「好きだ、付き合ってほしい」
私は今日も、二口に告白される。
馬鹿みたいな話をしよう。御伽噺かってくらい、純粋で不器用なお話。
私には、入学当初から好きな人がいる。
自分でもびっくりだけど、こんなに一途に誰かを想ったことは無い。
――春。
真新しい制服に身を包み、桜が舞い散る中で迎えた入学式。
ありがたーい皆々様のお言葉を聞き流し、当たり障りなくクラスメイトとご対面。
来週からよろしくね、なんて言葉を背にぶらぶらと、ひと気のなくなった校舎を一人で歩く。
ふと、窓の外を見ると、体育館の脇に大きな桜の木が一本あって。
その下で、人がうごめく姿が目にとまった。
『なにしてるの?』
「あ?」
――これが、私と二口との初めての会話だった。
まるで自分のテリトリーに侵入されたかのように威嚇を続ける二口をよそに、『よいしょ』と私は隣に腰をおろした。
隣でぎゃんぎゃん吠える二口と、ひらりはらりと舞い踊る桜の花びらが、対照的だ。
『あ、』
「あ?」
一枚の花びらが、二口の髪の毛に落ちた。
す、と手を伸ばしてそれを取ろうとすると、ぱしりと音を立てて手首を掴まれる。
『えっ』
「……んだよ」
『や、髪に花がついてるから』
「は?」
『取ろうと思って』
「……」
皺が残るのではないだろうかと心配になるくらい憂いが眉間に滲み、こちらを睨む二口にそう告げると、だんだんと額の影は薄れ、顔が赤く染まっていく。
「なんっ、な……、はっ?」
今にも、火を吹き出しそうだと思うほどに真っ赤に染まった顔を見て、名も知らぬ風が胸をかすめるように、心がざわめいた。
たぶん、私はこの時、二口に恋をしたんだと思う。
離してくれた手は宙を切ることもなく、今度こそ、二口の頭についた花びらを手に取った。
『ほら、ね?』
「……さんきゅ」
ぶっきらぼうだけど、ちゃんと目を合わせたまま、そう御礼を述べる二口に、『似合ってたけどね』と笑えば、「目、おかしいんじゃね」と軽口を叩きながらも、その表情は打って変わって優しさに満ちていた。
そんな夢物語みたいな出会いをした私たちだけど、恋仲に発展するようなことはなくて。
クラスが違っても、学年が上がっても、良き友人のポジションに収まっていた。
――所謂、友達以上恋人未満というやつだ。
「なー」
『はぁい』
「暇」
『委員会中ですが?』
「でも暇」
『んふふ、ちゃんとやりなよ』
二口の手元にある白紙を指差すと、小さな子どものようにむくれながら、「つまんね」と言ってのける。
委員会と言っても緩い活動しかしてなくて。
今日は各々が、今後の活動方針についてまとめて提出するだけ。
設問数も少ないし、ちゃちゃっと書いてしまえばすぐに解放されるのに……と、肩ひじついて、未だ筆が一文字も進んでいない二口を見る。
『とりあえずさ、ここから書いてみたら?』
「んー」
『さくさくやれば、ぱぱっと終わるよ』
「擬態語ばっかじゃん」
『もう助けてあげません』
「すんませんでした、助けてください」
ぱちん、と両手を顔の前で合わせるポーズを取る二口に、『仕方ないなぁ』と許してしまうあたり、やっぱり惚れた弱みというやつなのかもしれない。
「なー」
『はぁい』
しばらく、書類に集中していたと思いきや、唐突にペンが走る音が途絶え、二口の声が響く。
「付き合ってる奴とか、いんの」
『はっ!?』
「おわ、びびった」
『え、あ、な、んで……』
「いや、まあ、ちょい気になって」
『え、』
嘘でしょ……。え、これ、夢?
