全部、通り過ぎてもいい。
何か一つの道を歩いている気がする。以前は、社会が用意した道。社会が「これが幸せだよ」とか「これが成功だよ」と言う道を逸れないように、外れないように、一生懸命喰らいつくような道。以降は、己の道。それは、禅や武術やエネルギーワークに通じるものを感じるけれど、禅とも武術ともエネルギーワークとも違う、独自の道。師を持たずに、同時に、すべてを師とするような道。
これまでは、自分には何もないことをマイナスに捉えていた。何もない自分に何かを与えようと、本を求めたり、人を求めたり、刺激を求めたりした。自分とは空間だと思うようになってから、何もないからっぽの空が、充実するようになった。からっぽの空間。充実した空。何もないから、何にでもなることができる。何も持たないから、すべてを持つことができる。空間が、充実をした。
悲しみも、喜びも、これは忘れたくないなと思ったことも、大事だと思ったことも、何もかも、全部、通り過ぎてもいいのだと思った。自分のものにしなくてもいい。覚えようとしなくてもいい。忘れてもいい。そのまま通り過ぎてしまってもいい。通り過ぎたからと言って、それがなくなる訳ではない。自分のものにしようと強く握り締めている時よりも、忘れてもいい、覚えようとしなくてもいい、悲しみも、喜びも、全部、通り過ぎてもいいと思った時、全部、自分のものになった。
社会が用意した道を歩いていた時は、なんとなくみんなと同じでいることができた。帰属感は窮屈だが、みんなと同じである安心感も与えた。帰属先を離れて、独自の道を歩き出した時に、ああ、これが孤独かと思った。孤独とは一人になることだと思っていた。だが、違った。孤独になれば孤独になるほど、孤独な人たちと繋がった。孤独な人とは、可哀想な人のことではなく「われ独り行く」と決めた人たちのことだった。独りで生きるほど、独りで生きている人たちと友達になった。
自分の道を極めたいと思う。どこまで行けるかはわからない。何年かかってもいい。何にもならなくてもいい。未完でもいい。生きている間に間に合わなくてもいい。行けるところまで行きたい。忙しくなると、他人の道に入ってしまう。あせっては行けない。三十年かかると思って取り組む。手放したものが自分のものになる。それはどこにも行かない。だから、安心して通り過ぎる。ただ独りで生きて、ただ独りで死ぬ。私たちは、孤独であって、孤独ではない。孤独になるほど、全体との一体感は増して行く。空間が、充実をする。
おおまかな予定
7月25日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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