「1997年、第一回フジロックフェス」(河原崎禎紀)
※ 旧TUK TUK CAFEサイトから河原崎禎紀さんによる日記を、許可を頂き、転載します。ロックフェスの貴重な資料です。
1997年。イギリスのグラストンバリー・フェスを目標に立ち上げられたFuji Rock Festivalの第一回開催です。当然、ボクは友人らと開催地たる天神山を目指しました。異様に高まる期待感で有頂天になり、昔のグラストンバリーに想いを馳せ、日本でもそんなフェスが開催できるようになったという事実への感慨に耽りつつ、前日の夜中に東京を発ちました。
生憎の台風接近で天神山に向かうボク達の車のフロントガラスは時折、凄まじい風雨に洗われます。中央高速を飛ばしていると、目的地が近づくにつれ、車が徐々に増えていきます。「みんなFUJIを目指しているんだ !」益々、高まる車内の興奮。ハンドルを握るボクの掌は高いテンションのお陰で汗ばんできます。高速の出口前で事故車発見。余りにも浮かれすぎて、事故ったのでしょう。気を引き締めつつも皆の口元が緩んでいくのが分かります。
ほどなくして、河口湖に到着しました。ここのパーキングエリアが今夜の宿です。皆でビールあおりつつ、駐車場に集結した人たちが勝手に催しているパーティを冷やかします。そこに集まった皆の顔が輝いています。誰もが友達だった、この時が最も幸せな瞬間になるであろうということは想像すら出来ませんでした...。
翌朝、猛烈な雨が叩くフロントガラスの音と暴風で船のように揺らされて目が覚めました。勿論、ボクはグラストンバリーの教訓を生かすべく、雨風対策はばっちりの装備で参上していますから、カッパを羽織り、意気軒高と会場行きバス乗り場に、向かいました。そこには、小さな駅のロータリーには明らかにオーバーキャパシティと思われる人々が集結し、バスを待っています。
ボク達も軽く食事を取り、列に加わりました。今日のステージをどういう風に回ろうかなどと作戦会議をしつつバスを待ちます。が、一向にバスが来ません。30分、1時間、1時間半...。先程、決めたスケジュールは既に実行不可能です。徐々に険しさを増し始める皆の顔。中には会場まで、歩き始める人達も現れましたが、一層、強まる風雨と山道を10km以上歩かなければならないという行程を考えてボク達は留まり、バスを待ちました。2時間以上が経過して、ようやく乗車でき、ホッとしたのも束の間、しばらくするとバスは止まったまま、動かなくなりました。違法駐車のお陰でただでさえ、細い山道が一車線状態になってしまい、大渋滞になってしまっていたのです。
いったい、どれくらい乗っていたのでしょうか。ようやく、終点に到着しましたが、会場は更に一山越えた所にあります。足早に急ぐ皆の口数は既に少なくなっていきましたが、徐々に聞こえてくるライヴのサウンドが皆に元気を再チャージしてくれました。ようやく、山頂に辿り着くと、眼下に会場が広がります。顔には一気に精気がみなぎり、ステージへダッシュ ! ハイロウズが演奏しています。ヒロトはここでも下半身裸。ブルーハーツ時代から今日まで何度も彼のステージを見る機会がありましたが、この日が個人的なベスト・アクトであることは揺るぎません。そんな彼らの好演は会場に到着するまでの苦労を忘れさせてくれました。
その後、個人行動に移行。ボクはATARI TEENAGE RIOTというハードコアテクノのバンド?を見るためサブステージに向かいましたが、既に地面がグチョグチョにぬかるみ、歩くのも一苦労です。グラストンバリーの悪夢が脳裏をかすめましたが、あんなことにはならないだろうと、根拠無き確信を以てATARIを堪能。
その熱狂が過ぎると、猛烈な空腹感が襲って来ましたが、無数の小石のお陰で足の裏が異様に痛むことに気づきました。これまたグラストンバリーの教訓「雨には靴より絶対、サンダル」という信念が逆にもたらした災いなのですが、道は踏み違えるとズブズブと膝まで沈む泥沼で、嫌でも小石が入ってきてなかなか進めません。何とか友人達と落ち合い、レストラン・エリアに向かいましたが、ここでも待っていたのは長蛇の列。装備面では一応の対策は立ててきたつもりでしたが、標高が高い上に悪天候が重なり、日が暮れ出すと予想以上に気温が下がり始めました。「温かいものでも」と探すものの、売っているのはビールなど冷たいものばかり。しょうがなく、カレーを注文しましたが、一層、強まってきた風雨は皿の上にも容赦なく降り注ぎ、待ちに待ったカレーは哀れにもビチャビチャです。しかし、冷えて水っぽくなってしまっても、そのカレーは早くも疲労し始めているボクには格別でした。
