「通称名」という制度——犯罪報道で国籍が見えなくなる仕組み
行政書士が語る外国人政策の真実
外国人の犯罪報道を見ていて、「結局どこの国の人なのか分からなかった」と感じたことはないだろうか。
これは気のせいではない。日本には「通称名」という制度があり、これが犯罪報道のあり方にも影響を与えている。今回は、行政書士の視点からこの制度を解説したい。
通称名とは何か——制度の正確な姿
通称名(通名)とは、在日外国籍住民が日本の役所に申請登録することで法的効力を持つ、本名ではない名前のことだ。 Enluc
登録できるのは「日本国内における社会生活上日常的に使用している場合」「親や婚姻関係等の身分行為に基づく場合」「日系外国人が本名の日本式氏名部分を名乗る場合」のいずれかに該当するケースに限られる。 Enluc
通名は住民基本台帳法に登録事項として規定されており、住民票に「通称」として記載される。登録できる文字はひらがな・カタカナ・漢字の3種のみで、在留カードや特別永住者証明書には記載されない。 Enluc + 2
つまり制度上は、住民票という行政上の記録に限定された仕組みであり、本名が消えるわけではない。本名と通称名は併記される形になっている。
なぜ生まれた制度か
通称名は、欧米系の人たちにはあまり見られない現象で、同じ皮膚の色をしたアジア系の外国人が、通称名を使用し、社会に参加せざるを得ない背景が日本にあるとされる。 Kureba
歴史的には、在日コリアンや中国籍の方々が、就職や結婚、子どもの学校生活などで日本名を使うことで、社会生活上の不利益を避けるという事情から広がってきた制度だ。子供は日本籍でも母親が外国籍だと学校でいじめられるのではないか、子供に負い目を負わせたくない、といった事情も背景にあるという。 Kureba
行政書士としての視点で言えば、この制度自体は、社会的弱者の生活上の便宜を図るという、福祉的な側面を持った制度として設計されている。
問題は、犯罪報道との接点で生じる
ここからが本題だ。
通称名制度そのものは、住民票という行政記録の話に過ぎない。だが、これが犯罪報道における国籍表記の問題と結びつくと、別の論点が生まれる。
犯罪報道において、容疑者が在日コリアンや中国籍の場合、本名を出さず通名のみを用いる報道機関が存在する。朝日新聞は容疑者名の報道で通名と本名のどちらを使用するかを事件ごとに選択している。 TyojyuTyojyu
具体的な事例として、2017年に長野県御代田町で発生した事件では、朝日新聋は犯人の本名を伏せて通名のみの報道を行った。同年、新潟県長岡市の事件では共同通信社が犯人の中国籍であることを伏せて報道した。茨城県での大量覚醒剤事件では、日本人とオランダ人は実名が報道されたが、中国人の容疑者2名は名前を公表されなかった事例が報告されている。 Tyojyu
**ここで重要なのは、これは法律上の義務ではなく、各報道機関が個別に判断している運用だという点だ。**通名のみ、実名のみ、併記のどちらにするかは、マスメディア各社の判断に委ねられている。 E-nursingcare
賛否両論——両方の主張を正確に紹介する
この問題には、明確に対立する2つの立場がある。
通称名報道に批判的な立場は、国籍を伏せることで犯罪の実態が国民に正確に伝わらず、社会治安上の観点からも問題だと主張する。ある元警察庁通訳は「中国人の犯罪とわかっていても、せいぜいアジア系外国人としか報道されない。これは異常だ」と述べている。 TyojyuTyojyu
通称名報道を擁護する立場は、「通称名表記を非とする主張は、在日コリアンを『いつ何をしでかすかわからない犯罪者予備軍』と捉える人種主義に基づくものだ」と反論する。また本人が普段から通称名で生活している場合、本名の民族名が報道されるより、通称名が報道される方が社会的ダメージが大きいはずだという反論も存在する。 S.Line Inc.Tyojyu
行政書士として申し上げれば、この対立は単純な正誤の問題ではない。「正確な情報を国民が知る権利」と「報道による社会的制裁の過剰さ・誤認逮捕時の人権侵害」という、2つの異なる価値の衝突なのだ。
冤罪・誤認逮捕のリスクという、もう一つの視点
ここで見落とされがちな視点も付け加えたい。
実名報道には、容疑者がのちに不起訴・無罪となった場合の深刻なリスクがある。ある事案では、容疑を否認していた外国人経営者が多くのメディアで実名・居住地・職業を報道され、その後不起訴処分となったが、名誉回復の機会はほとんど与えられなかったという。「もともと『外国人=犯罪をする人』という潜在的意識が社会のいたるところにあるように思いますし、名誉回復は簡単にはいかないと感じます」という弁護士の指摘もある。 Miyoshi-shakyoMiyoshi-shakyo
つまり、通称名・匿名報道には、こうした冤罪リスクから個人を守るという側面もある。一方で、それが「実態を見えなくする」という副作用も同時に持っている。
行政書士として、この問題をどう捉えるか
この問題を、「外国人に甘い」「人種差別だ」という二項対立だけで語るのは、実態を見誤らせると思う。
通称名制度自体は、住民票上の行政手続きとして、一定の合理性を持って設計されたものだ。問題は、この制度とは別に、報道機関が事件ごとに「実名を出すか出さないか」を個別判断している運用の不透明さにある。
基準が報道機関ごとに異なり、事件ごとに対応が変わるのであれば、それは「外国人に甘い」のではなく、「報道倫理の基準が定まっていない」という、別の課題として議論されるべきだ。
行政手続きとしての通称名制度と、報道機関の取材判断は、本来別の問題だ。この2つを混同して語ると、議論がかみ合わなくなる。今後、この問題を考える際には、まずこの整理から始めるべきだと思う。



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