「多くの評論家がこき下ろす中で、三島由紀夫は初代ゴジラを絶賛した」という通説が本当なのか、可能な限りの資料を調べました。
調べたきっかけは三島のこの日記。「ゴジラの逆襲」を公開週にみんなに触れ回って観に行くぐらいだから、初代ゴジラを気に入っていたことは間違いなさそう。(続く
- とはいえ具体的に三島がゴジラに言及したテキストは見たことがないので探してみました。長くなるので結論だけ先に言います。 ・三島がゴジラを褒めているテキストは見つからない。 ・ゴジラのプロデューサー田中友幸の記憶違いの可能性が高い。 ・しかしまだ可能性は残る。 順を追って説明します。
- まず前提の確認。三島によるゴジラ評として出回っている定型文は「原爆の恐怖がうまく出ている。臨場感もあるし、原爆の象徴としての怪物も成功である。素晴らしい着想だし、面白い映画である」というもの。講談社の『日録20世紀・1954年』などにも引用されています。この出どころはどこなのか?
- これは田中友幸プロデューサーの証言が初出のようです。田中友幸は初代ゴジラ関連インタビューでほぼ毎回このくだりを話しており、今回私が調べた限り一番古く活字化されたのは、77年刊行の「怪獣同人誌PUFF大増刊 ゴジラの頃―日本海銃特撮映画の系譜」で小松左京や本多猪四郎を交えた座談会。
- 同様に78年『ファンタスティック コレクションNo.5 特撮映像の巨星ゴジラ』、83年『東宝特撮映画全史』、90年『ゴジラ大百科』。 見つかるのはほぼ田中氏の証言のみで、今回発見できた他の証言はゴジラ脚本の村田武雄によるもの(83年『怪獣ゴジラ』)。ただしこれも田中氏を中心とした文脈ではある。その他、板坂剛が97年『極説・三島由紀夫』にて、映画評論家の小川徹から「三島が初代ゴジラについて語っていた」という話を聞いた…と記していますが、これは又聞きの話ですし、なおかつ小川徹の死後に書かれた文章であり、真偽自体が不明なため証拠としては扱いません。田中友幸の証言のうち、テキストを含めて『東宝特撮映画全史』が現在の「三島がゴジラ褒めてた説」の根幹にあると言えそうです。そして重要なことに、田中氏は「中央公論かアサヒグラフか毎日グラフで褒めてた」と証言しています。 ということで54年10月~55年後半までのこれらの雑誌を調べました。まずアサヒグラフ。初代ゴジラの公開が1954年11/3なので、1954年10/6号から1955年7/27号まで掲載記事を調べましたがゴジラ関連のものは無し。短文の映画評欄も確認しましたが、ここは編集部の固定メンバーが書くものなので、三島が突然来てゴジラ評を書いていた、というパターンはまず無いでしょう。続いて毎日グラフ。これは中古市場に出回らないので現物入手は断念し、大宅壮一文庫のアーカイブにお世話になりました。1955年12月まで記事を調べたところ唯一あったゴジラ関連記事は1955年4/27号の1つのみで、複写を取り寄せましたがこれは『ゴジラの逆襲』の撮影現場の記事で、三島は無関係でした。そして中央公論。これも国会図書館と大宅壮一文庫の記事サーチ、どちらも試しましたがゴジラや怪獣関連の記事はゼロ。 ただし『決定版・三島由紀夫全集28』に、中央公論55年12月号掲載の「ゴジラの卵」という記事を見つけました。これは記事ではなくグラビアページの1枚の扱いだったので記事検索から漏れたのでしょう。この短文も、ボディビルを始めた三島が自らを「ゴジラの卵」と称するだけで、ゴジラ自体を褒めたりする内容ではありません。 ということで今回調べた限り、初代ゴジラ公開当時、三島が中央公論・アサヒグラフ・毎日グラフでゴジラを絶賛した記事というものは見つかりませんでした。田中氏の記憶違いで、他の雑誌に掲載されていた可能性もあるか?と思い捜索範囲を拡大。まずはゴジラ文脈で調べましたが、初代ゴジラ関連の評論をアーカイブしまくった、竹内博・村田英樹による大変な労作『ゴジラ1954』(99年)を見ても、他の著名人のゴジラ評はあれど三島によるものは記録なし。