そして、今回の個人的メイン、Rage Against the Machineを見に、メインステージに向かいました。一万人以上のオーディエンスが一斉にモッシュし始めた様子に感動。激しく雨に打たれ、体が冷えつつも待ちに待ち続けた彼ら彼女らが一気にバーストしています。バンドのメンバーも只ならぬ雰囲気を察し、凄まじく高いテンションのステージを展開。一向に止むことのなかった暴風雨もRage開始と共に、一瞬、止み、今度は山腹から深い霧が立ちこめてきました。更に、オーディエンスの発する蒸気がもうもうと立ち昇り始めます。こんなステージを見るのは殆どの人達にとって初めてでしょう。当然、ボクも我を忘れてその輪の中にいたことは言うまでもありません。なんと、途中で翌日のゲストのProdigyが飛び入り !! オーディエンスの興奮を煽り立てます。熱狂は更なる熱狂を呼び、ステージ前が余りに危険だということで、ライヴは何度も中断。更にステージから数メートルのブロックから屈強なセキュリティが続々と女の子を引っこ抜いて救出しています。あとで聞いたところによると、イエローモンキーのファンだったとか。彼女らは朝からずっと、そこに陣取ってイエモンを待っていた訳ですが、Rage開始と共に、彼らのファンが一斉にモッシュしながら押し寄せ、潰されたところに、次々に後ろからダイヴしてきたお客が降ってきたのです。これはただでさえ、キツい上に、雨に打たれ体力を消耗した彼女達には酷が過ぎます。グッタリとして担ぎ出されていく彼女達を見るにつけ、只ならぬことが起きつつあることはうっすらと感じてはいましたが、Rageの激烈なライヴでそんな危惧はどこかに吹っ飛んでいきました。
演奏は1時間半ほどだったでしょうか。終演後は歴史の一幕に遭遇したという興奮と、我を忘れた熱狂で呆然自失...。夢遊病者状態の中、何とか友人と再び落ち合い、疲れた体を引きずりながら、レストラン・エリアへ向かいました。途中、本部のあるホテルが覗けたのですが、そこで目にしたのは想像を絶する光景でした。ベッドが足りず、廊下に横たわる人・人・人。皆がびしょ濡れで泥まみれ。点滴を打たれている人も沢山いますが、それは恵まれた人たちで友達に励まされながら、青ざめた唇で顎を震わせながら、医者の到着を待っている人が山のようにいます。まさに映画で見る野戦病院の世界です。
ショックを受けつつも、空腹感に耐えきれず、レストランに向かいましたが、何を頼んだかは全く記憶がありません。ただ、何かをガツガツと胃袋にブチ込んだことだけを覚えています。こういった状況下、人間は本能に突き動かされて行動するということを身をもって理解しました。
そんな空白の時間の間にイエローモンキーは終わってしまっていました。さあ、次は今日のファイナル、Red Hot Chili Peppersです。余りの疲労感に途中で何度も宿(車ですが)に戻ろうかと思いました。が、レッチリへの多大な思い入れ以上に「これを見ずして帰る訳にはいかない」という説明不能な義務感が心に渦巻き、踏みとどまった次第です。
しかし、会場は台風の直撃を受け、雨風共に止む気配がないばかりか、勢いは増すばかりです。先程のモッシュのお陰でボクのカッパはボロボロ、彼方此方に開いた裂け目から雨水がどんどんしみ込み、強風が容赦なく、吹き込んできます。とっぷりと日の暮れた天神山は、夏とは思えない寒さが支配し始め、吐く息は真っ白です。悪寒を纏った体躯はただただ、震えるのみです。何だか、意識も薄くなりそうです。頭を振りつつ、ステージを見れば、ヴォーカルのアンソニーは右腕をギブスで固め、包帯で吊りながら、歌っています。他のメンバーも懸命な演奏。ステージ前ではモッシュも起こっていますが、流石に元気がありません。代表曲を畳み込む彼らのライヴでしたが、ステージからそれほど、遠い所にいた訳でもないのに、ますます強まる風で音も途切れがち。ステージ横の積み上げられたスピーカに目をやれば、信じられない程、風に揺り動かされ、固定しているロープの軋む音が聞こえてきそうです。「大丈夫なんだろうか...。」
