『 エロ広告規制法案 』元国会議員、忖度なしの魂の訴え!
「エロに始って言論統制に終わる」表現の自由を守る戦い。
これは、忖度を一切抜きにした、魂の訴えです。党にも、業界にも、空気にも遠慮しない。元国会議員として、一人の表現者として、条文と歴史と現場の事実だけで書きます。是非最後まで読んでください。
カップ麺のCMが、燃えたのを覚えているだろうか。
湯気で頬を赤らめた女性が、麺をすする。それだけの映像に「性的だ」という非難が殺到した。大半の人は、何が問題なのか分からないまま、その騒ぎを眺めていた。
では、想像してほしい。ああいう通報を受け付ける公式の窓口が、法律で設置されるとしたら。通報の件数が毎年、公式の記録として公表されるとしたら。そして広告を扱う事業者が、その数字を減らす一番簡単な方法『 通報されそうなものを、最初から載せないこと 』を選び始めたとしたら。
これは想像の話ではない。今、参議院に提出されている法案の中身だ。
2026年7月15日、性的な広告が青少年の目に触れないための対策をプラットフォーム事業者に求める法案が参議院に提出された。
『 青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案 』通称、『 エロ広告規制法案 』提出側の説明は一貫している「表現そのものは規制しない。表示の工夫を求めるだけ」。
私は元国会議員として、その条文を読んだ。
結論から言う。この法案の本体は、エロでも広告でもない。「誰も決めていないのに、表現が消えていく」仕組みの設置です。そして私は、よく似た仕組みが生んだ結末を、この4年間、最前線で見てきた人間だ。
順番に説明する。
■ 第一の発見:「準ずる」という白紙
条文を読んで、最初に手が止まった箇所がある。
規制対象は『 青少年有害情報 』ここまでは想定通り。だが条文は続く。「これに準ずる程度に青少年の健全な成長を著しく阻害するおそれが大きいと認められる情報」まで含む、と。
"準ずる"とは何か。誰が認めるのか。条文のどこにも書いていない。
法律の世界で、定義されていない規制対象は「あとから決められる規制対象」を意味する。つまりこの法案は、規制の範囲を画定する線引きを、白紙のまま未来に委任している。白紙委任の行き先がどこかは、後で歴史が教えてくれる。
■ 第二の発見:規制を数える組織を育てる
第30条。事業者の措置を「第三者として評価を行う民間団体」、調査研究を行う民間団体を、支援すると明記されている。
一見、地味な条文だ。だがここに、組織というものの原理を重ねてみてほしい。
見つけることが成果になる組織は、成果を出し続けるために、見つける対象を広げ続ける。
これは陰謀論ではない。善悪の話ですらない。予算と存在意義を持つあらゆる組織に働く、インセンティブの物理法則だ。冒頭のカップ麺を思い出してほしい。あの程度の映像に「性的」を見出す視線が現に存在するこの国で、「性的なもの」の発見を存在意義とする組織を、法律が育てる。その組織が10年後、何を「性的」と呼んでいるか?
