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「うちはちゃんと有名な塾に入れているから、大丈夫」
そう信じて月数万円を塾に払い続ける家庭は少なくありません。しかし同じ教室で同じ授業を受けているのに、伸びる子と伸び悩む子の差は残酷に開いていく。なぜ差がつくのか。
今回はその謎を、東大と京大に合格した2人の現役大学生の肉声からたどってみます。塾で"勝った側"と"負けた側"、両方を経験した彼らの言葉から見えてきたのは、塾という装置が静かに奪っていく、ある能力でした。
「自分だけわからない」トラウマで中学受験を断念
最初に話を聞かせてくれたのは、京都大学文学部3年のMさん。埼玉県の出身で、結果的に中学受験はしていません。人生で唯一「中学受験体験」をしたのが、小学4年生の夏期講習だったといいます。
「今思えば、人生初の"できない側"の経験でした」
そう前置きして、Mさんは当時の教室の風景を話してくれました。
「授業に参加した初日から三角形の面積の出し方がいきなり始まったんですよ。基礎がない私には、先生が何を言っているのかすらわからない。周りの子は『はい!』『わかる!』みたいに反応しているのに、私だけ最初から最後までただ時間が過ぎるのを待っているだけでした」
授業についていけず「何がわかっていないか、すらわからなかった」ことが一番怖かったと振り返る。
「教室にいた周りの生徒はみんなついていけているように見える。授業も予定通り進んでいく。できなかった私のほうがおかしいのかなと。それがトラウマで、中学受験からも塾からも遠ざかりました」
塾に通っているのに「負債が溜まっていく」感覚
もう1人、東京大学後期教養学部3年のSさんは、Mさんとは対照的な経歴です。都内の都立中高一貫校出身で、小学生時代はZ会、大学受験期はとある塾の東大コースを受講。いわゆる「勝ち組ルート」を歩んできました。
「じゃあSさんは塾で伸びたんですね」と振ると、彼は少しだけ間を置いてからこう答えました。
「正直に言うと、自分は塾で伸びた側ではあるんですけど、なぜ伸びたかを言語化すると、塾の授業そのもの以外の要因の方が大きかったんです」
Sさんは、東大に特化したコースで体験したことをこう語ります。
「国語を伸ばしたくて塾に来る子は多いですが、講師の指摘を答案に反映する作業自体に国語力が必要なんです。だから国語が苦手な子ほど、通っても伸びない。授業レベルより一段下にいると内容を吸収できず、頑張るほど『負債』が溜まっていく感覚があるんです」
クラス分けテストについても、Sさんは続けます。
「上位の子は伸びる意欲を持てますが、20人中19位と言われる子は『無理だ』という認識が刷り込まれ、さらに悪化する。塾自体が二極化を再生産する装置になっているんです」
Mさんも頷きました。
「小4の夏、『わかる』子と私の差は本当は小さかったはず。でも通い続けたことで、絶対に追いつけない距離ができた。あのまま塾を続けていたら、今京大にはいなかったと思います」
ここで見えてきたのは、塾は全員を並行して伸ばす装置ではなく、初期のわずかな差をテストと順位によって加速度的に拡大する装置だという構造的な問題でした。
短期的な「成績アップ」を狙いたくなる構造
話題はテスト文化に移りました。Sさんの例えが印象的でした。
「月例テスト前は、点数を近道で上げたくなります。でもそれは筋トレしていないのに、プロテインだけ飲むようなもの。時間のかかる土台の立て直しをせずに、目先だけ何とかしようとしているんです」
「保護者が結果を知るほぼ唯一の機会である月次テストでは、子どもは公式やパターンの暗記で誤魔化すしかない。一時的に点数は上がっても、真の問題は根治せず、親も気付かないままです」
さらにSさんは、塾という制度に織り込まれた罠を指摘しました。
「点数が毎月叩きつけられる環境では、点数を気にせず土台からやり直そう、という発想にはなりづらいんです」