40分程、経ったでしょうか。ドラマーがドラムセットをひっくり返し、メンバーが袖に引き上げると、終了のアナウンス。当然、会場にはブーイングが渦巻きました。ボクも「これだけ待って、もう終わりかよ!!」という怒りにも似た感情が沸き上がりました。が、一方でこの地獄から抜けられると思うと心底、ホっとした安堵感が込上げてきたことも事実です。
すっかり闇に包まれた会場に灯されたオレンジ色のカクテルライトが照らし出すのは不規則に方向を変えつつ、降り注ぐ豪雨です。当初は全ライヴ終了後、メインステージで映画の上映、巨大なテントではクラブがオールナイトで開催される予定でしたので、ボク達もそれを楽しみにしていたのですが、当然、中止。テントもこんな大人数を収容出来るはずもありません。会場は行き場を失った人達でごった返しています。ボクが車の鍵を預かっていたので、何とか友人達と合流しないと、彼らはこんな中で路頭に迷ってしまいます。疲労と寒さはピークを迎えつつありましたが、探さざるを得ません。当時は携帯電話など持っていなかったので、台風が襲う暗闇の元、デカい会場でカッパ姿の大群衆の中からバラバラに分散した3人が1箇所に集合するのは困難を極めましたが、何とかステージ前で合流できました。
ボク達の宿はワゴン車だったので、就寝スペースにはまだ、余裕があるということで、行き場を失った女の子を乗せてあげることにして合計4人になったボク達ですが、さて、ここから最後の難関バス乗車です。無言で歩を進める人の列に加わり、バス乗り場へ向かいます。「行きはよいよい帰りは怖い」台風を恨む気力も失せたボク達は更に復路を進みます。なんとか山越えを果たし、広がった視界に飛び込んで来たバス乗り場は遠目で見ても凄まじいことになっていました。降り続ける豪雨のために、光量不足に陥っている外灯が僅かに照らしている、そこには泥にまみれ、水浸しになった数千人の群衆が蠢いていました。なのに、バスは数台しか見えません。一瞬、合流を躊躇させるほどの人の波。が、後戻りが出来るはずもなく、ボク達もその黒々とした塊に溶けていきました。案の定、塊の内部は混乱を極めていました。宿や駐車場が会場を中心にバラけて点在していることから、各路線別にバスが運行し、乗り場も各々確保される筈でしたが、少ない誘導人員、暗闇に近い場内、少ないバス、疲れ切った何千もの人々...整然と人が流れるはずもありません。一見、ひとつの塊に見えた大群衆ですが、中では小〜中集団が固まったり離れたりの離合集散を繰り広げていました。後続のバスも、渋滞に巻き込まれているようで、さっぱり到着しません。数十人が一人の誘導員を取り囲み、喧嘩腰で詰問しています。「どのバスに乗ればいいんだよっ !」「いつ、他のバスが来んだよ !!」指揮系統も混乱しているため、それに応える誘導員の返答もシドロモドロ。自身も疲れているであろう彼の顔は真っ青です。数メートル先では数百の人々が1台のバスを取り囲み、運転手と大声で問答を繰り返しています。煌々と灯るバスの車内灯だけが群衆を照らします。バスはドアを開けようとしません。「早く開けろよ!」「なんで開けねーんだよ」その怒号を合図に何百の人々が一斉に殺到します。その勢いで数人が倒れ、悲鳴があちこちから上がりますが、止まる術を持たない人の波は彼/彼女らを踏み倒して尚もバスに詰めよってきます。その内、バスが大きく揺れ始めました。叫ぼうが、叩こうが一向に埒が明かないことが怒りの導火線に点火させてしまったようです。苦渋の末、運転手がドアを開けるや否や、堰を切ったように群衆が流れ込み始めます。狭い入り口に数百もの人々が一気に殺到したのですから、結果は明らかです。悲鳴と怒号が再び、あちらこちらから上がります。先頭を切って乗車した人間が窓から顔を出し、仲間を呼び寄せると、彼らは窓をよじ登り始めました。再び、沸き起こる怒号。もう収拾がつきません。何とか乗り込んだ人々に告げられた車内アナウンスがまた、火種をまき散らします。「このバスは***行きです。***に到着後、再び会場に戻ります。」混乱した群衆が一斉に乗り込んだ訳ですから、勿論、目的地はてんでバラバラ。