自分の手をつねってみるけど、普通に痛い。
ということは、現実に間違いなくて。
『……いない、けど』
「……まじで」
『うん』
「……なぁ、」
『う、ん』
やばい。
心臓、めっちゃドキドキする……。
少しの間を置いて、次の言葉を考えているような二口と目が合い、緊張が一気に高まった。
「告白の練習に付き合ってくんね」
『……は?』
想像していた言葉とは、まったく違う話に、思考も感情も、波にさらわれるように追いつけずにいた。
ぎいっと、イズの背もたれに背中を預けて仰け反る二口が、少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべる。
それは、今までどんなシチュエーションでも、どんな話のときでも、見たことがないくらい穏やかで甘くて、愛情に満ち溢れているように見えた。
やっと現実に追いついてきた思考で、必死に考える。
膝の上で握りしめた拳が、ひどく痛む気がした。
「告白したい奴がいんだわ」
『へ、え』
「でも鈍くてさ。普通に好きって言うんじゃ、気がつかない可能性があんだよな」
『そう、なんだ』
「だからさ、」
――やだ。やめて。
それ以上は、聞きたくない。
「好きって言う告白の、練習相手になってくんね」
恥じらいを滲ませながら、ぎこちない笑みを浮かべる二口に、なんと返事をしたら良いのか分からなかった。
だって、私は彼のことが好きだ。
もうずっと、片思いをしている。
できることなら、彼に告白して恋人になりたいと思う日々を過ごしているというのに、二口はまったくと言っていいほど、私のことなんか見ていなくて。
友達以上には見られていないんだろうなとは感じていたけれど、それを目の当たりにさせられて、痛感させられて、胸の奥が苦しくて、つらくて、悲しさの波が押し寄せてくる。
二口にあんな顔をされて、好きだと言われて、断る女の子なんていないよ……。
告白前に失恋決定の自分に、叶わぬ恋に気づきながら、せめてもの強がりで下手くそな笑みを繕った。
私は、二口と二人で幸せになりたかった。
だけど、二口が私と幸せになる必要はない。
――彼が幸せになれるのならば、今まで通り傍にいられるのであれば、それはそれで良いことなのかもしれない。
『……私に務まるかな』
「完璧」
『……まぁ、時間が合えばいいよ』
「まじで」
『うん、まじで』
さんきゅ!と、普段は見ることの少ない満面の笑みでそう言う彼に、私は気持ちも感情も、すべてを飲み込んだ。
「俺、書けたから出すわ」と言ってそのまま席を立ったと思えば、足早に教室を出て行ってしまった彼の後姿を眺めた。
しん、と静まり返る教室で、握っていた拳をほどくと、まるで何かが切れたかのように、ぶわっと涙が溢れ出す。
なんで、私じゃないんだろう。
なんで、彼のことを好きになってしまったのだろう。
なんで、こんなにつらいのに、傍から離れたくないのだろう。
ぽろぽろと零れる涙は、押し殺した想いを静かに告げるように、あとからあとから頬を伝った。
――その日から、私は二口に「好きだ」と告白されるようになった。
◇
初めての告白は、メッセージだった。
意味のあるやり取りを交わしていたわけじゃないけど、今日の授業がこうだったとか、何組の誰々が面白こと言っていたとか、部活の調子はどうだったかとか、そんな他愛もないようなことばかりを送り合う日が続いて。
そして、それは突然だった。
「好きだ。彼女になってほしい」
心臓が二回も三回も跳ねて、思わずベッドから跳び起きた。
そして、気がついた。
……あぁ、これが"練習"なんだ、と。
全身から力が抜けていくような気がして、握っていた携帯が、するりと手中から離れていく。
