第39話:『紺碧の裁き、泡へと還る境界』
ローくん不在ですが夢主頑張ってます。
原作沿い、改変あり
救済あり
オリ主個性強い(最強気味)
独自解釈多数
暴力描写、流血表現あり
何でも許せる方向け
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「……ガハッ!な、なんだ……この水の重さは……!!」
鬼ヶ島・城内。立ち込める硝煙と血生臭い空気の中、飛び六胞が一人、フーズ・フーは豹の姿のまま床に這いつくばり、激しく吐血した。
一対一であれば、まだ勝機はあったかもしれない。だが、眼前には海峡のジンベエ、背後には死んだはずのロシナンテ、そして何より――母の仇と牙を剥くナマエが、神々しくも冷徹な殺気を放って立っていた。
ジンベエの『五千枚瓦正拳』がその脇腹を粉砕し、逃げ場を断つようにロシナンテの無音の弾丸が周囲の床を穿つ。物理的なダメージもさることながら、フーズ・フーを真に戦慄させていたのは、空間を満たす異常なまでの「水の重圧」だった。
ナマエが扇を掲げると、広間中の水分が磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、彼女の元へと集束していく。それは単なる水ではない。ヒトヒトの実幻獣種モデル“海神の巫女”の神性を帯び、密度を増し続ける「凝縮された海」そのものだった。
「……フーズ・フー。私の力が、貴方の野心の道具だと、あなたはそう言うのよね?」
ナマエの藤色の瞳が、月光のような冷徹な光を放つ。
彼女の指先から滴る雫が、空中でパキパキと硬質な音を立てて結晶化し始めた。神々しくも禍々しい、漆黒に近い藍色の礫へと姿を変える。
「……ハッ、やはり出すか。記録にあった通りだ……!己の命を削り、能力者の天敵を作り出す禁忌の業……!」
フーズ・フーは顔を引きつらせ、勝ち誇ったような笑みを無理やり浮かべようとした。だが、その瞳には隠しきれない戦慄が走っている。政府の機密文書で「知識」として知っていることと、今まさにその「死の結晶」に狙われている恐怖は、あまりにも別物だった。
「その石さえ食らわなきゃあ、お前の命が尽きるのが先だ……!『鉄塊』!!」
フーズ・フーは、豹の強靭な筋肉を極限まで硬化させた。能力者にとって、海楼石は触れるだけで力を奪われる最悪の呪いだ。だが、逆に言えば、触れさせなければいい。彼は全神経を研ぎ澄ませ、ナマエの指先を凝視した。
「……いいえ。これは、お母様が命を懸けて繋いでくれた、私の『命』。……貴方の私欲のために、二度と誰かの未来が奪われないように。……その傲慢な魂ごと、海に沈んでなさい」
ナマエの額から、大粒の汗が流れる。海楼石の生成は、巫女としての生命力を直接凝縮させる、文字通り身を削る行為だ。急激な貧血と眩暈が襲い、視界がチカチカと点滅する。膝が折れそうになるその瞬間、背後から温かな、そして静かな「無音」の気配が彼女を支えた。
「行け、ナマエ。……俺たちの、十年を終わらせようぜ」
ロシナンテが、ナマエの細い肩をしっかりと、力強く支えた。その大きな手が、彼女に最後の一撃を放つ勇気を与える。
「……ええ。――『水刃・鎮魂の楔』!!」
ナマエが扇を一閃させた。
凝縮された水の刃と共に、無数の「海楼石の礫」が、目にも留まらぬ速度で放たれる。
「……っ!?消えた……!?」
絶叫に近いフーズ・フーの心の声。
ロシナンテが指を鳴らした瞬間、フーズ・フーの視界から「音」と「気配」が完全に消失した。超高速で迫る礫が空気を切り裂く音すら聞こえない、絶対的な『凪』の空間。鉄塊を固めるタイミング、回避の距離感、そのすべてを完璧に狂わされたフーズ・フーの肉体に、漆黒の礫が次々と食い込んでいく。
「ぎゃあああああああああ!!!」
礫はただ皮膚を裂くのではない。神の力を帯びたその石は、サーベルタイガーの強靭な筋肉の奥、神経の束、そして骨の隙間へと、弾丸よりも深く、正確に食い込んだ。
「……あ、あ……力が……抜ける……っ!!」
フーズ・フーの巨大な体躯が、見る間に縮んでいく。古代種の圧倒的な生命力も、海楼石がもたらす「海の呪い」の前では無力だった。彼は見る間にただの人間の姿へと戻っていく。
震える手で、自らの腹や肩に埋まった石を抉り出そうと爪を立てる。だが、体内に直接埋め込まれた海楼石の波動に当てられた身体は、鉛のように重く、指先一つ動かすことすらままならない。皮膚を虚しく掻きむしり、その傷口から海楼石の藍色の輝きが漏れ出す。
「……無駄よ。その石は、私の命と引き換えに海を凝縮したもの。体内の奥深く、神経や血管の際に入り込んだそれを取り出せる人間は、この世界に一人しかいない。……でも、その人は私の意思に反することはしないから」
ナマエは、冷たく、そして静かに彼を見下ろした。その瞳には、もはや怒りすらなく、ただ決定された審判を告げる神のような慈悲深さと残酷さが共存していた。
「貴方はこれから一生、その石を抱えたまま、能力を封じられ、海に拒絶される衰弱と共に生きていくの。……母様が、あの島で味わった絶望と苦しみに比べれば、これでも生ぬるいけれど。……貴方にとって、何よりの罰でしょう?」
「そんな……バカな……!俺は……世界の頂点に返り咲く男なんだぞ……!こんな、ちっぽけな小娘に……!!」
フーズ・フーの声は、もはや言葉の体を成していなかった。それは、誇りも野心もすべてを「沈黙」の中に奪われた者の、無様な悲鳴だった。
