公認で海賊行為の許可状を発行し、スペインがアメリカで採掘した銀などを本国に輸送するルートを海賊に襲わせた。これがスペインとの英西戦争の原因となる。スペイン大使はもっとも悪名高き海賊フランシス・ドレイクの引き渡しを執拗に要求し続けたが、時の女王エリザベス1世はのらりくらりと交渉を引き伸ばし、ついにイギリスの英雄でもあるドレイクを庇い切った。
清との貿易で大量の紅茶を輸入して赤字に悩むと、麻薬を売って穴埋め。清国民はアヘン漬けになり、たまりかねた清国政府はアヘンを厳しく取り締まる。対するイギリスは清と開戦し(流石にこんな理由の開戦には反対意見が多く、議会では僅差で可決された)、要求を飲ませてアヘン販売を継続、ついでに香港と賠償金も毟り取った(もっとも、この戦争では清側の対応にも問題があったが)。一方で香港はイギリスの統治下にある間は中共の圧政に晒されることはなかったため、1997年の中華人民共和国への返還後に起こった結果を鑑みて、結果的に一時的ながらもイギリスが香港を救ったとも言われている。
同じパレスチナの土地をアラブ人、ユダヤ人、フランスに与えると重複して約束してしまう。曖昧な約束をアラブ側とユダヤ側が額面通り受け取ってしまったためにパレスチナ問題と中東戦争に発展する(まあアラブ人とユダヤ人の勢力圏の約束に重複はなかったのだが)。21世紀も四半世紀が経った今日まで続く中東の不安定を招いた諸悪の根源として特に槍玉に挙げられる。
アイルランドの主な食糧であるジャガイモが疫病で壊滅。当時植民地支配者であったイギリス政府は、実はイギリス本土への輸出用に大量に穀物も栽培させていた。これを援助に回さずにイギリスへ輸出したため、アイルランドで餓死者が大量発生した(イギリス政府も公共事業など援助になる施策は行っており、穀物もアイルランド国内で販売はしたが、貧しい大多数のアイルランド人は買えなかった)。その後21世紀の現在に至るまで、アイルランド島の人口は飢饉前を上回ったことはないという。
またアイルランドはヨーロッパ有数の豊かな漁場に囲まれており、古くから魚を利用し続け近代には大量の魚を保管し島内に流通させる仕組みがあったのだが、イギリスの統治により意図的かつ長期的にアイルランドの漁業を衰退させる施策を行った結果、アイルランドの漁業は低迷してしまい大規模な飢饉に対応できなかった。
イギリス植民地政府と対立していたボーア人(オランダ系の南アフリカ移民)に対して戦争を起こした際、イギリス軍はボーア人の民家や田畑を意図的に焼き討ちして婦女子を収容所に連行する戦術を取ったために国際的非難を浴びた(アフリカ人からすれば、ボーア人もイギリス人も後に共同して人種差別政策を行った侵略者でしかないのだが)。
この大量虐殺というのも、イギリス人側が道楽目的のスポーツハンティング感覚で行っていた。戦死や強制移住、疫病もあって最終的にタスマニア原住民は絶滅してしまった(イギリス人入植者からは襲われたので反撃しただけだという異論もある)。
1880年、当時インドを支配していたイギリスは北センチネル島の原住民・センチネル族6人を拉致した。だが、彼らは外界と長らく交流がなかったため、天然痘などの外部からの伝染病によって拉致したうちの大人4人が病死。その後、イギリスは生き残った子供達2人を贈り物と共に北センチネル島に送還した。しかし、子供達は(もちろん意図せずに)伝染病を持ち込んだと言われており、これがきっかけでセンチネル族は外界に対する警戒心を強めたと言われている。その結果、以降北センチネル島に赴いた人々のほとんどは原住民に殺害されており、現在北センチネル島及びその周辺は(国際法上同島を領有しているインド政府によって)渡航禁止となっている。
1886年、英国船ノルマントン号が和歌山沖で沈没し、日本人乗客25人が全員死亡する一方で外国人乗組員の多くが脱出した。英国領事裁判で船長が実質的に軽い処分しか受けなかったことから、日本国内で不平等条約の改正を求める世論が高まる契機となった。恐らく日本人が中学校の歴史教科書で初めて習うブリカス案件である。
ナチス・ドイツにチェコスロバキアの領土を一部割譲すると勝手に約束してしまう。内容を事前に知ったチェコは猛反発するも、ならばチェコを見捨ててやると脅迫して受け入れさせる(この時はフランスも共謀してチェコを脅している)。
第二次世界大戦によってアイスランド植民地の支配者であったデンマークがナチス・ドイツに占領され、この際にアイスランドは中立国として独立を宣言した。しかしイギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、アイスランドがナチスに奪われることを恐れてアイスランドの中立を侵して侵略し、そのまま全土を占領してしまった。
第二次大戦中、イラン王国皇帝・レザー・シャー・パフラヴィーはナチス・ドイツと接近する。理由は(当時のイランが)イギリスやソ連と国境を接していたため、同二ヵ国と対立するドイツと組むことで英ソを牽制したかったからであり、ナチズムのイデオロギーには共感していなかった。ところが独ソ戦が始まると、イギリスとソ連が「イランがナチスと組んでいる」と言いがかりをつけて侵攻を開始した。これには政治的な理由があり、英ソはイランの石油や、さらに米英によるソ連へのレンドリースのルート(ペルシア回廊)を確保したいという狙いがあったのだった。英ソによる侵攻中でさえ、イランは日独伊三国同盟には加盟しなかった。だがイランが降伏すると、英ソは終戦まで同国に駐屯した。一連の解説を読んだら分かる通り、これはロシカス案件でもある(ソ連は終戦後でさえ、イラン北部にて親ソ傀儡政権樹立を目論んでいた)。