「***も回れよ。」「オメーらは降りろよ。」遂にお客さん達も分裂し始めてしまいました。人間の持つ醜悪な所を見せつけられ、吐き気がしてきます。ボク達も秩序を失った群衆の中で何とかバスに乗ろうと試みますが、列は混乱し、訳が分かりません。そうこうしていると少し離れた所から、一層、大きな怒号と悲鳴が上がりました。振り返れば、新しいバスが入って来たのですが何と、無灯火で渾沌とした群衆の中を進んでいるのです。疲労と人の圧力で身動きが取れない人々の中を進むバス。昔、ニュースで真っ暗な天安門前広場に座り込んだ学生達に向かって戦車が突入してきた映像を見た覚えがありますが、それを思い起こさせました。
一体、どれくらいの時間が経ったのでしょう。ボク達も何とかバスに乗り込めました。動き出し、混乱の極みに達した乗り場を後にした時、沈黙に包まれていた車内の彼方此方から安堵のため息が聞こえてきます。座っている人たちは勿論、すし詰めで立ち続けているボクらも瞼が一気に重くなると同時に朦朧とした沈黙が訪れ、エンジン音はフェードアウトしていきました。
河口湖畔に到着したのは夜中の2時を回った頃でした。恐ろしく長い1日でした。まさに「生還」です。現金なもので、僅かな睡眠を取っただけなのに、ボク達は冗談を交わせる程、回復していました。意識がクリアになると、再び猛烈に腹が減ってきました。近所にコンビニを発見し、そそくさと入ります。中のお客は殆どがフェス帰りですが、その身なりは爆笑もののコントラストを醸し出しています。早めに切り上げて宿に戻り、夜食を調達しに来た人たちは風呂上がりの湿った髪と、浴衣という温泉街にでも来たかのようなこざっぱしりした見なりに明日への希望に溢れた笑顔なのに対し、全身ずぶ濡れ泥まみれで精気の抜けた青白い表情でベタベタと食べ物を物色する帰還直後組。こざっぱり組からの「一体、どうなったの?」という質問には、どこから話せばいいのか分からず、言葉に詰まり、返答に窮してしまいました。
客足は途絶えることなく続き、それに伴い、棚の食べ物がどんどん減っていきます。急いで確保に走るものの、温かい食べ物は既になく、食応えのあるパンやおにぎり、スナック類も売切れ寸前です。かろうじて残っていたポテトチップスとチョコフレーク、そしてインスタントコーヒーに店でお湯を注いで貰い、皆で分け合いました。
車に戻り、少しばかり落ち着いたところで、雑談タイムです。よく考えてみれば、1人増えている訳で今日の労をねぎらいつつ自己紹介。その「ゲスト」が神戸から1人で参加したことを知り、震災の話を聞きます。最後に彼女が一言加えました。「今日はまた、震災が来たようだった...。」とんでもない1日だった訳ですが、ボク達は明日には「日常」に復帰出来る訳でこんなことが、毎日続くなんて、到底、信じがたいことです。震災の恐ろしさを改めて事実として感じた瞬間でした。口が重くなったボク達ですが、このまま、就寝するのもあんまりだということで、気を取り直しポジティヴにも明日の計画を練ることにしました。雨風も収まってきているようです。外を覗くと何台もの車窓から光が漏れてきています。隣の車両から漏れる笑い声を微かに聞きつつ、僕たちは横になると、あっと言う間に深淵な眠りに落ちていきました。
恐ろしい程の爆睡からボク達を引き上げたのは強烈な夏の日差しと猛烈な暑さでした。昨日の泥に汗が混じり、車には異様な臭気が充填されています。体は明らかに更なる睡眠を欲していますが、熱気と汗、そして臭いには勝てませんでした。外に出て深呼吸一発。新鮮な空気が活力を与えてくれます。水場には人が集まり顔を洗い、歯を磨いています。絵に書いたようなキャンプ場の風景。ただ、少々、様子が異なるのは、裸になって泥を洗い流している人たちの存在でしょう。しかし、一夜開け、好天候にも恵まれて皆の顔には再び、バイタリティが溢れ返っているのが分かります。すっきりしたボク達を再び、猛烈な空腹感が襲ってきました。普段はそれほど、感じませんが、こうした時は食欲や睡眠欲といった根源的な欲望に理性は簡単に負けてしまうようです。昨日の食事が余りに貧相なものだったので、僕たちは車で少し遠出して朝食を取ることにしました。早い時間に出演するバンドも見たいが腹は減っている...この葛藤の勝負はあっさりと決着を見たわけです。
