日本の大半は「よくわからない田舎」でできている
以前、こんな記事を読んだ。
日本は、「東京的都市」と「それ以外」でできている。
おそらく、アメリカやアジア、中国などでも同じではないか。
つまり、ホワイトカラーとインターネットと鉄道と投機的不動産とバカ高い食い物屋でできている首都の街と、自動車で移動する150人のリアルな村がぶどうのふさのよう並んでいる「それ以外」の街とで、世界はできている。
人口の絶対数で見ると、東京的街よりも、「それ以外」の方がはるかに大きい。
「それ以外」の街では、東京的街よりもホワイトカラーが少ない。
日本が「東京」と「東京以外」でできている、という言説は探してみると結構ある。
柳瀬曰く、「東京的都市」を構成する要素は、鉄道中心の交通網、そして、ホワイトカラーである。政府、官僚、大企業、マスコミ、大学、等々。東京という街を作っている大部分は、東京に集中するホワイトカラーであり、日本の社会構造を作っているのもまた、そのホワイトカラーたちだと言える。
記事で紹介されているのとは別の統計を引っ張り出してみる。厚労省による「賃金構造基本統計調査」において、2023年時点での「管理的職業従事者」の人数は、全国で196,428人。うち東京都が62,519人で、実に32%を占める。東京都だけで、である。
この「管理的職業従事者」は、社長や役員、中間管理職といった職種を指す。いわば、ホワイトカラーの上澄みである。一方でホテル支配人や飲食店長も含むことに注意。具体的な職種は以下のリンクを参照いただきたい。
しかし、人口でも面積でも、日本の大多数は「それ以外」が占めている。
東京都の人口は約1400万人、特別区だけでも約990万人で、日本人の1割。首都圏(東京都市圏)に広げても(統計により差異はあるが)約3700万人で、実は半数にも満たない。
面積については言わずもがな。
日本の大半は、「東京のような地域」ではなく、「それ以外の田舎」でできている。
東京のホワイトカラーの世界は、東京で完結している
もう少し詳しく分析してみよう。
全国向けに送出されるマスコミ、たとえばテレビや全国紙、ネットメディアなんかは、東京に拠点が集中しており、いずれも「全国向け」を標榜していながら、東京発の情報(ローカルなもの含め)を中心に、東京の視点・目線で取り上げられる。
マスコミだけでなく、広告宣伝や企業戦略、政策などにも同じことが言える。国の主要機関はもちろんのこと、上場企業も半数以上が東京に本社を構えており、なんなら港区と千代田区だけで全体の2割を超える。
そんな東京の「ホワイトカラー」にとって、世界は東京で完結している。東京の外側に無限に広がる「それ以外」のことは見えないし、想像しようともしない。
だから、全国テレビは東京のことばかり取り上げ、「それ以外」に住む大多数からしたらどうでもいい情報を流すし、政府やコンサルも東京の文法・論理で政策や企画を策定していくもんだから、「それ以外」の現実と乖離してしまう。
そんな現実を無視して、「東京=日本の中心、標準」という図式が作られ、拡散され、再生産されていく。
だが、先述したように、日本の大半は東京ではなく、それ以外の地域、言ってしまえば「よくわからない田舎」で占められている。
「よくわからない田舎」を具体的に示すと、例えば地方都市やロードサイド、郊外住宅地、農山村といった地域など。また、そこに暮らす人々の生活スタイル(鉄道ではなく自動車が移動の中心で、イオンモールに代表される郊外型店舗で買い物をする)なども含む。所謂「マイルドヤンキー」論とも重なってくる。
こうした「よくわからない田舎」は、「東京」からの視点で見れば存在しないも同然で、「語られる」ことは少ない。
「それ以外の田舎」の具体像
たとえば、北陸地方。太平洋ベルトから外れかつては「裏日本」とも呼ばれた日本海側のこの地域は、「東京的地域」から見れば、まちがいなく「よくわからない田舎」だろう(地元の方には申し訳ないが)。
