以前のmixiを読んでいて、上祐が加納弁護士とロフトで対談した際の感想を述べていた日記を見つけた。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944161663&owner_id=25590549

私が一番びっくりしたのは、いまだにオウム関係者で行方不明者が10人以上は存在していて、家族はいまだに探し続けているということだった。

上祐さんは、修行中の事故などでは、すでに焼却処分されている可能性を示唆していたのだが、当然に観客からも全力を尽くして調べて欲しいなどという声も上がっていた。」という記述があった。

加納弁護士とは、吉田栄子さんの親御さんから依頼を受けて、吉田さんの行方を探し続けていた弁護士さんである。その人を横にしても吉田さんことを隠蔽しながら、「麻原を死刑にしろとしきりに言っていた。」という私の感想に対して、怒濤の反論を私にしてきた。

「私は、オウム事件がいつ終わるかに関して、麻原を死刑にしなければならないとは言っていません。私は、オウム事件がいつ終わるかという質問に対して、オウム事件の終わりが、オウム信者がテロを再び起こす可能性が根絶された時という意味であれば、現在も既にないとは思うが、オウムの教義では麻原のみが殺人を指示ないし実行する権能があるので、麻原の死刑によってそうなるだろうという客観的な事実を述べただけです。これは非常に重要な事実だと思います。

また、死刑にしなくても、だれとも面会できない措置を法務省・拘置所がとることができればとも付言しました。ただし、同席した弁護士にも確認したら、現状の法規では、家族などの)誰とも面会できないようにすることは難しいという法的な事実も確認しました。とはいえ、麻原は異常な言動を示すようになって以来、ここ5年ほどは、全く誰とも接見に応じておらず、また、仮に接見があっても、立会いの刑務官がいますから、事実上、再発の可能性はないと思います。

なお、私が、麻原の死刑を施行しないデメリットとして指摘したのは、それによって、アレフが、麻原が不死の身体を得るという麻原の予言が実現したと錯覚し、彼らの盲信が深まるということでした。

そうした中で、昨日に限って言えば、死刑にすべきであるかどうか、心神喪失なのかそうではないのか、について、何か確たる見解は述べていません。

現状における私の確たる見解としては、1.法務省の意向に基づいて、死刑になるだろう、と予見していること、2、アレフの盲信の深まりを避けるための措置を講じてほしいということが中心です。

なお、麻原的なもの、オウム的なものを作り出した社会全体の要因に関しては、繰り返し書籍、講演、講話で述べているので、昨日のトークライブでは、質問者のニーズを「近未来に何かしらの終わりが来てほしい」というものだと察したので、省略しました。」

などと、言ってきたのである。

私にしてみれば、私がそういう感想をもったのは上祐がデメリットを強調していたからで、それがどうした?としか思えないのであるが、彼にとっては行方不明の信者がいて。その詳細を知っていても隠蔽しているにも関わらず、「麻原を死刑にしろ」と言ったかどうかの方が大切だったのだろう。

事件を隠蔽しながら、行方不明者の捜索をしている弁護士を横にしてのトークで、その感想を述べた私への反論が上記のものであるのは、「オウム的なものは省略しました」とし、自分自身が関わった殺人事件について、「オウム的なもの」として省略したとするなら、自らを「オウム的なもの」と認めている重要な証拠として受け止めざるをえない。

先日、吉田栄子さんについて元サマナと話していたのであるが、88年当時の大阪支部長は上祐であった。吉田栄子さんは88年に入信したらしいのだが、もし大阪で入信したのであれば、上祐が入信を認めたということになるのだろう。既知の間柄であってもおかしくはない。

そうだとするなら、上祐の罪は殺人事件の隠蔽にはとどまらず、吉田さんが死へと至る切っ掛けにも関わっていたとなる。

その責任を考えることもなく、上祐は今も綺麗事を並び立て信者を惑わし続けている。

私が一番問題と思うのは、何故このような事件を隠蔽しつつもひかりの輪を立ち上げることができたのかってことである。事件を本当に反省しようとするのであれば、自分の命がどうなろうとも真実を明らかにするしかなく、そのような行動でしか反省の意思は示せないとも思う。

事件を公表することが怖かったとしても、なにも「反省した」と欺瞞に満ちたことを世間に公表し、信者も騙してひかりの輪を立ち上げる必要は全くなかったんじゃないか?

事件は隠蔽し続けられると思いつつ、事件を反省した、被害者賠償をしている、ことを強調していき、麻原にとって代わり麻原信仰から上祐信仰へと団体を変えていけば、世間は欺けると考えていたのであろう。事件を隠蔽することと、事件を反省した団体を立ち上げることとは、どうしても論理的な矛盾に陥るので、このように解釈せざるをえない。

「カルト」と呼ばれる全ての団体が、最初から「カルト」を目指してした訳じゃなく、教団が大きくなるにつれカルト化していった、というのが私のカルト考であるが、ひかりの輪だけは違う。最初から今に至るまで嘘にまみれて、被害者を増やしながら存続し続けている。

以下の記事において上祐は事件の隠蔽を「正しくなかった」と認めている。しかし、その不正を自覚しながら「事件を反省した」と公言してひかりの輪を立ち上げたことには全く罪悪感は感じてもないのだろうな。

ひかりの輪は、最初から盲信を前提とした「カルト」になることを目指して設立されたとか思えないし、上祐の言い分を鵜呑みにできる信者さん達も完全にイカれていると自覚してほしい。

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「上祐史浩」がひた隠し! 警察も知らない「麻原彰晃」の女性信者殺害

社会 週刊新潮 2018年7月19日号掲載


https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07190557/


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