先程、ちらっと覗く限り、湖畔の側道は早くも渋滞が始まっていました。そんな訳で駐車場を出る際、場所を予約出来るか、受付のおじさんに訪ねたのですが、「フェスは中止だけど、戻ってくるの?」なる返答に僕たちは確実に5秒ほど固まりました。
「んな、訳ねーだろっ !」思わず口を突いて出てきた最初の言葉は自分の意志ではなく、誰かが発したような気さえしましたが、気持ちは勝手に昂ぶり始め、言い争いにまで発展。悪態をついて駐車場を後にしましたが、車内では皆が凄い剣幕で喧々囂々の喚きあいが始まりました。「あのおやじ、新規の客、入れてぇーから、俺らを追い出したんだぜ、絶対。」「クソみてえな嘘吐きやがって !」誰もが激高し、口角泡を飛ばしていますが、なんだか、誰かに喋らされているような妙な感じです。収まりがつかない僕たちは事の真偽を確認する為に、朝食のことも忘れ、バス乗り場に向かいました。フェス・ツアーのバスを含む新規のお客さんと相変わらず泥だらけの連続組とで、道は車と人でごった返していました。先に富士山を配し、悠然と水を湛える河口湖と喧騒にまみれた側道...。行ったことはないのですが、カトマンズの街に来たようです。しかし、冷静になって見てみると明らかに会場とは逆の方角に向かう人たちも見受けられます。迫りつつある真実を聞くのが恐くなっていきます。焦燥感が募り、吹き出して来る汗が冷や汗に変わるようです。勇気を振り絞り、泥だらけの3人組に尋ねます。「さっきさあ、今日のフェスが中止になったって聞いたんだけど、嘘だよね?」3人組の一人が無念と疲れが入り交じった表情で応えます。「いや、マジで中止みたい。なんだか知らないけど。」「でも、こんないい天気じゃん !」「そうなんスけど、ね。」きつい一撃でしたが、未だに信じられないボク達は兎に角、バス乗り場を目指しました。逆方向に向かう人たちが、次第に増しつつある現実に恐怖しつつ...。
「今日の公演は中止です。速やかにお帰りください!」拡声器越しに現実が実態となって立ち現れました。虚無感一杯に肩を落とすボク達。誘導に追われる係員がまた、群衆に囲まれています。一呼吸置いて係員に声を掛けてみます。「こんな良い天気なのに、なんで中止なんスか?」『会場が昨夜の台風で荒れた上にステージ自体が危険である』とかなんとか...。ボク達は、虚ろな顔で頷くだけで誰も説明なんて聞いちゃいませんでした。「...じゃ、帰ろうか」無言のまま、目配せで合意します。清水の舞台から飛び降りるつもりで踏ん切りを付け、近所の喫茶店で朝食を取っていると、偶然、別の友人の一団が入ってきました。彼女らは2日目組。先程、着いたばかりで事情が飲み込めず、その憤りをボクにぶつけてきましたが、詳細な事情説明など、する気になれず。
その後、ボク達は一路、東京に戻りました。各々を家まで送り、僕が自宅に到着すると、部屋には既に西日が差し込んでいましたが、構うことなくベッドに倒れ込みます。勿論、そのまま、就寝。クーラーを付けずに寝てしまい、昨晩とは異なる熱気に当てられ、意識が薄く戻りかけの頃、電話が鳴りました。「Fujiのウェッブ掲示板が大変なことになってる。なにか書き込んでくれよ!!」友人の悲痛な訴えに促され、掲示板を覗くと、信じられない程の書き込みに埋め尽くされています。斜め読みしたボクに再び、嘔吐感が襲います。罵詈雑言といいますが、そんな形容が上品に聞こえる凄まじい言葉の羅列。ボクが気を落ち着けるように書き込むと、1分もしない内に、その矛先はボクに向けられ、なじられ、非難されました。
しばらくして、その掲示板は閉じられてしまいましたが、あそこまで、荒れた掲示板は見たことがありません。
こんなオチまで付いた第一回のFuji Rock Fes。もうフェスに行きたくなくなってしまった人もいるかもしれません。あれをフェスとして引きあいに出すのはあんまりな、気もしますが、まあ、ドキュメンタリーとして読んで頂ければ幸いです。
こんな長文にお付き合いありがとうございました。まだまだ、続くフェス話、次回は1回目を教訓にいきなり「お台場」で開催された二回目Fujiのお話です。


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