なんて。なんて残酷で、非情で、淡いのだろうか。
容赦ない現実に、届かぬ想いに灯っていた火が消えていくようだった。
再び振動する携帯に、漂っていた意識が現実に引き寄せられる。
画面を見れば、着信画面が表示されていて。
慌てて、通話ボタンを押下すれば聞こえてくる大好きな人の声。
「よ」
『うん』
「既読ついたのに返信ねぇから」
『ご、めん。びっくりしちゃって』
「いきなり言うのもありかなって思ったんだけど、やっぱなしか」
『う、ん。いきなりはちょっと、ね……』
「そか」
『うん』
きっと、不意をついた告白を狙っていたのだろう。
もし私が告白相手なら、きっとあのまま喜びに全身が包まれて、『私も』と返したに違いない。
でも私は、あくまで"練習相手"。
二口が告白したい相手は、私じゃない。
分かっている。
この件を引き受けた時から分かっていて、覚悟を決めていて、自分の想いは封印したはずだった。
……そうした、はずだったのに。
たった一言に、いとも簡単に想いが詰まった箱の鍵は開いてしまい。
二口に、「好き」だと言ってほしいなんて、欲まで出てきてしまう始末だ。
「なぁ」
『うん』
「告白ってしてことあんの」
『……私?』
予期せぬ質問に、みっともなく声が裏返ってしまったような気がするけれど、二口は気にすることなく、「おう」と答えた。
『んー』
「……あんのかよ」
『や、記憶を辿ってみてた。ない、かな』
「まじで」
『うん』
「じゃあ元カレは全員、あっちから告ってきたんか」
『まぁ、だね。……ていうか、なんで私の話になってんのよ』
私の過去なんてどうでもいいはずなのに、二口は未だ解せぬというような声色で、「意外とモテんだな」と呟くので、『ねぇ?失礼すぎじゃない?』と戯れた言葉とともに、笑みをこぼした。
「ふーん」
『なぁに』
「別に」
『ふーん』
「あ、真似した」
『似てた?』
「ふは、全然似てねぇ」
ころころと飴玉が転がるように軽やかな声が、ダイレクトに耳に届く。
彼の笑い声が好きだった。楽しそうに笑う無邪気な子どものような顔が好きだった。
冗談を言い合って、私がよくふざけた真似をすると二口は決まって、少しだけ口角を上げて目を細め、「ばーか」と言いながら、わしゃわしゃと髪の毛を撫ぜる。
そんな仕草も、大好きだった。
でも今は、機械を通して聞こえてくる彼の笑い声が残酷に思えて、心の底からこの時間が楽しいとは思えなくて。
『ごめん。親に呼ばれた』
咄嗟についた嘘に、少しだけ罪悪感を覚える。
「ん。ちゃんと寝ろよ」
『二口もね。朝練、遅刻しちゃ駄目だよ』
「は、夢にも出てやんよ」
『それは勘弁願いたいなぁ』なんて言いつつも、本当にそうだったら嬉しいのに、なんて思ってしまうあたり、本当に恋というものは厄介だと思い知る。
そうして、通話が切れた無機質な機械からは、もう何も聞こえてはこなくて。
彼がいつ、誰に、どうやって告白するのか、気にしても仕方のないことだと、頭では理解しているのに、どうしても心が求めてしまう。
『私にすればいいのになぁ』
零れ落ちた声は、夜の静寂に溶けていった。
◇
「好きなんだけど」
二口からの告白はいつも突然で。
毎回、テトラポットに波が当たるように跳ねる心臓をおさえながら、適当にかわす日々が続いて。
今日もそうだった。
――今朝。
バタバタタしていたせいでお弁当を忘れてしまい、激戦区の購買へと猛ダッシュしたけど、男子の割合が多いこの学校では、食べたいものをゲットすることは難しくて。
大きな体越しに見つけた塩パンに手を伸ばすものの、阻まれ、届かない。
『わ、あ』