1943年に天候不順と大戦の影響で英国植民地だったインドのベンガル地方を中心に起きた大飢饉。チャーチルが個人的にインド人を嫌っていたためにわざと支援を行わなかった結果、1000万人とも(少なく見積もっても百万単位の人)いわれる人々が餓死する大惨事に発展した。後に支援自体は行われたが、必要量の3分の1しか物資を送らなかった。
フランスのナチスへの降伏直後、フランス海軍艦艇をイギリス海軍が攻撃した。ナチスにフランスの艦艇を接収されないために行った結果、フランス国内での反英感情が高まり戦争寸前にまで発展した。
ビルマ戦線での日本人捕虜への待遇があまりにも非人道的であったと会田雄次『アーロン収容所』で告発される。(会田教授は日英文化の違いではないかという一定の擁護も行っているが)
狂牛病が肉骨粉が原因であった為、イギリスが肉骨粉の使用を国内で完全に禁止したが、国外に向けて肉骨粉を輸出した。
それまでイギリスが握っていたイランの石油利権を同国のモサッデク首相が国有化しようとした事で、渋るアメリカを口説いて介入。しかも汚れ仕事はアメリカにやらせた。1953年にCIAが現地反首相派を動かした大規模デモでモサッデクは失脚し、以降はパフラヴィー国王(皇帝)が親米独裁路線での政策を進めることになった。こうした内政干渉に対する恨みから、国王を追放したイスラム革命後のイランは手段を選ばない反米国家へと変貌した。
1956年、イギリスが管理していたスエズ運河をエジプトが国有化しようとした事に反発し、フランス及びイスラエルとグルになってエジプトに侵攻。エジプト軍を大破するも、アメリカとソビエト連邦の逆鱗に触れてしまい、渋々撤退した。
ソ連の地上侵攻が発生した場合に備えた、核地雷による防衛計画。ライン川あたりのドイツ領内に秘密裏に設置しておいたニワトリの体温で電子機器を保温する設計の核地雷を起爆し、放射能汚染で占領も妨害しようというもの。この「ブルーピーコック計画」は流石に政治的リスクが高すぎるのと技術的にもダメだったということでキャンセルに終わったが、他国の領土を勝手に核で爆破することを大真面目に検討していた。
一般的にはギリシャとトルコの問題と言われることが多いが、実はイギリスも深く関わっている。というのも、イギリスは1878年にキプロスをオスマン帝国(現在のトルコ)から借りたのだが、1914年に第一次世界大戦が勃発してオスマンと交戦し始めるとキプロスを一方的に併合。さらに、大戦後の1925年には正式に植民地とした。その際に分割統治、つまりギリシャ系とトルコ系の住民の対立を煽り、利用し、イギリス支配を安定させようとしたのだ。1960年、イギリスはギリシャやトルコと共にキプロスの安全を共同で保障したうえで独立させることを決定。しかし、イギリス時代に増加したギリシャ系とトルコ系の住民の対立は継続。さらには、イギリス軍の軍事基地だけは残した。そんな中、1974年にクーデターによってギリシャ系の軍事政権が成立し、エノシス(ギリシャとキプロスの統合)を掲げるようになる。するとトルコが「トルコ系住民の保護」を名目にキプロス北部へと侵攻。結果、キプロスは実質的に南北(南のギリシャ系キプロス共和国と、北のトルコ系北キプロス・トルコ共和国)に分断された(ちなみに、北キプロス・トルコ共和国はトルコ以外は国家承認していない)。結果イギリスは、保障国にもかかわらずこの流れを止めなかったとして批判された。
2016年のEU離脱を問う国民投票において、超僅差で離脱派が勝利。不法移民流入を防ぐ切り札として、数年にわたる国内政治の大混乱と他加盟国の猛反発とを無視し、ボリス・ジョンソン首相が2020年についに離脱を敢行。面倒な不法移民はEUに丸投げして、イギリスは昔ながらのティータイムを楽しむ生活に戻るというブリカスの伝統を継承した見事な計画であった………のだが、この鬼畜の所業に引き下がるほど欧州諸国は甘くなく、イギリスの発言権がない事を生かしてEU側が不法移民規制を強化する中、イギリスへの渡航は域外だからと不干渉に徹した。結果的にイギリスへの不法移民統計は、2020年の約8500人から2022年の約45000人へと激増した。
旧植民地や他の欧州の国から、略奪や窃盗などの手段で収集された収蔵品がかなりある。大目玉の展示品であるロゼッタ・ストーンもナポレオン率いるフランスからエジプトを強奪した際についでにさらっていったものである。しかも、古代ギリシャのパルテノン神殿の彫刻のように実際は彩色が施されていたにもかかわらず、勝手に洗い流して無地に変えてしまうなどの改悪まで行っていた。これらの文化財の原産国からは度々返還要求が起こっているが、博物館はこれに応じていない(ただし原産国の中には国内のゴタゴタなどで文化財の保護が難しい場合もあったりする)。
Mimi Yanagiという妹系英国人VTuberを逮捕している。罪状は自作イラストがロリ系でそれを所持しているためという現時点では疑惑レベルの騒動。BBCをはじめ英国メディアでは一切報道されていないがそれ以外では真偽を問わず騒動となっている。