見ていない過去
パソコンを珍しく触っていたら高校の時に書いた論文もどきみたいなのが出てきてうぎゃーと叫んでしまった。
見たくないものは見ないようにしている。それも無意識的に。パソコンのフォルダを漁ろうと思わないと見えないものがたくさんある、昔に聴いていた曲、2024年に最後にプレイしたゲーム、そういうものが転がっている。
英語の歌詞の曲はセンチメンタルを助長すると思っていて、その理由の一つは歌詞がぱっと頭に入ってこないから、響きとして受けとめて想起を起こしやすいんじゃないかと考えた。何にもなりきらない意味というのが、曖昧な部分の記憶にふれている。
そうすると、朝5時前にふと悲しくなるのは、自分の人生を失敗したことを急に振り返ったり、人が俺が病んでいた年頃にどうしていたのだろうと詮無い妄想をして、つらくなるのも、現実感が薄れているからだと言えよう。
寝不足の今日でも明日でもない胡乱な脳が、昔や人の昔を手元に持ってくる。
現実を見るのはとても大事なことで、飯を食わねば生きていけないのだから、誰しも今日しか生きられないのだけれど、ふと苦しさを思い出すときに自分が人間としてこれまで生きてきたのだと思い知ったりする。


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