉ~!! マジっすか!! へへっ、あざっすパイセン!! ……ん、あれ? これもしかして口説かれてるやつっすか!?」

「違うわ。単純に似合ってると思ったから言っただけだよ」

「…………ふふ~ん。そうっすか。似合って、ますか」


 繰り返し褒めたせいか、大場はニマニマと口角を上げて憎たらし気に笑う。


(もう、ほんと、コイツはすぐに調子に乗るな)


 後輩としては可愛い気性であると思うと同時に、たまにウザいと思わざる負えない。


「ふっふっふ。いやぁ年上の男性を立てるのも後輩の役目って言うか? 連れている女がイケてると男性も嬉しいぽいですし?」

「馬鹿。俺は小心者だから、身が縮こまるだけだよ」

「またまた~、小心者は大学で酒なんて飲まないっす! それにいつもは小奇麗な女性を引き連れてらっしゃるご様子ですし!!」

「んぐっ…………こ、この話は一旦やめにしてさっさと行こうぜ」


 旗色が悪くなってきたので、俺は大場を置いて歩き出した。普段からの素行の悪さを改めて突きつけられると、流石に居たたまれない。


「あ、それずるいっすよ!! 待ってくださいっす、パイセ~ン!! せっかくなんで一緒に並んで歩きましょうよー!!」


 少し遠くから聞こえてくる妙にムカつく大声には、聞こえないふりをしておいた。


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「で? 父親の誕生日にお酒を贈る、で合ってるよな?」


 駅に直結している大きなショッピングモール。そこのエスカレーターでフロアを登りながら、俺は大場に今日の目的を再確認する。


「はいっす。ていうか、お酒がらみ以外で先輩を頼るわけないじゃないっすか」

「それはごもっとも」


 本来なら失礼に当たりそうな信頼感だが、俺にとっては誉め言葉だ。


 自分の得意分野で人に頼られると素直に嬉しくなれる。


「ははっ、やっぱド変人っすね。あんな人たちと一緒に暮らせてるだけはあるっす」

「え?」

「いいや、なんでもないっす。それより、先輩は何か欲しい物とかないんっすか?  お酒でも、何でも。不肖、大場ヒカリがお供させて頂くっす」

「まぁせっかくだし酒は買いたいけどよ……金貯めてんだ、今」

「ほうほう。それはまたなんで?」

「バイク用品が欲しくてな。まぁこっちも趣味の品だ」


 俺が今欲しているのはバイクの補助パーツだ。


 俺のバイクは1人で突っ走る類の物なので後部座席の座り心地は最悪に近い。


 乗り心地の良いシートとグリップの効いたタンデムバー、加えて背もたれも購入するとしたら、軽く8万は必要だ。


 のちのち大きな金が入ってくる予定はあるので、それまでは貯金しないといけない。


「バイクっすか。ふむふむ……中二度高くってカッコいいっすね!! 私、乗った事ないんで今度試しに後ろに乗せてみてください!!」

「あぁ、いいぜ。バイトが被った時は、そのまま家まで送ってやるよ」

「わーい!! それ超助かるっす!! あ、運賃として背後からのハグを払うんで、行きも迎えに来てくれません?」

「色仕掛けで先輩を足に使おうとするなよ……」


 軽口で会話を弾ませながらモールに入っている酒売り場まで大場と並んで歩く。


 俺たち大学生は夏休みだが、本日は世間一般には平日であり、周囲は主婦の割合が多い。それ以外にぽつりぽつりと見かけるのは俺たちと同じような、男女のペア。


(……なんでだろ)


 安瀬とか、猫屋とか、西代とか。彼女たちと2人でこんな所を歩いている時は、自分を少しでもマシに見せようと自然と背筋が伸びた。


 別に、それは無理していると言う訳ではなく、嫌々と言う訳でもなく、むしろ、美酒に酔っているような夢見心地になった。


 緊張とリラックスが矛盾して共存する、心地の良い心境。だけど、今はとてもそんな気になれないのは……なんでだ?


「おぉ!! こうお酒ばっかりが並ぶと圧巻っすね!!」


 不意に陥った自問自答が、大場の明るい声に吊り上げられる。


 意識を目の前に戻せば、俺の前には酒瓶がこれでもかと詰められた商品棚が樹木のように並んでいた。


「お、おう。そうだな」


 適当に会話を繋いでいる間に、どうやら酒屋に到着していたようだ。


「パイセン? なんかボーっとしてないっすか?」

「え、あ、いや、何でもない。それより、親父さんは普段はどんな酒を飲んでるんだ? 参考までに教えてくれ」


 大場に対して、何か凄く失礼な思考をしていた気がした。


 それを紛らわしたくって咄嗟に彼女の相談内容を深堀する。


「んん……父は焼酎ばっかりっすね。晩酌は決まってそれっす」

「焼酎か。芋と麦どっちだ? もしくは米か?」

「えぇっと、すんません。ちょっと分かんないっす」

「そっか。まぁ、焼酎好きなら何でも飲めるだろうし大丈夫か」


 いつ何時だって酒の事ならスルスルと考えが纏まるのが俺という人間だった。実際に変な思考はさっぱり消え、大場にお勧めする酒の事に頭がいっぱいになる。


 瓶の配置から店員の意図を読み取り、焼酎が置いてありそうな場所へと大場を先導する。


 焼酎のラインナップに不足がないことを確認してから焼酎瓶たちの前に立ち、俺は解説のために口を開いた。


「いいか大場。芋焼酎なら3m森伊蔵・魔王。村尾のどれか。麦なら百年の孤独が定番で喜ばれるけど、値段が気になるなら吉四六きっちょむあたりともいいと思う。壺酒だから見た目的にインパクトあるし」

