エロをぶつけられる=女として見られてる?

無差別な「エロぶつけられ行為」に辟易していた私が、“それがなぜ嫌なのか”が見えてきた話_img0
 

以前脈絡のないエロをぶつけられた経験を友達に相談すると、
「でも、女として見られてるってことじゃん。よかったやん」
と言われたことがありました。

いきなりエロをぶつけられるって「女として見られること」なのか——? 疑問に感じ、ぐるぐる考え続けました。そして、自分のコラムでこう書いたことがありました。

見ず知らずの人にいきなり自分の欲望をぶつけることが。
女であるというだけで性的な対象として見て、それを態度に出すことが。
相手の気持ちを考えずに一方的なコミュニケーションで欲求を満たそうとすることが。

「女として見る」と言うことなのか?
それは、人間として見ていないということではないか。
女として見られているのではなく、人間として見られていないのだ。
相手が尊厳や人格をもった一人の人間だと思えるならば、あのような態度はできないはずだ。


——婦人公論「セクハラ被害を告白したら女友達に〈女って見られてるってこと。よかったやん〉と言われた。『女として見る』は『人間として見ていない』ということではないか

すると、「でも犬猫じゃ発情しないんだから、人間として見てるってこと」とコメントがついて、そういう考え方もあるのか、と心底驚きましたね。

「女として見られてるってことじゃん」と言ってきた友達とは、そのあとよく話をしました。するとその友達も、「自分もいきなり性的な発言をぶつけられたりしたら、怖いし気持ち悪い」と言っていて、ほう、そこは同じ感覚なんだな……と思い、「じゃあなんでそう言ったの?」と聞くと、「励まそうと思って、悪気なくつい言ってしまった」と言っていました。


脈絡のないエロの押し付けは、やっぱり反対


その友達に限らず、「こんな目に遭って怖かった」と伝えたとしても、「相手が性的興味を持ってくれたことや好意を持ってくれたことには、ありがたいと思えばいい」といったアドバイスをしてくる人が割といます。でも、女性は男性の性的対象にされたら「ありがたいと思うべき」というのは、すごく男性中心的な考え方に無意識的に染まっているんじゃないか、と思います。

内心の自由があるので、どういう感情を抱くか、どんな興味を持つかは自由です。でも相手に「伝えた」瞬間に責任は生じます。心の中で思うことは自由でも、それを配慮なく、相手にわかるように言葉にしてしまうのは違う。

繰り返しになりますが、性的な話題が全部ダメなわけでも、下ネタやエロ話自体がダメなわけでもない。関係性や土台作りのプロセスを踏むことなく、相手の意思や感情を無視して合意形成をおろそかにし、脈絡なく、一方的に、押し付けるようにぶつける——というのは、やっぱりダメだと思うんです。

 写真:Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵
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