その内に、既に購入した人と今から購入する人が入り混じって、場はさらに複雑に。
『あー、これはもう諦めるしかないか』
「食いたいの、どれ」
『……ッ、ふ、二口』
「どれ」
『え、あ、塩パン』
「足りなくね」
『足りる』
納得していないような表情を浮かべつつ、「おーけー」と言うと、そのまま二口は購買に突入して。
その高い身長を活かして、あっという間に戦利品をゲットしてきてくれた。
途中、先輩らしき人と、「あ!二口、てめ」「はっはー、でかくてすんませんね」と軽口を叩いている様子も見受けられて、その様子がちょっとだけ幼く見えて、キュンとした。
「おら」
『わーい、ありがとう』
「噛みしめて食え」
『こんなに堂々と恩着せがましく言われたの初めてですけど』
「初体験の相手が俺でよかったな」
『……言い方、やだ』
にやりと笑う二口に、じっとりとした視線を送るものの、風に流される雲のようにあっさりと受け流された。
「中庭で食おうぜー」
『……一緒に食べるの?』
「好きだよな」
え、と思う。
「日向ぼっこ、よくしてんじゃん」
『……うん、まぁね』
気のせいかもしれない。
それでもその一瞬、想いが露わになったような気がして、背筋がひやりとした。
軽やかな鼻唄を響かせながら歩く彼のその背中に置いていかれぬよう、私はそっと歩幅を合わせた。
『二口、私と食べてていいの?』
中庭に置かれたベンチに腰掛けながら、伺うように、ちらりと視線を投げる。
この場所は、日当たりのいい中庭にある大きな木の下で、唯一の日陰でもある。
柔らかな陽射しに包まれ、心も体もふわりと緩んでいくのを感じることができる、大好きな場所だった。
「? なんで」
『いつも、青根くん達と食べてなかった?』
買ってきたばかりのパンの袋を開けながら、疑問符を頭上に浮かべる二口に、さらに質問を投げかけると、「あー」と腑に落ちたような顔をして、
「さっき連絡しといたし、問題ねぇよ」
『……そっか』
そのまっすぐな言葉に、抗うこともできず、私は何度だって心を揺らされるばかり。
さあ、と吹き抜ける風が少しだけ生暖かいけど、爽やかなそれが髪をなびかせた、その時だった。
「好きなんだけど」
唐突に紡がれた言葉に、息が詰まる。
視線を二口へと向ければ、そこには真剣な眼差しをしてもう一度、「好きだ」と言葉を繋げる彼の姿に、触れれば崩れそうなほどの哀切が、静かに胸を軋ませた。
これは、ただの練習で、私に向けられた言葉じゃない。
ひゅっと喉が締め付けられて、言葉が出なかった。
だって、私はそれほどまでに二口のことが大好きで、本当は恋人になりたくて、彼が紡ぐ好きだという言葉を本当は私に向けて言ってほしくて。
なのに、それはどうしたって叶わないことで。
食べていた塩パンの味はもう、分からなくなってしまった。
『い、いと思う』
「まじで」
『う、ん。ストレートに言ったほうが、伝わるんじゃない、かな』
再び二口から視線を外して、膝の上に置いたままのパンを見つめた。
震える喉で返事をすれば、二口は嬉しそうな表情を浮かべ、「良かった」と笑った。
その笑顔はなんて綺麗で、なんて残酷なのだろう。
苦しくて、切なくて、悲しくて。
でも彼が嬉しそうに笑うと、愛おしくてたまらない。
きっと、私の気持ちさえなければ、私たちの関係はもっとずっと上手くいくはずなのに。
二口への恋心は、消えるどころか胸の内に広がるばかりで。
――もう、潮時かもしれない。
彼に、正直に話そう。
私に、この役目は務まらないって。
何故かと問われたら、適当に誤魔化そう。
練習なら、沢山付き合ったはずだ。
もう、練習なしでも、きっと上手くいくはずだよ……。
『二口、』
