天皇は公正かつ無私なる祭り主である。そのため天皇は民の世界から超然たるお立場になければならない。だから天皇、皇族に姓はないのであり、他姓の男子は排除される。女系子孫への皇位継承は認められないのである──ならば、イギリス王室では?(令和8年7月20日)
天皇は公正かつ無私なる祭り主である。であれば、民の世界から超然たるお立場になければならない。天皇、皇族に姓がないのはそのためである。イギリス王室のような家名はないのはそのためである。皇室は本来、「天皇家」「天皇ご一家」というファミリーではない。家なき家である。そこが重要なのである。
明治になり、天皇は近代君主となった。ヨーロッパ王制に学び、一世一元の制、終身在位制に改められ、譲位は否認された。このため皇位は「男系の男子」継承に限定され、女子の登極は否定されることとなった。女帝を立て、しかも譲位が認められないのなら、男系継承主義が前提なら、万世一系の皇統は他姓に移ることになる。それでは、公正・無私なる天皇の立場が保てないからである。
◇1 国民と異なる皇族の「外交旅券」
先日、書いたように、天皇は在位中、公的には固有名詞で呼ばれることはない。しかし近代君主となった以上、国家機関としての役割上、御公務や外交儀礼、国際慣習の場では、必ずしもそうはいかない。
たとえば、天皇は、成立した法律の原本にみずから署名される。外交文書には His Majesty Emperor Naruhito と記される。
興味深いのは、パスポート(旅券)である。
天皇にはそもそもパスポートはない。国家元首、君主には必要がないからである。しかし皇族方の場合は、茶色の「外交旅券」がある。
三笠宮家の彬子女王殿下がイギリス留学中の逸話を紹介している。ロンドン郊外の空港を利用されたとき、スムーズにチェックインできなかったというのである。殿下の「外交旅券」は、姓(Surname)の欄が空欄になっている。知識や経験のない空港職員だと対応に時間がかかる(彬子女王『赤と青のガウン: オックスフォード留学記』)。
国際民間航空機関(ICAO)の規格では、SurnameとGiven name が旅券の各欄に記載される。皇族方の場合、前者は空欄とならざるを得ない。だが、ICAOのシステムだと、Surnameの記載がないとエラー扱いになるらしい。だから国によっては、Surnameの欄に個人名を書き入れ、逆にGiven nameの欄を空欄にするという便宜的方法が推奨され、採用されているという。
Surnameがないのは、日本の皇室に限ったことではない。ミャンマーやインドネシアのジャワ島、モンゴルなども、家族に共通する苗字の文化がないらしい。
たとえば、横綱・豊昇龍の本名は「スガラグチャー・ビャンバスレン」だが、「父親の名前 + 自分の名前」という構成になっていて、「スガラグチャーの(息子の)ビャンバスレン」という意味である。パスポートのSurnameの欄には、父親の名前が書き込まれることになる。モンゴルはバリバリの男系継承だが、代々続く「◯◯家」という呼び方はなく、豊昇龍なら「スガラグチャーの家族」と呼ぶらしい。
◇2 イギリス「ウィンザー朝」の紆余曲折
興味深いのは、しばしば皇室と比較されるイギリス王室の場合である。公式サイトには「The Royal Family name」についての詳しい説明が載っている。
〈https://www.royal.uk/royal-family-name〉
それによると、1917年以前は、日本の皇室同様、イギリス王室のメンバーは姓(surname)を持たなかった。代わりに、所属する家系や王朝の名前(the name of the house or dynasty)のみで呼ばれていた。
ヨーロッパの王族はどこの土地を領有しているか、で識別され、庶民と違って姓を必要としなかった。イギリスの国王や王子は、自身とその家族が統治する国の名前で知られていた。たとえば、皇太子はPrince of Walesと呼ばれるが、もとはウェールズの支配者の意味である。こうしたことから、国王や女王は署名にファーストネームのみを用いるのが慣例であり、この伝統は今日まで続いている。
たとえば、エリザベス2世は、「Elizabeth R」と署名した。これが公式な署名だった。ちなみに「R」は女王を意味するラテン語という。日本の天皇の場合は、明治以来、ヨーロッパ王制に倣って、諱が署名に用いられる。
イギリス王室の公式サイトによれば、子供が父親から姓を受け継ぐように、君主も通常は父親から「家名」を受け継ぐとされている。基本は男系継承なのである。これも日本と変わらない。
1917年、大きな変化が起こった。ジョージ5世が、「ウィンザー」を家名や王朝名(the name of the 'House' or dynasty)としてだけでなく、自身の姓(the surname of his family)としても採用したのである。
