国内

2025.07.30 07:45

日本のアパレル国産比率が1.4%に落ち込んだ今、僕らがするべきこと

名古屋市内にあるジャージ縫製工場

名古屋市内にあるジャージ縫製工場

6月、日本繊維輸入組合が公表した「日本のアパレル市場と輸入品概況2025」で、日本でのアパレルの国産比率が1.4%にまでなったことが明らかになりました。

半世紀ほど前は日本の花形主要産業だった繊維業界の衰退が続き、日本のものづくりが風前の灯です。1990年時点では国内自給率が50%ほどで、服をひっくり返して品質表示タグを見れば2枚に1枚は日本製だったものが、今では50枚に1枚あればいい、というほどにまでなってしまったということです。

「ガチャマン」の時代から

この統計の歴史は僕自身の生まれてから10代までの実体験を如実に表しています。

僕が生まれ育った場所は名古屋の一角にある有松という小さな町で、江戸時代初期から400年以上続く有松・鳴海絞りという主に浴衣や着物を作る染色技法の産地です。分業制で成り立つこの地域には技法ごとに職人さんがいて、僕の小さい頃は日々忙しそうに動く職人さん達の手を見て育ちました。

しかし、産地の取りまとめ役である地域卸業者が、より安価な加工費を求めて絞り加工の生産を海外に移すことに舵を切ったことで、卸業者に頼っていた地域の生産者は次第に仕事が途絶え、技術を受け継ぐ術がなくなり、産地の高齢化とともに次世代の職人も不足し、バブルが弾けた頃、父親の世代がものづくりとしては最後になっていました。

それまでは数年おきに変えていた実家の車も、いつしか老朽しながらなんとか乗っていたりと、目に見えて家庭が経済的に圧迫しているのを感じていました。高校までは進学させてもらいましたが、大学に行きたいことを話した際には「自由にしていいけれど資金の援助はできない」と言われたことを覚えています。結局1年アルバイトをして自分で資金を貯めてイギリスに行きましたが、職人であった父の仕事は相当困窮していたと今振り返って思います。

父だけでなく周りの職人さんたちも同様に仕事が続かず、長い歴史と素晴らしい技術がありながらに廃業が増加。産地には海外でつくられた安価な製品がたくさん並んでいましたが、有松で作られたものはほとんどない有様でした。

東海地域には有松だけではなく尾州(愛知と岐阜の間にあるウール織物の産地)や遠州(静岡一帯の木綿織物の産地)、知多や伊勢地域の木綿など、糸編にまつわる歴史のある産地が多く、名古屋はその産業の一大集積地でもありました。トヨタも今では車の会社ですが、元を辿れば自動織機製造業、それは織物の産業がこの土地に多くあったからこそです。しかし、僕自身の実体験のようなミクロレベルもそうですが、マクロで見るこの地域も衰退の一途を辿ってきました。

上記のような織物の地域で、工場の方達とお話をすると「ガチャマン」という言葉を聞くことがあります。「ガチャンと機械が音を鳴らすと1万円儲かった」という意味で、当時の好景気ぶりを表しています。それが今では、海外製品に抗えず若手が減り、高齢化が進んでいる工場も多く、地域分業の崩壊が目の前にある状態です。

次ページ > 自分たちの首を絞める結果に

文・写真=村瀬弘行

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2024.05.14 09:15

パリも孤島も。都市と地域の価値の循環

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このコラムを書くときは移動中のことが多いのですが、今回も羽田からドイツに帰る飛行機の中で書いています。機内は満席、早朝の空港も、免税店で日本で最後のショッピングをする人々で溢れていました。日本での滞在中も、各地で急速に戻ってきたインバウンドの影響を肌で感じました。

日本と欧州のマーケットの陰影

最近取引先の日本の百貨店などの店舗の方々と話をしていると、過去最高売上といういい話が多いのですが、この傾向は欧州の取引先の方々と話をしていると対照的です。欧州ではコロナ禍に高価格帯のマーケットが堅調に推移していたなか、日本では小売業は大きなダメージを受けていました。しかしコロナの影響も終わり人々が旅行に出る今、欧州のバイヤーと話をしていると「街に人がいない」とよく聞き、ここに来て欧州のマーケットの動きが鈍化しているように感じます。

もともと僕らの取引先の店舗が都心の大型店ではなく地方の個店が多いという特徴もありますが、人々が抑えてきたトラベル需要が一気に出たなかで消費の仕方が大きく変わり、今までのようにものが売れないと話しているのです。加えて、終わりの見えない戦争や、各国で右翼的、排他的な思想の政治家が台頭するなどの不安定な社会情勢も、消費に暗い雲行きを落としているようです。

そんななか日本では、急激な円安の影響で海外に出るのを控え、日本の富裕層が日本国内で消費をしています。そこに日本に戻ってきたインバウンド需要が上積みとなりこの国内の活発な経済状況となっています。続く円安傾向のなかでこれからを考えた時に、「どのようにして日本国内で海外富裕層とのタッチポイントを作るか」が世界との窓口となります。

日本の地方の魅力

トラベル需要が高まる一方で、各地でオーバーツーリズムが問題となっています。名の知られた観光都市は人で溢れ、地域の住民の生活を悩ませています。また人手不足に起因するデモやストなどが頻発し、ドイツでは交通インフラが完全にストップしてしまう日もあるほどです。都市部ではテロリズムの恐怖もあり、世界には「安全で人混みから離れた」場所が少なくなってきています。
世界中からの観光客で溢れる清水寺

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次ページ > 「まだ知られていない」というメリット

文=村瀬弘行

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デザイナー芦田多恵が守り続ける代官山のアトリエとものづくり