■ 第三の発見:クレームの件数が、公式記録になる
そして三つ目が、冒頭の想像の正体だ。
事業者は「国民からの連絡」の受付体制を整備し、受付状況を毎年公表しなければならない、そう条文に書かれている。
通報の件数が、毎年の公式数字になる。事業者にとって、この数字は成績表だ。数字を下げる最も合理的な経営判断は、通報対応の改善ではない。通報されそうな広告を、最初から採用しないことだ。
ここで起きることを、正確に描写する。組織された少数の声が、窓口に数を積む。その数が「世間の声」の顔をして公表される。事業者は先回りして表現を落とす。行政は何も判断していない。誰も禁止していない。命令も検閲も存在しない。それでも、表現は消えていく。誰が消したのか、永遠に特定できない形で。
『はじめの一歩』の森川ジョージ先生が、この法案に問いを投げた。「次は何が撤去されるのか。それを誰がやるのか」。
条文から答える。誰もやらない。誰もやらないまま、消えていく。それがこの設計だ。
この設計には前例がある。1954年、アメリカ。コミックス・コード。政府は一冊の漫画も発禁にしていない。すべて『 業界の自主規制 』だった。それで漫画産業は壊滅的な打撃を受けた。責任者なき検閲は、責任者ある検閲より、たちが悪い。異議を申し立てる相手が、この世に存在しないからだ。
■ 4年前、同じ説明を聞いた
「規制で困るのは悪質業者だけ」「運用は抑制的に行う」
今回の法案を巡って、提出側から丁寧な説明が続いている。
その誠実さを疑うつもりはない。
ただ、私は同じ説明を、4年前に聞いた。
2022年、AV出演被害防止・救済法。通称『 AV新法 』。出演強要から守る、誰も反対できない目的を掲げたこの法律は、超党派プロジェクトチームの発足から約1ヶ月半で成立し、成立から8日で施行された。既存契約への移行期間はゼロ。施行直後から現場では撮影の中止と延期が相次いだ。
そして起きたことは、説明と逆だった。守る対象だったはずの出演者自身が、仕事と収入を失った。自らの意思でこの職業を選んだ人たちが、である。行き場を失った市場は、監視の届かない海外サイトとアングラへ滲み出た。
私はこの法律の改正を求める側として、業界へのヒアリングに携わってきた。最初期から、感情論ではなく現場の事実だけでこの帰結を警告し続けていたのは、当事者だった。国会は、彼女たちや制作側の声を、作る前には聞かなかった。
それでも、直せるはずだった。
附則に「施行後2年を目途とした見直し」と書かれていたからだ。法律自身が、自分の欠陥を点検する約束を条文に刻んでいた。
その期限は2024年6月。今は2026年7月。見直しは、行われていない。
なぜか。議員立法には、結果を検証する主体も、直す責任を負う主体も、制度上存在しない。省庁は『 議員が作った法律 』として距離を置く。永田町では、成立した法律の改正は提出議員のメンツの問題に変わる。誰もが顔色を伺い、誰も手を付けない。
作る時は8日。直す時は、4年経っても動かない。
だから、今回の法案への私の返答は一行で足りる。答弁と逐条解説は、法律ではない。善意の立法者はいつか永田町を去り、残るのは条文だけだ。そして私たちはたった今、条文に書かれた約束ですら守られなかった4年間を見てきたところだ。
口約束を信じろという方が、無理な相談だろう。
■ 対案:規制ゼロで、目的は達成できる
批判だけなら誰でもできる。だから対案を出す。
この法案の発端は「学校で子どもが使う教育サイトにまで広告が出てきた」という訴えだと聞いた。なら、解くべき問題はそこにある。
教育サイトや学習アプリの多くは、無料で使える代わりに広告収入で回っている。そこを国が支えればいい。教育利用のサービスが広告に頼らず運営できるようにする。それだけで、子どもが学ぶ場所から広告そのものが消える。
教科書に、広告は載っていない。あれと同じ状態をデジタルに作るだけだ。誰の表現も規制せず、目的だけが達成される。
コストの構造も比べてほしい。この法案が生む行政コスト・大臣による事業者指定・実施状況の監視・評価団体への支援は、法律が存在する限り毎年発生し続ける。一方、広告のない教育環境への支援は、一度作れば残る投資だ。永遠の監視と、一度の投資。どちらが安く、確実で、副作用がないか。この対案をXに書いたところ、3日でインプレッション数45万人を超えた