以前は、ザクセン=コーブルク=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)だった。ヴィクトリア女王の長男エドワード7世は、同家に属していた。「ザクセン=コーブルク=ゴータ」は、父アルバート公(女王の王配)の姓(family name)に由来している。
エドワード7世の息子ジョージ5世は、1910年に王位を継承し、この王朝の2代目の国王となった。そして、第一次世界大戦中の反ドイツ感情の高まりを受け、姓が変更された。ウィンザーという名前は、同名の城にちなんで採用された。
1917年7月17日の枢密院の会合で、ジョージ5世は「ヴィクトリア女王の男系子孫で、これらの王国の臣民である者(結婚した、または結婚している女性の子孫を除く)は、ウィンザーの姓(name of Windsor)を名乗るものとする」と宣言した。
王朝名(house)の変更のみならず、姓(surname)にまで踏み込んだのは、①ドイツ系の姓を捨て、ドイツとの決別を完璧にする、②ドイツ系の称号を失い、王籍から離脱する遠い親族にイギリスの姓を与える、という2つの目的があったといわれる。
この国王の宣言(Royal Proclamation)は、国王大権(Royal Prerogative)に基づくもので、枢密院に宣告することで法的に完結される。議会の承認なしに、王室の家名変更は公式なものとして承認されたのだった。蛇足だが、この宣言で女系子孫が排除されていることは注目される。
(イギリス王室および家族の名称を「ウィンザー」とすること、ならびにすべてのドイツ系の称号および尊称の使用を放棄することを宣言するとある)
◇3 1960年2月の枢密院宣言
ウィンザーという王室の姓(Royal Family name of Windsor)は、1952年のエリザベス2世女王即位後、女王によって正式に認められた。
結婚は5年前の1947年だった。夫のフィリップ殿下はギリシャおよびデンマークの王子で、もともと苗字はなかった。結婚のためイギリス国籍を取得する際、苗字が必要になり、母方の姓である「マウントバッテン」を名乗ったのである。
1952年にエリザベス女王が即位した際、チャーチル首相や女王の祖母メアリー王太后の強い勧めで、女王は「自身と子孫の家名はウィンザーとする」と宣言した。ところが、これを知ったフィリップ殿下は、「自分は子供に姓を譲れない、イギリスで唯一の父親だ」と激怒した。
1959年に女王が第3子(アンドルー王子)を妊娠したことで、問題が再燃する。女王は夫の不満を解消し、夫妻の関係を守るため、子供たちに夫の姓を継がせる方法を模索した。
マクミラン首相らは、歴史ある「ウィンザー家」の名称を変えることに反対した。そこで妥協案が提示され、1960年2月8日、枢密院で宣言された。すなわち、①王室の公式な家名は、従来どおり「ウィンザー家」とする、②子孫の個人の姓は「マウントバッテン=ウィンザー」とする、というものであった
女王とエディンバラ公は、王室の名称(the name of the Royal House)を変更することなく、自分たちの直系の子孫を他の王室メンバーと区別したいと考えた。「ウィンザー」はジョージ5世の男性および未婚の女性の子孫全員が使用する姓(surname)だからである。
このため、女王陛下の末裔のうち、殿下の称号と王子/王女の称号を持つ者、または結婚した女性の末裔を除き、マウントバッテン=ウィンザーの姓(the name of Mountbatten-Windsor)を名乗ることが、枢密院で宣言されたのである。
ウェールズ公(チャールズ皇太子)が国王に即位した際に現在の決定を変更しないかぎり、彼は引き続き「ウィンザー家」(the House of Windsor )の一員であり、彼の孫たちはマウントバッテン=ウィンザーという姓(the surname Mountbatten-Windsor)を使用することになるだろうと、王室の公式サイトは説明している。
◇4 王朝名が変わらない理由
そして2022年9月、女王崩御ののち、チャールズ3世が即位した。王室の名はウィンザーで変わらず、国王の姓はマウントバッテン=ウィンザーのままである。
つまり、かつてイギリス王室には、①王族同士の婚姻(父母の同等婚)、②女王即位後の王朝交替、という王位継承に関する2大原則があったが、いずれもすでに崩壊していることが確認される。
最近、「イギリスでエリザベス2世からチャールズ3世に継承されても王朝名が変わらないから、日本で女系継承されても皇統の変更はない。万世一系が崩れるという男系派の言い分は誤りだ」との主張が一部に聞かれるが、まったく当たらない。
王朝がウィンザー朝のままなのは、既述したように、1960年にエリザベス2世が枢密院で宣言されたからであり、ジェンダー平等を掲げる2013年王位継承法に基づくものではない。
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