【小論】庭の作物観察日記
家庭菜園を始めて最初の夏だが、枝豆はなかなか波乱含みだ。先日の大雨で何本かの株がしなだれ、土寄せなどの応急処置をしたものの、まっすぐには立ってくれない。それに、青虫が複数の株の葉をガリガリ食い荒らしていて、見つけ次第ピンセットで摘んで足で潰しているのだが、今日までに捕殺したのが5匹ほど。カメムシも一匹来たので追い払った。アブラムシも付き始めている。サツマイモの方に至っては、葉っぱがくるんとめくれている中に何かの蛾の卵が産み付けられており、生まれたばかりの小さなイモムシが脇にちょこんと鎮座していた。当然どちらもこの世から退出していただいた。
こう書き並べてみると、なかなか物騒な現場である。始める前は、家庭菜園といえばもっと牧歌的で、水をやって収穫を待つような穏やかなものだと思っていた。実際にやってみると全然違う。日々小さな戦争をやっているようなものだ。
青虫がなかなか見つからないのは、あいつらが枝に擬態するからである。緑色の細長い体を茎にぴたりと沿わせて、じっと動かない。目を凝らしてもなお、視界の中で背景に溶けてしまう。それでも見つける方法はあるようで、要はかじられた跡と糞を頼りに逆算するのだ。新しい食痕の真上か、下に落ちた糞の真上の葉裏に、たいてい犯人がいるらしい。これは推理小説と同じで、本人を追うより痕跡を追う方が早いというわけだ。この方法を教わってから、確かに見つかる確率は上がった気がする。
面白いのは、始める前の自分ならイモムシなんて絶対に触れなかったということだ。今でも素手は避けるものの、ピンセットで摘んで潰すことに何のためらいもない。小さいから平気なのかとも思うが、たぶんそれだけではない。自分が世話した植物が食われているという当事者性が、嫌悪より先に立つのだと思う。他人事なら気持ち悪いだけの虫が、自分の畑に来た瞬間に「敵」というカテゴリーに再分類される。人間の感情というのは案外こういう文脈依存で動いている。数ヶ月前の自分が知ったら驚くだろう。
さて、そろそろ農薬の出番かとも思っている。正直言えばあまり使いたくはないが、青虫が5匹以上出て、アブラムシまで付き始めているとなると、無農薬の意地を張って全滅されるよりはマシだ。スプレータイプの農薬を一本、夕方の風のない時間帯に葉裏を中心に散布すれば、これで一ヶ月は効くという。これを「農薬を使ってしまった」と負けたように受け取るか、「必要なときに必要な分だけ使った」と受け取るかで、家庭菜園の続けやすさはだいぶ変わる気がする。予防のためにバシャバシャ撒くのと、被害を確認してからピンポイントで使うのとでは、農薬との付き合い方として全く別物のはずだ。少なくとも今の自分はそう納得することにしている。
倒れた枝豆については、無理に立て直さなくてもいいらしい。枝豆は根元から不定根を出す性質があるので、土寄せをして根元を固定してやれば、先端は勝手に上を向いて伸び直す。植物の屈地性というやつだ。人間が焦って垂直に戻そうとすると、かえって根を切ってしまう。斜めのまま、時間をかけて自分で立ち上がってくるのを待つ方がいい。これも知らなければ、たぶん力ずくで起こしてダメにしていた。
こういう作業を一通りやっていると、農業というのは要するに「見て、判断して、少しだけ手を出す」の繰り返しなのだと思う。放っておけば虫に食われるし、手を出しすぎれば植物のリズムを乱す。倒れた株を無理に起こせば根を切り、農薬を怖がって使わなければ全滅する。ちょうどいい距離感というものが、たぶんどの作物にも、どの害虫にも、それぞれ違う形で存在している。それを毎日の見回りで少しずつ学んでいくしかない。一年目の自分にできるのは、とにかく観察して、その都度誰かに聞いたり調べたりしながら、判断の材料を増やしていくことだけだ。過干渉もダメ。自由放任もダメ。「育てる」という行為は、子どもやペットともそれほど変わらないのかもしれない。
家庭菜園の醍醐味は収穫だとよく言われるが、始めてみて感じるのはむしろこの「距離感の探り合い」の面白さの方だ。青虫を潰し、倒れた株に土を寄せ、農薬を撒くべきか一晩考える。そういう地味な判断の積み重ねが、最終的にザルいっぱいの枝豆になる……のかどうかは、初年度の自分にはまだ分からない。分からないままとりあえずやってみている。それでもたぶん、そこまで持っていければ十分に成功と言っていいのだと思う。


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