ツクール自作システム神話の虚像・ツクールゲーでやるべきことって
しばらくゲーム制作に関するほわっとしたことばかり書いていたけれど、久しぶりに真っ当にRPGツクールの話ができそうである。
今回はツクールの命令を駆使して基本機能では実現できないメニューや戦闘、あるいは全く違うゲームを作り出す「自作システム」に関するお話をしていこうと思う。
すごいって言われたい
少し前に、ツクールの素材フォーラム「ツクマテ」が閉鎖危機に陥った話が新しいが、VIPツクスレ関連の掲示板でも話題になっていた。
その掲示板の話題で書かれていたことに「ツクマテ衰退は自分でゲームシステム作ろうって考える人が減って利用者が少なくなった」って説があった。
そんな説が正しいかというか、ツクマテの話は今回どうでもよくて、この説を見て「ああ、なんかすごくVIPツクスレ的な考え方だなぁ」と思わざるを得なかった。VIPツクスレはいまだに「2000自作システム神話」を崇拝している人が多いのだろうか。今のこの時代、ツクールで自作システムを作る意義や旨みってどこにあるのかと疑問に思ったというのが発端である。
自作システムは確かに、かつてツクールにおける最高到達地点だったのかもしれない。ツクールはその体質故に、基本機能という壁に阻まれてできることとできないことがあった。
その「できないこと」に挑戦しようと、ツクール命令をあらゆる形で駆使して、おおよそツクールゲーに見えないものを作り上げた猛者がいたのである。VIPツクスレにもかつて多くの猛者がいて「ツクールでここまでやるのはすごい」と皆が賛辞を送っていた。
それ故に、VIPツクスレでは自作システム、自作戦闘は羨望の的となっていき、それを作り上げるのはステータスの一つであった。むしろ並のゲームを作り上げることよりも果敢に自作システムに挑戦してエターなる方が偉いみたいな風潮すらあった。それが今も、根強く残っているのかもしれない。
やることの意義
しかし今、それの価値というのはどういうものになっただろうか。
もちろん、すごいことに変わりは無いのだろうが、その相対的価値は減少してきているのではないか。
今やゲーム制作ツールはツクールだけのものではなくなった。ウディタという類似のツールや、あるいはBakinといった、これまでと全く異なるツールまで出てきている。そして何より、UnityやGodotといったゲームエンジンの台頭が目まぐるしい。というより、自分でシステムから作るようなゲームの開発なんてものは既にそちらにお株を奪われてしまっている。わざわざツクールでやるものでもなくなってきているのである。
古参ツクラーは「ツクールでやることに意味がある」と言い切れるのかもしれないし、多くのVIPツクラーもそんな思いなのだろう。しかし、今新たにゲーム制作を始める人はどうだろうか。ツクールを選んで裏技みたいなことを訓練して自分のシステム組み上げるくらいだったら、正規の手段で構築できるような環境を選ぶのは当然である。
システムまで自分の思い通りにしたいなら、端からツクールなんて選ばないわけである。今はそんな感じではないだろうか。
面白さとの関係
そして自作システムの最大の難題は、作れたからといってそれが面白いゲームになる保証なんてのがどこにもないところにある。
ツクールシステムで作られた、いわゆる「デフォ戦ゲー」と自作戦闘。本来比較していいものではないが、ゲームという観点においては容赦なく評価という形で比較されてしまうものだ。
その上で「斬新で見た目もすごいが、面白さはイマイチ」な自作戦闘と「見た目も内容も『ザ・ツクール』だが、癖になる面白さがある」デフォ戦ゲー、「ゲーム」として評価をするとすればどちらが優れているかなんて、聞くまでもなかろうな話である。
どんな洗練されたシステムでも、面白くなければ意味が無い。ゲームなんて本来そういうもんだ。自分も一度、VIPツクスレの神話に釣られて独自システムによるゲームを作ったことがあるが、思いの外つまらないゲームができてしまい、評価もイマイチだったという苦い経験がある。自作システムはあくまで面白いゲームを実現するための手段だ。それ自体が偉いわけではない。ツクラーやってると、結構それがわからなくなる人も多い。
こういうこともあるので、ツクールなら本来ツクールが持っているもので面白いもの作っていけばいいし、ツクールから逸脱する面白さを求めるなら、もうツクール以外を使えばいいわけである。今はそんな時代だと思う。
だから、これからのツクラーはツクールでできることで勝負をすればいいんじゃないかなって考える。実際、RGSSからMV、MZのプラグインの時代に突入した後は、変わったことなら技術者の方々が作り出したそれを使えば大体のことはできる。ゲームを作る人は遠慮無く彼らの恩恵に授かればいいわけだし、無理に100%独力、我本意のゲームを目指す必要も無いのである。
作るために借りるべき手は借りる。それが長年築き上げられてきた、ツクールの輪ではないだろうか。
混濁なるツクールの世界で
この時代の波で、ツクール本家も方向性を見失いつつあり、PC版最新のUniteがゲームエンジンの台頭を意識しすぎて意味のわからない進化(というかゲームエンジンそのものに取り込まれている)をしようとしてコケてしまっている一方で、CS版最新のWITHはこれまでのツクールの延長線上をいい意味で突き進んでいるところがある。こういった本家の迷走にも、やはりツクールに今、何が求められているのかってのが問われているんじゃないかと考えている。それはもう、それを使ってゲーム作っているツクラー達が今後どういったゲーム制作を望んでいるのかに委ねられているのだろうな。これからツクールが本当にどうなってしまうのかってのも。
もちろん、ツクールもツクールを超えるべきだという人もいるだろうし、そういった人たちがツクールゲーらしからぬゲームの制作を追い求めているのかもしれない。だからこそ自作システム神話は今も一定量支持されるとも言える。ツクールですごいって言われるのはそれしかないのだろうし。
だが一方で、ツクールがツクールでなくなったら一体何になるんだとも思えてくるわけで、ツクールで簡単に作れる面白さってのは残し続けていかなければならないんじゃないかと考えるわけだ。
この30年間現れては消えていったツクラーたちが求めてきたものってのは何だったのか、ツクールゲーの本質を今一度追求していかなければならないのかもしれない。


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