これは保護者にこそ届いてほしい言葉です。「成績が下がったから対策を増やそう」という発想こそが対症療法を加速させ、根治の機会を奪っている可能性がある。塾は"わからない"を抱え続けることを、構造的に許さない場所なのです。
では、Sさんはどうやって東大に届いたのか。
「ある時から映像授業をあえて途中で止め、自分でじっくり悶々とする時間を作ったんです。それから吸収力が明らかに上がりました。塾の授業は筋道立ててわかりやすく教えてくれて、答えが出ないことは基本ない。でも流して見るだけだと解答までの道筋が流れていくだけで、自分で詰まる時間がないと自分のものにならない。対面の集団塾ではこれができません。授業は止まってくれないので」
さらにこんな習慣も明かしてくれました。
「授業後、友達とラーメン屋で1時間ほど、その日の内容を議論してたんです。あの時間がなかったら東大には届いていません」
東大合格を支えたのは塾の授業そのものではなく、塾の外での「悶々とする時間」と「ラーメン屋での対話」でした。
「わからないまま机に向かう時間」が育てるネガティブ・ケイパビリティ
Mさんが京大に届いた道筋も、本質的には同じでした。自主学習中心に切り替えたことで成績はグングン伸びていったとMさんは分析します。
「わからないまま机に向かう時間が、ようやく許されるようになったんだと思います。集団塾だと先生がその場で解説して進んでいくので、理解していないまま次の単元に入ってしまう。“わからない”が許されない環境でした。京大の二次試験には、問いを頭の中でこねくり回して、じっくり考える力が必要なんです。でも振り返ると塾では、5分で解けなければ諦めて、次に進む癖がついてしまっていました」
「許される」という言葉が印象的でした。「わからない」状態は本来気持ち悪く、すぐ解消したくなるものです。けれどその気持ち悪さに耐える時間こそが、後で力になる。SさんもMさんも、違うルートで同じ場所に辿り着いていたのだと思います。
これは近年「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ばれます。答えがすぐ出ない状況で、不確実性を受け入れる力のことです。
塾の標準的な仕組みは、この力を育てる方向とは少しずれているのかもしれません。
- わからない問題 → 即座に解説 → わかった気になる
- 月1回のテスト → 次のテストへの対策だけ考える
- 質問 → 即答 → 自分で悶々とする時間が減る
Sさんの「映像を止める」、Mさんの「集団塾を離れる」という選択は、まさにこの力を取り戻すための工夫だったのです。
そして、ネガティブ・ケイパビリティは難関大の二次試験だけに役立つスキルではありません。
短期的な安心よりも社会で役立つ「問いを抱え続ける力」を
有名大学に合格するのは喜ばしいことですが、そこからすべて順風満帆にいくわけではありません。大学にいるのは、同じように勝ち抜いてきた同レベルの集団です。
学問のテーマ、人間関係、就職活動、人生設計、そして社会に出た後の本当に難しい問題――どれも5分では答えが出ず、誰かが採点してくれるわけでもありません。そこで問われるのは、問いに長く取り組む力です。
「有名塾に入れた」で安心するのは、お金で安心を買うようなものとも言えます。
しかし人生で真に乗り越えるべきことは、たいてい曖昧で不安を呼ぶような問題です。「どこがダメかわからない」「まだ答えが出ない」――こうした宙吊りの状態を抱え続けることこそが、ネガティブ・ケイパビリティを育てる土壌なのだと、2人の話を聞いて確信しました。
2人に受験当時の自分にひと言かけるなら?と聞きました。
Sさんは「解説を聞くたびに、それを自分の答案にどう持ち帰るか考えること。それが塾を生かす唯一の姿勢」。
Mさんは「わからないことを、その日のうちに解決しなくていい。1カ月抱えていてもいい。その方が本物の力になる」。
“問いに耐えられる子”と“即答を求めてしまう子”のどちらがいいか。長い人生において、それは明白だと思います。そして家庭が、そして保護者自身が「わからなさ」に耐える必要があるとも言えるのかもしれません。