大宅壮一文庫でも掲載紙を指定せずに「ゴジラ・怪獣・水爆」などで検索してみましたが、三島によるゴジラ評の記事は見つかりませんでした。 続いて三島による映画評論の文脈でゴジラに触れたものがないか調べました。三島はかなりの数の映画評論を遺しており、可能性はあるかと思いましたが…『三島由紀夫 映画論集成』(99年)および『三島由紀夫、左手に映画』(2012年)、『三島由紀夫研究② 三島由紀夫と映画』(2006年)を確認しましたがゴジラへの言及は無し。1955年の座談会でお気に入りの映画について語る場面でもゴジラは出てこず、むしろ「日本映画はあまり見ない」とにべもない。なお、「作家としてゴジラのような作品を褒めるのが恥ずかしかったのか?」というとそんなことはなく、映画インタビューでも「『宇宙水爆戦』とかを一番観たいのにそういう映画は私に試写会の誘いを送ってこないんだよな…」とボヤいてたり、怪奇ものやSFものが大好きなことはたびたび公言してます。他にも1954年11月直後、雑誌で三島特集が組まれた際などにシレっと発言しているかもしれないと思い、三島由紀夫全集の評論巻に加え、三島由紀夫全集に未収録だった週刊読売1954年11/21号「アプレ天才作家 三島由紀夫の百面相」も念のため取り寄せて調べてみましたがゴジラへの言及はありませんでした。なので、三島がゴジラを褒めているテキストは少なくとも今回の調査では発見できなかったです。 ここでもう一つ可能性として思いついたのですが、「田中友幸が三島と直接話すか手紙で受け取った絶賛評を、記憶違いで雑誌に掲載されていたと思い込んでしまった」パターンはありえるかなと。田中友幸と三島由紀夫に接点があったのか?というと、実はあります。ゴジラと同時期に三島原作の『潮騒』も映画化されており、なんとそちらのプロデューサーも田中友幸(仕事しすぎ)。プロデューサーと原作者の立場なら当然面識はある…と思って調べてみたら三島による田中への言及を見つけました。婦人公論1954年11月号に掲載された、三島による「『潮騒』ロケ随行記」を読むと、三島がロケ地の鳥羽に着くと田中が出迎えに来たことが明記されていました。これは54年8月の記録ですが、映画の完成・公開後まで関係は続くし、ゴジラを観た三島が田中に感想を伝えることはまあ充分にありえるでしょう。改めて結論です! ①田中友幸による「三島が雑誌で褒めた」証言はかなり怪しい。 ②しかし2人の関係性を鑑みると三島が田中に直接ゴジラ評を伝えた可能性はある。 なお「三島以外の文化人からはゲテモノ扱いだった」というのも誇張を含み、実際はマキノ雅弘や高木彬光ら褒めてた人も普通にいます。私の調査はここで終えますが、まだ可能性の残された領域があります。中央公論の「ゴジラの卵」のように、グラビアページでシレっと語られた話は雑誌の目次に含まれないため、見落とされたテキストがあるかもしれません。大人は国会図書館に通うしかないですが、大学生なら実はもっと簡単に検索できます大抵の大学なら学内からアクセスできるはずですが、アサヒグラフなら朝日新聞クロスサーチ、毎日グラフならKinoDenという法人向けサービスでデジタル化されたバックナンバーを全文閲覧可能なのです。興味のある学生の方、1954年11月以降の記事をヒマ潰し感覚で見てたら大発見があるかもしれませんぜ!一部訂正です!田中友幸Pの証言として紹介したこちらの情報ですが、この同人誌を編集された氷川竜介氏からご指摘いただき、刊行は75年・原本はガリ版印刷とのことでした。ありがとうございます! そして書名も間違っています、正しくは「日本怪獣特撮映画の系譜」ですね。一連のスレッドは「三島由紀夫が映画『ゴジラ』を褒めていた記事は実在するのか」という調査で大変な労作です。で、追っていったらコレの親本は自分が高校2年のとき(つまりヤマトの現場に出入りしてたころ)初めて作った同人誌ではないですか。74年11月3日、第2回日本SFショーでゴジラの成人式として