「んあ?」
『私ね、もうこの練習には付き合えない』
「……は?」
『ごめんね。でも、二口に告白されて断る子なんていないと思うし、きっと大丈夫だよ』
あぁ、思ったよりも早口になってしまったな。
変に思われていないといいけれど……。
隣から、ぐしゃりとパンの包みを握りしめる音が聞こえて、ドキリと心臓が跳ねる。
「……どうしても、か」
『うん。ごめんね』
「……そっか」
『二口、』
「……ん」
――頑張ってね。
その言葉は、喉まで出かかって、でも声にはならなかった。
頑張ってほしい。ほしくない。
成功してほしい。してほしくない。
彼女と上手くいくといいね。私のことも見てほしい。
なんて、まるで天秤にかけるかのように真逆の感情に心が揺れて。
じっとこちらを見つめ、次の言葉を待つ二口と、ようやく視線を合わせながら、
『大丈夫だよ』
紡いだ言葉は、自分に言い聞かせているみたいだった。
◇
あれから、告白の練習は無くなって、気がつけば私たちは三年になっていた。
なんの因果か、はたまたご褒美か、神様の気まぐれか分からないけど、私たちは同じクラスになって。
クラス分けが発表される日、同じ列に二口の名前を見つけた時、思わずガッツポーズしそうなくらい、声にならない歓びが心の奥底でそっと跳ねた。
「お、同じクラスじゃん」
『……ッ』
真後ろから聞こえてきた声に、びっくりしつつ嬉しさが心に滲む。
「最後の一年だな」
『うん。よろしくね、クラスメイトトさん』
「二口さんと言え」
『やーだよーだ』
『ふは、んだ、それ』と笑う二口の茶化すようなその笑い声が、やけに心に残った。
結局、誰に告白するのかは、ずっと教えてはくれなくて。
二口が誰かと付き合った、なんて噂を耳にしたこともなくて、告白しないのかな?と思ったりしたけれど、彼女ができない限り今のままの関係でいられると思うと、それ以上深掘りすることは出来なかった。
:
夕暮れ時。
誰もいなくなった教室は、まるで昼の顔と夜の顔の二つを持ち合わせているようで、似ていて全く違うものに見える。
私の呼吸とペンが紙をなぞる音だけが、まるでこの世界の全てかのように、静かに広がっていた。
進路表なんて書かれたその紙は、この先の私の人生をも左右しかねないほど、割りと大事なものだけど、まだ名前しか記入されていないそれを見て、一つため息をこぼす。
別に進路が決まっていないわけじゃない。
いいなと思う道はいくつかあって。
じゃあそれを書けばいいじゃんとも思うのだけれど、どれも凄くやりたいことっていうわけでもなく、今の今まで倦ねいていた。
「あ?まだいたのかよ」
『びっ、くりしたぁ』
突如響いた大きな音に、それが扉の開閉音だと気がつくまで数秒。
入ってきた人物が二口だと気がつくのに、さらに数秒かかった。
部活の途中なのだろう。
滴る汗をぬぐうように、肩にかけたタオルで額を覆うその仕草がなんともいえない雰囲気で。
見てはいけないものを見てしまったかのように、視線を外した。
かたん、と音を立てて目の前のイスが動く。
私の前の席に腰をおろした二口が、手元の紙を見て、
「白紙じゃん」
と、指さした。
『うん、まぁ』
「なんか意外だな」
『そう?』
「ん。器用だし頭いいし、好きなことはとことん詰めるタイプじゃん」
『……え』
「なに」
『や、そんな風に見られてたんだって、ちょっと恥ずかしい、かも』
好きな人に自分の良いところを見てもらえて、直接言ってもらえる機会なんて、そうそうあるわけもなく。
恥ずかしげもなく、そういう言う二口に、少し照れながら笑うと当の本人は、「んなことねーだろ」と春風のような笑みをたたえた。