芦田多恵|ファッションデザイナー

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窓の外に広がる、満開の桜。その絶景を背景に、シューッと蒸気を上げる業務用アイロンの音が響く。白衣を着た職人たちがテーブルに向き合い、手にした生地に針を運ぶ。入り口にはデザイン画、壁一面に並ぶ色彩豊かな糸、そして、トルソーには制作中のブラウス──。

東京・代官山であることを忘れさせる、海外映画のワンシーンのような空間だ。「創業者である父の教えを守り、アトリエは本社のなかで最高の環境を」と語るのは、このメゾンを受け継ぐファッションデザイナー、芦田多恵。その“高品質なものづくり”が認められ、昨年、令和6年度文化庁長官特別表彰を受賞した。

受け継がれるDNA、進化するエレガンス

美智子妃殿下の専任デザイナーを務め、五輪日本選手団やANAのユニフォームを手がけた芦田 淳。その名を冠した「JUN ASHIDA」は、百貨店のプレタポルテの先駆けとして、日本のファッション史に名を刻んだ。

2018年、その遺志を継ぎ、芦田多恵がクリエイティブデザイナーに就任。より高いクオリティにこだわる「JUN ASHIDA」と、91年にコレクションデビューした自身のブランド「TAE ASHIDA」と。親子代々で受け継がれるケースはそう多くない。

海外ブランドは、デザイナー交代でその世界観が一変することも珍しくない。新鮮さを保つマーケティングの一種だが、それでは顧客は置き去りになる。同社には3世代にまたがる顧客もいる。「その方々にも満足してもらいたい。でも私は父ではないから、父と同じことはできない」。本質である“エレガント&プラクティカル”を貫きながら、変えることと変えないことを常に自問自答し、「例えばデジタルでできること、人間だからできること、いいところを抽出して合わせればいい」と柔軟に向き合っている。

業界全体に目を向ければ、バブル崩壊、ブランドの撤退が相次ぎ、低価格・大量生産のファストファッションが市場を席巻。さらに、リーマンショックやコロナ禍といった未曾有の事態が、深い爪痕を残した。百貨店は売り上げと店舗数を減らし、アトリエを手放したブランドも多い。そのなかでジュン アシダはなぜ、一等地のアトリエを守り、クリエイティブと密接した経営を続けることができるのか。

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パターンと縫製の2フロア、国内最大規模のアトリエでは約60人が働き、ファーストサンプルや特注アイテムに丁寧に向き合う。職人というと年配のイメージもあるが、40代前半が中核を担う。
パターンと縫製の2フロア、国内最大規模のアトリエでは約60人が働き、ファーストサンプルや特注アイテムに丁寧に向き合う。職人というと年配のイメージもあるが、40代前半が中核を担う。

同社には今年も10人の新卒が入社し、4人がアトリエに配属された。縫製とパターンの仕事は、細分化された専門領域ごとに、経験豊富な先輩たちに囲まれて、時間をかけて技術を習得する。結婚や出産を経ても、多くの従業員がキャリアを継続する。長期的な育成にかかる人件費は決して小さくないが、ブランドのレガシーを継承し、さらに成長させていくためには、デザイナーだけでなくそうしたプロフェッショナルが不可欠だ。

次ページ > 年2回のショーが特別な理由

文=鶴岡優子 写真=若原瑞昌

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2025.07.24 11:30

「世界最強のパスポート」ランキング 低下する米国の順位、日本は2位を維持

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英コンサルティング会社ヘンリー・アンド・パートナーズはこのほど、「世界最強のパスポート」ランキングを発表した。それによると、米国のパスポート(旅券)は過去10年にわたって下降の一途をたどり、10位に後退した。

同社は2006年以降、国際航空運送協会(IATA)が提供する情報に基づき、ビザ(査証)なしで入国できる国の数によって世界各国のパスポートを格付けしている。

米国のパスポートでビザなし渡航できる国の数は、ランキング1位のシンガポールより11カ国少ない。米国人は現在、世界227カ国のうち182カ国にビザなしで渡航できるが、昨年より4カ国減った。同ランキングで、米国は1年前には8位、半年前の今年1月時点では9位、そして今回は10位と徐々に順位を下げている。11年前の2014年には、米国は英国と並んで1位に君臨していた。英国は今回、6位に後退した。ヘンリーは報告書の中で、「注目すべきは、米国が今、このランキングの20年にわたる歴史の中で初めてトップ10から脱落する瀬戸際にあることだ」と指摘した。

なぜ国によってパスポートの「強さ」が異なるのか?

国際的な移動性は、国民が海外に渡航する際に、その国のソフトパワー(訳注:軍事力や経済力ではなく、心理的に他国を味方につける力)を測る重要な指標となる。ランキング1位のパスポートを持つシンガポール国民は、193カ国にビザなしで渡航することができる。世界で2番目に強力なパスポートは日本と韓国で、それぞれ190カ国にビザなしで入国できる。182カ国にビザなしで渡航できる米国のパスポート保持者は、アイスランドやリトアニアと同等の地位にある。ヘンリーのユルグ・シュテッフェン最高経営責任者(CEO)は「パスポートはもはや単なる渡航文書ではなく、その国の外交力と国際関係を反映するものだ」と強調した。

米国が順位を下げ続けている理由

米国は相互主義の欠如によって、ランキングの順位を下げている。米国人が182カ国にビザなしで入国できる一方で、米政府がビザなしで入国を認めているのは46カ国に過ぎない。これにより、ヘンリーの開放性ランキングでは80位とかなり下位に甘んじており、イラクをかろうじて上回っている程度だ。シュテッフェンCEOは、米国が「内向きの政策」を取る中、同国は現在、海外の移住先や外国籍の取得を求める世界的な動きを先導していると指摘した。

次ページ > 世界最強のパスポートランキング

翻訳・編集=安藤清香

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