■ 網は、起訴の10倍だった
なぜ「入口」で止めるしかないのか。数字で示す。
1925年、治安維持法。対象は限定的とされた。20年後に廃止されるまでに、記録に残るだけで約7万人が送検された。起訴されたのは、約6,500人。
網は、起訴の10倍に広げられていた。
取り締まる側に検挙数という成果が生まれた時、対象は法の想定を超えて拡大する。これは思想ではなく、算術だ。そしてその弾圧の入口に何があったか。エロ・グロ・ナンセンスの取り締まりだった。風紀を守れという誰も反対しにくい掛け声から始まった検閲は、演劇へ、映画へ、報道へと広がり、思想弾圧に行き着いた。
入口がいつもエロなのは、偶然ではない。エロが、一番差し出されやすいからだ。誰もエロのために声を上げたがらない。恥ずかしいからだ。だからこそ、権力にとってエロは、検閲の技術を試運転する最適の練習台になってきた。
私が守っているエロという名の、最初のゴール前。歴史上、ここを抜かれたチームは、映画も演劇も思想も、全部失点して負けてきた。
■ コミケの熱が、頂点を創る
前回、この規制の動きがあったとき、私は実際に説明に伺い、対話しました。そして実感したのは、「オタクとはエロ漫画で喜んでいる連中」そう定義して最初から見下している人には、何を指摘しても、どう反論しても、解りあえないということです。
でも、文化はピラミッドです。あらゆる表現で裾野が広くなければ、頂点は育ちません。
コミケに行けばわかります。あそこにいるのは、作品を愛してやまないからこそ、その思いを表現したい、自分も何か創りたいと動いた人たちです。あの熱が、日本の最上級のコンテンツ文化を創る原動力です。
蔦屋重三郎に不謹慎だと規制をかけた堅物将軍。写楽や歌麿を世に出した江戸の出版文化。歴史がどちらに軍配を上げたか、答えはとっくに出ています。
楽しんでいる人は、何も悪いことをしていません。世の中の争いの多くは、楽しんでいる人からではなく、満たされない苛立ちから生まれます。人それぞれ、好きなことに能力を尽くせばいい。そうすればボールを蹴っているだけで、世界が熱狂するのです。
自分が嫌いだから、間違っていると思うから、、それは、規制の理由になりません。
その理屈を認めるなら、政治家の街頭演説は、規制対象です。聞きたくもない演説を、うるさいと思いながら聞かされている人が、確かにいるのですから。
それでも規制されないのはなぜか。
表現の自由が、意見の違う者同士が自由に意見を言える、民主主義の根幹だからです。
そして表現の自由は同時に、好きなものが違う者同士が、全力でお互いを出し切って、面白いものを世の中に生み出し続けるための、この国の約束だからです。
日本国憲法第21条。
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
民主主義の根幹を守らなければなりません。
国会はまず、4年放置されたAV新法という宿題。条文に書いた約束は、守れ。約束を守らない大人を見せるのも、子供の教育上、悪影響を及ぼす。
■ 規制ではなく、振興を『 エンターテイメント立国へ 』
最後に、この国の進むべき方向を言う。
日本のコンテンツ産業は、ある意味、政治家よりも外交と経済を支えている。アニメが、漫画が、ゲームが、世界中に日本のファンを作ってきた。どの外交官より多くの国で、どの企業より深く人の心に、この国の旗を立ててきたのは、クリエイターたちだ。
この国がやるべきは、その源泉に規制の網をかけることではない。エンターテイメント立国を標榜し、クリエイターの育成と、コンテンツ振興に全力で舵を切ることだ。萎縮の設計ではなく、爆発の支援を。監視の予算ではなく、創造の予算を。
私は、そのために動く。表現の自由を守り抜き、創る人が誰にも遠慮せず想像力を爆発させられる国を作る。それが私の仕事だ。だから、力を貸してほしい。
クリエイターの皆さんへ。萎縮しないでください。誰かの顔色ではなく、あなたの中の熱に従って、想像力を爆発させ、没入度の高い、とんでもない作品を描いてください。あなたが自由に描き続けることが、この国の力です。守りは、私が引き受けます。
やったるい!
#エロ広告規制法案 #エロに始まって言論統制に終わる #表現の自由を守る
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