ふわり、と風が教室に吹き込んできて、カーテンが踊るように揺れた。
「あ、」
『ん?』
ふいに、二口がこちらに手を伸ばしてきて、その長くて綺麗な指がもう少しで自分に触れると思うと、思わずその手を掴んでしまった。
「あ?」
『えっと』
「ついてんぞ」
『?』
「花」
『え、』
それはまるで、初めて出会った時と同じやり取りで。
気の抜けた私の手から抜け出した、二口の手が私の髪をなぞる。
「ん」
差し出されたそれは、あの時二口についてそれと同じ、淡いピンク色をした桜の花びらで。
あの時、彼に恋をしたこと。
初めて見る表情に、心が揺れたこと。
誰かをひたむきに想うことの、喜びと切なさを知ったこと。
すべてを胸の奥にしまい込んでいたはずなのに、その記憶に触れた瞬間、心の奥が揺れて、涙がひとしずく、またひとしずく零れ落ちた。
「はっ?」
『ッ、ん、ごめ、ん』
驚きを隠せないという表情を浮かべる二口に、困らせてしまったと後悔の念が押し寄せる。
それでも、止めようと必死に拭う涙は、全然止まってはくれなくて。
ぼろぼろと零れ落ちては、真下にあった紙を濡らしていく。
「とりあえず、これ使え」
『わっ、ぷ』
体中に二口の香りが充満したかと思えば、彼が使っていたタオルを顔に押し付けられていて。
まだ汗で濡れていない部分を当ててくれたあたり、彼なりの気遣いだと悟った。
その優しさがまた身に沁みて、大好きだと実感させられる。
『ご、めん』
「んにゃ」
『……理由、聞かないの』
「話したきゃ聞く。俺はまぁ、なんだ、その辺にいる案山子だとでも思っていいから」
『……んふふ、随分イケメンな案山子だね』
「だろ」
話したければ話せばいい。
そうでなければ、話せる時がきたらでいい。
無理強いしない、でも聞いてはくれると、そっと置き去りにされた優しさに身を委ねてみることにした。
『好きだなぁって』
「……は、」
『私、ずっと好きな人がいて。でもその人、別の人を追いかけててさ』
「……ん」
『友達から抜け出せないって分かってたのに、凄くつらくて。でも、やっぱり好きで』
「……ん」
『ねぇ、二口はさ、その告白したい相手の子とうまくいかなかったら、どうしてたの?』
泣き腫らした目なんか見られたくないのに、今は何故か、彼から目を逸らしてはいけないと思った。
交差する視線に、胸が高鳴る。
彼は、なんと言うのだろうか。
「それでも多分、ずっと好きだろうな」
なんとも、彼らしい返事だと思った。
一見、自分のことばかりのように見えて、相手の意見や気持ちを尊重してくれる、そんなところも大好きだった。
『いつか、忘れられるのかな』
「どうだろな」
『……二口も、卒業までにするんでしょ?告白』
「おう」
『練習の成果、出るといいね』
本心から、そう思った。
告白の練習相手になることは、思っていた以上につらかったけれど、彼が口にする「好き」の一言は、どうしようもなくあたたかくて。
練習相手の私ですら、そのぬくもりに触れるたび、叶わないとわかっていても心がほどけてしまいそうだったのだから、きっと本気の相手はもっと強い衝撃を心に受けるに違いない。
震えるまつ毛を濡らし、ようやく涙が止まり、貸してもらったタオルを手元でたたむ。
もし替えのタオルがあるのなら、これは一度洗濯をしてから返させてもらおう。
そう思って顔を上げ、『二口、』と名前を呼ぼうと思ったのに、目の前に座る二口はどこか戸惑っているような、言葉を選びかねているような、そんな曖昧な表情を浮かべていた。
「練習の成果が出るかどうか、確かめてくれよ」
『……え?』
すう、と一呼吸を置くと、何かを決意したように、彼はまっすぐこちらを見つめてきた。