しかし、北陸地方は北前船で大坂とつながっていた歴史があり、豊かな文化を持っている。産業面で見ても、富山の医薬品や石川の回転ずし機械、鯖江の眼鏡など確固たる産業が確立しているし、学術的な面では「北陸先端科学技術大学院大学」が立地している。印象的な美術館や図書館を擁する金沢をはじめ、輪島の朝市や能登半島の自然、東尋坊や立山黒部アルペンルートなど、観光資源も豊富だ。鉄道に目を向ければ、福井や富山、高岡は既存の路面電車にLRTの思想を導入し、利用者数が増え、まちづくりに大きな影響を及ぼしている。
だが「東京」が語る北陸地方像は、「雪深い田舎」といった程度でしかなく、他に語られるとすれば、せいぜい観光地としての金沢だとか、2024年の能登半島地震といったところのような印象だ。
もう一つ、首都圏で例を挙げてみよう。私が学生時代を過ごした、埼玉県上尾市や桶川市を中心とする地域だ。
これらの地名を聞いても「どこ?」と思う人が多いだろう。あるいは、何かを理由に思い出す人もいるかもしれない。それはまた後程。
両市は東京都心から40㎞ほどのところに位置し、都心まで電車で1時間ほどで到達できる反面、日常生活においては車社会としての側面も色濃い。対都心以外のバスや電車も、日常利用に耐えうるだけの本数は確保されているものの、自動車利用が圧倒的に便利だし、平地地形のために自転車もよく使われる。
周囲には小江戸と呼ばれ蔵造りの街並みが残る観光地の川越市や、埼玉最大の繁華街であるさいたま市大宮区といった地域があるものの、それらに比べれば日常生活が主体で、どうしても地味な印象を受ける。
そんな両市が全国的に知られるトピックこそが、「事件」というネガティブトピックなのである。上尾市は、旧国鉄の順法闘争に端を発する通勤客の暴動である「上尾事件」。桶川市は、ストーカー被害が殺人事件に発展し、ストーカー規制の大きなきっかけにもなったほか、県警の隠蔽姿勢が大きな問題となった「桶川ストーカー殺人事件」(ちなみに、この事件の犠牲者は上尾市在住だ)。
このように「よくわからない田舎」が語られるとき、その多くは、事件や天災といった、ネガティブな事象が付随していることが多いと思う。先述の能登半島地震もそうだし、3.11以降の東北(特に三陸と福島)なんてまさにその最たる例だろう。「東京」にとって、陸前高田といえば奇跡の一本松だし、浜通りといえば帰還困難地域と避難民なのである。だが、当然ながらそれらの地域にも産業があって、地元民の日常的な暮らしがある。
いわば、「ハレ」と「ケ」の構造に似ている。「東京的地域」のマスメディアは多くの場合、「ハレ」の光景を中心に取り上げる。そのほうが画面に映え、視聴率が稼げるからだ。だが、世界は圧倒的に「ケ」で占められているのではないか。
同様の構造はアメリカにもある。その場合、「東京的地域」にあたるのはNYやワシントンD.C.、あとはカリフォルニアだろう。同じ銃撃事件でも、NYで発生したものと「それ以外」の地域のものとでは、やはり注目度が異なってくるようだ。
また、柳瀬も似たようなことを指摘しているが、アメリカでは共和党と民主党の分断が深刻化。民主党が都市部(=東京的地域)のエリート層を重視した結果、自分たちが「無視された」と感じた地方民(=「それ以外」。プアホワイトなどを含む)の間でトランプへの支持が増え、結果共和党躍進につながったという。一極集中ではなく分散型のアメリカですらこうなのだから、日本の状況は言うに及ばずだろう。参政党の躍進が目立つ昨今だが、通ずるものがあるのではないだろうか。
これに関しては、以下の記事に詳しい。
結び
ここまで「東京的地域」と「よくわからない田舎」について対比してきた。
一つ忘れないでおきたいのが、その対比もまた、相対的なものにすぎないということだ。
「東京」と「よくわからない田舎」という対比は全国規模で見た時のものだが、当然もっと視野をミクロレベルまで下げていけば、全国規模で見たときに「よくわからない田舎」になる地方都市が、「東京的地域」として扱われるようにもなる。
象徴的なのが北海道だ。北海道は、「札幌」とそれ以外の「よくわからない田舎」でできていると言えるだろう。一方、札幌から見て「よくわからない田舎」である旭川や函館も、周辺の農村地域と比べれば「東京的地域」になりうる。
そして「よくわからない田舎」は、実は東京にもある。
続く。



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