【「現代文は論理」という出口先生や林先生の途方もない浅さについて】
よく現代文の先生が「感覚で読むな、論理で読め」とドヤ顔で語ったりしますが、そういう方は営業で言ってるか、仮に本気で言ってるなら分析哲学や論理学、あるいは科学哲学などの素養が全くない人だとすぐにわかります。
教養不足です。
そもそも人工言語と自然言語の決定的な違いすら考えたことがないのでしょう。
英語や現代文が扱うのは、あくまで「自然言語の論理」です。
ですから、たとえば「構造的な格差が拡大するから、ポピュリズムが台頭する」といったロジックや「近代化によって伝統的な共同体が解体され、個人の自由と引き換えに孤立感が増大した結果、人々は強固な帰属先を求めてナショナリズムに回帰する」といった、確率的で多元的な因果関係にすぎず、自然科学におけるポアンカレ予想やフェルマーの最終定理といった真理、万有引力の法則のような絶対的な必然性とは次元が違います。
どこまでいっても自然言語の論理は「緩い論理」です。
もし現代文が完全に厳密な「論理」だけで解けるゲームだとしたら、東大理三のトップ層なら国語で9割を余裕で叩き出していそうなものですが、現実にはそうなりません。
それが、現代文(特に理詰めで割り切れない随想など)が純粋な論理では割り切れない証明です。
要するに、文系科目が扱うのは人間社会の解釈や政治力学のような「揺らぎのある論理」であり、理系が扱うのは世界の構造を貫く「厳密な論理」です。
そのレベルの非対称性を見落としたまま「論理で読め」と言うのは、営業トークか、教養不足のどちらかでしょう。物事を深く考えてない証拠です。