誰も知らないその感情。
朝、道の傍で猫じゃらしが朝日に照らされて鮮やかに光っているのに、僕は近所のおばあちゃんと話をしていたせいで電車に乗り遅れそうになっているから、足早にそこを通り過ぎないといけない。
夏の朝というのはとても好きだ。
冬の光も好きだけれど、どこか黄昏ていて暗い気分になる。
夏生まれだからか。夏は人生の本番のような気になる。
案外一つのことに集中するというのは難しいものです。現実的に。
こんなことを言うのは言い訳がましくて嫌だが。
ひたすらどこかに籠って一つのことをやっていたいと思うけれど、なかなかそういうわけにもいかない。
それでもいつかはやったるぞとか企んでしまうという。
基本、人に対しては友好的でいるのだけれど、自分の根底にあるのはそういうキャラクターではなくて、余計なプライドがあったりとかどこか反抗的だったりとかする。変な矛盾を抱えているし、言葉は万能ではないから肝心な部分を決めきれなかったりする。つくづく変な人間である。
夏になってからしばらく調子が良かったのだけど、ここ数日はうまくいかないなあという状態になっている。
大したことじゃないはずなのに、ひとつのことがきっかけでひどく落ち込んだりする。大抵のことはわりとどうでもいいと思っているのだけど、作品のこととなると相変わらず完璧主義的なものが発動する。
思い通りにはいかないものですね。難しい。
理屈と感覚によって引き裂かれていて、双方があれこれ矢継ぎ早にいろんなことを主張するもんだから「うるさいわ」となっている。
いいよ。
世の中じゃ意味のわかることや簡単なことやわかりやすいものが好かれて、それらが怒涛のように現れては去っていく。それは素晴らしいことだし、ものすごく幸せなことだからそれはそれでいいのだ。
ただ、その渦の中に巻き込まれて自分を失わないためには、自分の中で理屈なしでいいなと思えるものを強く掴んで持っておかないといけない。
揺らがずに持っておきたい。ただそれも難しい。
実際に「うるさいわ」と跳ね除ければ僕はきっとひとりになるだろうと思う。だから表では友好的な顔をして、裏では深く潜って作品を作る。
作品を作るということについて考える。
面白いということについて考える。
意味のわからないものが好きだ。
自分でもわからないものを探していて、それはわからないままでいい。
僕はお笑いも好きだけれど、笑顔を生むような「面白い」と、作品の「面白い」っていうのは全く違っている。
作品の「面白い」というのはストーリーやネタ的な「面白い」と同じように語られることもしばしばあるけれど、僕は明確に違うものとして感じている。
作品の面白さというのは「面白い」とか「すごい」「美しい」みたいな言葉で表すしかないもので、言葉は表現されたものに到底追いつけない。
「面白い」と言うしかない。
僕の中で大切なのは、観察や偶発や寛容さなのだと最近気がついた。
これをどう人に言おうか。
言いようがない。
誰にもわからないものが生まれたりして、それはとても面白くて大切なものだ。本当は誰かを楽しませたり満足させたりする必要なんてないんだと思う。
本当に大切で愛おしいものはそういうものだ。
誰もそれを守ってはくれない。



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