2026-07-25

チビデブハゲ収入汚肌童貞被虐待児頼れる親類なし

男。終わり散らかしている人間

Xにて精神科医を名乗るアカウントが"『毒親』のせいで今の私は苦しんでいる!…という人いるけど、親はほとんど関係ない。本人の特性で苦しんでいる"という旨のポスト投稿しているのを見かけた。

自認が被虐待児であるため、当然このポストが胸に刺さってしまい(自分は親を言い訳に使っているだけなのか?)なんて自問していたら、封じていたというか思い出さないようにしていた記憶がまろび出てきた。

どうしても処理したかたから聞いてくれ。

母は自分の周りの出来事自分の思い通りにならないと気のすまない人間で、特に家族(父と私)に対してはヒステリーがひどく、抵抗のできない幼少の頃はよく殴られた。

しかも例えば服屋に連れていかれて、

「着たい服指差して」

「これがいい」

「いやママはこれがいいと思う」

「やだ」

「なんで?絶対こっちの方がいいじゃん」

「やだ!」

「うるさい!言うこと聞け!」ボカリ

みたいな『こっちの選択をないがしろにされる』および『母の頭の中の正解を類推して当てないと殴られる』というのが日常的にあった。

また高卒の母は学歴コンプレックスも多分にあり、それを私で解消させようと掛け持ちで塾に行かせた。「東大に行け」と。

学校から帰ったあと友達と遊ぶこともできずに塾、塾、塾。

母は私に完璧を求め、テスト100点を取れなかった時は明け方まで詰められた。

「どれだけお前に金かけてると思っている」と怒鳴られ殴られた。その後は母が買ってきた市販問題集を解き終わるまで寝させてもらえなかったりした。

その間、母は怒鳴り疲れて寝たり、深夜番組を見て笑っていたりしていた。俺は自分が悪い、自分が悪いと念じながら鉛筆を動かしていた。

小学生の頃はずっと苦しかった。(別に今も苦しくないわけではないがこの頃よりはるかにマシだ)

中学生くらいになり身体的に抵抗できるようになった。殴られたら殴り返せるようになった。

だがここで今まで不干渉だった父がしゃしゃり出てきた。

「女を殴るな。親を殴るな」とボコボコにされた。「大切な家族危害を与えるな」と。

殴られている間、(子を殴るのはいいのかよ?)とか(こういうときだけかっこつけようとしやがって)とか(俺が母に殴られていたときはなにもしなかったくせに)とかの考えが浮かんできて怒りやら悲しみやらで頭がぐちゃぐちゃだった。

父に抵抗しようとすると母が俺に水をかけてきた。

ゴミ!産むんじゃなかった!」

この頃になるとうっすら自分の親がおかしいというのがわかってくる。わかってくるが、家の中では多数決で俺がおかしいことになる。

またそれでも子から親への無償の愛はあって、家庭内おかし自分が悪いのではないか不和の原因は自分にあるのではないかと思いもあった。

ただ理性では『おかしいのは親だ』という確信もあって、そのギャップにも苦しめられた。

結局この騒動は飯を数日抜かれて音を上げた俺が謝罪することでおさまった。

母は包丁を持って来て俺の手に持たせ、

「そんなに言うこと聞きたくないなら私を殺せ」と泣き腫らした目で言った。

俺も泣きながら「ごめんなさい」と土下座した。

高校に上がったあたりから母は"理想の子ども"に育たなかった俺が心底憎かったらしく毎日毎日つっかかってくるようになった。

ネグレクトもあった。この頃から歯医者や散髪に行くお金を出してもらえなくなった。家族連れで親族を訪ねるときなど外面への体裁を整える必要があるときのみ出してもらえた)

しまいには「足音が嫌い」だという理由で怒鳴りつけてくることもあった。そしてたいてい過去のことを掘り起こしてまた怒鳴り、深夜まで続きそのままあまり眠れずに学校に行く。そういう日々が常態化していた。

もう俺の心はボロボロで診断こそされていなかったが鬱だったのだと思う。

あらゆることへの意欲が薄れ、かといって家が安全地帯でもないので引きこもることもできず、逃げるように学校に行く。

かといって学校もそこそこ偏差値が高いところには入れたため、周りは必然家庭環境の良い人間が多く、やれ親とリゾート行っただの、海外旅行行っただのという話が耳に入る。

学校学校劣等感を刺激される場所で、どこにも自分がいていい場所がなかった。

どんどんと尊厳を失っていき、鬱もどんどんとひどくなっていく。

家に帰る。母が怒鳴る。俺の反応が薄い。母が怒鳴る。寝れない。学校に行く。劣等感を得る。家に帰る。その繰り返し。

ストレスからか太った。肌が荒れた。ハゲができた。

ずいぶんと母の"理想の子ども"から離れて行った。だから母は俺にきっと復讐がしたかったのだと思う。

高校3年の公立大学の出願期日が迫るときだった。

いつものように母は怒鳴り、反応の無い俺にヒートアップし、そして出願届を破いた。

「お前のようなやつが大学に行っていいわけないだろ!」

むちゃくちゃ鼻息を荒くしながら言っていた記憶がある。

泣くとか喚くとかは出来なかった。

その時の感情は無だったとしか言いようがない。

なんかもう人生がどうでもよかった。

子どもの頃から勉強漬けにしておいてぶち壊す。なんのために生まれてきたのかわからなかった。

思うような反応でないことに逆に冷静になったのか母は急にうろたえだして「私立なら受けてもいい」と言い出した。

「いや受けろ。ここまで教育に金出したんだから。でも奨学金借りて自分学費出して通え。18歳超えたら自己責任だ」

(今思うと怖くなったんだろうね。子の人生責任を取るのが)

そうして親の言うまま私立大学受験奨学金を借りて入学

2年次についに限界が来て布団から出られなくなって引きこもりになり、母は心を病み、俺になにも言わなくなり、そして心〇仁之助とかいう"子への虐待正当化する"スピ系にハマって頭がおかしくなった。

数年後、安倍政権時の給付金10万をきっかけに(+借金して)県外逃亡&誰でもウエルカムみたいな寮付きの激務建設系に就職し、20代ほとんどは精神科への通院と借金返済に費やしたがなんだかんだ生きている。

生きているといっても仕事して残業して遅く帰って飯食って風呂入って寝てまた仕事してみたいな終わった生活をしている。

俺って毒親の元に生まれなくてもこんな惨めな生活していたのかな。チビデブハゲ遺伝の要素ありそうだけど。

まともな家に生まれていたら違った人生があったんじゃないかと考えない日はない。

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