「ずっと、恋してた。ただの好きじゃ追いつかねえくらい」
――つか、恋なんて言葉で表せる気持ちは、一年のときに通り越してたわ。
ひとつひとつ、想いを確かめるように、そう言葉を紡いだ。
予想もしなかった言葉が口にされ、その言葉が私に投げかけられた瞬間、頭が真っ白になって、感情も思考もすべてがその言葉に追いつかないままだった。
『……これも、練習なの?』
もし。もしそうならば、これほどまでに、魂を揺さぶるような残酷さを私は知らない。
「ちげえよ」
はっきりとそう言う二口に、私の心は落ち着かない波のように揺れ続け、ドキドキが止まることなく胸の奥をかき乱していた。
『待って、全然追いつけない……』
「覚えてるかわかんねえけど、初めて会った時、俺は恋がなにかって知ったんだと思う」
『……桜の、木』
「それ。陳腐な言い回しはガラじゃねえけど、あの時あの瞬間、好きって気持ちが込み上げてきてよ」
――こんなにも一気に世界が変わるなんて、知らなかったわ。
照れを隠すように口元を緩め、ほんの少し顔を背ける二口に、ぶわっと体中に感情が溢れ出した。
二口のことが、好き。
どうしようもないくらい、好き。
彼の隣で笑って、笑い合って、傍にいて、幸せを二人で噛みしめられたら、どんなに素敵だろうかと思っていた。
――それが今、現実になろうとしているなんて。
『……練習は、』
「俺が好きって言っても、すぐには信じねーだろ」
『う、』
「冗談?とか、何それ?とか、言われんの怖かったんだよ」
言葉じりにどんどんと小さくなっていく二口の声に、彼にも怖いと思うことがあるんだなぁと思って、思わず笑ってしまった。
『ふふ、二口が振られるなんてあり得ないでしょ』
「相手によるっつーの」
『……練習相手にさせられた私の気持ち、考えたことないでしょ?毎回、その好きが私に向けられたものなら良いのにって思ってたんだよ』
「そうな、……は?」
『二口のことが大好きな私なら、すぐOKするのにってずっと思ってた』
「ま、て、待て待て、は?え、それって」
『初めて会った時から、ずっと好きでした』
お互い遠回りしちゃったね。なんて付け足せば、珍しくぽかんとした表情を浮かべる二口の顔が一気に、真っ赤に染まって。
出会った時もこんな表情をしていたなぁ、と懐かしさに口元が緩む。
「っ、はー、まじかよ、くそ」
『二口くん、お口が悪いですよ』
「うっせ。俺は今、めちゃくちゃ後悔してんだ」
『え、告白しない方が良かった、とか』
「ちげえよ」
――もっと早く言ってれば、恋人として過ごせる学生生活が増えただろ。
砂糖が手のひらから零れ落ちるように、さらりさらり、音もなく、二口の気持ちが私の心に優しく広がっていく。
もう、隠しきれない熱が頬を染め、ばちっと交わる視線に心が一瞬で引き寄せられ、二人の間に流れる空気が一層熱くなった。
『……は、恥ずい』
「こっちのセリフだっつーの、くそ、恥ずい」
『……二口、私のこと好きだったんだ』
「もうずっと、な」
『私も二口のこと、ずっと好きだった』
「……嬉しすぎて、今日眠れねえかも」
赤く染まる顔を片手でおさえながら、そう言う二口に、『じゃあ、眠れるまで電話する?』と少しだけからかう様な口調で聞けば、「する」と速攻で答えられて、ぱちぱちと瞬きをくり返すのは私の方だった。
『えっと、』
「俺、もう行かなきゃだわ」
『あ、うん』
「なぁ、」
『うん?』
音を立ててイスから立ち上がる二口が、まるで何かを思い出すように声をかけてくる。
「三年分の好きをこじらせてるから、覚悟しとけよ」
『……ッ』
唇の端をゆっくりと持ち上げ、抑えきれない笑みが頬を緩ませた。