「ん、え?」

「米焼酎なら俺は獺祭だっさいを押すな。獺祭は日本酒の名酒で、その酒粕を蒸留してるから凄くフルーティーで甘い感じなんだ。もし珍しいのを選びたいって言うなら、栗とか蕎麦焼酎なんかもありだけど…………あ、俺明日から四国旅行に行くからさ、親父さんの誕生日が直近じゃないなら本場でダバダ火振栗焼酎を買ってくるけど、どうする?」

「………………も、申し訳ないんですけどお任せしてもよろしいっすか? 私が選ぶよりそっちの方が断然よさそうっす」


 ぺらぺらと語る俺に引いてしまったのか、大場は苦笑いを浮かべながら物理的に身を引く。


「あ、いや、今のは俺が悪い。すまん、いつもの調子で喋りすぎた」


 今挙げたのは本当に定番の品ばかり。しかし今年二十歳になったばかりの大場には専門用語に等しかったのだろう。


 俺が見繕っては誕プレの意義が薄れてしまうというのに、配慮に欠けていた。


「アドバイスはするけど、酒は大場が選んでくれ。そっちの方が父親も嬉しいだろ」

「う、うぃっす。慎重かつ、大胆に、お酒様の厳選に心血を注がせていただきます」


 今度は俺が酒棚から一歩下がると、入れ替わるように大場が前に出た。


 彼女はむむむっと眉間に皺を寄せて、片方しか露出していない眼の焦点を絞る。


「ははっ、そっか」


 お酒様。俺がいつも使っている敬称を聞いて、自然と笑みが零れる。


(コイツもお酒の沼にハマってくれると嬉しいな)


 変な奴だけど、将来的に良い酒の相手になってくれそうだ。


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「私、今日だけで焼酎にかなり詳しくなった気がするっす。あと、久方ぶりにこんなに思い悩んだ気もするっす」

「おいおい。普段どんだけ頭空っぽで講義受けてんだ」

「パイセンが一瓶毎に解説を挟むからっすよ……」


 少々疲れた様子の大場から呆れを含んだ視線が投げられる。


 酒選びが終わった俺たちは、店内のフードコートで小休憩を取っていた。


 大場はアイスティー、俺は持参したクライナー小瓶リキュールを舐めるようにチビチビと啜る。


「ふぅ……一息ついたっす」


 大場がアイスティーを飲み切り、ほっとしたため息をついた。彼女は手慰みにストローを弄りながらこちらを見据えてくる。


「それでこの後どうするっすか? 晩飯までもう少し時間あるっすよね。私的には~、カラオケとかゲーセンでぱぁーっと行きたい気分っす」

「ん?」


 何気ない雰囲気で、大場がこの後の遊び場を提案してきた。


「いや、悪いけどここで解散でよろしく」

「…………はい!?」


 俺の返答があまりに予想外だったのか、大場は椅子から立ち上がり机越しに俺に詰め寄ってくる。 


「は!? え、ちょ、マジで言ってるんっすかそれ!? こんなちょっとで終わりっすか!? はぁ!? パイセンいつも少し可愛い子に囲まれてるからって女性の扱いが雑になってませんか!? あり得ないっすよ!!」

「へ? いや、えっと、あー…………実はこの後、病院の予約を取っててな」


 思っていたよりも反感を買ってしまって驚き、つい話すつもりのなかった予定を言い訳のように口にしてしまう。


「本当に悪いけど、遊びはまた今度で」

「えぇ……?」


 病院の予約。俺がそう言うと、大場の顔はみるみると引きつっていった。


「あ、あの、禁酒外来なら私も付き合うっすよ? ほら、メンタルケア的なナイーブな相談内容は、客観的な立場な人間が居た方が話がスムーズに進みそうっすし。それに結構ガチ目で心配なんで」

「余計な心配どうもありがとよ……!!」


 人を中毒者呼ばわりする屈辱的な気遣いを、全力の皮肉で否定する。


 断固として言わせてもらうが、禁酒外来に通うほど俺は重症ではない。


「え、違うんっすか? だとすると、調子でも悪いんすか?」

「…………まぁ、ちょっとな」


 なまじ心療内科という一面のみが当たっていたため、一瞬だけ口ごもってしまう。


(グリーフケアだの、俺の贖罪なんてのは言える訳ないしな)


 この後、午後6時。


 俺には、叔父さんに紹介された精神科医と会う約束があった。

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