「……おぬしの野心は、ここで潰えた。フーズ・フー」
ジンベエが静かに歩み寄り、トドメの一撃を放つまでもなく、もはや戦う力すら失い、弱り果てた男を冷徹に見下ろした。
「……死よりも重い罰か。能力者でありながら、自らの血肉の中に『海』を飼い、一生縛られて生きる。ナマエ、見事な覚悟であった。……母君の魂も、これで報われよう」
フーズ・フーは、絶望のあまり白目を剥き、言葉にならない呻きを上げながらその場に崩れ落ちた。
二度と牙を剥くことも、空を翔けることもできない。世界を我が物顔で蹂躙しようとした男は、海に嫌われ、己の体内の重圧に怯えながら、永遠の牢獄へと堕ちていった。
フーズ・フーが沈み、フロアに静寂が戻る。ナマエが扇を握っていた指から、ふっと力が抜け、腕がダラリと力なく垂れ下がる。戦うために無理やり引き出していた「海神」の力が、彼女の肉体を侵食し始めていた。
勝った。終わった。
なのに、あの言葉だけが頭から消えない。
(……あんな子を産まなければよかった)
本当に、そう思っていたのだろうか。あの温かな手も、炎の中で「生きて」と背中を押してくれたあの力も、全部……本当は重荷だったのだろうか。
(……お母様。私は、貴方の……)
そして、もう一つの言葉が重なる。
(……海神の巫女。……神の器)
自分の中にあるものが何なのか、今日初めて名前を与えられた。それはこれまで「得体の知れない呪い」として曖昧に抱えてきたものに、輪郭を与えると同時に、取り返しのつかない重さを与えた。
お母様は知っていたのだろうか。自分が産んだ子が「神の器」だということを。
知っていたなら、なぜ何も言わなかったのか。
知らなかったなら、何も知らないまま、この力のせいで死んでいったのか。
(……私は、何のために生まれてきたの)
どちらに転んでも、答えが出ない問いが、次々と押し寄せる。
それと同時に、ナマエの存在が急に希薄に感じられた。
消えてもいいかもしれない、という考えが、波のように静かに押し寄せた。
仇は討った。お守り石も作った。みんなを守るために力を使い続けた。
でも、自分が愛されていたかどうかさえ分からない。自分が何者なのかも分からない。
そんな自分が、このまま水に還っても……。
その疑念が、ナマエの体の境界線を曖昧にしていく。腕はそこにまるで存在しないかのように透き通っている。
「……!!」
「……ナマエ!!」
その場に佇み動かないナマエを、ロシナンテが咄嗟に大きな腕で抱きしめた。
だが、その瞬間、ロシナンテは息を呑んだ。
抱きかかえた彼女の肩、そして垂れ下がった腕。そこにあるはずの「確かな手応え」が欠けていた。
行灯の光に透かされた彼女の肌は、指先から肩口にかけて、まるで南洋の海を切り取ったかのように碧く、そして向こう側の景色が見えるほどに透き通っていた。肉体の境界が曖昧になり、ナマエの存在そのものが「水」へと還ろうとしている。
「これは……あの時と……!ナマエ!しっかりしろ、俺を見ろ!」
ロシナンテの悲痛な叫びに、ナマエは安定しない視線をゆっくりとロシナンテに合わせた。
視界は霞み、ロシナンテの顔さえ二重に見える。それでも、彼女の瞳には確かな意識の光が灯っていた。
「……ロシー……」
掠れそうな声で、彼女はロシナンテの服の裾を掴もうとした。だが、透き通った彼女の指は、布地をすり抜けるように頼りなく震える。
「……私……お母様に、顔向け……できるかな……。……ちゃんと、終わらせられたかな……」
「ああ、ああ……!お前が何者かなんて、俺には関係ない!お前の力が何であろうと、椿さんが何を想っていたかなんて、今は関係ない!……俺が知っているのは、お前がここにいることだけだ!消えるな、ナマエ!勝手に還るな!!」
ロシナンテは、今にも泡となって指の間から零れ落ちそうな彼女を、千切れんばかりの力で抱きしめた。
自分の体温を、心音を、すべて彼女に流し込もうとするかのように。かつて、あの絶望の日に彼女を救い出した時と同じ、必死の祈りを込めて。
ナマエは、ロシナンテの胸の温かさに顔を埋めた。
かつて消えそうになった時も、こうして彼が繋ぎ止めてくれた。その記憶が、暗闇に沈みそうな意識を呼び戻す。
「……ロシー……、あったかい……。……まだ、ここにいる……」
一拍置いて、掠れた声で続ける。
「……お母様の、こと……まだ、分からない……。でも……今は、まだ……消えたくない……」
ナマエの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。その涙は頬を伝う途中で水の色を取り戻し、ロシナンテの腕に触れるナマエの肌も、ゆっくりと、ゆっくりと元の白さを取り戻していく。
「……そうだ。お前は生きてる。俺が、絶対に離さない」
ナマエは、ロシナンテの鼓動を耳の奥で聴きながら、震える手で彼の腕をぎゅっと握り返した。今度は、すり抜けることはなかった。
因縁は断たれた。
十年という長い歳月をかけた戦いは、ここで一つの『清算』を終えた。だが、答えはまだ出ていない。
鬼ヶ島の決戦はまだ続いている。
母の仇を討ち、自らの過去を乗り越えた少女は、今度は仲間たちの未来を繋ぎ止めるために、再び立ち上がることになるだろう。
今はただ、この世で最も信頼する男の腕の中で、消えかけた命の灯火を静かに燃やし直していた。