陛下は「改正皇室典範」成立を皇祖神に奉告されるのか?──明治天皇は皇室典範・憲法の制定を奉告し、昭和天皇は戦後の新典範施行を私的に奉告された(令和8年7月18日)
(画像は皇居・二重橋)
きのう、「改正皇室典範」が成立した。
〈https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0717kaiken.html〉
今後は、女性皇族が結婚後も皇族身分を保持し、昭和22年に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子を皇族の養子とする制度が創設されることになる。養子の子である男子には皇位継承資格が付与される。
今回の「改正」について、那須御用邸でご静養中の天皇陛下と、秋篠宮殿下には、宮内庁職員から報告されたというが、陛下は、皇祖神が祀られる賢所に、奉告されるだろうか?
◇1 明治22年2月11日の奉告
明治の皇室典範制定の場合、明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布の日に、賢所で奉告された。前年、完成した明治宮殿で、大日本帝国憲法の発布式が行われるのに先立って、明治天皇は祭服を召して、賢所に昇殿し、告文(こうもん)を奏上された。
「皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ、典憲ヲ成立シ、条章ヲ昭示シ、内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ、外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ、永遠ニ遵行セシメ、益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ、八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ、茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス」
「皇室典範および憲法」と、皇室典範が憲法の先に位置づけられていることは、注目される。「憲法および典範」ではない。
◇2 新典範施行を「私事」として奉告
敗戦後、昭和21年11月3日、日本国憲法が公布され、翌年5月3日、新憲法が施行された。これに伴い、明治の皇室典範は前日をもって廃止され、一般法としての皇室典範が制定、公布、施行された。
その際、昭和天皇が公式に、賢所に奉告されることはなかった。理由は、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(20条)とする憲法の政教分離原則による。
昭和20年暮れの、いわゆる神道指令のころは厳格主義が採られていたが、憲法制定過程では限定主義へと解釈運用が変更されていた。それでも、一般法である皇室典範の施行を公的行事として奉告することはなかった。
しかし昭和天皇は、皇室の「私事」として、皇室典範改正を内々に奉告されたと、側近が記録している。御告文を読み上げるのではなく、静かに拝礼された。祭服を召されることもなかったという。
『昭和天皇実録』は、この日、「新憲法・新皇室典範施行につき宮中三殿に親拝せられ、事由を御奉告になる」と記している。
昭和22年10月14日、11宮家51方が皇籍を離脱されたが、公式な奉告は行われていない。しかし昭和天皇は御公務の合間を縫って、「私事」として三殿に赴かれ、静かに拝礼されたという。
この日、昭和天皇と皇籍を離脱する51方の皇族との昼食会を開かれた。昭和天皇は「まことに申しにくきことなれども、何とぞこの深き事情をくみ取ってほしい」と万感の思いで語られたという。
そして、「私たちは同じ皇祖皇宗の血を引く家族である」と述べられ、その日のうちに「菊栄親睦会」が結成されたのだった。
◇3 譲位を奉告された先帝
平成28年8月8日、先帝は「象徴としてのお務めについてのおことば」をビデオを通して語られ、譲位の意思が示された。
翌29年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立したが、この時点での奉告は行われていない。31年3月12日の「退位及びその期日奉告の儀」は、譲位を大前に奉告するものだった。陛下は黄櫨染御袍を召され、御告文を奏された。
さて、今回である。陛下は典範改正を、皇祖神に奉告されるのだろうか?
いいなと思ったら応援しよう!
SNS上にさまざまな情報が氾濫し、情報はタダだと勘違いしている方が多い時代に抵抗し、良質な情報を流通させるために奮闘しています。問題意識を共有してくださる方、ご協力くださる方を探しています


コメント