2026年7月23日(木)

中川翔子、山田五郎さん追悼 ラジオ20年共演 死去当日駆け付けるも「あと5分、間に合いませんでした」

[ 2026年7月22日 15:23 ]

中川翔子公式X(@shoko55mmts)から

 美術評論家で雑誌編集者の山田五郎(やまだ・ごろう、本名武田正彦=たけだ・まさひこ)さんが死去した。67歳。ラジオ番組「山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』」で長年共演するタレントの中川翔子が追悼した。

 訃報を受け、中川はXを更新。2ショットを多数添えて「山田五郎さんが7月14日に旅立たれました。2007年から始まったラジオ、『山田五郎と中川翔子のリミックスZ』、前の番組から数えると、およそ20年。人生の半分を五郎さんと一緒に過ごしてきました」と、これまでの歩みを振り返った。

 続けて「スカシカシパン、深海生物、不思議な生き物、くだらないようで誰にも伝わらないようなマニアックな話を、息ができなくなるくらい笑いながら語り合った時間は、私にとって何より大切な宝物です。五郎さんは、どんな私も否定しませんでした」と、山田さんの人柄を回顧。

 「お前はどうしようもねえなあ」「キモいなあ」という会話を明かし「そう言いながら笑ってくれて、叱ってくれて、心配してくれて、たまに褒めてくれて。五郎さんにしか話せなかったことが、本当にたくさんあります。五郎さんがいてくれたから、私は私のままでいていいんだ、好きなものを好きと言っていいんだと思えました」と吐露した。

 「2年前、原発不明がんだと聞いたときは信じられませんでした。でも毎月のラジオでは元気に笑って、いつものようにエクレアを完食して、“この時間はこれからもずっと続く”と、勝手に信じていました。今年に入ってからも3回、一緒に焼肉へ行きました。誰よりも食べて、フルコースを完食して、“また行こうね”と約束していた、その矢先でした」という。

 亡くなった7月14日には「会いに行きました」といい「あと5分、間に合いませんでした」と告白。「悔しくて、悲しくて、信じられなくて。でもどこかで、“お前はしょうがねえなあ。先に行くからよ、頑張れな。”と、五郎さんらしく笑って言われたような気がしました。眠っているだけのような穏やかな顔でした」と、当日の思いを振り返った。

 また「以前、五郎さんが数日間昏睡状態から回復されたとき、“死は無じゃない。意識は続いていて、ちゃんと世界で生きて行動してたよ”と笑いながら話してくれたことが、今も忘れられません」という。「だから今も、どこかで新しい世界を面白がって歩き回っているような気もしています。お父さんを失うって、こんな気持ちなんだ。心に大きな穴が空いています」と悲痛な思いを長文に込めた。

 西洋美術をわかりやすく伝え、評論家としてのみならずコメンテーターなどマルチに活躍した山田さん。中川は「五郎さんがいなくなることは、日本にとって本当に大きな損失です。知識の深さ、好奇心、ユーモア、そしてどんな相手にも分け隔てなく向き合う優しさ。五郎さんのような人は、もう現れないんじゃないかと思います」とその功績を称え「AIがどれだけ進化する時代になっても、五郎さんだからこそ生み出せた言葉や発想、人を笑顔にする力は、決して代わるものではありませんでした」と主張。

 最後に「私にたくさんの世界を見せてくださって、本当にありがとうございました。五郎さん、大好きです。どうか安らかに眠ってください」と追悼した。

 山田さんはファッション、時計、美術など幅広い分野に造詣が深く、博識を生かして「タモリ倶楽部」「出没!アド街ック天国」などバラエティー番組のコメンテーターとしても親しまれた。

 山田さんは最後まで仕事を続け、今月17日には、YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」に鼻に医療用チューブを差した状態で出演していた。

 動画では、3月に昏睡してから歩行が困難になり、車いすを使用。腹水と胸水が溜まって、呼吸が困難になって酸素吸入機を使うようになったと説明していた。

 中川はJ-WAVE「東京REMIX族」(2007年4月~2013年6月)、JFN「山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』」(2014年4月~)で山田さんと長きにわたり、共演している。

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