不思議な発信です。
国家予算、外交、安全保障を担う最高意思決定者が、自らのSNSで、睡眠不足や家事の苦労、インナーのアイロンがけやスカートのまつり縫いについて細かく語る。
伝統的な政治指導者像から見れば、かなり異例です。しかし、政治コミュニケーション論やポピュリズム研究の枠組みを使えば、この言動は理解できます。
これは「政治的真正性(Political Authenticity)」、なかでも「日常性(Ordinariness)」「不完全さ(Imperfection)」「告白(Confession)」を通じた自己呈示として読むことができます。
国家予算という国民から遠い仕事と、アイロンがけという極めて身近な家事を同じ文章の中に並べる。
その瞬間、国家の最高権力者は「雲の上のエリート」から、「私たちと同じように仕事と家事に追われる普通の人」へと姿を変えます。
「私は特権階級ではない」
「私は皆さんと同じ苦労を知っている」
「私は不器用だが、懸命に働いている」
こうしたメッセージによって、権力者と有権者の心理的距離を縮め、エリート批判をかわし、共感を調達する。
現代のポピュリズム的な政治コミュニケーションにおける定石の一つです。
さらに、「睡眠時間を削って国事に奔走し、家事まで自分でこなす」という物語は、勤勉、忍耐、自己犠牲を重んじる支持層に対して、「私は誰よりも国家のために身を削っている」という強いシグナルになります。
支持者との感情的な結束を強めるうえでは、有効な手法でしょう。
同時に、この種の発信は、政策批判に対する予防線としても機能し得ます。
「私はこれほど働いている」
「決して怠けているわけではない」
こう語ることで、政策に遅れや失敗が生じても、評価の焦点を「政策判断の妥当性」から「本人の努力と献身」へと移すことができます。
ところが、「頑張っている首相」というナラティブが強くなるほど、「結果を出している首相なのか」という検証は後景に退きます。
トップが自らの苦労を繰り返し語らなければならないとすれば、それは政策の成果だけでは支持を維持できない政治状況の表れです。
苦労話によって支持をつなぎ留める段階に至ったのであれば、首相が考えるべきは、さらなる自己犠牲の演出ではありません。
自らの統治の成果と限界を正面から検証し、国民に進退を問うことではないでしょうか。
「手付かずだった大量の洗濯後のハンカチ」→2月の衆院選で当選した高市チルドレン 「インナー」→税調幹部会 あたりは容易に想像つくが 「まつり縫い」、「緩んだボタン」は何を意...