法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

国旗損壊罪に賛成した政治家を支持して反対した側の責任を問う「表現の自由戦士」を批判することを、国旗損壊罪に反対してないと批判しているかのように要約するならば、単純化がすぎるのでは?

 まず最初に、カギカッコにくくっているようにタイトルの「表現の自由戦士」は、あくまで引用であって、後述のように私自身は採用しないことを断っておく。


 さて、国旗損壊罪への態度について、「新橋九段@kudanshinbashi」氏を「5億円 2017 @Beriya」氏が批判するツイート*1がそこそこの注目を集めていた。


まーた新橋九段が「表現の自由戦士」が国旗損壊罪に反対してないとかいうデマ・妄言を主張しているのか。本当に救いようがない。

 id:zaikabou氏らがリツイートしていた上記ツイートだが、「5億円 2017 @Beriya」氏も誰も該当する発言を提示しているところを見つけられない。
 上記の少し前に「新橋九段@kudanshinbashi」氏がおこなっていた実際の発言は下記のとおりで、わずかな表現の違いだが意味あいが明らかに異なる。


なぜ表現の自由戦士は国旗損壊罪に素直に反対できないのか|新橋九段
@kudanshinbashi
https://note.com/kudan9/n/nc2b88f4b99c4?sub_rt=share_sb
こっちも再掲。御託はいいからせめて口先だけでも素直に反対して欲しいもんだ。

 これに対しては、反対していると指摘するだけでは反論として成立しない。反対を素直におこなわなくても良いと示さなければ「妄言」といえないし、素直に反対していることを示さなければ「デマ」とはいえない。
 noteを見れば、序盤に下記のような認識が書かれている。この文脈にそって「素直」に反対しているかどうかを考えなければならない。
なぜ表現の自由戦士は国旗損壊罪に素直に反対できないのか|新橋九段

 国旗損壊罪に対しては、流石の彼らも諸手をあげて賛同しなかった。だが、彼らは悪あがきとばかりに言葉を濁したり、「フェミニスト」がまるでこの弾圧を目論んだ政治家と同じくらい悪質な存在であるかのような印象操作に利用したりと的外れな言動に勤しんでいる。以下はその例だ。

 さらに「5億円 2017 @Beriya」氏の発言の後だが、同日にあらためて下記のように説明もしている。


国旗損壊罪に関して御託を言う自由戦士には、腑抜けてんじゃねぇよ言うほかない。自民党が規制をしたという事実すらまっすぐ認められないボケだから山田太郎に騙されるし、これからも騙され続けるんだよ。シンプルな現実をまずはしっかり見ろ。これは「フェミ」や「リベラル」のせいじゃないぞ。

 国旗損壊罪を批判する時に「フェミニスト」に通じる問題だといった主張をしていたのであれば、たとえ同時に「フェミニスト」を批判する妥当性を示せたとしても、「新橋九段@kudanshinbashi」氏の主張が「デマ」になるわけではない。


 念のため、他の部分で「表現の自由戦士」のようなくくりの妥当性を問うことはできる。そもそもが批判すべきふるまいをする人々をくくった言葉であれば、批判対象とすることにあまり情報としての価値がないとも思う。今件では山田太郎氏や赤松健氏の支持者、さらに山田氏が顧問をつとめるAFEE関係者*2のような、より具体的に想定できるくくりがあるだろう。
 さらに、いくつかの部分では私自身は「新橋九段@kudanshinbashi」氏の思想や主張にはっきり同意できない。今件にかぎらない論点でいえば、さまざまな問題ある言動を批判する時に、能力が劣っていることが原因であるかのように「新橋九段@kudanshinbashi」氏が語りがちなところは能力差別であり現状認識としても誤りだと思っている。
「5億円 2017 @Beriya」氏などは、その能力や知見を表現や言論への攻撃に恣意的につかっていることが問題であって、この場合は能力が高ければ高いほど問題が拡大していく。たとえば最近では下記のように自分自身は対象が「どう見られるか」を論じることで、愉快犯によると思われるイベント中止問題の責任を抗議者に負わせても「デマ・妄言」にならないよう表現を工夫する知恵があった。
戦時性暴力の資料館への爆破予告は面白がっていた「5億円 2017 @Beriya」氏が、東京大学の参政党講演中止では「抗議した連中が直接やったものでなくとも、どう見られるかは火を見るより明らか」と他人事のように論じていた - 法華狼の日記

五月祭自体までもが一時中止になったの、直接抗議した連中が直接やったものでなくとも、どう見られるかは火を見るより明らかだな。

脅迫があったのであればその犯人を批判することと独立して、参政党や個々の抗議者*1の妥当性を論じることもできるはずだが。


 いずれにしても、今件での「新橋九段@kudanshinbashi」氏の主張を「国旗損壊罪に反対してない」と要約して「デマ・妄言」と批判するのは不当だろう。
 一方で、全ての思想や意見に同意できるわけでなくても、同じ理屈の批判でなくても、独立して何かを批判することはできるはずだ。

*1:現ポスト。

*2:もともとエンターテイメントに限定して表現の自由を考えるような限界のある団体だったが、政治家への評価を性的表現に偏ってアンケートしたりして、エンターテイメントにかぎっても表現の自由に反する政治家を高評価させるようになってしまった。コメント欄で指摘したように、政党ではなく政治家単位で支持を決めさせる弊害も出てきていた。AFEEの参院選アンケートへの回答や反応を見ていると、そこで語られる「表現の自由」が極めて限定されたものとしか思えない - 法華狼の日記